ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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50.その後の世界・英雄を知る英雄

「デマヴァント山の噴火に引き続き、今度の急襲…。いよいよ、蛇王が本格的に復活したと見えます」

 エクバターナの宮中ではナルサスが冷静に今の状況を分析していた。予兆はあったから、予想の範囲内ではある。しかし、ルシタニア戦役の傷が回復していない今というのは、非常に時期が悪い。

「チュルク軍がペシャワール城を奪取した、ともザンデ卿から聞きました。……チュルク軍であるが、指揮していたのは蛇王である、と」

 さらに、トゥラーンとミスルも動き始めていた。蛇王の戦略は簡単だ。チュルク、トゥラーン、ミスルら周辺国を総動員しての、パルスの大包囲網の形成。机上でなら歴史に残る壮大な作戦と言える。

 

「逆に言えば、ルクナバードを持つ陛下を、それだけ恐れているということですな」

 アルスラーン軍は必死で再建を進めていたが、それでも6万から7万を動員するのがやっとというところである。今年の農作物はデマヴァント山の噴火で、大きな被害を受けた。国庫は貯蓄する余裕などなく空のままだ。

 その程度の力しか持っていないアルスラーンに対し、蛇王側の戦力は明らかに過剰すぎる。見せしめの意味もあるのだろうが、とにかくどんな理由だろうと、難敵なのは変わらない。

 なお、シンドゥラは不参加である。ラジェンドラ王がアルスラーンへの義理を重視したわけでなく、この頃東方に遠征軍を出していたのだ。それを理由に、色よい返事はしつつもパルス出兵に言質は与えていない。

 ちなみにこの東方遠征は大成功を収める。ヒルメスの領地に手を出せないでいたため、別方面で軍事的成功が欲しくなったというところだが、ラジェンドラ王と指揮したバリパダ将軍の名は大いに高まった。

 

「ではエラム。ここで最大の問題は、何だ?」

 ナルサスの試験に、エラムは「西方です」と答えた。ルシタニア、と言うよりセイリオスがこの包囲網に加われば、パルスの滅亡は疑いない。当然、蛇王たちも誘いの手は伸ばしているだろう。

「いや、セイリオス殿下は動かない。あの御方の考えは『ルシタニアのため』が第一の基準だ。今のパルスを取ったところで、復興には多大な時間と手間がかかる。そんな余計なことはしない」

 素早く反論したのはエステルだ。アルスラーンとナルサスがそれに頷き、エラムは悔しそうに黙り込んだ。ここは身近にセイリオスに接したエステルの方が、理解度が深かったということだろう。

「第一、セイリオスなら独力で我らを滅ぼせる。連合など組む意義がない」

 自嘲するようにアルスラーンが言う。しかし、事実だ。ナルサスもキシュワードも、認めたくはないが、と表情に浮かべながらも頷いた。

 

 さて、セイリオスは動かない可能性が高いとすると、問題になるのはザンデが持ってきた話だ。バダフシャーンの難民をどうするか、ということだが、アルスラーンは明確に答えた。

「見捨てることは出来ぬ。どんな理由であろうと、パルスの民だ」

 しかし、そうするとエクバターナを出るしかない。チュルク、トゥラーン、ミスルが各10万ずつと考えれば、30万の大軍と野天で戦わねばならなくなる。勝ち目は非常に薄い。

 と、そこで、真剣な軍議が赤子の声で破られた。ひとしきりエステルがあやしている間は、軍議など続けていられる空気ではない。

 

「……ねえナルサス、あの子、どうするつもりだい?」

 妻のアルフリードにザンデが命懸けで守ろうとしたティグラネスの今後を聞かれたが、ナルサスもどうしようかと悩んでいたところだ。

 ヒルメスの子である。このまま保護すれば、将来の火種となりかねない。ルシタニアに渡すなど論外だ。10年後に彼を押し立てて攻めてくるかもしれない。禍根を絶つにしても、赤子殺しの汚名が一生ついて回る。

 もう一つ困ったことが、何故か何人も子供の面倒を見てきたはずのアルフリードには全く懐かず、エステルに懐いてしまったことだ。拙いあやし方が、逆に母親に似ていたのかもしれない。

 

「ティグラネス殿はひとまずこの城で保護しよう。何であろうと、この戦いが終わってからだ」

 ナルサスとアルフリードの会話が聞こえたのか、アルスラーンが断を下す。自分たちの王が赤子を殺すような非情ではないという安堵と、将来の問題を先送りしただけの不安で、称賛も反対もできない。

