セイリオスが動いた。その報告を受け、『尊師』も呆然とした一人である。
「何故だ!!!」
喚いた。それしかできなかったと言っていい。アルスラーンがセイリオスと手を組むと決断することも、セイリオスがそれを受けることも想定外である。宿敵のはずの二人が、何故手を組める。
フィトナをけしかけてエクバターナを占拠させたときは、予想が外れてもまだ理解できた。だが今回は。アルスラーンもセイリオスも、頭のどこかがおかしいのではないか。
その辺り、『尊師』はやはり魔導士でしかなかったと言えるだろう。魔導士としては極めて優秀で、ついに蛇王の復活までこぎつけた彼だったが、英雄の心は理解できなかった。
「いかがいたしますか?」
弟子のグルガーンが静かに問う。それが、非常に腹立たしい。ガズダハムはシンドゥラで言い逃れられたがトゥラーンは二つ返事で成功した。グンディーはミスルを動かしている。功を挙げてないのはこいつだけだ。
「どうもこうもない。セイリオスのアクターナ軍が出てきた以上、チュルク軍だけで勝てるはずなかろう」
軍事の専門家でなくとも、そのくらいは判る。アクターナ軍は世界最強の軍隊だ。少なくとも同数で勝てる軍は存在しない。トゥラーン軍と合流し、大軍を以って当たるしかない。
なお、この時のミスルはモンフェラートがアクミームを攻めて、ホサインが引き返した頃である。その情報はまだ届いていなかったが、ルシタニアが動いた以上ミスルはもう期待できない。
北進を、と進言され、蛇王は頷く前に一つ問うた。そこまで慌てて方針を変えようとするほど、アクターナ軍とは強いのか、と。
「人間の強さとは思えませぬ」
『尊師』の返答は、逆に蛇王の関心を買ったようである。面白いではないか。ならば逆にその軍を討ち滅ぼし、西の果てまで攻めこんでやろう。
「北に向かえ」
短く命じる。チュルク兵はそれに暗い表情で従った。従わなければ、自分だけでなく国に残してある家族まで化物の餌になる。
蛇王の方針転換により、九死に一生を拾ったのがカーラーンである。この時彼は、パルハームの領地であるハサに逃げ込んでいた。蛇王の軍が北に向かったと聞き、大きく息を吐いた。
カーラーンはアルスラーンとセイリオスが組んだことも、セイリオスが直ちにパルスに向けて進発したことも知らない。おそらく、ザンデが上手くやってくれた結果だろうと思った。
「よく、頑張った。まだ油断はできないが、敵は北に去ったという。それが確認出来たら、ここで少し休むことにしよう」
カーラーンの言葉に、難民たちもほっとする。蛇王に対する恐怖が足を動かしていたとはいえ、さすがに限界は見えていた。追ってくる者が無いと判れば、皆へたり込んで動けなくなるであろう。
とはいえ、カーラーンに休んでいる暇はない。すぐさま諜報を開始する。事態がどうなっているのかを知らなくては、次の動きも決めようがない。
まず蛇王の軍が本当に北に向かっていて、もう追ってこないか確認するのが最優先である。念入りに偵騎を出したが、どうやら嘘やこちらの油断を誘う策謀ではないようだ。
「我らなど、眼中になかったということだ」
パルハームが言う。狩猟のつもりだったのだろう。逃げ惑うのが面白いのかいつでも殺せると思っていたのか、追撃はゆっくりだった。そこに邪魔が入ったため、遊びを切り上げた。その程度のものだったのだろう。
しかし、そこまで急に方針を変えるとは、何が起こったのだろうか。当初は疑問しかなかったカーラーンであったが、アルスラーンがセイリオスを動かしたということを知ると納得すると同時に唖然とした。
「カーラーンよ、これからだが…」
危険が無いなら帰りたい、と言い出す者も多いだろう。しかしバダフシャーンにも偵察を出してみたところ、ヘルマンドス城は灰燼と化しているという。蛇王が略奪を欲しいままにした挙句火をかけたのだ。
ひとまずハサに逃げ込んだのはいいとして、このまま永久にハサ領でこの難民を養うのは無理である。領主であるパルハームは自領の国力を知っている。周辺の諸侯も、ヒルメスがいない現状、従うかどうか。
「やむを得まい。……アルスラーンに降伏するしか、あるまいよ。巻き込んでしまってすまぬな、パルハームよ」
ティグラネスは殺されなかった。赤子殺しをするような男ではないとは思っていたが、実際それを確認すると心底ほっとした。将来のことは判らないにしろ、現状とりあえずはこれで良い。
