その夜、ギスカールとセイリオスは同じ天幕で寝ていた。今後の展開について話し合わねばならないと言い、そのまま夜も更けたため引き留めたのである。
ギスカールには少々後ろめたい所があったのであろう。信じているぞ、と言わんばかりに、さっさと寝てしまった。セイリオスがその気になれば、直ちに事は済むはずだ。
「………」
セイリオスも苦笑いして横になった。ギスカールが何を考えたかくらい、察せぬはずもない。むしろ、こんなあからさまにされる方が疑心を生むではないか。
王侯用の天幕である。大人が二人寝たとしても、充分すぎる空間がある。その中で、わずかに風が動いた。
「……!」
その瞬間、セイリオスは跳ね起きた。同時に『アステリア』を抜き放っている。抜き打ちの一閃が影を斬り裂いた。絶叫が響く。
さらにもう一つの影が、ギスカールの枕元に忍び寄っていた。そちらは仲間の断末魔にぎょっとし、慌てて天幕の入り口に跳び退る。追い打ちの剣閃はその影を斬った。手応えはあったものの、致命傷ではない。
「な、何だ、何だ?」
ギスカールも目を覚ました。セイリオスは曲者を追って天幕の外に飛び出したが、その影は地に潜るように消えてしまった。しばらく警戒したのち、炬火から一本松明を取り出し、天幕に戻る。
天幕の前では、見張りの兵士が眠り込んでいた。いきなり、意識を失う様な眠気に襲われたという。普通なら即斬首刑となる失態だが、曲者が曲者だったので命を拾うことになる。
「……魔導士か」
以前、プーラードとかいう魔導士が忍び込んだことがある。その男と同じ仮面と暗灰色のローブなのだから、仲間なのだろう。実はその本人であったが、一刀で斬り捨ててしまったため判るはずもなかった。
「何を狙ったんだ、こいつらは?」
ギスカールが疑問を呈する。まず考えられるのは、ギスカールとセイリオスの命であろう。だが奴らは『パルスの現体制を憎む者』と言った。その言葉が嘘でないなら、ルシタニアの王弟暗殺は無益どころか有害だ。
その魔導士の持ち物の中に、短剣があった。鞘と柄に蛇が巻き付いた意匠である。それを見て、ギスカールはふと思い出した。蛇王が、黒い刀身の剣を欲しがっていたという話だ。
「狙いは『アステリア』ではないか?」
ギスカールの説明に、セイリオスもその可能性を認めた。だが、自分に向かってきた男はそれでいいとして、ギスカールを襲おうとした方の狙いは何だったのか。
「……どうやら、このままマルヤムまで撤退して終わり、とはいかないようだな」
「……申し訳ございません、『尊師』」
エクバターナの地下で弟子の報告を受け、珍しく『尊師』は仰天した。弟子の一人のプーラードは胴体切断で即死、グンディーは左足を失い、
「馬鹿な。眠りの魔導が効かなかったというのか……」
パルス人は幼少のころより蛇王の伝説を聞かされる。その際に、大人は子供に様々なおまじないをかける。子供は大人の迷信深さに辟易するが、実は蛇王の魔導に対する、れっきとした防御術なのである。
その耐性のないルシタニア人なら、弟子二人が目的を果たし天幕を出ていくまで、何も気づかないはずである。何故か。考え進めるうちに、ある可能性に思い当たった。
「………あの指輪か。天より降りし星を鍛えたという。その際に、魔導に対する耐性を付与されたのやもしれぬ」
ギスカールも運が良かった。その日に限って、セイリオスと同じ天幕で寝ていたのだ。プーラードとグンディーの二人は手間が省けたと思ったのだが、その判断が大失敗となった。
「『尊師』、いかがいたしましょう。ギスカールの身柄を抑え損ねた以上、計画の変更が必要かと…」
「出来ぬ。奴らはこのままパルスを去るつもりだ。そうなれば、誰がアルスラーンを討つ?」
大きな計算違いがあった。アルスラーンにルクナバードを手に入れさせる。それで直ちに蛇王の封印が解かれるはずだったのに、一向にその兆しがない。
「考えられる理由は一つ。カイ・ホスローとアルスラーンが、ルクナバードを通じて繋がっておる。あり得ぬ話だが、それしかない」
すなわち、アルスラーンがカイ・ホスローに認められ、ルクナバードの正統な所有者となった。血の繋がりもない小僧が認められるはずがない、と高をくくっていたところ、夢にも思わぬ事態が起きた。
