ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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49.その後の世界・対立王の死

「陛下!!!」

 城壁の上からサームが叫ぶ。凍り付いたように固まっていた不死隊(アタナトイ)がその声で我に返り、とにかくヒルメスの身を守って退く。

 黒い騎士は追ってこなかった。理由の一つに、剣が折れたことがある。力任せにヒルメスの剣を両断したので、その際に相当な負荷がかかったのだろう。その後肩を切り裂いた際に、折れたのだ。

「医者だ!!!早く医者を呼べ!!!」

 だがそのおかげで、ヒルメスは重傷だが息はあった。剣が折れなければ、胸まで両断していたかもしれない。そうなれば即死は免れなかったはずだ。

 

「………そ、そんな、陛下が」

 ヒルメス軍の拠り所の一つが、ヒルメス個人の驍勇である。「うちの王様は最強だ!」という単純で非常にわかり易い象徴があったから、兵たちはヒルメスを畏敬してきた。

「落ち着け!まだ戦闘中だぞ!!!総員、持ち場を離れるな!!!」

 それが、崩れた。士気ががくんと落ちるのは避けられない。サームが応急の指示を出すが、動揺した兵士たちはこれまでの様に動かない。

 

「う、うわああああ!!!」

 上空から襲撃した有翼猿鬼(アフラ・ヴィラーダ)が、兵士の一人を捕らえ飛び上がる。上空から落とされたその兵士はペシャワール城の石畳と衝突し、無残な肉塊と化した。

「………」

 サームが声を嗄らして鼓舞するが、恐怖に囚われた兵士たちには通じない。それどころか有翼猿鬼が運んできたチュルク兵が内側から城門を開けようとしていたのに、怖気づいた兵士は何もできないでいる。

 それは駆け付けたサームが何とか蹴散らしたが、上空からの投石と敵兵の投下、同時に地上からの攻撃はより激しくなるばかりだ。

 

「………ザンデを、…呼べ」

 ヒルメスが苦しい息の中で声を出す。西の敵陣を突破し、ヘルマンドス城に向かえ。チュルク兵の戦意は低い。敵の大将は恐怖で縛り付けているが、ザンデの剛勇なら突破は可能だ。

「はっ!必ずや援軍を連れて戻って参ります!!!」

 ヘルマンドス城にはカーラーンの軍が残っている。当然その救援を請いに行くのだと考えたザンデは威勢よく答えたが、ヒルメスはそれを否定した。

「……違う。お前はバダフシャーンに戻り、皆を避難させるのだ。できる限り、西に逃がせ。………場合によっては、マルヤムまで行くのだ」

 それは…、とザンデが絶句した。ヒルメスはペシャワールはもう守り切れない、と見たのである。

 

「イリーナとティグラネスを、頼む」

 頷けなかった。ヒルメスはここで死ぬ気だ。重傷の身で、馬を駆けさせるなど無理であろう。そしてヒルメスが死ねば、国は崩壊する。まだ赤子のティグラネスに従おうとする者が、どれだけいる事か。

 それを理解しながら、ザンデは頷けない。喉まで「ここで陛下と共に死にます」という声が昇ってきていた。それが声になる直前、ザンデを殴りつけたのはブルハーンだった。

「何を呆けてやがる。お前は陛下に最も難しいことを命じられたのだ。自信がないなら、はっきり言え。俺が代わる」

 何を、とザンデが激高した。お前みたいな新参者に、任せられる役ではない。胸ぐらを掴んで憤るザンデに、ブルハーンは静かに告げる。

「……簡単な方は、俺が引き受けてやる」

「……すまぬ」

 もっと早く、この男と語り合うべきだった。この状況では謝る事しかできない。それも、いいからさっさと行け、とにべもなく言われた。ザンデは配下から騎兵だけを選抜し、西門へ向かう。

 

「………陛下、わずかな間でしたが、あなたの下で戦えたことを、誇りに思います」

 ザンデが去ると、サームが口を開いた。彼も状況は理解している。ここが、自分たちの死に場所となるだろう。だが後悔はない。

 アンドラゴラス王の元で万騎長まで出世した。それは充実していたし喜びもあったが、どこかに虚しさもあった。パルスの武人として示された模範の道を、ただ進んでいただけだったからだ。

 転機が訪れたのは、ルシタニアの侵攻から。運命に翻弄されヒルメスの下に付いた。今では、その運命に感謝すらしている。

 裏切り者、不忠の臣と言わば言え。そんなものは理想の主君を持てなかった者のやっかみだ。たった2年ばかりであったが、生涯でもっとも充実していた時間だった。

 

「粘るぞ。……あれが何であろうが、どれほど傷が深かろうが、俺は戦う」

 敵は顔全体を覆う兜を装備していたため、何者かはわからない。だが有翼猿鬼を使役している時点で、ヒルメスにもサームにも相手が誰かなど予想がついている。

 この間に、東の城門を突破された。後は内城に籠る。徹底抗戦の構えを見せるヒルメスとサームに、チュルク軍も手を焼いた。それを見て、ヒルメスに深手を負わせた黒い騎士が進み出る。

