ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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38.イスバニルの戦い・緒戦

「西、か…」

 ようやく、アルスラーン軍の消息を掴んだ。オクサスから真っ直ぐエクバターナに向かうのではなく、北西に向かっている。

「ザーブル城にはゴドフロワ将軍が入り、他城もそれぞれ守兵が配されております。これらの城は、力攻めであれば十日は落ちることはないと思いますが…」

「アルスラーンの狙いは、何であろうか。西部の都市の奪還…、とも思えぬが」

 パルス=ルシタニアの国境はザーブル城を要とする城塞群となった。それらの城塞は純粋たる軍事要塞であり、籠るのもルシタニア兵だ。内通の可能性は、まずないと言っていいだろう。

 しかし、それ以外の都市に住む住民は、ついこの間までパルス人だった者である。先に不穏分子の摘発は行ったが、アルスラーンがやる気になれば住民を蜂起させるのも難しくない。

 

「ルクール、意見を述べてみよ」

 無言でいたセイリオスからいきなり話を振られ、諸将に茶を運んでいたルクールがびくっと震えた。話は聞き耳を立てていたから理解している。しかし、この場で意見を求められるなど、全く思ってなかった。

「…は、はい。………西の方の城を一つや二つ取ったところで、どうなるとも思えません」

 ルシタニアの勢力圏の中に拠点を作ったところで、孤立した点に過ぎない。最後は叩き潰されて終わるのは明白である。それはその通りだが、皆わかっていることだ。まだ凡庸な分析でしかない。

「…であれば?」

「はいっ!……ええと、パルス軍としては、何でもいいから一つ勝ちを拾いたいと思っているに違いありません。つまり、移動中の王の軍が危ないのではないでしょうか?」

 

 イノケンティス王の護衛として派遣された3万の軍は、行軍三日の先を進んでいるところだ。6万弱のアルスラーン軍に攻めかかられたら、耐えきれないだろう。ルクールの目の付け所は、悪いものではない。

「…しかし、ナルサスという曲者が付いているらしいですから、その裏くらいは考えているでしょう」

 シルセスが、セイリオスの耳元で囁いた。セイリオスも口元で笑う。

「モンフェラートには、防御を固めさせろ。早馬でギスカール兄上に増援を要請し、王の軍は進軍を止めさせる。増援到着まで、アクターナ軍を西に移動させる」

 

 

「アクターナ軍が、西に向かって動いたよ!」

 ゾット族の偵察から情報が入り、アルフリードがナルサスに告げる。ナルサスの思惑通り、と胸を張るアルフリードに、普段なら絡むはずのエラムは真剣な表情のままナルサスに囁いた。

「ナルサス様、これは…」

 確かに西に動いたが、騎兵隊は全軍で最後尾に付いている。後方で何かあれば、すぐさま反転して駆けると考えているからこその配置である。

「……ああ、どうやらこちらの意図は読まれているらしい。………そうでなくては、困る」

 

 アルスラーンもナルサスもダリューンも、皆わかっていることである。今、アクターナ軍と正面から激突すれば、勝つのは極めて難しいということだ。

「サハルードの大敗は、パルスにとって致命的なものです。無敵と言われたパルス軍の自負は、木端微塵に打ち砕かれました。兵たちには、ルシタニアにも勝てるという自信を取り戻して貰わねばなりません」

 ルシタニアとの戦いでパルスが勝ったのはヘルマンドス城の騎兵戦と聖マヌエル城、それにギラン及びオクサスを奪還した時だけである。局地戦の判定勝ちと、正規軍とすら考えられていなかった相手だけだ。

 ここは、一つ勝ちを拾いたい。それで、勢いに乗る。勢いがついたところで、アクターナ軍とぶつかる。緒戦で互角以上に戦えれば、光明も見えてくるはずだ。

 

 イノケンティス王の3万を狙うのは、誰もが第一に考えるだろう。アクターナ軍も当然それを見抜き、西に移動する。そこで逆に手薄になるのは、イスバニルに残る、モンフェラートの6万。

 そこまでは解るが、モンフェラートも陣営地をしっかり固めており、破るのはなかなか難しい。どうするかといぶかる諸将に、ナルサスが提案したのは夜襲である。

「この位置から歩兵隊を急行させれば、夜半にはイスバニルに到着します。機は夜明けまで。夜明けとともに攻撃を停止し、後退して陣を組みます」

 アルスラーンが硬い表情で頷いた。モンフェラートを襲う2()()の指揮は、彼が行う。ナルサスが事細かに策を授けているとはいえ、補佐にダリューンもナルサスもいなくなる状況には、緊張を隠せないようだ。

