ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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41.イスバニルの戦い・勝敗の行方

 セイリオスの騎馬隊を、追う。騎兵戦で、常に先手を取られる。ダリューンにとって生涯初めてであり、これ以上ない屈辱を噛み締めながら、辛うじて食らいつくことしかできない。

 今度の反転は、正か奇か。遅巡も読み間違えも許されない。ナルサスならそれができるかもしれない。自分には、理論で読み解くなどできやしない。ならば、逆に読まなければいい。

 セイリオスの騎馬隊と、他の騎兵隊が交差した。ダリューンはその騎馬隊と正対する形になる。追走を逆手に取られた形だ。回避は、間に合わない。しようとも思わない。正面から、ぶつかる。

 先頭に立つ男が、大剣を振り回し突っ込んでくる。ヘルマンドス城の指揮官だった男だ。一刀目。ザンデより鋭い斬撃が、ダリューンを襲う。

 

「ふっ!」

 一合、二合、三合。ダリューンの槍とクラッドの大剣が、凄まじい金属音をまき散らす。その一騎打ちをしている間に、セイリオスは駆け去った。

 もうそれでいい。指揮官の能力は、明らかに向こうが上。セイリオスをただ押さえつけるのは、無理だ。

「おおあぁ!」

 クラッドの大剣が、鎧を掠めた。ダリューンの槍を、クラッドが小手で弾く。強い。これまで戦ったルシタニア人の、誰よりも。大剣使いとしては、サハルードで戦死したクバードにも充分匹敵する。

 十二合目。槍が叩き折られた。ダリューンはすぐさま剣を抜く。狙いは、振り下ろされる大剣の腹。まともに受ければ剣ごと叩き切られる一撃を、横からわずかに逸らす。

 必殺の一撃を流されたクラッドの表情が驚愕に染まり、次の瞬間、わずかに微笑んだように見えた。

「おおおっ!」

 雄叫びと共に剣を薙ぐ。クラッドの喉元に滑り込んだダリューンの剣が、首を切り裂いた。鮮血が飛ぶ。そのまま馳せ違う。ちらりと、クラッドが馬から転げ落ちるのを確認した。

 

「追い討て!討てるだけ敵を討て!」

 クラッドの戦死で、さすがのアクターナ軍の騎馬隊にも動揺が走る。しかしそれがすぐさま各隊ごとにまとまり、二つの大部隊になったかと思うと、一つにまとまった。

「………!」

 歯噛みする。討てた敵兵は、理想よりはるかに少ない。指揮官が戦死した場合どうすべきか、次の指揮官は誰になるかといったところまで、指揮系統が確立されている。

「セイリオスを追う!離脱だ」

 それでも、混乱が全くないわけではない。僅かな隙を突き、ダリューンはセイリオスを追う。敵騎馬隊の一角を、ようやく崩した。これで他が耐えてくれれば、大分楽になったはずだ。

 

 

 ファランギースが追っていたのは、アーレンスの騎馬隊。彼女の弓が、一騎を射落とした。しかし次の矢は鎧で弾かれる。ついつい、舌打ちがでた。

 疾駆しながら正確に弱点を射抜くファランギースの神技でも、アクターナ軍の兵士に当てるのは難しい。遠距離では、いかに狙いをつけようと見切られ、かわされてしまう。

 逆に、味方の騎兵が、馬上から吹き飛んだ。「吹き飛ぶ」という表現が比喩ではないほどの威力で、アーレンスの矢は飛んでくる。その前には、鎧など気休めでしかない。

 弓の技量を競う大会であれば、ファランギースに勝る者などいないだろう。だがこの戦場では、威力に特化したアーレンスの弓の方が有用となる。

 

 ジムサの騎馬隊が、そのアーレンスの前を遮った。クラッドを追っていて振り切られ、見つけたのがアーレンスの騎馬隊だった。ファランギースと挟撃できる、と考えたのだろう。

 ジムサの得物は、右手に持つ反りのある片手剣と、左手に持つ筒である。武器にしては短いその筒を口に当てると、敵の騎兵が馬から転がり落ちる。その兵を見ると、小さな矢が顔に突き立っている。

「息で矢を噴き出しているようだな。あれが吹き矢とかいう、古典的な武器か?」

 吹き矢は、今のルシタニアではまず使われない武器だ。アーレンスも、実際に見るのは初めてである。廃れた理由は、端的に言って威力が足りないためだ。

 

