ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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40.イスバニルの戦い・激戦

 軍議の席で平伏したナルサスを、誰も咎めようとはしなかった。彼の後悔は解る。だが連環馬などという戦法、誰に思いつけただろう。

「……それより、次の策を考えよう」

 アルスラーンが静かに命じる。彼は彼で、昨晩ナルサスに「戦うべきだ」とそそのかした、その責任を悔いていた。

 ダリューンもうつむいたままだ。騎兵戦で手玉に取られ、結果としてアルスラーンを危機にさらした。そして臍を噛む。セイリオスの能力をルキアやクラッドと似たようなものと侮る気持ちが、どこかになかったか。

 わずか半日の戦いで、死者3千。重傷者を含めれば、アルスラーン軍の損害はおよそ1万。レイラとジャスワントの犠牲がなければ、アルスラーンの首も取られていただろう。大惨敗である。

 

 アルスラーン軍は1ファルサング近く後退し、岩場の多い丘に陣取った。ひとまず、連環馬を避けることが何よりも優先した。むき出しの岩が点在している地形なら、連環馬は使えない。

 そう聞いてほっとした兵たちに、連環馬を破る方法を伝える。馬の足を傷つけ、倒れさすこと。鎖で繋がれているため、一部を倒せばその重さで、全体が動けなくなる。策があると判ると、さらに安心したようだ。

「しかし、もう連環馬を使ってくることはない、と思います。…もちろん油断はできませんが」

 連環馬は大きな賭けだ。特殊な軍法であるが故、対策も確立している。セイリオスもそれを充分理解した上で、この一戦に賭けたのだ。そう考えると、やはり自分たちは甘かったとしか言いようがない。

「次の手は、夜襲でしょう」

 アルスラーンを取り逃がしたのは、セイリオスにとっては失態のはずだ。すぐさま次の一手を打ってくるに違いない。それも連環馬のような奇策は使わず、力で圧してくる。

 

「3千ずつ十隊。交代で夜明けまで攻める。残る1万は自分が指揮」

 夜襲、というナルサスの予想は当たった。だがやり方を、最初の一撃に全てをつぎ込むのではなく、小出しにした。それぞれ3千の部隊による、多面同時攻撃。攻撃は仕掛けてくるものの、深入りはさせずに引き上げる。

「…そう来たか。これは撹乱だ。半数で対処できる。休みの者はそのまま休め」

 ナルサスはそれをすぐ見抜き、全軍を叩き起こすような真似はしなかった。修羅場を潜り抜けてきた兵士となると、喚声が聞こえようが平然と寝る。寝付けない新兵は、それを呆れと不安の表情で眺めた。

 

 夜明け近くまで、アクターナ軍の攻撃は断続的に続いた。一見やみくもに攻撃しているように見えて、しっかり弱いところを見極めてくる。しかし、アルスラーン軍はそれを打ち払った。

 やがて東の空が明るくなり始めると、兵の疲労を慮ったのか、大きく間が空いた。アルスラーン軍もようやく一息つける、と気を抜き始めたところ…。

「…違う!次は鉄槌だ!全軍に陣を組ませろ!!!」

 ナルサスが気付くのが遅れていたら、アルスラーン軍は壊滅していたかもしれない。夜明けを待って温存していた1万を先鋒に、全軍が一丸となって仕掛けてきたのである。

 

 アルスラーン軍が逃げ込んだ岩場だが、実はここもナルサスが要地の一つと考えていた場所だ。岩が天然の防塁となり、攻めにくく守りやすい。

 重大な弱点がある丘だが、いざという時のため輜重の一部を運び込み、多少の要塞化を手掛けていた。足りない箇所は輜重の車を連ねて防塁の代わりにしてある。

 そこに、アルスラーンの全軍が必死で陣を組んでいる。ひとしきり攻撃を加えたセイリオスは、これは簡単には破れないと見て、舌打ちしながら軍を引いた。最後の総攻撃まで、読まれていた。

「………力押しで破れないわけでは、ないのだが」

 アクターナ軍の唯一の欠陥と言える。あまりにも精強すぎるため、兵の補充が簡単にはできない。無駄死させるような用兵は、できるだけ避けたい。

 

 それにしても連環馬に夜襲と、セイリオスが本気で仕掛けた二度の戦を、アルスラーンは生き延びた。いや、本来なら『アステリア』で斬り付けたあの時に、剣ごと首を刎ね飛ばしているはずだった。

「あれが、ルクナバードという剣らしい。カイ・ホスローに救われたか」

 『アステリア』でなければ、撃ちかかったこちらの剣の方が折れていたかもしれない。あの機を逃したことで、速戦で終わらせることはできなくなった。

「考えても仕方のないことでしょう。…アルスラーンには運があった。それだけのことです」

 大勝してもすっきりしない気分でいたセイリオスに、シルセスが微笑みかける。セイリオスも未練を捨てる様に一度俯き、顔を上げる。自分が認めた敵なのだ。天運くらい持っていて、当然だろう。

