この回には(かなり独自解釈が入ってますが)ヒルメスの出生に関する記述があります。
漫画版で追っている方で、二次創作でネタバレされるのが嫌な場合はブラウザバックを推奨します
※※※※※※※※注意※※※※※※※※
エクバターナを占拠したヒルメス軍にとって、喫緊の課題は兵糧と軍資金となった。特に兵糧は手持ちと合わせても一月分もない。エクバターナを当てにして軽装で駆けてきたのが致命的だった。
それに対し、フスラブは臨時税を課す―と言う名目で物資を徴発する―ことを提案し、ヒルメスに一蹴された。
「それは駄目だ。民心を失っては元も子もない」
内政においてヒルメスは雄ではない。だが、この状況で物資の徴発などしたら、間違いなく暴動が起きる。そのくらいの常識はある。
幸い、水は何とかなりそうだ。ボダンが破壊した用水路だが、最低限の応急処置だけはしていたらしい。これで水まで不足していたら、それこそ直ちに暴動が起きただろう。
「略奪、強奪、婦女子暴行は決して許さぬ。それは改めて、全軍に徹底させろ。……破った場合、死ぬより恐ろしい目に遭わせてやる」
エクバターナは確かに手にした。だがこれを保持できなければ、何の意味もない。真の王に向けて一歩前進したとは言えるが、問題がどどどっと山積みになったのも事実である。
その問題の一つに、ルシタニア王の身柄をどうするか、という問題があった。殺すべきだという意見も出たが、外交のカードとなる可能性もあるとして、そのままになっている。
ルシタニアからは、早々に使者がやってきた。要求はもちろんイノケンティス王の返還。条件は軍資金と兵糧の提供、つまりパルスから奪った内から、いくらか返すということだ。
「パルス西部およびマルヤムからの撤退、それが条件だと伝えろ」
提示された条件があまりに軽くむっとしたこともあるが、ヒルメスは群臣に諮ることなく感情に任せてそう言ってしまった。カーラーンやサームでさえぎょっとしたほどの強硬意見である。
その中に、愛する人の影がちらついていたことは否定できない。
当然ながら、交渉は決裂した。外交上では明らかな失策であり、ルシタニア軍がエクバターナに引き返してきたら、兵糧もないヒルメス軍は全滅しかねない。ヒルメスも言ってから気付いたが、時すでに遅しである。
「短期決戦に訴えるしかありません。兵糧が尽きる前、ルシタニアが介入する前に、アルスラーンかアンドラゴラス、どちらかを討ち取ってしまわねば……」
サームの理想を言えば、ヒルメス、アンドラゴラス、アルスラーンが手を取り合い、ルシタニアを駆逐することである。だが、それは決して叶うことのない夢物語だ。
となれば次善として、誰かの元にパルスを結集させるしかない。王家に対する忠誠に心を痛めながら、パルスという国のために全力でヒルメスを盛り立てるしかなかった。
「俺も同感だ。まずは、アンドラゴラスを討つ」
サハルード会戦の結果とルシタニアのエクバターナ放棄はヒルメスにとって想定外の事態であったが、悪い事ばかりではない。
何より、アンドラゴラス軍が壊滅したことが大きい。パルスの三王の争いで、現状最も優位になったのはヒルメスなのである。
「アンドラゴラスとアルスラーンを滅ぼし、ルシタニアにこの俺を虚仮にした報いを受けてもらおう」
不足している物資は、バダフシャーンから運べばいい。フスラブの計算によると、来年の税が入るまでかなりの我慢を強いることになるだろうが、何とかなるとの見通しである。
だがヒルメスの勢力圏を見ると、エクバターナは鳥の嘴の様に飛び出た先端にある。そして運び込む道を脅かす位置に、討ち減らされたとはいえアンドラゴラス軍がいる。これをまず排除せねばならない。
ヒルメスはエクバターナに充分な守兵を残し、東に向かった。心にかかることはあるにせよ、ようやくここまで来たと思えば感慨もある。16年、アンドラゴラスを倒すことだけを夢見て生き延びてきたのだ。
大敗を喫したアンドラゴラス軍はルシタニア軍の撤退後、恐る恐ると言う感じでサハルードに戻ってきた。アンドラゴラス王はともかく、兵士たちにとってはそうとしか言いようがない。
ヒルメス軍の接近を知って、アンドラゴラスの軍はさらに減った。脱走が脱走を呼ぶような状況で、この時には3万弱しかいなかったという。それでも、アンドラゴラスはエクバターナへの進軍を命じたのだ。
ヒルメス軍はケルボガの軍やサハルードの敗兵を吸収し、エクバターナに守兵を残しても8万の規模を維持している。アンドラゴラス軍の、3倍近い。
「カーラーンに、サームもおるか」
ヒルメス軍を遠望し、アンドラゴラスはそう呟いた。8万の大軍に臆している様子はない。サハルードの前なら勇壮と見えたが、今はどこか鈍っているのではないかと側近たちも不安に思う。
