「嘘…だ…」
ナルサスの言葉を聞き、アルスラーンは足元が崩れ落ちるような感覚に襲われた。ダリューンが、死んだ?明確な言葉であるにも関わらず、頭が理解するのを拒絶している。
「嘘であろう!ナルサス、嘘だと言ってくれ!!!」
必死で否定しようとするアルスラーンに対し、ナルサスは無言で頭を下げる。その姿は、首を差し出しているようにも見えた。
続く兵が、板の上に人を載せて運んできた。ダリューンの遺体。それを見てもアルスラーンは「嘘だ…」と小さく呟いた。
ナルサスが、淡々と語り出す。
セイリオスの陽動。もっとも危険な男をアルスラーンから離すために、ダリューンとザラーヴァントの騎兵隊を足止めだけに使うという策は成功したと言っていい。
ダリューンが駆ける。セイリオスは、それと付かず離れずで駆けた。アーレンスの騎兵隊に歩兵隊まで追いついた現状、もう待つ必要はない。兵数でも戦力でも、優勢となった。
どこで仕掛けるか。セイリオスもダリューンも、その機を計っていた。
セイリオスの騎馬隊が、遂にダリューンの騎馬隊に仕掛けた。あまりに愚直で平凡、しかしセイリオスが仕掛けた以上、ダリューンはその対応でかかりきりとなる。
(狙いはザラーヴァント卿か)
ダリューンはすぐ気付いた。アーレンスとザラーヴァントも交戦に入っている。ダリューンをどうあしらい、ザラーヴァントの方に向かうか。騎兵隊のどちらかが壊滅すれば、歩兵隊の壊滅も必至だ。
その一方で、歩兵隊は歩兵隊でにじり寄っている。時間はかかるだろうが、やがて追いつく。アルスラーンを抱えているふりをしているナルサスとしては、下手に反転することは出来ない。
時間は、今はまだ敵の味方だ。そう結論付けたダリューンは、多少無理をしても反撃に出ると決めた。
「ちっ!」
ダリューンの突撃を、セイリオスはぐにゃりと隊を曲げてかわした。クラッドが一騎打ちで討ち取られたせいで、ダリューンと直接切り結ぶのは得策ではないと判断したようだ。
セイリオスは、そのまま旋回。ダリューン隊の最後尾に食らいつく。ダリューンは可能な限り小さく逆に旋回し、セイリオスの騎馬隊の先頭近くに食らいつこうとする。
後ろに続く部隊が、ダリューンを包み込もうと動いて来た。ここは無理をせず、敵騎馬隊を切り離せたことを良しとして部隊を纏める。
ダリューンとセイリオスが、ザラーヴァントとアーレンスが、時に組み合わせを入れ替えながら、小競り合いを繰り返す。時間稼ぎに徹する姿を見て、セイリオスも失敗に気付いた。
「……あれはアルスラーンではないか」
歩兵隊がもうすぐ追いつく。ナルサスはただ逃げるだけ、ダリューンとザラーヴァントはこちらの足止めをするだけ。アルスラーンを抱えているなら、悠長すぎる。
と言ってダリューンと戦闘に入ってしまった以上、どうにかしなくては次に向かえない。こうなると、時間がパルスに味方し始めた。時間をかければかける程、アルスラーンを取り逃がす可能性が高くなる。
「………」
少しだけ考え込んだセイリオスであったが、自分の騎馬隊を二つに分けた。ダリューンが追ってきたのは自分がいる方だ。ここ数日、散々戦ってきた相手だ。動きだけで誰が指揮官か見当がつく。
セイリオスは、さらに部隊を分ける。自身は数百の部隊で離脱、残りが副官の指揮による足止め。離脱した部隊は先に分割したもう一隊と合流し、ザラーヴァントの部隊を狙うと見せかける。
ダリューンも、それを待っていた。敵を潰走させず、足止めされたように見せかけて横に流れる。セイリオスの狙いは、ここからダリューン隊の包囲殲滅。
分割した部隊を全て集め一気に叩こうとした敵に、ダリューンも正面から迎え撃つ。セイリオスの部隊に突っ込める。危地を、セイリオスを討ち取る好機に変えた。そう思った。
次の瞬間、ダリューンの騎馬隊の動きが、何かに突っかかったように乱れた。何人か落馬した。それを踏み越えるわけにはいかない後続の兵が慌てて手綱を搾り、あるいは止めきれずに彼らもすっころんだ。