 アクターナ軍は、丘の上から降りる道を塞ぐように陣を布いた。

 

「……あいつら、本当に人間か?」

 アクターナ軍を知らなかったジムサには、そうとしか思えない。丸一昼夜戦い続けた。人間なら疲弊して当然のところだ。なのに、不眠不休で陣営地の建設を猛烈な勢いで進めていた。

 第一、いくら国軍でなく兵数で劣るとはいえ、パルスの騎兵隊相手に優勢に戦えるなど、トゥラーン騎馬隊以外でありえることではなかった。お伽噺に出てくる化物と戦っていると考えた方が、まだ理解できた。

「人だろうと化物だろうと、あれが我らの敵じゃ。……次は水を断つ、か。軍師殿、いかがされる」

 ファランギースの指摘にナルサスは唸った。打つ手の一つ一つが的確に弱点を突き、着実にこちらを追い詰めていく。夜襲を凌いだと思ったら、すぐこれだ。

 

 この岩場には、湧水がない。弱点とはそれだ。セイリオスはそこまで調べ尽くしていたのだろう。一部隊が川との通行を遮断するように陣を布いている。完全遮断は無理としても、運び込むのは大きく阻害される。

 水がないというのは致命的である。人間は水を全く飲まないと四日で死ぬという。各自で持っていた分と積まれていた樽の分を合わせて、確保されている水は三日分ほど。我慢すれば、もう一、二日延ばせるか。

「多少は運び込めるとしても、猶予は十日というところだな。…時間がないわけではない。騎馬隊だけ包囲の外に出すが、戦闘は行うな。今日は休め。今出撃しても、勝てはせん」

 一昼夜戦い続けたのはアルスラーン軍も同じである。休息が必要なのは明らかだ。疲弊した軍で包囲網を突破するのは無謀、とナルサスは見た。騎馬隊だけなら、妨害をすり抜けられる。

 ここは、ひとまず仕切り直す。

 

「ナルサス様、少しはお休みになられたほうが…」

 遠慮がちに、エラムが勧める。ここのところ、常に地図なり兵法書なりを睨んで何か考え続け、あまり寝ていない。特に昨日の朝からは、わずかな仮眠だけで戦い続けているのだ。倒れてもおかしくない。

 連環馬について、責任を感じているというのは理解できる。だが、皆が言った通り、あんな戦法予想できるはずがないではないか。

「……それでも予想しなくてはならぬのが軍師というものだ。エラムよ、よく覚えておけ。軍師というのは、一つ間違うと数えきれない味方を殺す。その責から、決して逃げてはならぬ。怖いなら、軍師にはならぬことだな」

 そう言い、エラムを下がらせようとする。対しエラムは、渋い顔で「せめて食事だけはしてください」と持ってきた料理だけ置いて引き下がって行った。

 その忠言には苦笑いしながら従うことにしたナルサスだが、食べ終わると抗しがたい眠気に襲われた。さすがに、心配をかけすぎたようだ。先ほどの料理の中に、弱めの睡眠薬でも入れてあったに違いない。

 おそらくアルスラーンが命じたのだろう。まあ、水を断とうとするなら、今日明日の攻撃はないと見ていい。眠ってもまず問題ないと思い、ナルサスは大人しく寝台に横たわった。すぐに意識を手放す。

 しかし、ナルサスもセイリオスも含め、誰一人として想定の中に入っていなかった男の存在により、この予想は外れるのである。

 

 

「……ボダン?」

 亡霊か、と思わない方が無理というものである。聖マヌエル城陥落で、誰の意識からも消えていた。その男が、何とダルバンド内海を渡り、マルヤムの北の地を抜け、本国まで帰り着いたのだという。

 ギスカールからの急報を受け、セイリオスもアクターナ軍の諸将も、憎悪や憤慨よりまず感心した。マルヤムの北の地などと言えば、未開の蛮族の住処という知識しかない。

 その未開の地を命からがら抜け本国ルシタニアに帰り付いたボダンは、ルシタニア王家を『世界の脅威』として弾劾し、イアルダボート教を信仰する民に王家打倒を呼びかけた。

 もちろん、本国に帰還させたボノリオ公爵やトゥリヌスらはその反乱を抑え込もうとしたが、さすがに本国ではまだボダンの権威は残っていた。緒戦で大敗し、慌ててパルスまで急使を派遣したのだ。

 

 ギスカールが未来の執政と嘱目しているトゥリヌスだが、軍事の才能はさっぱりらしい。まあ、元々ひ弱で、軍の訓練に参加させたら半日でぶっ倒れるような奴だ。指揮官として期待はできないとは思っていた。

