ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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31.サハルードの戦い・前編

 パルス歴321年8月5日。アンドラゴラス率いるパルス軍、およそ20万。対するルシタニアは、今度はジュイマンドよりさらに西、よりエクバターナに近い『サハルードの野』で向かい合った。

「こちらが及び腰であると印象付けられるかと思いまして」

 何故そうしたのかと聞いたギスカールに、セイリオスは簡単に答えた。アンドラゴラスを恐れるそぶりは微塵もない。この弟に限って油断ということはないだろうが、それでもギスカールは不安を捨てきれない。

 所在を隠すため深緑の旗を伏せているが、アクターナ軍は左翼の後方に布陣している。ギスカールはそちらを見た。いつもと変わらぬ、静かな佇まいでいた。

 

「……おい小僧。少しは落ち着け」

 声を潜めて、隣の兵士が話しかけてきた。パルス戦役前からアクターナ軍の兵士であった男である。ルクールがそわそわと落ち着かない様子でいたのが、目についたのだろう。

 だが、ルクールの不安も判らぬことではない。彼はパルス人である。アンドラゴラス王とパルス軍の強大さは、パルス人が誇りにしてきたものだ。それと、敵として向かい合っているのである。

「……あの、ここだけの話ですけど、今回は本当に勝てるのでしょうか?」

「あ?俺たちの大将が誰だと思ってるんだ?殿下は負けねえよ」

 信頼と言うより、妄信と言うべきかもしれない。だが人にそう思わすことができるというのは、凄い事なのではないか。しかも一人や二人でなく、アクターナ軍4万人だ。

 

 アクターナ軍が何故常勝なのか。軍学を教えられ、ルクールも理解した。非常に簡単なことである。勝つ自信のある戦しかしないからだ。そして、ヘルマンドス城の騎兵戦を除き、全てがその通りになった。

 だからアンドラゴラス王のパルス軍と対峙している今、セイリオスには勝算があるはずだ。そこまでは頭で理解できる。だが、あのアンドラゴラス王に勝つ自信というのが、どうしてもルクールには解らない。

「考えるだけ無駄だ、小僧。いいか、俺たちぐらいに解るようなら、敵にだって解ってしまうだろ。だから解らなくていい。俺たちは、殿下の言う通りに動けばいいのさ」

 唖然とするような意見であるが、正しいと言えなくもない。しかし、ルクールは考えるのを止めなかった。少しでもセイリオスに近付きたい。旧主の仇は、今や自身の理想となっていた。

 

 

「アクターナ軍は、どこだ」

 深緑に紋章の旗がない。キシュワードは目を凝らして敵軍を見たが、それらしい軍はなかった。後方のどこかか。

 偵騎から、他の軍を発見したという報告はない。別動隊として動いている可能性は低いが、アクターナ軍は騎馬隊だけなら偵騎に劣らぬ速度で駆けてくる。油断はできない。

 ルシタニア軍全体として、多少の喧騒はあるものの、落ち着いているとキシュワードは見た。パルス軍と対峙して、ここまで自信を保った軍を見たことがない。セイリオスの指揮に対する信頼の表れであろう。

 

「今回は、柵がない」

 ルシタニアはジュイマンドと違い、柵を展開していない。アンドラゴラス王のことだから、明日には騎兵の全突撃を命令するのではないか。それを止める理由を探しに、キシュワードは前線まで出てきた。

「クバード卿、どう見る?」

 隣の同僚に話しかける。パルス軍の陣形は先鋒にクバードの騎兵1万、その後ろにイスファーン、トゥース、ザラーヴァントの三将、さらにアンドラゴラス王とキシュワードの本隊と続く。歩兵はその後ろだ。

 騎兵6万2千、歩兵13万4千の大軍である。パルス北東部の全兵力を動員したと言っても過言ではない。だから、この軍が潰えれば、その時パルスは組織的な継戦力を失う。

 

「どう、と言われてもな。ナルサスが言っていた罠が何か判明せねば、王を止めることなどできまいよ」

 半ば諦めたように、クバードが言う。アンドラゴラス王は愚かではないが、「罠の恐れがある」というだけで軍を止めるような慎重さは持ち合わせていない。

「ナルサスは止めていたが、こうなったら夜襲でもしてみるか?」

 夜襲で一部の軍を釣り出し、深追いしたところを叩く。柵がない今回なら、有効そうではある。軽く言ったクバードに対し、キシュワードは真面目に考え込んだ。

 

「夜襲か…。よかろう」

 多少考え込んだ上で、アンドラゴラス王は夜襲を許可した。彼とてルシタニアの布陣を見て、何も考えていなかったわけではない。

「両翼のトゥースとイスファーンに攻撃させよ。深入りせず、適当に叩け」

 敵を中央にまとめ、一気に叩く肚だ。キシュワードはそう感じ取った。決して間違いではない。ナルサスがあそこまで強硬に止めていなかったら、自分も選択肢の一つとして考える。

