ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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4.潜入捜査

「成程。……ルシタニアの中にも、知者はいるようだ。エラムよ、ご苦労だった」

 報告を受け、男が唸る。エクバターナが思った以上に安定しており、反故にすると思っていた奴隷の解放までやっているとなると、政略の見直しが必要になりそうだ。

 その報告をしたのは、エトワールと話していた少女であった。しかし外套を脱ぎ、頭に手をやると髪の毛がごっそり取れて短髪になった。少年が、女装していたのである。

 

「もう一つ大きな騒ぎであったのは、カーラーンがバダフシャーン公に冊封されたということです」

 侍童(レータク)のエラムが続ける。それに対しても、男は「む」と唸った。

 カーラーンがバダフシャーンに入ると、パルスは斜めに二分される。カーラーンにはカーラーンの狙いがあるのだろうが、彼が味方になるとは考えられない。

 すなわち、パルス王太子アルスラーンが兵を糾合した際、ルシタニア以外にも気を遣わねばならない勢力が一つ生まれる、ということである。

 

「……カーラーンは、何を考えているのであろうか」

 もう一人の少年が、寂しそうにつぶやく。この少年こそ、パルス王太子のアルスラーンなのである。

 彼の知る限り、カーラーンは高潔な騎士であった。単に、欲にかられただけとは思えない。それは二人の大人も頷いた。彼に従う騎士の、ダリューンとナルサスである。

 アトロパテネの敗戦後、アルスラーンはダリューン一人に護られて戦場を脱した。逃げ込んだ先がすぐ北のバシュル山に隠棲していた、ダリューンの友人のナルサスのところであった。

 その後、バシュル山から王都へ、ルシタニアの侵攻で廃墟となった村を転々としながら向かってきたのだ。おまけに大陸公路はアクターナ軍が進軍中であったから旅路は遅れ、もう11月も暮れになっていた。

 

「………殿下、ここは私とダリューンの二人で、王都に潜入してみましょう」

 街の噂を拾うだけでは、これ以上は判らない。エラムでは、荒事になった時に不安が残る。いや、彼の武芸とて人並み以上ではあるのだが、それは一般兵と一対一なら対応できる、というレベルだ。

 アルスラーンの武芸も似たり寄ったりで、その二人だけを残すというのがナルサスの不安なのだが、今はとにかく情報が欲しい。

 王の行方、王妃の消息、パルスの残存戦力、ルシタニアの動向、カーラーンの真の目的など、知りたいことは数多い。そのためには、危険にも目をつぶるしかない。

「3日で必ず戻ります。戻らぬ時は…、エラム、お前が殿下をお護りして、東方へ逃がせ」

 

 

「こうして直に見ると、負けたことを痛感するな」

 エクバターナを他国民ではなく他国兵が歩いている光景など、想像したこともなかった。しかし、ルシタニア兵がもっと我が物顔で歩いていると思っていたのだが、多くはむしろ戦々恐々と歩いているようだ。

「先日、異教徒を斬ったということで兵が斬首されたらしい。……異教徒の殺害を禁じる布告を出しても、本当に守るとはな」

 その兵は当然「異教徒を殺して何が悪い!!!」と泣き叫んだが、一顧だにしてもらえなかったという。「王家の布告を守らなかったことがお前の罪だ」として、公開処刑された。

 

「……ともあれ、手ごろな獲物を探すとしよう」

 大して苦労することもなく、それは見つかった。裏通りの酒場で飲んだくれていたパルス兵である。今のエクバターナで、兵士の格好をして酒を飲んでいられる奴など、カーラーンの部下以外にありえない。

「…さて、知っていることをすべて話してもらおうか」

 人気のない路地に拉致された挙句ダリューンに剣を突き付けられ、酔いなど一瞬で醒めたらしい。この兵士は自分の命を救うため、ここ一月余りの記憶からあるだけの情報を引き出した。

 

 まず、アンドラゴラス王の行方についてはわからない。ただアトロパテネ会戦でルシタニアが捕虜にしたという話で、その後処刑されたとは聞いていない。死んだのなら、大々的に公表するのではないだろうか。

 王妃タハミーネは、確実に生存。なんでも、ルシタニア国王が一目惚れしたとか。ルシタニア人が「どうにも困ったものだ」と嘆いていたのを知っている。

 それとエクバターナの統治責任者が、少し前にアクターナ公に変更になった。大司教の強硬姿勢から一転し寛容な統治に移行したのは、そのためだろう。

「……では、カーラーンは何を考えている?奴の狙いは、一体何だ?」

「…し、知らねえ。……けど、俺は今後ザンデ様の下で、銀仮面卿という男に附くことになった。何者かはわからねえ。男だろうというくらいしか…」

 二人が顔を見合わせる。『銀仮面卿』。この男が、大きく絡んでいるのは間違いない。

 