 しかし、ボダンごときに負けるとは。ギスカールも情けない奴と憤慨したが、軍事は必要無いと見たから彼を送ったのだ。憤慨はしたが、見限ったわけではない。

 とにかく、ボダンを放っておくわけにはいかない。アルスラーンと遊んでないでさっさと帰ってこい、というギスカールの命令書を持って、使者が駆け込んできた。

「……三日待ってもらおう。それで、アルスラーンの首を取る」

 

 

 翌日、アクターナ軍が全軍で攻めかけてきた。投石器やバリスタ、井楼まで準備し、城を攻めるにも充分な態勢である。兵士たちは総攻撃かと怖気づいたが、ナルサスはおかしいとすぐ気づいた。

 何故、ここでそれほどの攻勢に出なくてはならないのか。定石なら、水を断たれて焦ったこちらの動きに合わせ、それを殲滅しようとするはずだ。明らかに、焦っている。

「……何かあったな」

 アルスラーン軍にとってはいいことである。数日。あと数日粘れば、アクターナ軍は撤退する。この急な攻勢と損害覚悟の力攻めは、そうとしか考えられない。

 

「ナルサス卿、敵の勢いが強く、このままでは支えきれません!」

「泣き言を言っている暇があるなら戦え!騎兵隊はどうしている!?」

 そう言いながら、ナルサスは自分で石を運んだ。敵が打ち込んできた石を、こちらも投げ返す。輜重隊の車を解体し組み立て直すと投石器なり井楼になるよう、ほぞ穴を開けておいたのだ。

 数は少ないが、一方的にやられるだけでないとなれば、士気に大きく関わる。小さな工夫であったが、ここでは大きな役割を果たしている。

 それでも、攻勢に出ると決めたアクターナ軍の圧力は、凄まじいものがある。耐えているだけでは、耐えきれない時が必ず来る。だが、耐える事しかできない。

 

 アクターナ軍が、一度引く。それに追い打ちをかけようと、一部の兵が陣を出た。止せ、とナルサスは叫び、慌てて退却の合図を出させたが、止められない。

 出たのは、ゾット族の一隊だった。後方撹乱の場がなく、仕方なく通常の部隊として編成していたのだ。ナルサスの命には従っていたが、根が軍隊ではない彼らが抑えていた思いがここで爆発した。

「防いでるだけじゃ勝てねぇ!追い撃って敵を一人でも倒せ!!!」

 隣の同胞が、槍にかけられる。弓で射抜かれる。それなのに退いていく敵を見送るだけなのは、軍律違反だろうが仲間思いの彼らには我慢できない事であった。気付いたメルレインが追う。

 

 ゾット族の一隊が、アクターナ軍を切り裂いた。そう見えたのは一瞬のことで、アクターナ軍はわざと正面を開け、深入りしたゾット族を取り囲んだのだ。あとはもう、四方から殲滅するだけである。

「………全軍を引かせろ!!!」

 もう間に合わない。ナルサスは、ゾット族を切り捨てる決断を下した。隣にいたアルスラーンとアルフリードがぎょっとしてナルサスを見やるが、その表情を見て口を閉ざした。

 噛み締めた唇から血の味がする。メルレインは最後まで奮闘していたが、ついには槍で突かれた。崩れゆく体を、さらに二本の槍が貫く。人の波の中に、呑まれて消えた。そのすべてを、凝視する。

 

「強すぎる……」

 いつか呟いた言葉を、再び呟く。戦術でどうこうできるレベルを超えている。いや、そうさせないように、最も質の差が出る愚直なぶつかり合いに引き込まれているのだ。

 やはり、連環馬が致命的だった。あれを読み違えたせいで完全に主導権を握られ、逃げたくても逃げようのない状況に追い込まれている。

 だが客観視すれば、ナルサスだからここまで耐えていると言えた。彼がいなければ、アルスラーン軍はとっくに壊滅していたはずだ。

「全軍に伝令!ああなりたくなければ、決して逸るな!隊列を堅持し、ひたすら耐えろ!今は耐える時だ!」

 まだ、正午を回ったくらいか。夜までは長い。ダリューンはどうしているだろうかと、ふと思った。騎馬隊が戦術的勝利の一つでも挙げてくれれば、多少は楽になる。

 あと数日でいいはずだ。そうナルサスは自分に言い聞かせた。……耐えきれるかどうかは、考えないことにした。

 

 

 アクターナ軍の全力攻勢。それを見た者はアクターナ軍の精強さに戦慄し、アルスラーン軍の健闘に感動すら覚えただろう。しかし、同時に思った。アルスラーンも、これで終わりだと。

 もはや、アクターナ軍の優位は動かない。唯一、セイリオスを討ち取るという大逆転の目はあるが、その前にアルスラーン軍が潰される可能性の方が高い。

「………」

 一人の男が、覚悟を決めた。

 




ここでボダンの再登場を予想していた人はいるだろうか?
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