ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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8.エクバターナ宗教戦争

 セイリオスが、オクサスを囲んでいた頃のことである。エクバターナで、奇怪としか言いようのない事件が起きた。

「地面から、剣を持った腕が生えていた?」

 酔っぱらいの見間違いではないか。報告を受けてまず、ギスカールはそう思った。しかし証言者は複数、酔っていたとはいえ内容は一致、何より2名の犠牲者は巌とした現実である。

 2名の犠牲者のうち、一人は下腹部を斬られ、もう一人は両足切断。どちらも死亡が確認された。医師にはパルスの医療技術を学ばせているが、手の施しようなどない裂傷だった。

 切り口から、得物は短剣だと解った。しかし、地面すれすれから斬りつけたような太刀筋なのだ。地面から突き出た腕という証言と、確かに一致はする。

 

 さて、問題となったのは、下腹部を斬られた男の方である。

(ペデラウス伯か)

 ギスカールが舌打ちする。別に彼の才覚が惜しいわけではない。邪魔者の一人で、むしろ喜ばしい事と言っていい。問題は、彼が教会の司教でもあったということである。

(ボダンの奴め、もう来ておる。素早いことだ)

 兄に余計なことを吹き込まぬうちに、と思っていたギスカールの目論見は、政略も何も無視した速攻によって脆くも崩れた。

 

「ペデラウス伯は宮廷の重臣であるが、教会の司教でもあった。神の御名において、まずは異教徒一万人の命を持って、その死を償わせねばならん」

 ボダンは、パルス人を一万人火刑に処すべきと主張した。しかも構成に偏りがあってはならない、男女を半々、年齢は赤ん坊、子供、青年、中年、老人と分類し、それぞれ2千人ずつとする、と言う。

「………もはや、狂信者というより狂人だな」

 陶酔したように語るボダンには、ギスカールの呟きは聞こえなかったようだ。隣のモンフェラートは青ざめている。そんなことをすれば、憎しみが10倍となって跳ね返ってくるだけではないか。

 まず、伯爵殺しの犯人を捕らえるべきだ。その犯人の処罰については是非もない、ボダンに一任してもいい。とにかく、一万人の火刑などという愚行だけは止めねばならない。

 

「いいや火刑じゃ!三弟のような生ぬるいやり方では、邪教徒がはびこるのみ!!!天上の栄光のためにも、断固たる処置を取らねばならん!!!!!!」

 三弟、つまりセイリオスの名前が出て、ギスカールに名案が浮かんだ。何故セイリオスが寛容に徹しているのか、ボダンには全く理解できていない。それなら、確実に罠にはまる。

「大司教には我が国の状況を、もう少し理解していただきたいものですな。パルスの全人口は2000万。そのうち一割が蜂起したとしても、200万の大勢になる。対して我らは30万」

「異教徒が何百万集まろうと、何を恐れることがあろう!!!神のご加護を受けた聖なる戦士ならば、一人で百人の異教徒を打倒すことができよう!!!!」

「……………では、大司教に実例を見せてもらいましょうか」

 狙い通り。ギスカールの冷えた声に、ボダンの体が固まった。

 

「なんと………、申されたか?」

 先ほどまで灼熱のようだったボダンの声も、一気に冷めた。ギスカールの言うことは単純である。パルス人一万人を集める。それを、聖職者百人で打倒して見せてくれ、というのだ。

「兵にできる事であれば、より信心深き聖職者なら容易いことでござろう。……ああ、刃物を持つのは禁忌でしたな。それが大司教のご懸念か。武器は棒で充分でしょう」

 打倒した後で火刑に処した方が、より神の威光を示すことになろう。そこまで言われ、ボダンの顔が急激に青くなった。他人にやらせるのなら何とでも言える。だが、自分でやればどうなるか。

 