あとは、自分たちのことだが、そもそもあのアトロパテネ会戦が大敗北となった原因はカーラーンの裏切りだ。パルスを滅茶苦茶にした元凶として、許せない者も多いだろう。自分はどうなろうと、覚悟はある。
しかし、パルハームはヒルメスに忠誠を尽くしてきただけだ。パルスの現状について、彼に責任はないと言っていい。それでもアルスラーンとその臣下が、彼を許すかどうか。
「水臭い事を言うな。……今だから言うが、お前が陛下に仕えよと言ってきたとき、わしは嬉しかったのだ。平凡な万騎長でしかなかったわしを知り、買ってくれる人がいた、とな」
このハサで静かに朽ちていくだけの人生と比べたら、この数年は何と恵まれていたことか。カーラーンがいなければアンドラゴラスもアルスラーンも、パルハームの偉才に気付くことはなかったであろう。
「それにアルスラーンとて、一兵でも多く欲しいはずだ。蛇王討伐に加わろうとする者を斬るような馬鹿ではないさ」
ヒルメス軍の残党を組織してアルスラーン軍に加われば、すぐに斬られることはないとパルハームは読んでいる。その後のことは後で考えればよい。どうせ蛇王を倒さない限り、パルスも何もあったものではない。
「……うむ、その通りだ。今はとにかく蛇王をどうするべきか、か」
「合流しろだと?何様のつもりだ、蛇王とやらは」
俺は奴の臣下になった覚えはないぞ、と嘯くトゥラーン王イルテリシュに、ガズダハムは「蛇王様の命を軽んずるのか」といきり立つ。そのガズダハムの頭に、イルテリシュは槍の柄を振り下ろした。
「うるさい。まずは状況を説明しろ。納得できる理由があれば、行ってやる」
打たれた頭をさすりながら、ガズダハムはセイリオスが動いたことを説明する。まったくこの男は扱いにくい。蛇王ザッハークに対する敬意も恐怖もないのだから。
ガズダハムから恨みがましい目で見られたイルテリシュだが、彼にしてみれば元々近いうちにパルスに攻め込むつもりだったのだ。新王の威信を上げる手段として、軍事的成功が最も手っ取り早い。
だから蛇王のことなど知ったことではないし、あくまでトゥラーンはトゥラーン軍として戦うつもりであったが、セイリオスの名前は興味を引いた。
「セイリオスとやらの名前は知っている。パルスを散々に蹴散らした奴としてな。………面白い」
トゥラーン軍はダイラムからパルスの北東部を席巻し、略奪した財貨は満足いく量を得ている。しかしパルスの守備部隊は民衆を連れて山間の城塞に引き籠り、トゥラーン軍をやり過ごすだけだ。
このままトゥラーンに引き返してもいいのだが、せっかくパルスに出兵したのに略奪しただけではトゥラーン王として少し物足りない。やはり有力な敵軍と戦い、それを撃破してこそ。
「……よし、南に行ってやる」
パルス、ルシタニア、ヒルメスの残党、トゥラーン、チュルク、蛇王の魔軍。全ての軍が、一点に向かう。
「………」
地図の上で駒を動かしながら、この戦いはもう俺の手を離れた、と思ったのはナルサスである。もちろん考えうる限りの準備はしている。手を抜いた覚えはない。しかしそんな感慨に囚われてしまう。
アルスラーンがセイリオスと組むと決断した時、ナルサスがまず思ったのは「無理だ」であった。あのアクターナ軍を味方にする。軍略として最上の策であり、起死回生の一手となるのは疑いない。
しかし、セイリオスをどうやって動かせばいいのか。利で釣れる相手ではない。情に訴えても無駄だろう。ナルサスが諦めたそこを、アルスラーンは軽々と飛び越えて見せた。
「まずトゥラーン軍は、我らに任してもらおう」
軍議の席で、セイリオスは豪語した。彼の軍は5万5千である。トゥラーン軍は10万、伝統的に全てが騎兵だ。かつてのパルス軍でも難敵だと思う相手を、この男は歯牙にもかけていない。
シルセスとエスターシュの二人も、当然という顔をしている。パルスの諸将も反対はしなかった。できるものならやってみろという思いと、この男ならやるという思いが半ばしている。
「我らは蛇王のことだけを考えればよい」
アルスラーンもそう断言した。元々、いくら今回は共闘することになったとはいえ、連携など取れるはずないのだ。個々別々に戦うしかない。トゥラーンのことを考えなくて良くなっただけでも、儲けものだろう。