「……我が人生で最後の相手が、蛇王とはな」

 小さく笑った。蛇王に討たれた男として名が残るなら、なかなかの死に場所と言えるのではないか。

 

 

 ペシャワール城、陥落。その知らせは脱出に成功したわずかな兵により、ヘルマンドス城に届いた。チュルク軍は損害も顧みず、そのままヘルマンドス城を目指して南下する。

「ザッハークだ…、あれは蛇王ザッハークが蘇ったに違いない…」

 その兵の中に真実を推察をした者がいて、その声はあっという間に城内に広まった。ヒルメスの戦死という事態もそれに拍車をかけている。あのヒルメス王を打ち負かす奴など、蛇王に違いない、と。

「ザ、ザッハーク…」

 蛇王の名を聞くとパルス人は震え上がる。他国人が冗談として馬鹿にすることであるが、本人たちにとっては笑い事ではない。

 恐怖に駆られたパルス人の中から、家財を纏めて逃げ出そうとしたものが続出した。そのあまりの動転ぶりを見て、バダフシャーン人にも徐々に恐怖が伝染した。彼らはとにかく西に向かおうとする。

 

 一足先にザンデから報告を受けたカーラーンも、仰天したと言っていい。軍にも動揺が広がっている。もはや戦うことができるような状況ではないと、カーラーンも絶望するしかなかった。

「全軍で、住民も連れて西に逃げる。女子供を最優先にだ。その護衛ならば、臆病風に吹かれた連中でも、自分の妻子を護る為に踏ん張るだろう」

 ひとまず、ヒルメスの遺言に従って指示を下した。マルヤム、とヒルメスが言った意味はすぐ理解できた。ルシタニア領内に入れば、セイリオスの庇護を受けられる。

 しかし、セイリオスがここまで来てくれるはずもなく、難民の集団を引き連れて向かうしかない。蛇王の眷属にとっては格好の獲物だろう。その魔手から逃れ、アルスラーンの領内を混乱なく通過するなど不可能だ。

 

「ザンデよ、早馬でエクバターナに向かってもらう。アルスラーンにこの状況を包み隠さず伝え、民の庇護を仰げ」

 頼りたくはないが、それしかない。分裂しているとはいえ、パルスの民だ。アルスラーンなら、承知してくれるのではないだろうか。

 もちろんアルスラーンとて無償では動くまい。民は支配下に治めるだろう。だが、それでもパルスの民を蛇王の餌食にするよりましだ。

 そしてイリーナ王妃とティグラネス王子の安全を認めてもらえれば、自分などどうなろうと構わない。その線で話を進めろと、カーラーンはザンデに命じる。駄目ならば、二人だけでもセイリオスの元に逃がす。

「………はっ!」

 内心の葛藤を押し込んで、ザンデも従った。ヒルメスの最後の命令なのだ。何としても、イリーナ王妃とティグラネス王子は生かす。そのためなら、よりによっての相手だろうが、使えるものは使う。

 

 出立の準備を急ぐザンデの元を、イリーナ王妃が訪れた。

「ザンデ卿、この子を一緒に連れて行って欲しいのです」

 いつ蛇王の眷属に襲われるかわからない集団の中より、そちらの方が安全ではないか。赤子一人なら、馬にも大した負担にならない。イリーナはそう考え、息子を夫が誰よりも信頼していた男に託そうとした。

「わかりました。しかし、王妃様は……」

 カーラーンが守るとはいえ、危険はある。イリーナも何とかして連れて行くべきではないか。そうザンデが続けようとする言葉を、イリーナは遮った。

「目が見えない私が馬に乗るなどできません。そしてこの子はパルスの正統な主。私が足手まといになりこの子を危険に晒すことは許されないのです」

 反論を拒絶する強さで、イリーナが断言する。ザンデは承諾するしか無かった。赤子のティグラネスを抱え、代馬を連れてエクバターナに急ぐ。

 

 

 しかし、異変はヒルメスの領内だけで起きていたわけではない。

有翼猿鬼(アフラ・ヴィラーダ)だ!!!鳥面人妖(ガブル・ネリーシャ)もいるぞ!!!」

 エクバターナにも、東の空から黒い影が襲来する。それに、見張り搭に立っていた兵士が気付いた。その報告を最初に受けたのはエクバターナの城司となったザラーヴァントである。

「城壁に弓兵を並べろ!!!それと民を屋内に避難させるんだ!急げ!!!」

 失った右腕さえあれば、と思いながら指揮を下す。片腕では、弓は使えない。弩とて大型の物は支えられず狙いが付けられないため、出来る事は兵士に指示を出すことだけだ。

 