もっとも、300年の月日で、封印の力はかなり弱まっている。今はカイ・ホスローの最後の足掻きと言っていい状態にある。だがその最後の抵抗が、いつまで続くかが判らない。
「アルスラーンさえ討てば、直ちにザッハーク様の復活は成るのだ。ルクナバードの正統な所有者となった以上、ザッハーク様の障害となる可能性もある。万に一つの可能性だろうと、取り除いておくべきだ」
しかし、どうやって?眷属の魔物たちは蛇王復活後の大事な戦力である。手持ちの戦力を減らしたくないとなれば、勝てそうな奴を動かすしかない。つまり、ルシタニア軍であり、セイリオスだ。
「それにギスカールは失敗したが、もう一人は抑えた。もう後戻りはできぬ。これで、あの三弟を動かす。奴らには、もう一働きしてもらわねばならぬのだ」
時は少し戻り、サハルードに向けてルシタニア軍が出陣してすぐのことである。
「タハミーネよ、フィトナよ、またこのエクバターナを出ることになった。今度こそ、マルヤムを経由して我らが祖国に帰ることになるらしい」
満面の笑みで、イノケンティスが言ってくる。フィトナはそれを内心、苦虫を百匹ほど纏めて噛み潰した思いで聞いた。目じりのあたりがひきつっただろうが、二人はあまり気にしなかったようだ。
タハミーネはフィトナに向ける温顔とは別人のような冷静な表情で、イノケンティスに従う。パルスが勝とうがルシタニアが勝とうが、彼女には興味が無いのだろう。
「アンドラゴラスにとって、フィトナは捨てた児じゃ。紛糾の元であろう。もしかしたら、直ちに斬ろうとするやもしれぬ」
ジュイマンドの際、その言葉でタハミーネは押し切られた。結婚はともかくエクバターナ放棄には賛成したのだ。今のタハミーネにとって重要なのはフィトナの身だけである。そうなるように振舞ってもきた。
それを、逆手に取られた。弟のどちらかの入れ知恵に違いない。
フィトナには、娘の心配をする母親に逆らうことはできなかった。従順で、母思いで、しかし時たまわがままを言って甘える、失った母子の時間を埋めようとする娘。それが、彼女の狙った虚像だったのだから。
(ケルボガは何をしている)
最後の頼みの綱が彼だったが、城内の広場に出てぎょっとした。ルシタニア兵1万が整列していた。それはいいのだが、檻車と縛られたパルス人が大量に並んでいる。ざっと目算して、千数百人。
「あれなら、反乱を企んだ愚か者だそうじゃ。大人しくしておれば、ああならずに済んだのにのう。ギスカールはマルヤム辺りで奴隷として売り払う、と言っておったが…」
イノケンティスは本心から同情しているようである。その表裏ない言葉に、フィトナの全身から冷や汗が噴出した。王弟二人を、甘く見過ぎた。
「………」
もはや、観念する他ない。自分があの中に入らなかったのは長兄への遠慮で、今回限りだ。その声のない警告を聞き取れないほど、フィトナの頭は悪くない。
檻車の前を通る際、捕らえられていたケルボガと目が合う。フィトナは思わす視線を逸らした。
1万の軍は、急ぐでもなく西に向かう。フィトナにとっては、拷問に等しい旅である。ここ数日、ほとんど記憶がない。いつの間にか夜になっていた。野営である。幕舎と寝台は用意されたが、眠れるものではない。
「………」
少し、夜風にでも当たろう。ふらつく足取りで、フィトナは天幕を出た。どうするのが最も安全かは判っている。このままタハミーネの娘という立場を演じ続け、ルシタニアの一諸侯の妻にでもなることだ。
しかし、パルス、この世界屈指に豊かな国の女王の座は、簡単に諦めきれるものではない。ルシタニアの一諸侯領を得たとしても、パルスと比較したら塵芥にすぎない。
「ご安心ください。この私が、あなた様の願いを叶えて見せましょう」
いきなり横から声がして、はっとして跳び退る。だが月明かりに照らされた顔を見てほっと息を吐く。知らない顔ではなかった。
「確か、ラヴァンと言う商人であったな。私の願いを叶えるとは、どういう意味じゃ?」
「あなた様をパルスの女王にする、という意味でございます」