「記録を見ても、蛇王ザッハークが策を弄する存在ではないと思います。……力押し。自らの力で、敵を打ち砕く。味方の損害など、お構いなしに」
おそらく今回もチュルク軍と降伏あるいは略奪中に捕縛したパルス人の部隊を押し出し、その後ろに彼の眷属である魔軍の部隊が続く。駆け引きなど一切なく、ひたすらに押してくる。
「チュルク兵と殺し合いはしたくない」
アルスラーンが言う。人道的にどうこうという問題でなく、蛇王に与する人間は恐怖で動かされているだけだろう。蛇王が倒されれば逃げるはずだ。そんな相手に、無駄な損害を出したくない。
「万事、心得ています」
「………」
「あ、またびびってるのか?蛇の王だろうがドラゴンの王だろうが殿下が負けるはずねえだろ。殿下が勝つと言ったら勝つんだよ。……小隊長になったんだから、シャキッとしろや」
そうは言っても、とルクールは思う。今度の敵は蛇王だという。パルスを千年に亘って暗黒に沈めた、恐怖の象徴と意識に刷り込まれている。王族だろうが奴隷だろうが、パルス人ならそれは変わらない。
その潜在意識が消えないルクールにしてみれば、蛇王のことを知らないからそんな楽観的でいられるんだ、としか思えない。その不安を部下の兵士に見抜かれ、逆に叱られる羽目になった。
セイリオス率いるアクターナ軍は無敵である。ルクールもそれには同意する。しかしそれは、あくまで相手が『人間』の場合ではないのか。今度の相手は蛇王だ。人外の化物である。
パルス戦役にルシタニアの内乱を戦い抜いたルクールは、セイリオスの命で9人の配下を持つ小隊長になった。サハルードの時に自分が所属していた小隊だ。何かあれば子ども扱いされるのは変わってない。
本来、アクターナ軍の小隊長は小隊に属する10人の間で決める。セイリオスが出張るのは慣例違反だ。その特別扱いに対して、他の兵士が出した条件がこれだった。
「指示には従います。ですが、態度をどうするかは俺たちの好きにさせてください」
上司として敬って欲しいなら、俺たちを心服させてみろ。そう言ってきたのだ。と言っても不平不満は言われない。むしろ新米隊長を率先して盛り立てようとしてくれる。が、子ども扱いされるのだけは直らなかった。
「それより何だこれ?殿下から化物を相手にする際は使えと配布されたが、本当に効くのか?」
毒なのだろうが、人には無毒だという。嗅いでみても甘酸っぱいさわやかな香りで、芳香剤としてもいいかもしれない。こんなものが本当に化物に通じるのかという方が、パルス人でなければ気になるところだ。
「それは
ルクールの説明に、「こんなものがねえ」と相手はいぶかる。とは言っても最後の結論は決まっている。
「まあいいさ。殿下が使えと言ったのなら、何か意味はあるんだろ」
「………はぁ、どうしてそんなに楽観的でいられるのだろう」
アクターナ軍の兵士は、万事がこの調子だ。敵がイアルダボートの神だろうが蛇王ザッハークだろうが恐れもしない。遠目に見たパルス軍の悲壮さと比べれば、物見遊山にでも来たかのような気楽さである。
そう思ってぼそっと呟いた言葉が、相手に聞こえてしまったようだ。しかし、相手は気を害した振りも見せず言ってのけた。
「決まってるだろう。馬鹿だからだよ。俺は元々アクターナの貧民で、学も何もねえ。だから殿下を信じるだけなのよ。……なまじに頭のいい奴は、大変だよなあ」
頭がいい、などと言われるのは、ルクールにとって初めての経験である。何とも自分には似つかわしくないというか、的外れな評価であろう。
自分だって元々はパルスの奴隷だ。セイリオスに拾われて幸運にも教育を受けられる身となったが、所詮付け焼刃の学識しかない。
「そういう所は鈍いんだな。殿下は『ものになる』と思ったからいろいろ教えてるんだよ。あの方の目は鋭いぞ。そもそも、殿下が愚鈍な奴を傍に置くと思うか?」
将来は将軍にする気だろう。そして兵卒の気持ちを知る将として育てようと、一兵卒から順を追って育てているのだ。そう断言されて、ルクールは開いた口が塞がらなかった。それこそ的外れだとしか思えない。
「ま、楽しみにしていろ。殿下に付いて行けば、面白い人生になるだろうよ」
ルクール君の未来も決まっています。
…そう言えば彼の歳を書いていなかった(脳内設定で決まっていたので気にしてなかった)のですが、セイリオスに拾われた時15歳でアルスラーンより一つ上になります。