「………」

 返答に詰まったボダンに、ギスカールがにやりと笑う。いい様だ。いつもいつも、好き勝手言って他人に迷惑を押し付けるだけなのだ。たまには自分で苦労しやがれ。

「……まあ準備する時間も必要でしょうな。5日もあればパルス人も集められるでしょう」

 揶揄するように言うギスカールに対し、ボダンの目が鋭く光った。自分自身は気付かなかったようだ。魂胆など見え透いている。この場を切り抜けるには、5日以内にギスカールを打倒するしかない。

 すなわち、軍事力によるクーデター。聖堂騎士団を中心に教会の権力を使い軍勢を集め、エクバターナを制圧する。

「……モンフェラート、ボードワン、すぐさま戦備を固めろ。それとセイリオスに急使を出せ」

 ボダンが足音荒く立ち去った後、ギスカールは最も信頼する二人の将軍に指示を出した。

 ちなみにモンフェラートは、セイリオスがいなくなるのでザーブル城から呼び寄せたのである。いきなりこれで、彼にとっては災難であろう。

 

「ギスカールよ、大丈夫であろうかの?」

 諸事に鈍いイノケンティス王ではあるが、ギスカールとボダンの仲が一触即発であるということは、さすがに理解したらしい。

 そしてタハミーネの件以来、イノケンティスはボダンと距離を置くようになった。その分ギスカールとセイリオスの二人の弟に近くなって、色々やり易くなったが、面倒が増えたのも事実だ。

「………なに、心配いりませんよ。あのような神の名を騙るだけの男に、負けるはずありませぬ」

 そうだ、この俺がボダンごときに負けるはずない。そう、ギスカールは自分に言い聞かせた。

 

「ヒルティゴ殿よ、今度ばかりは見過ごすわけにはいかぬ。神を敬わぬ不逞の輩、いや背教者には、神罰を下さねばならぬのじゃ」

 神罰なら人の手を煩わせることなく、神がすでに示しているはずだ。セイリオスならそう言ったはずの言葉である。ボダンはそれに気付く理性がなく、ヒルティゴには余裕がなかった。

 ボダンは退室するやヒルティゴを呼び、聖堂騎士団を率いて宮殿を制圧するよう命じた。政略も何もない、ただの怒りの暴発に過ぎない。

 

「………」

 ヒルティゴは明らかにひるんだ。セイリオスのアクターナ軍が不在の現状が、蜂起するなら絶好の機会であろう。

 しかし、イノケンティスとギスカールを倒したとしても、その後はどうなるか。反ボダンの勢力を結集してセイリオスが攻め込んでくる。ボダンがそれに勝てるかと考えると、はなはだ心許ない。

「大司教猊下、まずは与党を固めることが喫緊でござろう。私は聖堂騎士団を纏めてきましょう」

 エクバターナを制圧するだけなら、ここは即座に蜂起するのが正しい。ヒルティゴはボダンを見限ったのである。ボダンの前を辞すると、その足でギスカールの元に駆け込んだ。

 

「国王を廃し、幼少の王族を傀儡に立てようとする…。兄者、ボダンの反逆は明らかですぞ」

 大司教から解任し、反逆者として追討すべきである。ギスカールの上奏にイノケンティスは困惑した。司教の任命権は教会にあり、王室にはない。

 前例がないことをする勇気が持てなかったが、次にギスカールが耳元でささやいた言葉が、彼を突き動かした。

「……ボダンがいなくなれば、タハミーネとの結婚に反対する声はぐっと小さくなりましょう」

 

「教会を私物化し、王家を意のままにし、己一人が権勢を握らんとする大司教の叛意は明らかになった。ルシタニア国王として、断固これを討つ!」

 即答であった。すぐさま軍に布告が飛ぶ。ボダンと聖堂騎士団は逆に先手を取られた。しかし、ルシタニア軍の方も万全ではない。いきなり教会と戦えと言われて、困惑の中で武器を持たされたのだ。