「『銀仮面卿』…。ナルサスよ、何者だと思う?」

「さて…。現状では、推測するにも情報が足らぬ」

 しかしザンデが下に附くということは、カーラーンは彼に臣従しているということになってしまう。カーラーンにアンドラゴラス王を棄てさせるほどの何かを、銀仮面卿とやらは持っているということなのか。

「もしかするとカーラーンの裏切りも自発的なものではなく、その銀仮面卿に指示されたからかもしれんな」

 ナルサスの言葉に、ダリューンは思い出していた。アトロパテネ会戦の折である。王太子を探し戦場を駆け回っていたダリューンは、裏切ったカーラーンと出くわした。

「…『事情を知ればおぬしとて、おれの行為をせめはすまい』。奴はそう言った」

 あの時は、頭に血が上っていたこともあるが、単なる苦し紛れの出まかせと思った。だがそれは…。

「何にせよ、まだまだ情報が欲しいところだ。もう少し、探ってみよう」

 

 

「アーレンスよ、そちらの様子はどうだ?」

「巡邏であればいつも通り、喧嘩もめ事が何件か。しかし、重度の傷害、致死に至るものはありません」

 さすがに公開処刑が効いたのであろう。ここ数日、ルシタニア兵による住民殺害の報告はない。警邏を任されたベルトランにとっては、喜ばしいことである。

 ベルトランは34歳。元々、アクターナの下級将校であった。セイリオスの侵攻に降伏し、平伏したその場で将軍に抜擢された。その時の身が震えるような感動は、忘れられるようなものではない。

 アーレンスはその頃からの部下である。誰も考えられぬような強弓を引く彼も、セイリオスはすぐさま抜擢した。それで同格となったが、ベルトランに対しては今でも敬意を忘れていない。

 

「ただ、今日は別の報告があります」

 ベルトランの表情が強張る。この同僚があえて言うとなれば、聞き捨てできない話であるのは間違いない。

「ダリューンとナルサスだと?」

 カーラーンからの情報で、王太子アルスラーンに仕える騎士であることは知っている。その二人によって、ぼこぼこにされた挙句ごみ箱にぶち込まれたというパルス兵がいたのである。

「手配せよ」

 すぐさま副官が立ち去る。二人がエクバターナにいるということは、アルスラーンも一緒に潜入しているか、近郊に潜伏しているかのどちらかだ。アクターナ軍が、動いた。

 

 

 ダリューンは見た。見てしまった。左半分の白い秀麗な顔、右半分の赤黒く焼けただれた無残な顔。それが、一つの顔の輪郭の中に同居していた。

「火傷…?」

 対峙の最中というのに、思わずつぶやいてしまった。銀の仮面の下にあった素顔が、それほど衝撃的だったのだ。

 さらなる情報を得ようと次の獲物を物色していたダリューンは、いきなり銀の仮面をかぶった男に襲われた。『銀仮面卿』。まず間違いなく、その男であろう。

 

 薙ぐ、突く、切り下す。パルス最強の騎士と言われるダリューンを敵にして、ほぼ互角。謎なのは、多分に我流が混じっているものの、底流にあるのは間違いなくパルスの剣術。

「きさまの伯父ヴァフリーズの白髪首を胴から斬り離したのは、このおれだ。きさまも死にざまを伯父にならうか?」

 対峙の中、この言葉がダリューンの怒りを爆発させた。次の一閃は銀仮面卿の予測を超えた速さで、わずかに避けきれなかった。剣先が仮面を切り裂き、弾き飛ばした。

 そして、仮面の下の、見てはならないものを見てしまったのだ。

 

「いたぞ!こっちだ!」

 わずかに訪れた静寂の中、ルシタニア語が響く。言語は判らずとも、状況は理解できる。敵の増援…、と思いきや、銀仮面卿もその声を恐れるように闇に消えた。

「ダリューン!」

 入れ替わりに現れたのはナルサスである。彼もわずかだが、銀仮面卿の素顔を見た。なんとなく、よく知っている誰かの面影があるような気がしたが、火傷の印象が強すぎて、その『誰か』が出てこない。