 おそらく、アルスラーンとエステルの二人を除いて、皆この先どうなるか何となく予想は出来ているだろう。決して悪い事ではないのだが、割り切れないものは残る。

 不幸中の幸いはヒルメスが戦死したことと、彼を討ち取ったのがアルスラーンではなかったことか。そうだったらもっとややこしい事態になっていたはずだ。

 連れてきたザンデはと言うと、療養中である。左手の傷から毒でも入ったのか、高熱を出して倒れてしまった。意識も朦朧とするほどの重症だが、あの男のことである。不思議に死なないという気がする。

 

「……さて、話を戻すとして、どう戦うかだが」

 一段落したと見たキシュワードが言う。戦略的には、とにかくバダフシャーンの難民をどこかの街に避難させ、蛇王が率いるチュルク軍を撃破するしかないだろう。トゥラーンとミスルはその後だ。

 とは言っても、出撃するとなると出せる軍はせいぜい5万余。カーラーン率いるヒルメス軍残党と合わせれば敵の一軍と拮抗できるが、それは数字上だけの話だ。

 軍の質とて、セイリオスに粉砕された傷は今だ癒えていない。かつてのパルス軍5万ならチュルクの10万くらい易々と叩き潰して見せる、と言っても笑われなかったであろうが、今や昔日の夢である。

 ナルサスでも、今の段階では明確な勝算など立てようがない。局地戦で勝利を拾い、光明を掴み取るしかないと思っていた。

「………この戦いで、我らの勝ち目は一つしかない」

 その中、アルスラーンが迷いなく断言する。だが次の言葉は、一同を愕然とさせた。

「セイリオスを、動かす」

 

 

 そして、時は合致する。この時セイリオスは、西方はギスカールに任せて、東方の安定のため旧マルヤム王国の首都イラクリオンに滞陣していた。

 マルヤムは平穏だった。セイリオスがいる限り、反乱の目途など立てようがない。あのパルスを半壊させた男だ。どんな馬鹿でも、無謀でしかないと理解できる。

 第一、政治は旧時代の悪弊が取り払われ、むしろ良くなったのだ。もはや反乱を起こそうと考えるのは、よほどマルヤム王家に思い入れのある者か、前王朝で甘い汁を吸っていた人間しかいないであろう。

 

「今年は、パルスへの穀物輸出で大儲けできたな。あとは西部の銀山開発で有望な鉱脈が見つかれば、マルヤムの経済は安定する」

 植民したパルスの元奴隷たちが育てた作物を国家で買い取り、輸出したのである。学のない元奴隷たちだ。放っておいたらあくどい商人に買い叩かれていたであろう。数年は国家が適正な価格で買い上げ、面倒を見る。

 その資金を、セイリオスは銀山開発に使うことにした。これもパルスの技術者が流れてきたためである。マルヤム中を精査させたところ、西の方で鉱脈が見つかった。採算が取れるかはまだ調査中だ。

 

 ルシタニア全体として、この時点で軍事行動を起こす意図はなかった。そもそもパルス戦役で40万もの大軍を動員したのだ。続けて内乱と戦争の連続である。領土こそ広がったものの、領内の疲弊は癒えていない。

「数年は、軍を出す気はない」

 謁見の場で対パルス包囲網の参加を求めてきた魔導士に、セイリオスははっきりと断った。グルガーンと名乗ったその魔導士は何も抗弁せず引き下がった。仮面のせいで表情は読み取れない。

「………今度こそ決着を、か」

 セイリオスにしてみれば、変な話だ。何故、自分とアルスラーンが宿敵であると前提にされているのか。確かに気になる相手ではあるしイスバニルで激戦を繰り広げたが、勝手な期待はしないで欲しいところだ。

 しかし、そのアルスラーンからも使者が来たと聞いて、さすがのセイリオスも当惑した。

 

「エラムとやら…、ああ、アルスラーンの後ろに控えていた男か」

 使者にどこか見覚えがある、と記憶を探り、ジュイマンドの会談を掘り当てた。アルスラーンの腹心であるのだろう。エステルかドン・リカルドではなかったのは、彼らの個人的な縁に縋りたくなかったためか。

「恐れ入ります。我らが陛下の要望は、セイリオス殿下にパルスの窮状を救っていただきたい、ということになります」

 余計なことは言わないでいい、とアルスラーンからは言われている。しかしエラムとしては、内心冷や汗どころではなかった。アルスラーンは断言したが、本当にこれで大丈夫なのか。

「……こちらが、進物になります」

 声が震えた。従者が大きな箱を差し出す。蓋を開けると、獣臭さと腐臭が混じった、人を不快にする臭いが立ち込めた。季節が冬でまだましと言える。これが夏なら、もっと酷いことになっていたはずだ。

