ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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54.その後の世界・パルスの行方

 蛇王軍の後軍が潰走した。これで残るは蛇王の軍の、半分のみ。しかもアルスラーンとセイリオスで挟撃する形になっている。

「パルスと蛇王の因縁に、今日で決着をつけるぞ!!!」

 アルスラーンの鼓舞に、兵は歓声で答えた。これなら蛇王ザッハークにも勝てる。歴史として語り継がれる瞬間にいる興奮が、蛇王に対する恐怖を上回った。

「俺たちはイスバニルで地獄の戦いを生き抜いたんだ!それに比べたら何でもないぞ!!!」

 兵士の誰かが叫んだ。アルスラーン軍のおよそ半分は、あの戦いを経験している。刻一刻と敗北に近付くだけの、上向くことのない絶望的な戦場だった。あれから見れば、今は勝てそうというだけでマシである。

 それは、蛇王にとっては計算外の事態であったと言える。自分の名を聞けば逃げ惑うはずのパルス兵が、果敢に立ち向かってくる。戦局の不利は認めるしかなかった。

 

「アルスラーンの孺子はどこだ!!!予こそ蛇王ザッハークであるぞ!」

 それでも蛇王は突き進む。その剛勇は、文字通り一騎当千の働きをしていた。その剛勇でもって、アルスラーンを一騎打ちで討ち取る。とても戦術と言えるものではないが、挽回するには最も簡単な方法でもある。

「蛇王、覚悟!!!」

 その蛇王に真っ先に剣を付けたのは、先陣を任されていたイスファーンであった。しかし勢い込んで斬り付けたはいいもの、その一撃は軽々と防がれる。

「………!!!」

 反撃の一撃を辛うじて捌いたものの、イスファーンの両手から肩まで衝撃が突き抜け、剣を弾き飛ばされた。とてもではないが、勝てる相手ではない。

 

 蛇王の二撃目。逃げるのも間に合わないと死を覚悟したイスファーンだが、蛇王はそこであらぬ方向に剣を振るう。キン、と金属の音がした。ジムサの吹き矢だ。その隙に、一目散に逃げ出す。

「あれは、まさしく化物だな」

 ジムサも乱戦に紛れ離れる。イスバニルで負った肩の怪我の後遺症で、左腕の動きが悪い。力も弱くなった。吹き矢筒は何とか持てるが、剣を扱うのは無理だ。右手だけで挑むのは無謀すぎる。

 

「ふん、カイ・ホスローの時代より、将士の質も落ちたものだ」

 イスファーンぐらいの使い手なら、あの時代にはいくらでもいた。こんな体たらくだから、ルシタニアに蹂躙されたのだ。そう嘯く蛇王の前に、一人の男が立ち塞がる。

「その言葉、『双刀将軍(ターヒール)』キシュワードが取り消させてやろう」

 ダリューン亡き今、パルス最強の武人と言えば彼に違いあるまい。蛇王も望むところの敵とばかりに、一騎打ちに応じる。キシュワードが出てきた以上、アルスラーンも近いはずだ。

 

 蛇王の武器は、人では到底振り回せないと思える大剣。キシュワードはもちろん愛用の双剣だ。なのに、蛇王はその大剣でもって、キシュワードに劣らぬ速さで斬撃を繰り出す。

「……ぐっ!」

 一撃の重さでは比較にならない。それでもキシュワードと蛇王の一騎打ちは、四十合に渡った。そこでキシュワードはわずかに笑みを浮かべる。その不自然の理由は、蛇王もすぐ察した。

「……貴様!」

 勿論勝てればそれに越したことはないが、勝てなくとも粘ればよい。蛇王の背後からはアクターナ軍が猛烈な勢いで押し込んできているのである。あの軍が到着すれば、いかに蛇王といえど、どうしようもあるまい。

 

 蛇王はキシュワードの双剣を弾き、これ以上は関わっていられないと馬を前に走らせる。早くアルスラーンを討ち取らねば。時間がない。

(―何故だ)

 何故、こうなった。デマヴァント山の地中に封じ込められている間も、地上の情勢は把握していた。パルスがルシタニアに蹂躙されたことも、当然知っている。それなのに、何故自分が窮地に立っている。

 歩を進めるごとに、自分の力が弱まるのを感じる。ルクナバードのせいだ。それでもこの最強の体であれば、アルスラーンを討ち取るなど容易いはず。まだ、間に合う。

 

「あれが、蛇王…」

 エラムが呟いた。黒い鎧の騎士が、ただ一騎で本陣目掛けて進んでくる。それに続く味方はいない。狂気としか言いようのない光景だろう。だが、その騎士の強さが脅威であるのも認める。

 本陣を移すべきではないか。後退して時間を稼ぎ、大勢で取り囲んで討ち取るのが最上の策のはずだ。そう言いたげなエラムに、アルスラーンは断言する。

「私が出る」

 耳を疑った。何もここで危険を冒す必要などない。同意を求めるためにエラムは師を見たが、ナルサスは無言で首を振った。

 