「誰か、使いを出せ。予が、少々話したいことがある故な。供は一人。予はキシュワードを連れていく。ヒルメスにも、口の堅い、信用のおける者を連れてこいと言っておけ」
その側近の一人に、王は何事もないかのように言った。友軍に対するような軽さである。
「殺し合うのはいつでもできる。だが、その前に話し合ってもよかろう。いつぞや地下牢で顔を合わせただけだからな」
ふふ、ふふふと忍び笑いを漏らす王に、側近たちもキシュワードも悪寒を覚えた。
「何の目的だ」
今更になって、アンドラゴラスから会談―。それをヒルメスは、いぶかりながらも応じた。供はサームである。彼がカーラーンやザンデを押しのける勢いで、買って出たのだ。
「サームよ、まだ伝えておらなかったのか。では、最初から話すとしよう。…ゴタルゼス王とオスロエス王、我らが父と兄に、何があったかを」
その口調は嘲るようであり、憐れむようであり、愚弄するようなものであった。
―そもそもの淵源は、先々代、ゴタルゼス2世の御代にある。
ゴタルゼス2世は『大王』と呼ばれるのにふさわしい名君であったが、大きな欠点があった。やたらに迷信深いのだ。その王は、若いころ、即位してすぐのころと思われるが、その時に一つの予言を受けた。
『パルスの王家はゴタルゼス2世の子をもって絶える』
迷信深い王には、ただの戯言と聞き流すことはできなかった。しかし、ただ迷信深いというだけで信じたわけではないだろう。この時のゴタルゼス王には、蛇王の存在が思い浮かんだのではないか。
英雄王カイ・ホスローに封印された蛇王は、世の終わりに再び地上に現れ、世界を闇に返そうとする―。パルス人なら誰でも知っている説話だ。そしてその時が、300年後という伝説があった。
ゴタルゼス2世はパルス歴271年に31歳で即位した。300年後となると、自分か、自分の子の代となる。蛇王が復活し王家を絶やすに違いないと恐慌した王は、何とかその予言から逃れる方法を探した。
彼が名君と呼ばれるにふさわしい善政を布いたのも、蛇王との対決に備え、少しでも国力を上げておくためだったのかもしれない。絶望して遊興に逃げなかったのは、褒められていい。
まず彼が行ったことは、即位してから生まれた自分の子に『オスロエス』と『アンドラゴラス』と名付けたことだ。『アンドラゴラス』という名の王はこれまで、二人ともオスロエス王の次に即位している。
これはオスロエスの早世や内乱を願ったというより、「自分の崩御後にオスロエスが即位し、オスロエスの崩御までアンドラゴラスが死ぬことはない」という期待を込めての命名であろう。
だがこれだけでは、『子をもって絶える』という予言を覆したことにはならない。蛇王に勝つには人力ではなく神力が必要だと、王は神秘や予言にのめり込んでいった。
53歳になり、老いの兆しが見え始めた大王に、別の予言がもたらされる。
『長男オスロエスの妻に子が生まれれば、アンドラゴラス以後もパルスの王統は続くかもしれない』
ゴタルゼス王は歓喜した。ただし、である。この予言には付帯する条件があった。それは、『その子は、ゴタルゼス王の子でなくてはならない』という―。
オスロエスは父に従順であったが、この時ばかりは激昂した。偉大な大王と言われる父の命といえど、胡散臭い予言を根拠に新婚間もない妻を差し出せなどと言われて納得できるはずもない。
それに、オスロエスは妻を愛していた。それは決して嘘偽りでなく、惚れた下級貴族の娘を、無理を言って正妻としたのだ。妻の死後、タハミーネに心奪われるまで彼が独身を通したのも、そのためであろう。
結婚時、ゴタルゼス王は家格に懸念を示す貴族たちを抑えるなど、息子を陰から後押ししてくれた。だが彼は息子に対する愛情からそうしたのではなく、予言のためにそうしたのだ。
「お前にあの娘をあてがったのは、王家の血筋を絶やさぬためよ。孫が生まれる可能性を高くするため、身分卑しき女であろうと我慢したまで。なに、お前にはもっと高貴な、もっと良い娘を探してやる」
これ以上逆らうなら廃嫡する、パルスの王家はあの娘から我が子が生まれれば安泰なのだと凄まれ、オスロエスも屈した。父の眼には、明らかに狂気の色があった。
それから10月ほど経ち、男子が生まれた。その子は表向きオスロエス王の子と発表され、ヒルメスと名付けられた…。
「………」
ヒルメスは全身を震わせながらアンドラゴラスの言葉を聞いていた。キシュワードも真っ青になっている。二人とも耳を塞ぎたくなるおぞましさとそれを上回る衝撃で、声も出ない。