「………原始的な手を!」
サハルードのような柵はない。何故だと足元をよく見れば、所々で草が結ばれていた。それに、馬が足を取られたのだ。離脱してダリューンの視界から消えたわずかな時間でも、これならできる。
突撃の勢いを殺されたダリューンはすぐさま反転、だがセイリオスの部隊が後方に噛みついた。諦めるしかない。百数十騎は、討ち取られるか。
……普通なら、その百数十騎を見捨て、一度部隊を纏め直すべきだと考えたであろう。だが相手はセイリオスだ。そんな普通の手では、じり貧となることは明白だった。
「………」
副官に、合図を出す。すまぬと心の中で謝罪するしかできなかった。およそ半数の騎兵を、その百数十騎と共に捨てる。
百ならすぐに討ち取られたであろうが、千近い騎兵が壊滅覚悟で足止めに入ったのだ。いかにセイリオスと言えど、無視することも簡単に潰走させることもできない。
その間に、ダリューンは駆ける。部隊の半分を犠牲にして、初めてセイリオスを振り切った。一度限りの、指揮官として恥ずべき方法だ。だが、どれほど犠牲を払おうと、ナルサスだけは救わねばならない。
(あいつがいなければ、今後のパルスは立ち行かない―)
セイリオスという化物に対抗していくとなれば、ナルサスの智謀は欠かせない。実際のところ、今回の戦いでもナルサスが読み損なったのは連環馬だけだ。それ以外は、全て予測している。
アクターナ軍の質が異常なことと連環馬に意表を突かれたため負けただけで、ナルサスの智謀がセイリオスに劣っているわけでは、決してない。
歩兵同士のぶつかり合いは、アクターナ軍の圧倒的な優勢となっていた。ナルサスはアルスラーンを守っているふりをすべく、すり潰されるまで抵抗するつもりだろう。
その場に現れたダリューンの騎馬隊を見て、アクターナ軍の一隊が素早く反転し、槍衾を並べて迎い受ける。流石に対応が速い。だがそれにもかかわらず、ダリューンは敵陣に突っ込んだ。
「おおおああぁぁ!!!」
雄叫びと共に槍を振るう。ダリューンをして、やっとのことで一列目を崩す。その亀裂が閉じないうちに、二列目。過去、経験したことのない頑強さに舌を巻く。部下も必死で押し込み、ようやく三列目を突破。
不意に、後ろから押す力が強くなった。ザラーヴァントの騎兵隊が、ダリューンの後から押し込んで来たのだ。これなら、行ける。
右から首元を狙って繰り出された槍を、体を倒すことでかわす。掠って兜が弾き落とされた。体勢が崩れたところに、反対側からまた槍。浅く腿を突かれた。内臓と主要な血管だけ守れればいい。
ザラーヴァントの後ろからはアーレンスと、足止めを突破したセイリオスが続いているだろう。届け、と心の中で叫んだ。敵の歩兵を指揮している、あの男。勇敢で、最後まで戦うに違いない。だから討ち取れる。
「おおおおおおぉぉぉ!!!」
もう一度叫んだダリューンに、ベルトランは槍を持って向かい合う。ぐっと腰を据えて繰り出された突きを、すれすれのところで回避した。そこからの、一撃。ベルトランの首が飛ぶ。
ベルトランの死で動揺する歩兵隊にかまわず、騎兵隊が突っ込んできた。不意に、
「
アーレンスが狙っていたことに、ダリューンは気付いていなかった。
歯を噛んだダリューンは近くの騎兵を引きずり落とし、馬を奪った。悲しんでいる暇はない。まだ、戦う。
歩兵隊の指揮官は、もう一人。そのシルセスはダリューンに構わず前衛だけでナルサスの歩兵隊に突撃した。動揺を無視して、敵を殲滅するつもりだ。
ダリューンの騎馬隊は、もう数百しか残っていない。シルセスは防ぎきれると見た。ダリューンもそれは理解している。だが、それでもシルセスの首を狙う。
しかし、後ろからセイリオスが恐ろしい勢いで駆けてきた。遮ったザラーヴァントの右腕を斬り飛ばし力任せに突破するというセイリオスらしからぬ用兵であったが、これでは舌打ちして諦めるしかない。