 夜襲隊は敵を釣り出すのには失敗したが、多少の戦果を得て帰ってきた。パルス軍は7騎を失い、ルシタニアは数十人の死傷者を出した。小競り合いにすぎないが、一応はパルス軍の勝利である。

 翌朝、ルシタニア軍は警戒するように両翼を縮め、中央にまとまった形になっていた。それを見て、アンドラゴラス王は会心の笑みを浮かべた。

 

「サハルードの野なら、我が膝元である。アトロパテネのような断崖は存在せず、パルス軍の突撃を阻む何物も存在しない」

 ルシタニアは前軍と中軍が緩やかな丘の上に陣取り、後軍は土地が足りなかったのか、その丘を下った先に布陣している。起伏はあるが、アンドラゴラス王の言う通り崖と言える地形はない。

 天気は良く晴れている。雲一つない青空、という訳ではないが、霧が出ることは考えられない。

「今度こそ、あの蛮族どもを叩き潰してくれる。キシュワードよ、全軍に布告せよ」

 命を賭して止めるべきなのか、キシュワードは迷った。クバードの言う通り、罠の存在が明らかでなければ止まるまい。それなら、王を諫めても無駄死にするだけである。

(ルシタニアが、アンドラゴラス王を軽視している可能性もある―)

 ナルサスの予感が外れることを願い、キシュワードは全軍に攻撃命令を下した。それしかなかった。

 

「……動いた」

 セイリオスはアンドラゴラスを軽視していたわけではない。無敵のパルス軍の名声は、パルス軍の質が優れていたこともあるが、アンドラゴラスが勇猛果敢な武将であったからもたらされたものだ。

「それゆえ、今は与しやすい」

 彼にとって、アトロパテネの敗戦は痛恨の極みのはずだ。不敗無敵のパルス王としての誇りを大きく傷つけられたと感じたであろう。

 それを取り戻すためには、どうするか。策略で勝っても名誉を取り戻したとは思えないに違いない。今度こそ騎兵突撃によって蹂躙しなければ、彼の矜持は収まらない。そこが、アルスラーンと違う。

 ルシタニア全軍も戦闘態勢に入る。中央の先鋒は、ドライゼン率いる第5獅子座騎士団(レオン)1万。それが槍衾を並べて、パルス軍を迎え撃った。

 

密集隊形(ファランクス)を形成せよ!!!」

 5人ずつの小隊が、5列に並んだ。第一列は槍を水平に突き出し、第二列から順に角度をつけて立てていく。長槍が、林のごとく立ち並んだ。

「もはやパルスの時代は終わった。これからの時代を作るのは我らだと、この戦いで奴らに教えてやるのだ」

 ドライゼンの鼓舞に、兵たちは喚声で応えた。パルス軍の先鋒とぶつかる。無敵と言われたパルス騎兵も、一糸乱れぬ槍の壁に弾き返される。

 

「クバード将軍、先鋒は苦戦しております!」

 そんな馬鹿な、という表情で、部下の千騎長が報告してきた。パルス騎兵の突撃をまともに受けて、断ち割れない軍など無かった。だがその報告はむしろ、戦士の血を滾らせる。

「ふん、アトロパテネから、ずいぶん変わったものだ」

 クバードは元々王家に対する忠誠の薄い男だ。今ここにいるのは同僚のキシュワードへの義理とルシタニアへの敵意、そして一人の戦士としての本能があるだけである。

 もう、王も何もない。あるのは戦士として、これまでにない敵に出会えた喜びのみ。クバードは愛剣を掲げ、馬腹を蹴った。自ら、先頭に立つ。

 

「おおぁ!」

 大剣で槍を弾き飛ばす。2本目も打ち払った。クバードの馬は隊列に達し、一列目の敵兵を頭蓋から叩き割った。3列目の敵兵が、槍を繰り出す。それを小脇に抱え込み、強力で敵を投げ飛ばした。

「続け!この『ほらふき』クバードがいるのだ!お前たちはただ付いて来るだけでいいんだぞ!!!」

 酒と大言壮語が過ぎる、というのが良識的な人間から見たクバードの評価である。だが本人はそれを誉め言葉と思っているのか、名誉の称号のように口にする。

 それを聞いて、兵たちの口元も思わず緩んだ。そして称号が何であれ、クバードの剛勇は本物だ。ルシタニアの最初の小隊を割り、第二列に突っ込む。

 

「イスファーン、トゥース、ザラーヴァントの第二陣も、中央に集中させろ!」

 全体の戦局を見て、アンドラゴラス王が指示を出す。各隊が攻撃を加えるも、ルシタニア陣は乱れない。騎兵に対する対応は、十二分に訓練を積んだのだろう。突出して分断されるような間抜けはいない。