「…アクターナ軍でも、さすがに読み違えたな。ここにいるのは5万7千ではなく、2万7千だ」

 

 その夜、イスバニルのルシタニア陣営地の近くで、いきなり火が燈った。今のルシタニア軍には、見張りで居眠りしているような輩はいない。なんだと状況の確認に目を凝らす一方で、モンフェラートに伝令が飛ぶ。

 その見張りの目に向けて、火の方が飛び込んできた。火矢と投げ松明だ。陣営地は堀と土塀で囲い外に柵を廻らして防御を固めているが、さすがに城壁の様に何ガズもの高さではない。

「敵襲ー!夜襲だ!!!」

 堀と塀を越えて投げ込まれた松明が、近くの幕舎に燃え移る。火矢はさらに奥を炎上させた。鎧を着けようと必死のルシタニア兵が、自分の幕舎に付いた火を見て慌てて飛び出してきた。

 

「中央に集まり、隊伍を組め!!!」

 モンフェラートも、ギスカールの期待を受けているだけはあった。陣営地中央の広場に兵を集め、その周りの幕舎や小屋一切を撤去する。これで、中央が火の海となることはない。

 一方、モンフェラートが中央に兵を集めたことで、周辺は無防備になった。アルスラーン軍は塀をよじ登り陣営地の中まで侵入したが、すでに中央は2万ほどの軍が堅陣を敷いていた。時間と共に、さらに増える。

「陛下、あれは崩せません。騒ぎ立てるだけ騒ぎ立て、撤退しましょう」

 エラムの言葉にアルスラーンも頷いた。敵軍の動きを見ると、こういう場合の取り決めがしっかり成されているようだ。ヒルティゴを討ち取った時に鹵獲したルシタニアの軍装で紛れ込むという策は、諦めた方がいい。

 アルスラーン軍2万は周囲の燃やせそうな物を燃やし、さっと引き揚げた。

 

「モンフェラート卿、敵が退却していきます。それにどうも、敵軍は明らかに6万もいないと思うのですが…」

 側近の言葉に、モンフェラートは内心で賛成した。アルスラーン軍は6万弱と聞いていたが、夜襲の火に浮かび上がった影からすると、その半分もいないであろう。

 しかし、声に出しては、明らかに追撃して今の失態を漱ごうと考えている側近を、明確に否定した。

「…伏兵の可能性がある。何であろうが、軍は動かさん。兵糧さえ守り抜ければいい」

 ボードワンあたりなら、逸って追撃したかもしれない。自分の長所であり短所は臆病なところだ、とモンフェラートは思っている。そして今は、臆病ゆえの慎重は長所になると見た。

 アルスラーン軍が2万でしかないことなど知り得ないし、アンドラゴラス軍が動いている可能性もある。そう考えれば、致命傷を避けた彼の行動も間違っているとは言い切れない。

 しかし、結果として見れば、ルシタニア軍の損失は八百人。対しパルス軍は数えるまでもないほどであったという。戦術的敗北は間違いなく、それを挽回する好機を逃したという点は、認めるしかなかった。

 

 

 一方、そのアルスラーン軍の奇襲を読んでいたセイリオスは、その日の昼にアルスラーン軍5万7千がイスバニルに向かったと偵騎から情報を得、反転を開始していた。

「デューレン、我が軍の指揮を忘れてはいまいな」

 セイリオスの軽口に、デューレンは「明日の朝には」と返した。セイリオスが、にやと笑う。アクターナ軍であれば、イスバニルのルシタニア軍陣営地には、騎馬隊なら夜、歩兵は明日の朝にはたどり着く。

 

「…しかし、どうも素直すぎませんか?」

 シルセスが懸念を口にする。確かにな、とセイリオスも頷いた。パルスもアクターナ軍の進軍速度は読んでいるだろう。ただモンフェラートを襲っただけでは、意表をついたと言えるほどではない。

 しかし、オクサスを出たアルスラーン軍は6万程度。偵騎はその全軍を探り当てている。把握しきれなかった別動隊が動いているとしても、1万もないはずだ。

「騎馬隊の介入を防ぐために、敵も騎兵は分割しているだろう」

 騎兵戦なら、アクターナ軍にも対抗できる。パルス側はそう考えているだろう。騎兵戦で互角に戦い、夜襲でモンフェラートに損害を与えれば、トータルではパルスが勝ったと言える。