「ザラーヴァント卿、我らも助力しよう」

 もっとも頼もしい二人が、部下を連れて来た。ファランギースとギーヴである。弓の腕ならパルス一と二と評してよい二人の援軍に、兵たちは喚声を上げる。

「ざっと三百というところか。…俺が百、ファランギース殿が百、他の連中で残り。ふむ、奴らも本気でエクバターナを落とすつもりではないようだな」

 エクバターナを落としたいならこの十倍は連れてこい、と言わんばかりのギーヴの豪語である。しかし兵たちはそれが大言で無い事を知っている。士気は大いに高まった。

 

芸香(ヘンルーダ)も持ってきておるぞ」

 パルスでは、芸香の匂いは魔除けによい、とされている。これは単なる迷信ではなく、カイ・ホスロー王の時代に実証されたことだ。原理は不明だが、蛇王の眷属には芸香が毒となる。

 ヒルメスとの戦いの影に隠れていたが、有翼猿鬼や鳥面人妖の被害や目撃証言が増えていた。そこから蛇王復活を予見したナルサスは、厳しい財政状況の中、芸香も集めさせていたのである。

 芸香の果汁を塗った鏃により、空の敵も次々に落下していく。連動して下から攻める軍もない状況では、空中からの攻撃も大した効力を発揮しない。

 

「あわ、あわわわわ……」

 蛇王側の指揮官として派遣されていたのはビードという魔導士であったが、魔導ならともかく軍の指揮に関しては素人でしかない。予定と全く違う状況に慌てるだけである。

 元々、この攻撃でエクバターナを落とせるとは思ってない。威力偵察というか、蛇王復活のお祝いというか、エクバターナを少し混乱と恐怖に陥れる事が出来ればよい、という程度の目論見だったのだ。

「退却だ、退却ー!!!」

 半数まで打ち減らされたところで、有翼猿鬼が運ぶ籠の上から身を乗り出して叫ぶ。しかしまさにその瞬間を狙っていたファランギースとギーヴの二人の矢が、彼の喉笛を貫いた。

 ビードは籠から落ちて地面に叩きつけられた。数十ガズの高さである。まず生きていまい。それを見た怪物たちも、散り散りに逃げて行った。

 

「行ったか…。だが、まずい」

 エクバターナから黒い影が逃げ去って行く様子を、ザンデは城外の遠くから見ていた。ティグラネスを抱えての道中である。戦闘は避けるべきだった。

 しかし、あとわずかでエクバターナという状況で、ザンデの気が緩んでいたことは否定できない。ザンデの隠匿は甘く、逃げてきた鳥面人妖に見つかってしまったのだ。

 森にでも逃げ込んでおくべきだったと後悔したが、もう遅い。この一帯は木が少なく、引き返さないと隠れるのに良い森がなかったのである。早くエクバターナに着きたいと焦り過ぎた。

 

「くっ、ティグラネス様には、爪の先であろうと、絶対に触れさせぬぞ」

 赤子を抱えている、と鳥面人妖も気付いたようだ。散々にやられたからせめて貴様らだけでも食ってやる、と考えた鳥面人妖の追跡は執拗である。ザンデも愛用の大剣で応戦するが、空の敵には分が悪い。

 エクバターナまでは、視界に入っているとはいえまだ距離がある。城門もまだ閉じたままかもしれない。自分だと判れば開けてもらえない可能性もある。

 

 上空からの鳥面人妖の攻撃を、大剣で打ち払う。敵が一匹ならザンデは十二分に守りきれたはずだ。しかし左から、いきなり別の鳥面人妖が急襲したのである。

「しまっ……」

 鳥面人妖の爪を、左腕で受けた。大剣は間に合わない。ティグラネスを守るためには、そうするしかない。ザンデは躊躇なくそうした。

 だが、怪我のせいで左手に上手く力が入らない。手綱を操れなくなった。腰と太腿の力で、馬に意思を伝える。とにかく真っ直ぐ走ってくれ。

 

 ザンデを追いながら、二匹の鳥面人妖は相手を口汚く罵っていた。元々友情などない二匹である。横取りするな、早い者勝ちだ、と、ザンデより同胞の方を敵と見做している。

 それを、彼方からの矢が射抜く。芸香の汁がたっぷり塗られた鏃に、二匹は揃って地に落ちた。これもファランギースとギーヴの矢だ。

「……お主、ザンデ卿じゃな。ここで何をしておる」

 ファランギースが気付いた。彼女はペシャワールへの逃避行の際に、ザンデと会っている。ヒルメスの腹心であることは誰も知っている。名前を聞いて、彼女の部下は一斉に矢を構えた。

「頼む。アルスラーンに会わせてくれ」

 ザンデはそれに対し、大剣を捨て、馬から飛び降りて平伏した。

 




ついにヒルメスも死亡。
ほんのわずかな登場になりましたけどブルハーンがカッコいい…
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