 アンドラゴラス王の戦術眼は、このまま漫然と攻撃を続けるのは無意味であることを直ちに見抜いた。ならば、クバードの剛勇によって亀裂が入った敵中央に力を集中し、一気に断ち切る。

「キシュワード、我らも行くぞ!」

 はっ、と威に打たれたようにキシュワードが頭を下げた。不敗の王であったアンドラゴラスの英姿が戻ってきた、と感じたのは彼だけではない。

「聖賢王ジャムシード、英雄王カイ・ホスロー、パルス歴代の諸王よ!我が軍を守りたまえかし!!!突撃(ヤシャスィーン)!!!!!!」

 

 6万騎の突撃。それが獅子座騎士団を割り、ルシタニアの諸侯軍に突っ込んだ。かつてのルシタニア軍と比べ物にならないほど精強と言えど、パルス騎馬隊の突撃を受けられるものではない。

「案ずるな。この戦、セイリオス殿下の想定通りに進んでおる」

 不安そうにこちらを見たバラカードに、ボードワンはそう答えた。とはいっても、自身も詳しいことは知らされておらず、不安がないわけではない。

(殿下の指示は、『敵に侮られぬほどに、味方が壊滅せぬほどに、敵を中央に通せ』。……難しいことを言われる)

 今のところ、セイリオスの望み通りのはずだ。だが、パルスの騎兵隊はやはり精強である。この勢いを止めねば、ルシタニア軍は中央から二分され、撃滅されるだけだろう。

 

 ルシタニアの後軍は、セドリウス将軍の第10山羊座騎士団(カプリコルニオ)を中核とした3万の軍である。ボードワンの中軍から後方の草地で、何かしていたのは知っている。

 それが何かを知っているのは、セイリオスと実行した部隊だけだ。いや、実行部隊ですら、何なのか知らされてないのかもしれない。

「槍衾を並べ、敵の馬を防ぐのだ!騎兵隊さえ止めれば、パルスも恐れるに足りず!!!」

 ボードワンの督戦に答えた兵たちは、密集隊形を崩さない。それでもパルス騎兵はそれを打ち砕き、叩き割る。国軍が半壊してなお、パルス騎兵は精強だった。

 中央は、明らかにパルスが押していた。

 

「………」

 中央部の劣勢により、ルシタニア陣はくの字に曲がって見えるようになった。高所から俯瞰する者に形勢を聞いたなら、はっきりとパルスが優勢と断言したであろう。

 その状況に、セイリオスは動じない。彼の麾下でルシタニア軍最強のアクターナ軍4万も、まだ後方にいたままだ。

 左翼の前衛はカラドックの第7天秤座騎士団(リブラ)、その後ろで諸侯軍を纏めているのがゴドフロワ将軍である。パルスが中央に力を集中しているため、この二人で充分打ち払えている。

 右翼はグロッセートの第12魚座騎士団(ペイシェス)とモンフェラートの第1牡羊座騎士団(アーリス)に、スフォルツァ、ブラマンテ、モンテセッコの騎馬隊を配備してある。こちらも、形勢は互角。

 

 中央と左翼の間に、隙間ができた。ボードワンの奮闘が限界に達しようとしている。ここでセイリオスは、初めてアクターナ軍を動かした。ボードワンの援護ではなく、その隙間に向けて。

「え?」

 いきなり現れたアクターナ軍に、パルスの歩兵隊を率いるシャガード将軍は粉砕された。新手、と思った時には先鋒が潰走していたのだ。信じられない速さであり、強さだった。

 シャガード将軍は慌てて軍を止め、部隊を再編する。パルスの騎兵隊と歩兵隊の間を、アクターナ軍が断ち切った形になった。

 

「後方が絶たれました!」

 アンドラゴラス王の元にも、すぐさま報告が届く。キシュワードは顔色を変えた。この短時間でパルス軍を断ち切るなどという芸当ができるのは、アクターナ軍しかない。

「構わぬ!このまま前進し、ルシタニア軍を叩き潰す!!!」

 ボードワンの中央軍は崩れかかっている。この勢いのまま敵陣を突破し、包囲を脱する。アンドラゴラス王の判断は、決して間違いではない。

 

 のちに、パルスにて「サハルード会戦でアンドラゴラス王の何が悪かったのか」という話になった時のことである。

 アトロパテネの敗戦から無反省であったこと、変わらぬルシタニアの軽視、パルス軍の欠陥を放置したことなど、色々語られる。

 その中で、一人の男が言った言葉に、誰も反論できず皆が黙り込んだ。「相手が悪かった」と―。

 




突撃してくれた時点でセイリオスの勝ちです。
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