 アルスラーンが、蛇王に向かう。その存在に、蛇王も気付いた。剣はまぎれもなくルクナバード。アルスラーンで間違いない。

「貴様がアルスラーンか!」

「……もういい。お前には色々聞きたいことがあったが、もう喋るな。声が穢れる」

 アルスラーンが、馬を加速させる。蛇王はそれを迎え撃つ。アルスラーンの武芸も上達したが、蛇王の強さはまさしく化物。勝てるとは思えない。

 なのに、アルスラーンは何の策も無いように蛇王に向かう。蛇王にとっては格好の獲物。その剛力に任せて剣を振り下ろせば、アルスラーンを両断するだろう。どうなるのか、と周囲が固唾を呑んで見守る中―。

 

 蛇王の腕が、振り上げたところで停止した。

 アルスラーンはまるでそうなることが解っていたかのように懐に飛び込み、ルクナバードで蛇王の胸を貫いた。

 

 時間が停止したようだった。その中で、蛇王の体が馬上から消える。あの蛇王が、こうもあっさりと、まるで無造作に倒された。目に見た光景を信じられないと、誰もが思った。

「……う、うおわああああああ!!!!!!」

 大歓声が上がる。我らの王が、蛇王を倒したのである。その中でアルスラーンだけは静かに、蛇王の死体を見下ろしていた。その隣に、ナルサスとエラムが並ぶ。

 蛇王の死体は、徐々に溶けて泡立ちながら白い粘液と化していく。しかし、顔はまだ判別できた。落馬の際に兜が落ちた。アルスラーンは先程から、その顔だけを見つめている。

 

「死んでなお、陛下に忠義を尽くすか。……呆れた男だ」

 蛇王の腕が停止したのは、明らかに不自然だった。あれは、蛇王ではない誰かの意思によるものではないか。非科学的ながら、ナルサスはそう思う。

 蛇王という存在について、ナルサスは一つの仮説を考え出していた。蛇王ザッハークとは生まれたのではなく、何者かによって『造られた』のではないか、と。

 そして千年に渡って生きたというのも、肉体を単なる『部品』と見做し、古くなるたびに取り換えていたのではないか。であればこの時代、最上の『部品』としてこの男の肉体を選んだのも、納得できる。

 それが致命的な敗因になるとは、何とも皮肉な話だが……。

「……ありがとう、ダリューン」

 泡のせいかもしれない。アルスラーンにそう言われ、蛇王の口元が笑ったように見えた。

 

 

 蛇王はアルスラーンが討ち取った。眷族はアクターナ軍が粗方掃討した。残ったチュルク兵は散り散りに故郷を目指し、蛇王に従わされていたパルス人は全て降伏した。

 蛇王ザッハークの勢力は、ここに完全に壊滅した。いや、ただ二人残った魔導士がいる。その一人のガズダハムはイルテリシュに殴られ気絶した後、目を覚ました時にはすべてが終わっていたのである。

「……………」

 呆然自失としか言いようがない。気がついたら馬に縛り付けられて運ばれているところで、蛇王は死んだという。嘘だと否定しても、アルスラーンは生きている。時間が経つごとに認める他無くなった。

 

「お前、これからどうするんだ?」

 イルテリシュに問われ、ガズダハムは考え込んだ。蛇王も仲間ももういない。行く当てもない。仕方なくトゥラーンに留まることにした。トゥラーンを強大にすることでパルスの禍となれば、仲間の無念も少しは晴れるだろう。

 そう考えてイルテリシュに仕えている内、王に対しても直言を憚らぬ、とトゥラーン内でも認められていった。イルテリシュに対する敬意が薄かったというだけなのだが、それが逆に気に入られたのかもしれない。

 そして本人にとっては大いに不本意なことであるが、彼の名は蛇王に仕えた魔導士の一人より、トゥラーン王イルテリシュの側近として歴史に名を残すことになってしまうのである。

 

 一方、グルガーンのその後は知られていない。唯一判っているのは、戦後、セイリオスの前に現れた魔導士がいたというだけだ。その男は静かに、神はいるのか、と聞いたという。

「居ようが居まいが、この世を生きるのは人であろう」

 それがセイリオスの返答であった。それがグルガーンであったのは間違いないだろうが、そこから彼は全く姿を消してしまう。パルスの暗部で蛇王の復活のために生涯を捧げたとか、感銘を受けてセイリオスに仕えたとかいろいろ言われたが、真相は不明である。

 

 同じように姿を消した人として、カーラーンとイリーナ王妃がいる。

「ティグラネス殿を私の養子とする」

 蛇王との戦いが終わり、祝宴の席となったところでアルスラーンが宣言した。予想してないことではなかったが、いきなり断言されて全員が面食らった。

 しかし、その決定がイリーナ王妃に辛い決断をさせることに繋がった。普通であれば我が子の成長を希望として、母親として生きていく道があった。盲目の身でなければ、そうなったに違いない。

 目の見えない彼女では、近くに座っていることしかできない。母親としての立場は専らエステルが努めている。ティグラネスがはい出すようになると、その傾向は一層強くなった。

 それなら、いっそ自分などいない方がいいのではないだろうか。物心つくころからアルスラーンを父、エステルを母と思って生きていく方が、息子にとって良いのではないか。

 