「あの矢に鎧を貫くほどの威力はない。必ず素肌を狙ってくるはずだ」

 吹き矢の威力は使い手の肺活量で決まる。そして人の肺では金属板を貫くような矢は放てず、まず筒を口に当てねば使えない。毒を塗っていようと、それさえ判れば防ぐのは難しくない。

「ちっ!」

 ジムサの突進が遮られると、その勢いに引っ張られていた騎馬隊の動きも衰える。それでも後背からファランギースの騎馬隊が迫る。挟撃は成った。

 そう思った時、ジムサは左肩に凄まじい衝撃を受けて吹っ飛んだ。

 

「………?」

 何が起きたのか、理解するまでに数瞬を必要とした。矢が、鎧ごと肩を貫通している。止血さえすれば命に別状はなさそうだ。跳ね起きた。トゥラーン以来の愛馬が駆け戻ってくると、走りながらそれに飛び乗る。

 その間にアーレンスは騎馬隊を分割し一部を反転、ファランギースと向かい合う。ジムサ隊に千、ファランギースに千五百。最上の機は逃したが、まだ挟撃の体勢にあるのは変わらない。

 その時だった。丘の向こうに、砂塵。ジムサは心底ぞっとした。セイリオスの騎馬隊が、丘を越えてファランギースに向けて突っ込んでくる。

 

「……どこまで読んでいるのじゃ、あの男は」

 戦慄と共に思う。一瞬で、挟撃している側からされている側にされた。測ったように現れるセイリオスの動きは、ファランギースの予測を越えている。

 とにかく、もはやアーレンスを挟撃するのは無理だ。ジムサは負傷した左腕がうまく利かないようで、突進に力が欠けている。これではアーレンスを討ち取るより先に、セイリオスに討ち取られる。

「離脱する。ジムサ卿にも合図を出せ」

 セイリオスから逃げるように走り出す。それでもファランギースの最後尾に、セイリオスが喰らい付いた。アーレンスもそれに続く。これは、非常にまずい。ファランギースも、覚悟を決めた。

 

 不意に、正面にまた砂塵が見えた。なんとルキアと交戦しているはずの、ギーヴの騎馬隊だ。セイリオスもすぐ気付き、ファランギースの追撃を切り上げた。ファランギースも、すぐさま兵を纏める。

「いやはや、妙な胸騒ぎに襲われ、居ても経ってもいられなくなり、駆けに駆けた先がファランギース殿の窮地とは。これはきっと、ミスラ神がファランギース殿を救えと、俺に啓示をくださったのであろう」

 戦場にもかかわらず、ギーヴがいつもの軽口で話しかける。それに対しファランギースの方は「助かった」と短く礼を言った。それを聞いてギーヴは、頭を掻く。

「どうにも調子が狂うなあ…。戦場とはいえ、いや、だからこそ、いつも通りの毒舌を振るってもらいたかったのだが」

 

 ギーヴによる、ファランギース隊の壊滅阻止。さらにクラッド戦死の報を受けたセイリオスは、一度軍を止めた。アクターナ軍の将軍として、初めての戦死者である。

「クラッドの隊は、副官だったメルガルが指揮」

 務めて冷静を保ち、言う。今日の戦は、大きく外した。クラッドは惜しいが、考えられなかったわけではない。問題はギーヴの方で、どうにも味方の危機に駆け付ける、不思議な天運を持っているようである。

 だが、ルキアが遅れた。ファランギースを討ち取ろうとした際、ギーヴは間に合わないはずだった。ルキアが何もなく振り切られるなどと言う失態を犯すはずがない。

「申し訳ありません、別の騎馬隊が現れ、そちらに足止めを食らいました」

 別の騎馬隊。そんなものが、どこから。少し考えたセイリオスだが、ルキアの報告ですぐ気付いた。

「モンフェラートめ、失態だぞ」

 

 

 セイリオスが騎馬隊を纏めたことを受け、アルスラーン軍も一度騎馬隊を纏めた。7千余であった騎兵は、すでに6千強にまで減っている。そこに、2千ほどの騎兵が合流した。

「ザラーヴァント卿!!!」

 先頭に立つ指揮官が誰か、ファランギースが真っ先に気付いた。アンドラゴラス王が援軍を出したのかと一瞬疑ったが、何と独断で出撃したという。

「国王の怒りはもっともなれど、俺はもともと王太子殿下の元に馳せ参じた身。さらには殿下には故郷を取り返していただいた恩もある。第一、ここでセイリオスを倒さねば、パルスに未来など無いではないか」