 

「それこそが狙いだ。ここで騎兵を釣り出し、撃破する。騎兵戦での勝利はパルス軍の士気を、致命的なまでに落とすだろう」

 ヘルマンドス城での戦いでダリューンが率いたのは、パルスの正規兵であった。兵数も互角だった。今のアルスラーン軍は質量ともに劣勢だ。しかも、今回はセイリオス自らが指揮を執る。

 歩兵も相手がもたもたしているようなら、追いつける。徹夜の急行軍から戦闘に入るなどという訓練は、定期的にやっていた。アクターナ軍にとっては、苦とする程のものではない。

「……さあ、少しは楽しませてくれよ、アルスラーン」

 それを解っていない敵ではあるまい。とすれば、何か仕掛けてくる。そうであって欲しいとセイリオスは願い、それが何であれ叩き返して見せると自信を覗かせた。

 

 アクターナ軍の陣地からイスバニルの野までは大陸公路を駆け、エクバターナの手前で道から外れるのが、最も楽な道であろう。しかし、必ずしもそれが最短、という訳ではない。

 大陸公路は商隊のための道である。大量の荷車と共に進むのだから、山道は避け、多少遠回りをしても平地を進んだ方がいい、と考えるのも道理だろう。

 さらに大陸公路はエクバターナに向かう道で、イスバニルのルシタニア軍宿営地に向かう道ではない。イスバニルに向かうなら山中の間道を抜けた方が、距離は短くて済む。

 

「歩兵は1万ずつの3隊で行軍し、間道を進め」

 半年以上もエクバターナで過ごしたのだ。周辺の地理は調べ上げている。加えて、すぐさま駆けられるように輜重は極端に少なくした。これなら、峠越えをした方が早い。

 一方、騎兵隊は大陸公路を選んだ。騎兵を釣り出し戦うとなれば、縦横無尽に駆けることのできる平野の方がいい。

 ………そのすべてを、ナルサスは読んでいた。

 

「……………」

 肚の底の震えを、気合で押し止める。全てのことが上手くいっている。おそらく、これ以上の状況は今後来ることはない。ここで負ければ、オクサスに逃げ帰るしかない。

「…ナルサス、大丈夫?」

 表情は傍目が心配するほど青ざめているのだろう。それを、隣のアルフリードが気遣ってくれた。アクターナ軍に対し歩兵戦を挑もうなどと無謀に近いことを考えた時は、自分自身を正気かと疑った。

 しかし、それしかない。アクターナ軍に勝つ、少なくとも優位に戦いを進めたという事実が一つあれば、展開は大きく変わる。モンフェラートの軍を破ったなどという実績とは、比べ物にならないほどに。

 

 アクターナ軍の前軍が、峠を越えた。今だ、と思わず叫んだ。峠に土煙が立ったのが、かすかに見て取れた。すぐさま、3万の軍を動かす。

 アルスラーンの全軍は5万7千。アクターナ軍もそれは掴んでいるはずだ。だからナルサスは、3万の軍を散り散りに出発させた。知らぬ者の目には、日常の人の動きにしか見えないように。

 当然、そんなことをすればアルスラーン軍の数が半減する。大々的に進発した時点で、誰もが気付くだろう。それを誤魔化すために、オクサスやギランの住人を雇い、3万の軍を偽装した。

 5万7千という数を掴んでいたがために、アクターナ軍も騙せた。掴んでいる情報と同数、一度は偵察の目を振り切ったとなれば、全軍で出たと考えてしまうのも無理のないことである。

 そしてその内2万の歩兵はイスバニルに向かい、騎兵の7千は敵の騎兵1万を止める。そして散り散りに出した3万はこの地に終結させた。

 

「敵軍の分断に成功した!一気呵成に叩き潰せ!!!」

 峠に岩や大木を落とし、道を遮断した。いくらアクターナ軍と言えど、越えるのに時間が必要になる。その間に、山のこちら側に取り残された1万に、3万の軍をぶつける。

「全軍、隘路を抜けた先に陣を布け!」

 しかし、アクターナ軍の指揮官であるグリモアルドもさるものである。混乱が起きたと見るやすぐさま山道を抜け、ナルサスが舌を巻く速度で堅陣を布いた。

 