 結果として、聖堂騎士団はほぼ無傷で城外へ遁走した。ボダンもその中に入っている。彼は城外の安全なところまで逃げ延びた後で、城壁に向かって呪詛と罵声を投げつけた。

 

「おのれおのれおのれおのれ…。神と聖職者をないがしろにする背教者どもめ、必ずや地獄の業火に焼き尽くしてくれるぞ」

 怒りのあまり、頭の血管が四、五本は切れたであろう。ヒルティゴが裏切ったというのが、その怒りに油を注いだ。

 しかし、しばらくすると彼の機嫌は一変した。ギスカールに冷遇されていた貴族や、やはり教会とは戦えないと考える兵が逃げてきたのだ。

 ギスカールは不穏分子を、抱え込むより解き放つ道を選んだ。寛容ではなく、内通の危険を除くためだ。もちろんボダンに付け込まれないよう、反対側の城門から追い出したのである。

 だがボダンがそんなことに気付くはずもない。彼は単純に、イアルダボート神の威光と考えた。10万近くに膨れ上がった軍勢を見た彼は、迷うことなくエクバターナの攻囲を開始した。

 神の軍勢が負けるはずないという自信と、イアルダボートの神旗だけは何としても取り返さなければならなかったからである。

 

 ……のちのことを考えれば、ここは10万の軍事力を擁したまま逃げるべきであった。エクバターナの守兵は20万。本当に戦意があるのは一握りであるが、それでも攻囲戦に持ち込むのは無謀極まる。

 ましてや、ボダンたちは着の身着のままで逃げてきたようなものである。兵糧も不足だし攻城兵器など全くない。肉弾特攻で落とせるような城ではないのにも関わらず、ボダンはそれを理解しない。

「信心が足りぬからじゃ!!!神のご加護があれば、矢など当たるはずもない!!!何としても城壁を乗り越え、背教者どもを地獄へ叩き落とすのじゃ!!!!!」

 いくら苦戦を訴えようが、言われることはそれだけである。兵も指揮官である貴族も、ボダンに味方したことを後悔した。だがもう遅い。

 

 一方、城内ではギスカールが着々と手を打っていた。

「ルシタニア国王の名において教会に対し、ボダン大司教の解任を勧告し、新たな大司教を推薦する」

 勧告とか推薦とか言っているが、実質的には命令である。今までなら突っぱねられること確実であったが、教会側はそれを呑んだ。反対すればボダンの一味として処刑されることが明白だったからだ。

 ギスカールが推薦したのは、エンゲルベルトという、モンフェラートの叔父にあたる男であった。神学への造詣の深さはルシタニアでも随一で、それだけなら大司教たるにふさわしい。

 だが、学問で人格を練り上げた知識人らしく穏健な性格で、当然ボダンとは水と油の関係であった。モンフェラートがルシタニア一の高潔な騎士と言われるようになったのは、彼の影響が大きい。

 ちなみにモンフェラートには弟がいて、彼は叔父を見習ってほしいと弟を聖職者としたのだが、ボダンに心酔して聖堂騎士団に入ってしまった。引きずってでも連れ戻さねば、と内心誓っている。

 

 エンゲルベルトの就任を教会が呑んだことで、ボダンの正統性はなくなった。名目上では、背教者と弾劾されるのは彼の方である。ボダンにとってはこれ以上ない侮辱であろう。

 次いで、ボダンに味方した貴族の爵位と領地の没収。その上で、ギスカールはそれを自分の息のかかった者たちに分配してしまった。

「これでいい。五日や十日でこの城が落ちるはずはない」

 怖いのは内通だけだが、大方は排除してある。戦局はこちらが有利なのだから、日和見の連中がボダンに傾くという可能性も低い。十日は、間違いなく耐えきれる。

 そして五日も耐えれば、勝ちが決定する。ボダンには、目の前のことしか見えないのだろうか。

 