 死罪も覚悟の上、とあっけらかんに笑う。部下たちも主将の暴走を止めるどころか、むしろ率先して扇動したというのだから、もはやアンドラゴラス王の軍は内部から崩壊している。

 

「…残念だがザラーヴァント卿、お主の活躍の場はあまりないかもしれぬ」

 ここから自分の活躍で挽回を、と意気込むザラーヴァントに、ダリューンが残念そうに告げる。何故だと諸将もいぶかるが、ダリューンは確信していた。

 ナルサスが言った『上手く負ける』という方針。クラッドを討ち取り、ザラーヴァントの騎馬隊が合流したとはいえ、騎兵戦だけでも損害ならこちらが大きい。歩兵は考えるまでもない。

「この機を逃すナルサスではない。必ず、撤退する」

 

 緒戦は互角に戦い、次は大きく負けたものの壊滅を阻止。そして今騎兵戦で一矢を報いた。ダリューンが機だと思った通り、ナルサスもこれが潮時だと判断するしかなかった。

「これ以上は、歩兵が耐えられません」

 撤退を、と言上するナルサスに、アルスラーンも難しい顔で考え込んだ。数日耐えれば情勢が動くという確信はあるものの、ナルサスの見たところでは明日明後日には破られる。余力のあるうちに逃げるしかない。

 連環馬の大敗さえなければ、とは思うが、アクターナ軍の将軍を討ち取ったというのは、これまで誰も成しえなかったことである。これを、宣伝材料にするしかない。

 

「……ナルサスの言う通りであろう。それで、撤退するとして、どうやってするのだ?」

 ナルサスならまた何か奇策を考えたのであろうという期待を込めてアルスラーンが問うが、こんな切羽詰まった状況ではできることなど限られている。つまり正攻法で、敵陣の間を強行突破して逃げるだけだ。

「決行は深夜とします。陛下は後方に構わず、ひたすらオクサスへ向けて逃げてください。……例え、何があろうとも、です。陛下が遅れることは、それだけ多くの人が死ぬということになります」

 ナルサスの冷酷な言葉に、アルスラーンが視線を逸らした。アクターナ軍の追撃は、当然あるだろう。後方の部隊から犠牲になる。アルスラーンにできる事は皆が時間を稼ぐ間に、できるだけ逃げることだ。

 アルスラーンがセイリオスの想定を超えた点まで逃げれば、追撃は止む。それまではただひたすら逃げるのが、現状で最上の策となる。

 言われていることは、間違いなく正しい。それは解っている。だが、それを仕方ないとだけ言って、割り切れるほどアルスラーンの心は冷淡ではない。泣くことを、必死でこらえている。

 

(……心優しき王だ)

 どれほど有能であろうが情を持たない王より、よっぽど良き国王ではないか。このルシタニア戦役で唯一良かったことがあるとすれば、アルスラーンの中に眠っていた気質を叩き起こしてくれたことだろう。

「エラム、お前もだ。陛下を引き摺ってでも、安全圏まで逃げ延びろ。それ以外のことは考えてはならん。絶対に油断するな。敵は、相当しつこく追撃してくるぞ」

 その灯を、ここで消してはならない。パルスという国の未来のために、どんな代償を払っても。

 

「ナルサス様…」

「ナルサス…」

 二人とも、ナルサスが何を考えているのか感じ取ったのだろう。口を開きかけたアルスラーンにナルサスは笑顔を向け、先に言った。

「……負けました。もともと勝ち目など全く見えない戦でしたが、想定以上に負けました。『絹の国(セリカ)』の言葉に『三十六計逃げるに如かず』というものがありますが、今はまさにそれでしょう」

 ただ逃げる、と言っているのではない。勝ち目がないのなら撤退し、捲土重来を図るべきである。無理をしても傷口を広げるだけで、良いことなど何もない。それがこの言葉の本義である。

「……ご安心ください、死のうとは思ってませんから」

 今はとにかく、生き延びる事だけを考えよう。負けてもいい、戦わなければ得られないものがある。そう信じて始めたが、失ったものは大きすぎた。その責は、死んだくらいで償えるものではないのは判っている。

 アクターナ軍を侮っていたつもりはなかった。想像を超えていたのだ。

 




ようやくダリューンが一矢報いました。

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