 

「………何だ、これは?」

 周囲が思わず呟いた。セイリオスは無言のままだ。腐臭に対しては不快そうな表情を浮かべたが、視線は箱から出された死体に向いている。

「先日我らが討ち取った敵、鳥面人妖(ガブル・ネリーシャ)の死骸になります」

 エラムの表情がひきつっている。アルスラーンの為なら命を捨てる覚悟はある。とは言っても、これではまるでわざと斬られるために挑発しているようなものではないか。

「………」

 普通なら、とにかく財宝をかき集めて哀願したであろう。エラムもそうするべきだと思った。しかしアルスラーンが断言したのだ。セイリオスに対する贈り物として、これ以上の物はない、と。

 

「……まず、兄上に急使を出せ。シルセス、デューレン、エスターシュ、グリモアルド、ルキア、アーレンス、全軍に出撃準備をさせろ」

 生きた心地がしないでいるエラムに対し、セイリオスがようやく口を開く。シルセスとデューレンの二人だけは想定の内だったのか、頷いている。状況が呑み込めない周囲に対し、セイリオスはさらに命令を下す。

「パテルヌス、グロッセートの両名は私に従え。モンフェラートは残る全軍を率い、兄上からの援軍と合わせミスルに攻め込む」

 この時のセイリオスは東方全軍の指揮権を持っている。だけでなく、状況に即応できるよう開戦権まで委任されていた。唖然とするエラムに対し、セイリオスが決定的な通告を下す。

「ミスルへの宣戦布告の理由は、『友邦パルスへの侵略』。アクターナ軍3万5千とルシタニア軍2万は、即刻パルスに向かう」

 

 

「あいつ、何を考えやがった!!?」

 思わず、ギスカールが叫んだ。パルス救援のため、東方の全軍を動かしたい。意味が全く解らない。何故、パルスの、アルスラーンの救援に動いたのか。

 パルス救援は名目で、本心はミスル攻略とも思えない。それならアクターナ軍でミスルを攻めている。それに領内の安定に尽力している現状でさらなる拡張は下策だと、認識は一致していたはずだ。

(パルスから、何か裏取引でもあったのか?)

 そう考えて、いや…と思い直した。どんな財物だろうが軽々しく動く奴ではない。しかも、パルスが持ってきた進物は、何と怪物の死骸一つであったという。より意味が解らない。

 

「のうギスカールよ、ここはセイリオスの思う通りにさせてやったらどうじゃ?」

 困惑と怒りの収まらないギスカールにのんびりした声で言ってきたのは、長兄イノケンティスである。問題が何だか解ってないのだろうか。確かに開戦権は与えたが、勝手にパルスと結ぶのは見過ごせることではない。

「ふうむ、しかし、セイリオスがこれまでルシタニアのためにならぬ事をしたことはあったかのう?今回も、ルシタニアのためを思ってのことではないのか?」

 むぐ、とギスカールが言葉に詰まった。セイリオスの手紙には、出師による利についても書いてあった。しかし、この兄がそれを理解しているとは思えない。ただ、弟への純粋な信頼があるだけなのだ。

 

「………………わかりましたよ。ミスル国への侵攻を認めましょう。しかし、セイリオスは後できっちり叱りますからな」

 長兄を説得するのは不可能だ、と悟ったギスカールが折れる。セイリオスも名分はあるとはいえ、流石に勝手が過ぎたのは承知の上だろう。謹慎ぐらいは命じていい。

 逆に言えば、ギスカールを怒らせるのも覚悟でパルスの救援を急ぐと判断したのだ。むしろ開戦権を与えておいてよかったかもしれない。そうでなければ、もっと大問題になったはずだ。

「ボードワン、ミスルに向かえ」

 本国は、先の内乱を鎮圧した功によって第3双子座騎士団(ジェミオス)の団長に任命したゴドフロワに任せれば問題ない。ボードワンも対抗心から功を立てたがっているし、ここは彼を使うべきだ。

 ボードワンに任せた軍は6万である。モンフェラートと合わせれば10万を越えるだろう。セイリオスの軍を含めれば、またしても20万近い軍を動員することになる。

「……まったく、予定がすっかり狂ったぞ」

 疲弊しているとはいえ、ルシタニアにはそれだけの軍を動員する余力があった。しかし、それをパルスの救援で使い尽くすとは思っていなかった。ギスカールとしては、愚痴の一つも言いたくなる。

 




セイリオスは「ルシタニアの為」ならば躊躇なくパルスを焦土にもすればアルスラーンも生かす人です。

それを見抜いたことでアルスラーンの勝利が確定しました。
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