 カーラーンも処分が曖昧のまま、放置されていた。甘いと言われても、アルスラーンは厳罰に処す気になれなかったのだ。蛇王討伐で浮かれているパルスの中で、彼への風当たりが軟化することを期待していたと思われる。

 しかし、カーラーンの方がそれを望んでいなかった。アルスラーンの温情は理解できても、自分が忠誠を尽くすのはヒルメスに対してだ。パルスでのうのうと生きていくわけにはいかない。

 ある日、書置きを一つ残して、忽然とイリーナ王妃とカーラーン、それにマルヤム時代からイリーナに仕えていた女官や騎士たちが、エクバターナから消えた。

 書置きを読んだアルスラーンは深いため息をつき、彼らを追わせようとはしなかった。それを見てはパルハームもアルスラーンに仕える気にはなれなかったのであろう。彼はハサの領主として、静かに一生を終える。

 

 そしてアルスラーンは、再びぼろぼろになったパルスの復興に、全力を注ぐことになる。

「……隙があると見れば、私がパルスを取る。せいぜい励め」

 セイリオスはそれだけ言って去って行った。去り行くアクターナ軍が地平線に消えるまで、アルスラーンはエクバターナの城壁の上からその姿を見送った。

 そしてこれが、二人の最後の会話になる。以後彼らは国交を閉ざしていたわけではないが、親書のやり取りもしなかった。ただ、互いに相手のことは逐一調べさせていたらしい。

 パルスとルシタニアが再び争うことも、アルスラーンの代にはなかった。どちらも国境の防備を固めるだけで、相手の領土に踏み入ろうとはしなかった。

 

 その間にシンドゥラは、ちゃっかりと漁夫の利を得る。王が居なくなったチュルクに軍を進め、そこを占領してしまったのだ。とはいえパルスにとっては、決して悪いとは言えない。

「東方の国境の多くをシンドゥラと接することになりました。かの国との同盟を維持できれば、東方の守兵を減らせます」

 勿論ラジェンドラ王が何か仕掛けてくるなら、きつい灸を据えてやる。ナルサスは言外にそう言い、油断することは無かった。

 ラジェンドラは一代で領土を大きく広げ、経済でもルシタニアにまで香辛料を輸出して大いに儲け、シンドゥラを発展させたため『大王』と尊称されたものの、西方に領土を広げることはできずに終わる。

 

 アルスラーンは蛇王の恐怖からパルスを解放したということで『解放王』と尊称される。パルスの復興が進み経済が回り始めて、庶民の人気も得た。不満を持つ者がいなかったわけではないが、治世は安定していた。

 彼の死はパルス歴360年8月、54歳の誕生日を迎える僅か一月前のことになる。パルス王としての在位は38年と11ヵ月。パルスの復興に費やされた生涯であった。

 

 『解放王』は生涯、正式に結婚することはなかった。実質的にエステルが妻としての役割を果たしていくが、この二人はベッドを共にしたことも無く、それでいて深く結びついていた二人だったという。

 蛇王戦後、ドン・リカルド卿はルシタニアに帰ったが、彼女は「まだ借りが残っている」と言い、パルスに留まった。ルシタニアの領地はバルカシオン伯の遺族に譲渡してしまったらしい。

 彼女の死は、アルスラーンの二月前になる。彼女も54歳の誕生日を迎える一月前に世を去ったことになる。何か因縁を感じた者も多かっただろう。

 40年近く、アルスラーンの心を支えてくれた女性であったことは、間違いない。

 

 アルスラーンの死後、パルスはティグラネスが継いだ。先王の養子であり、旧王家の血も引く。正統性という面では申し分ないであろう。年齢は38歳を迎える直前。アルスラーンの補佐をしてきて、実績も充分。

 解放王に続きパルスは名君を得た、と思った人は多かったに違いない。実際ティグラネスは名君と断言して差し支えない王だった。ただ、この時、彼はルクナバードを抜けなかったのである。

 

「ルクナバードを抜けないのは何故か。それでも私はお前に王位を継がせることにした。その理由を、よく考えよ」

 ルクナバードを抜けない、と言っても、他に抜けた者がいるわけでもない。ティグラネスが継ぐのは妥当であったのだが、アルスラーンの言葉にはそれだけではない重みがある。

 何故なのか。自分が養父に劣っているからだ、とは思う。何しろパルスの厄災であった蛇王を討ち取った男である。こののち、パルスの伝説となる存在であろう。

 その伝説に勝るとなると、その伝説が成せなかったことをするしかない。すなわちルシタニアに奪われたパルス西部の奪還である。アルスラーンは決して、ルシタニアと戦おうとしなかったのだ。

 ただ、それだけならティグラネスも開戦までは決断できなかったであろう。何しろルシタニアにはあのセイリオスがいる。『軍神帝』ある限り、ルシタニアに勝てるとはとても思えなかった。

 

 ―しかし、パルス歴360年、アルスラーンと同じ年に、セイリオスも世を去るのである。

 




ダリューンを殺したのはあのイスバニルの涙と、このためです。
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