 五日が過ぎた。ボダンは籠城するギスカールを誘い出そうと、彼なりに知恵を尽くしてあれこれ手を打ってみたが、全く乗ってくる気配がない。

「あんな見え透いた誘いに、引っかかる俺だとでも思ってるのか」

 ギスカールにしてみればボダンの考える策など、子供の戦遊びに等しい。足掻く姿を見て笑っていればいいのである。

 だが、その子供の浅はかさが、大きな事態を引き起こした。ボダンは軍に命じて、北方の用水路を破壊してしまったのだ。

 この用水路はエクバターナに水を供給する大動脈で、流れ出た水は北の農耕地を泥濘と変えてしまった。さらに春先から夏にかけて水の使用量が増える季節になれば、深刻な水不足が発生する。

 水が不足する、となれば、さすがにギスカールも慌てると考えたのだろう。戦術的な意図だけであれば、着眼点は悪いものではなかったが…。

 

「ふん」

 ギスカールは動じない。エクバターナは仮寝の宿だ。真に確保すべきは、パルスの富と知識である。水不足とて今日明日の問題ではない。平然と、今日の夕食にした。

 基本的に、調理技術においてもパルスはルシタニアより数段洗練されている。ルシタニア料理は量はともかく味は散々だ。料理人にはパルスの料理を学ばせ、ルシタニア風にアレンジせよと命じた。

 その甲斐あってか、最近は食事が大きな楽しみになっている。兵たちの評判も上々だ。逆にボダン軍は、相も変わらず散々な食事のことであろう。量も満足できるものではないはずだ。

「まあ、明日か明後日にはもっと悲惨になるだろう。今日のうちに食えるだけ食っておくことだな」

 

 翌黎明、空腹に耐え眠り込んでいたボダン軍の夢を破ったのは、馬蹄の音であった。騎馬隊が日の出と同時に突っ込んできたのである。先頭を駆けるのは、大剣を振り回す勇将。アクターナ軍のクラッドだ。

「ボダンの野郎は、どこだー!!!」

 ボダンは聖堂騎士団を自分の親衛隊として、後方に置いていた。それがまた士気を下げる一因であったのだが、とにかく後方にいた聖堂騎士団が、真っ先にアクターナ軍に蹂躙されることになった。

 

「セイリオス殿下だ!!!」

 後方にいたくせに、聖堂騎士団は後背の備えを全くしていなかった。実は騎馬隊の5千だけが駆けてきたのだが、まだ夜が明けきらぬ暗さと混乱の中、気付く者は誰もいない。

「よし、今だ!!!全軍で撃って出る!!!」

 ギスカールは、弟なら必ずそうすると確信していた。襲撃が今日か明日になるのも予想していた。念のため昨日からまだ暗いうちに兵を起こし、朝食も済ませるようにしておいたのだ。

 

「ギスカールよ、我が愛する弟よ。ここは、予も出るぞ」

 予定外だったのは、なんとイノケンティス王が完全武装で陣頭に立とうというのだ。だが、どうにも役者不足は否めない。でっぷり肥えたイノケンティスに、鎧姿は全く似合わないのである。

「………。では、号令を」

 ギスカールは城門の上から「突撃!」の合図だけ叫ばせることにした。まあ多少士気を上げる効果はあったであろう。

 後方からアクターナ軍の襲撃、前方からギスカール軍の出撃。浮足立ったボダン軍はろくに抵抗もできず潰走した。ギスカールの圧勝である。

 

 エクバターナの城壁下は、武器を捨て降伏する兵で満ちた。だがその中にも、討ち取った首の中にもボダンの物はない。

「逃げ足の速い坊主だ」

 ちっと舌打ちしたギスカールだが、まあいい。ボダンが復権することは、もはやない。目の上の瘤だった教会の頭を押さえることにも成功した。

 ルシタニアは、これで生まれ変わるだろう。冷え切ったはずの自分の心が騒いでいることに、ギスカールは気付いた。

 




ギスカール大活躍の今回。原作でも、このくらいはやって欲しかったところです。

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