「押せ!!!」

「密集隊形で防げ!一歩も退くな!!!」

 主将同士が声を嗄らす。こうなると、ナルサスの智謀もあまり役に立たない。とにかく敵陣の綻びを突き崩すしかないのだが、アクターナ軍は全く隙を見せない。綻んでも、すぐさま繕われる。

(3倍の軍で襲ってなお、崩せないのか)

 打ち寄せる波を割る大岩の様に、アクターナ軍は頑として動かない。歩兵の質に、絶望的と言っていいほどの差がある。パルスが騎兵ばかり重用し、歩兵を軽視してきたツケがここに出ている。

 

「ナルサス、撤収だ。奴らが山を越えた」

 駆け寄ってきたメルレインの報告に歯噛みした。アクターナ軍は道が寸断されたと知るや、中軍は道の復旧に当たり、後軍は躊躇なく山に入って獣道を進んで山を越えた。

 それはナルサスが想定していた展開の中にないわけではないが、この短時間でやってくるのは想定の中でも最悪を極めている。後続が1万でも合流すれば、勝ち目は皆無だ。

「全軍撤退!残る体力を振り絞って走れ!!!」

 潮時だ、とナルサスは断を下した。夏の長い日も、だいぶ傾いている。3倍の兵力相手に夕暮れが近いとなれば、アクターナ軍と言えど追撃は避けるはずだ。

 アルスラーン軍は一定の距離までは整然と下がり、そこから駆けて一気に逃げ去った。ナルサスの予想は正しく、グリモアルドは友軍との合流を優先して追撃を見送った。

 

 3倍の兵力で崩せなかったのは事実だが、パルスが優勢であったのも事実である。勝ちきれはしなかったが、負けたわけではない。ぎりぎりだが、及第点としていいだろう。

「………ふう」

 大きく息を吐く。アクターナ軍と互角に戦ったという自信を得た兵士たちの顔から、悲壮感や緊張といった表情は大分薄まった。ナルサス卿の智謀があれば、と皆思ったのだろう。

 しかし、当の本人としては、鉛を呑み込んだように胃が重い。今回はたまたま策が全て当たっただけだ。そして、それなのに互角だった。あれだけしてなお、互角までしか持ち込めなかったのだ。

「…悲観してばかりもいられぬ。…次の策を考えねば」

 アクターナ軍に対しては、反間や流言といった手は一切効果がない。下手に打てば、逆手に取られる。戦術によるぶつかり合いしかないのである。

 イスバニルのアルスラーン軍に合流すべく、ナルサスは軍を返した。

 

 

「…アルスラーンの5万の内3万が、偽兵だったという訳か」

 やってくれる、とセイリオスは内心で呟いた。騎兵隊同士の戦闘は、ダリューン以下アルスラーン軍の指揮官がぶつかり合いを避けたため、両軍ともほぼ損害はない。

「我が軍に歩兵戦を挑むとは、想定外でした」

 デューレンが俯く。パルスの主力は騎兵、という先入観から、皆が歩兵を軽視していた。セイリオスとて、例外ではない。

「…気にするな。負けたわけではない」

 グリモアルドが、よくやった。3倍の軍に襲われても動揺することなく、戦線を維持するだけに特化した。歩兵の質の差があったとはいえ、潰走の醜態を晒さなかったのは彼の指揮が的確だったからである。

 

「今回の戦いで、アルスラーン軍の士気は大いに上がったでしょう。……逆に、これを利用するべきです」

 シルセスが話の流れを断ち切るように言った。戦術的勝利の一つくらい、くれてやっても何の問題もない。その上がった士気が落ちる前に、アルスラーンは次の行動を起こさねばならない。次の戦で、一気に叩く。

 だが彼女の言葉の一つ一つには、隠しきれない憤怒が篭っている。ナルサスに読み切られた。同じ参謀として、彼女の誇りは大きく傷ついた。アクターナ軍は負けてないが、彼女はナルサスに負けたのである。

 同じ思いは、セイリオスにもある。今度はこちらが、ナルサスがどれほどの曲者であろうと、夢にも思わぬ策で打ち破って見せる。そう思いながらシルセスに視線を送ると、彼女も頷いた。

「…次の戦いでは、あれを使う」




ちなみにルクール君のモデルは銀英伝のユリアンです。
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