 間近で見たダリューンも同じように感じたらしい。あの火傷さえなければ、案外たやすく思い出せそうな気もする。

 この時点ではまだ、二人とも銀仮面卿と呼ばれる男の正体に気付けなかった。

「ともあれ、考えるのは後にしよう。脱出するぞ」

 この軍は、やばい。ナルサスは明敏にそれを感じていた。

 

 追撃は、生半可なものではなかった。二人に幸いしたのは、アクターナ軍と言えどいまだエクバターナの路地をすべて把握するなど不可能であったことである。

「それでもしつこい。こいつら、相当の精鋭だぞ」

 アトロパテネの絶望的な戦場でさえ、ダリューンはルシタニア兵を恐れたことはない。パルス兵とルシタニア兵が尋常に立ち会えば、パルス兵が負けるはずない。

 そう信じていた前提が、大きく崩れた。士気、練度、統率度。全てにおいて、この軍はこれまでのルシタニア軍とはまるで違う。

 

「囲まれた。もう、切り抜けるしかないな。ここさえ抜ければ、何とかなるのだが…」

 大路を抑えられた。小路もまもなく制圧される。連携に無駄が一切ない。ナルサスですら、策をめぐらす余裕がなかった。残された手は、自分たちの腕を信じるだけ。

「行くぞ!」

 二人の姿を見るや、盾を並べて道を塞ぐ。敵の得物は槍。こちらは剣のみ。せめて鎧姿ならば、と思う。その包囲網が、不意に崩れた。

 背後から、襲い掛かった男がいた。さらにそちらに気が向いたところを、どこからか飛来した矢が襲う。わずかに生まれた隙に、ダリューンとナルサスが飛び込む。

 

 突破したものの、敵はすぐさま隊伍を整え、追撃に移った。混乱しようとすぐ立ち直る。小隊長クラスの指揮官でさえ、恐るべき練度だということだ。

 だがこちらも二人が加わって、人数は倍。若い男と、若い女。どちらも人並み以上の容姿だが、特に女の美貌は隔絶している。匹敵する者を記憶に探れば、タハミーネ王妃ぐらいしか思い浮かばない。

「私はファランギース、ミスラ神に仕える者。アルスラーン殿下にお力添えしたく参上した。ルシタニア兵の動きから、おぬしたちを名のある騎士と見た。殿下の行方、知ってはおるまいか」

「俺はギーヴ。故あって、ファランギース殿と行動を共にしている」

 しかし、それ以上に、この二人は剣も弓も優れた戦士であった。誕生したばかりの仲間の戦技を確認しあい、どちらも感嘆の声を上げる。

 

 互いの事情を説明し合いながら、ナルサスの先導で走る。後ろから聞いたこともないような矢唸りが聞こえ、全員がとっさに地面を転がった。ダリューンの残像を貫いた矢は、その先にあった樽を軽々と貫いた。

「とんでもない奴までいるな。おいナルサスよ、どうする気だ!?」

 信じられないような弓勢にぞっとした。アーレンスの放った矢であることなど知る由もないが、威力はダリューンの使う強弓をも上回る。

 とにかく、この矢を受けたらひとたまりもない。弓の射線を巧妙に外し、ナルサスが向かったのは、旧ダイラム領主の屋敷である。庭の物置に駆け込み、隅の床板を引っぺがす。

 

「地下の脱出口か。お前、こんなものまで作っていたのか」

「いくら俺でも、たった2年でそこまでできるか。これは先祖が極秘に作ったもので、代々のダイラム領主しか知らん」

 ナルサスは5年前にダイラム領を継承した大貴族であったが、3年前に領地も返上して出奔してしまった。神官や貴族の不正が目に余り、改革案を提出したが容れられなかったのである。

 ダリューンが呆れたように言ったのは、それで逆恨みされたナルサスが命の危険を感じて、自分で掘ったのだと思ったからである。しかしナルサスの言い方からすると、時間があればやったのであろうか。

 

 ともあれ、目くらましには充分すぎる。いずれ発見されるだろうが、今回はありがたく使わせてもらうとしよう。通路の壁は石でしっかり固められており、崩れることはない。

「急げ、こっちだ」

 迷路を抜け、森に出た。しかし、まだ安心できない。捜索の手は、すぐさま近郊まで伸びるだろう。

「殿下が危ない。一刻も早く、合流せねば」

 




ダリューンとナルサス危機一髪。

ちなみに弓の腕は
精度:ファランギース>ギーヴ>メルレイン>アーレンス、ダリューン
威力:アーレンス>ダリューン>他3名
という設定。

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