打てば響くように、ラヴァンが答える。ルシタニア、というよりセイリオスの戦略は明白だ。まだパルスの完全制覇は難しいから、ひとまずパルスを分裂させる。民が王家を見限れば、その時こそ機である。
「奴としては、誰かにパルスを統一されるのは不都合なのです。故にアルスラーン、アンドラゴラス、ヒルメスの三者が力を持つ構図になっている。あなた様がそこに入っていないのは、持つ力が弱すぎたため」
きっぱりと断言されてフィトナはむっとしたが、構わずラヴァンは続ける。
「そしてサハルードの戦いは、ルシタニアの大勝利に終わりました。アンドラゴラスはこれで脱落します。アンドラゴラスの残党を吸収したアルスラーンとヒルメスの対峙となりましょう」
だから、何だというのだ。アルスラーンとヒルメスによってパルスが二分されようと、やはりフィトナの出番はない。アルスラーンか、ヒルメスが消えない限り…。
「もしや、そなた、どちらかを葬り去る手立てがあると申すのか?」
フィトナにも話の流れが見えてきた。消えるのを待つのではなく、消すのである。だが、ラヴァンはそんな力はないと首を振る。それはそうだ。そんな簡単に、しかもこの急場で都合よく暗殺などできるはずがない。
「アルスラーンでもヒルメスでも、葬ることができる力を持った存在がいるではございませんか。その男を、操ればよいのです」
ここまで来て、フィトナにも答えが解った。セイリオスを意のままに操ればいいのだ。そうすれば、フィトナはパルス王位の争奪戦に加われる。いや、セイリオスの力があれば、ただ一人のパルス王になれる。
「それにはどうすればよい?」
勢い込んで聞くフィトナに、ラヴァンはにやりと笑って答える。セイリオスの弱点は、何といってもその虚栄心だ。その気になればルシタニアを手中にすることなど容易いはずなのに、考えすらしない。
「奴は孝悌であることを捨てられません。国王である兄を人質とされたら、どうするでしょうか?」
フィトナも頷いた。敵国の王妃にうつつを抜かすような馬鹿な国王を、「兄だから」という理由だけで支え続ける奴である。どれほど戦争に強かろうが、どれほど政治に優れていようが、愚者に過ぎない。
だが問題はある。イノケンティスを拉致するには、ここにいる1万の兵を何とかせねばならない。しかもフィトナには手勢が全くない。ルシタニアが強硬手段に訴えるのを、躊躇させる程度の兵力が必要だ。
「ご心配なく。すでに飲食物に、眠り薬を仕込んでおきました。ケルボガの兵を解放し、エクバターナで旗を揚げましょう」
………最悪の決断をしたことに、彼女はまだ気づいていない。
「兄者が人質に取られ、あの女がパルスの女王を僭称した!?」
ギスカールは唖然とした。フィトナとラヴァンはイノケンティスとタハミーネ、それにケルボガの兵を連れ、強行軍でエクバターナに帰還した。理解不能、寝耳に水の急報である。
途中で目を覚ましたイノケンティスは縛られて身動きできず、状況が一切呑み込めなくて喚き散らしたが、フィトナは冷笑を向け、タハミーネは一切を無視した。絶望の表情そのまま、牢にぶち込まれたという。
「ルシタニア国王の身を返してほしくば、アルスラーン、アンドラゴラス、ヒルメスの首を取り、フィトナをパルスの女王として認めよ」
要求は以上である。ここにきて、ギスカールも理解する。全てがあの魔導士たちの仕業に違いない。イノケンティスと自分の身を拉致し、セイリオスを操るのが目的だった、ということだ。
「………さて、どうする?」
困惑の表情で、弟に聞く。半ば演技、半ば本心である。はっきり言ってしまえば、イノケンティスに人質の価値はない。彼がどうなろうと、ギスカールとセイリオスが健在ならルシタニアは微塵も揺るがない。
問題は、セイリオスの孝心だけだ。故に、弟がどういう結論を出すのか聞き出すまで、自分の意見を明らかにするのはまずい。
「………」
考え込む弟を見て、確かに悪い手ではないと思った。それにしても、1万人の護衛を出し抜いたとなると、魔導とやらも決して侮るべきではない。何か対抗策はあるだろうか。
「兄上、要求を無視し、予定通り全軍をザーブル城まで下げるべきと考えます」
セイリオスの言葉に、ギスカールも諸将も「え?」という表情で固まった。
蛇王陣営の暗躍で、もう一波乱が起きました。