サームはただ一人、俯いていた。彼はかつて、地下牢に囚われていた王から話を聞いている。このことに違いないと直感したから他の誰もを押しのけて、ヒルメスに付いて来たのだ。
「―だが、話はまだ終わりではない」
アンドラゴラス王が、話を続ける。サームですら、血が凍る思いがした。
それから、8年。もはや、ゴタルゼス王に賢王の面影はなかった。ヒルメスが生まれたことで、安心して箍が外れてしまったのだろうか。そこにいたのは迷信や神秘に憑りつかれた、偏狂的な老人である。
もう、どうしようもない。諫言も何も聞かず、うさんくさい予言者や魔導士ばかり近寄らせる。このままではかつての名誉を失うばかりだ。そう考えた兄弟は、非常の手段を用いることにした。
「……この意味が解るか、ヒルメスよ。解らぬのなら、はっきり教えてやろう。兄と予は、ひそかに父王を弑したてまつったのだ。…だが、言っておくぞ。熱心だったのは、予より兄の方だった」
最愛の妻を寝取られたとあっては、それも当然のことであろう。ゴタルゼス王はヒルメスが生まれてから見向きもしなくなったが、だからと言って夫婦の間に入った亀裂が修復できたわけではない。
妻はヒルメスが生まれて程なく病死した。心労のためであろう。あるいは自殺か、ゴタルゼス王の命で葬り去られたのか、オスロエスとの間に一悶着あったのか。真相はアンドラゴラスも知らない。
何であれ、オスロエスは妻の死の原因となった父王を、それを止める力のなかった自分に対する憤りも合わせて憎んだに違いない。
すぐさま行動に移さなかったのは、弟の賛同を得るためと考えられる。共犯となれば、それを理由に自分の王位を脅かすことはできなくなるからだ。8年間、弟が父に愛想を尽かすまで、彼は待ち続けた。
「ち、父が…」
「おぬしが父と呼んだのは誰のことだ。これより将来、おぬしは誰を父と呼んで自分の正体を確かめるつもりだ。……ふふふ、もっとも、どちらの種からおぬしが生まれたのかは、予にもわからぬ」
オスロエスも、自分の子と思おうと努力したのだろう。ゴタルゼス王崩御の後も、彼はヒルメスにとって良き父であろうとした。純真に自分を父と慕うこの子には何の罪もない、と思ったのだろうか。
「…兄がおぬしをどう思っていたか、本当のところは、これまたわからぬ。だが、割り切れないところはあったのであろうな。臨終の床で、おぬしを葬り去れと言った」
「な、何だと…」
オスロエスの死因は、発表した通り熱病による病死。アンドラゴラスはその死を冷ややかに見つめるだけで何もしなかったのは事実だが、自ら手を下したわけではない。
「死の間際、予は兄から一切のいきさつを聞いた。予言のことは、その時初めて知った。それを一笑に付した予に、兄は言ったのだ。『あのような呪われた子を生かしておくな』と―」
オスロエスは死の間際に何を考えたのだろうか。もしかすると、ヒルメスが死ねばあの予言もすべて消えてなくなると思ったのかもしれない。王の義務としてだけでは、彼がヒルメスに示した愛情は説明できない。
しかしアンドラゴラスの口調はそういった内心を慮るようなものではなく、ヒルメスには思いめぐらすような余裕がなかった。彼にできたことは、アンドラゴラスの言葉を否定することだけである。
「信じるものか。きさまの言うことなど、自分をかばう心算がふくまれているに違いない。誰がうかうかと信じるものかよ!」
「おぬしも同じよ。おぬしの言う事は兄が良き王で予が簒奪者であり、自分は悲劇の王子でありたいという心算で成り立っている。予は予の知る事実を語っているだけのこと。何を信じようと、おぬしの自由だ」
ぐうの音も出ない指摘に、ヒルメスが黙り込む。それでも彼は、絞り出すような声で「何が目的だ」と聞いた。何故、今の今に、こんな話をしたのか。
「知りたかろうと思ってな。予が死ねば語る者がいなくなり、おぬしが死ねば聞く者がいなくなる。それに半年も鎖に繋がれれば、多少の
アンドラゴラス王が知る『事実』を語ることが最高の報復であることは、今のヒルメスの表情が証明している。精神の拠りどころを全て壊された彼の表情は、蒼白になっていた。
「腑に落ちぬのは、あの火事からどうやっておぬしが逃げ延びたのかということであるが…。だが、もはやどうでもよい事であろう。さて、予は語り終えた。おぬしに何もなければ、決着をつけるとしよう」
ゴタルゼスとオスロエスが何を考えていたか、を考えて言った結果、こんな感じになりました。
こう考えると結構自然に繋がるのではないでしょうか?
そして「自分の子ではない」子を育てたのは同じでも、愛情を注いだオスロエスと冷淡だったアンドラゴラス。
原作で読んだ時に、果たして『王』としてはどちらの器量が上だったのか、と思いました。