…仮の話であるが、この歩兵隊の指揮官がシルセスでなければ、歴史は変わっただろう。歩兵隊から飛び出したダリューンを、セイリオスが追う。
「………」
初めて、セイリオスが用兵を誤った。何をそんなに焦っているのか。ザラーヴァントを強行突破したせいで、セイリオスの部隊は縦に大きく伸びた。それを纏め直さず、ひたすらダリューンを追ってくる。
深入りのし過ぎだ。今度こそ、セイリオスを討ち取る千載一遇の好機となった。前衛だけなら、ほぼ同数のぶつかり合いとなる。後方が追いつくより先に、セイリオスの首を取る。
機会は、一度きり。反転し、全力で駆ける。失敗に気付いたようだが、もう遅い。セイリオスの姿が眼前に迫った。軍の指揮では遠く及ばなかったが、一騎打ちの勝負なら負けない。
馳せ違う。セイリオスの剣は、あのルクナバードにも匹敵するという。まともに受けたら剣が折られる。クラッドの大剣にしたように、受け流し滑り込ませるように斬る。自分なら、できる。
………馬が、わずかに怯んだ。
ダリューンが奪った馬は、アクターナ軍の軍馬だ。毎日毎日、セイリオスの馬を群れの長として駆けてきた馬である。つい先ほど乗った主とは、心も通じ合っていない。
キン、と高い金属音が響く。ダリューンの剣と、セイリオスの『アステリア』が打ち合う音。
ダリューンの剣が、半ばで斬られた。『アステリア』の一撃はそのまま、ダリューンの肩から胸までを切り裂いた。かまわず、セイリオスの首元を薙ぐ。
鮮血が飛んだ。
どうだ、と確認のため必要とした一瞬の隙。槍が、背から胸までを貫いた。口から、鮮血が噴き出す。さらに脇下にもう一本。馬上の体勢が崩れ、馬から落ちた。
「………」
落馬した際の勢いで槍が折れ、仰向けになったようだ。空が青い。周囲は静まり返っていた。剣戟の響きも、馬蹄の轟きも聞こえない。
パルス兵もルシタニア兵も、身動きすることを忘れたように固まっていた。その中で、一騎だけがダリューンの視界に入る。首筋に手を当てているようだが、逆光に加えて視界がぼやけて顔は見えない。
「……無双の、武人だった」
そんな評価は止めろ、と言いたかった。俺はアルスラーン陛下に忠義を尽くせなかった。お前を、殺し損ねたのだ。そんな武に、何の意味があるか。
唇が動いたかは、わからない。
手に付いた血を眺める。あとほんの僅かで、首の血管に達していたところだ。ダリューンの馬がそのままであれば、あるいは剣が『アステリア』に匹敵する物であれば、自分の命はなかった。
「……馬と剣の差か」
これは、勝ったのか負けたのか。生き残った、とは言える。天を仰ぐ。そんなセイリオスを始めて見た周囲の騎兵が、とりあえずという感じで周囲に円陣を布く。
騎馬隊が完全に止まった事に、シルセスも動転して軍を止めた。セイリオスに何かあった。敵の騎兵隊の攻撃を防ぐ態勢を構築しながら、後退する。
この遅巡が、ナルサスを救うことになる。崩壊寸前だった歩兵隊を立て直す時間が与えられ、しかもその間にヒルメスがアンドラゴラスに攻め込んだという報告が入ったのである。
確認のため、セイリオスは軍を止めた。ヒルメスでもアンドラゴラスでも、一人だけが残ってしまうと、ルシタニアの得にならない。アルスラーンを討つかどうかも、考え直さなければならなくなる。
「撤退する」
アンドラゴラスが討たれた、と詳報が入ると、セイリオスは短く言った。アルスラーンは生かさねばならない。ナルサスの首を取る意義もない。厄介な相手なのは事実だが、アルスラーン軍の再建に彼は必要となる。
これ以上戦う意義は無くなった。ヒルメスが文句を言ってきたら、負傷したので退却したとでも言えばいいだろう。既にアルスラーンが討たれていたなら、それはその時だ。
―アクターナ軍が全軍撤退に移ったことで、『イスバニルの戦い』は終結した。
この話でも個人の武勇なら最強はダリューンです。