八月二一日、久しぶりに中学校へ行き、剣道場の掃除をする。
胴着を陰干ししていると、富山がふらりと現れ、いかにも挙動不審という様子だ。
富山の郷里は埼玉、千冬は神奈川県民。
Tシャツにハーフパンツという出で立ちの彼女に学校案内を申し出る。
二時間ほど時間を潰して別れた。
軽トラックのエンジン音。
時速は六〇キロと山路にしては高速なので、最高速度の標識は四〇の道では立派な道交法違反になる。
目の前が砂埃だらけだった。残暑で汗だくになった千冬が咳き込む。
自宅に帰り、学校の宿題を取りに帰る。
弟を人の良い大家にあずけて篠ノ之神社へ向かう。
長い石段を登ってひと休みしようと足を止めた。
木陰を見つけて腰を下ろし、眼下の街並みを眺めた。
貨車が勢いよく走って行く。鳩とカラスが飛んでいる。猛禽類が空中を旋回し、間延びした独特の鳴き声が響いた。
神社に着くと、作務衣に着替えた富山と束が話し込んでいた。
どうやら最寄り駅で配っていた海浜公園のチラシを肴に、あーでもない、こーでもないと相談しているようだ。
「あした、みんなで行けばいいじゃないか。もうすぐ夏休みが終わるんだし、ちょっとぐらい構わないんじゃないか?」
千冬が背後に回り込んで言うと、びっくりした束がうろんな目を向けてきた。
「問題があるんだよね」
「問題? へえ……言ってみろよ」
「ちーちゃんだよ。束さんは知ってるよ。君の宿題が終わってないってこと」
千冬は弱い声で笑った。
そう。宿題はまったくの手つかずだ。
毎年長期休暇の終わりになると、束の宿題を全部写すのが慣例になっている。
束が言いたいのは、自分でやれ、という話である。
千冬はいつも通り抗議したが、今回にかぎって折れてくれない。
そのうち、生瀬と加藤が日傘とパソコンバッグを抱えて現れた。
束はふたりにも事情を説明した。
「お前ら、宿題はどうしたんだ。やってるところなんて見てないぞ」
「……これ」
生瀬が持っていた伝票を渡す。
郵便小包の領収書だった。送り主欄に先日ゴミ焼却施設が爆発した街の名前が書かれている。
送り先が違うものの、加藤も似たような伝票を持っていた。
(まさか学校の宿題を持参してくるなんて……)
千冬は考えもしなかった。
それゆえ、富山たちのすっきりした表情が輝いて見えた。
「キャリーケースと初日に配った小包……」
「私たちが遊べるかどうかは、ちーちゃんのやる気にかかってるんだ」
さらに束は先日書いた念書をちらつかせてきた。どうやら千冬に拒否権はないようだ。
三〇日、千冬は穏やかな水面に光を失った瞳を向けながら、浜辺までの道のりをぼんやりと歩いた。
「終わった・終わった・終わった・終わった……」
「さあてインフィニット・ストラトスの水密試験をしようかな。束さんは夜なべしてこんなものを作ってみました」
千冬は形だけうなずく。
束がゴルフバッグから双胴式のモータージェット船を取りだす。
アンテナマストを固定し、コントローラのバッテリーが満充電になっているか確かめる。
パソコンを起動してGPSとの通信を確認。生瀬たちへ持参した段ボール箱の梱包を解くように合図を送る。
「今回は短距離ジョウントを試します」
昨日、束は八着目のスーツにISコア搭載作業を実施した。
事故防止のためシールドバリアの出力を最大に設定してある。
裏側にパッキンを取り付けた蓋を開けて、ケーブルでパソコンとをつなぐ。
束と富山がカスタマイズしたという
黒いターミナルにコマンドを打ちこむ。
その横で千冬は、さんさんと輝く砂浜と押し寄せる小波を見つめるうちに、生気を取り戻す。
足を引っかけないようケーブルをまたぎ、作業にいそしんでいた束を呼ぶ。
「なあ束」
「今、忙しいんだよ」
千冬は無視して続けた。
「例の長距離量子通信を試せばいいじゃないか。パソコンなんていらないんだって束が言っていたろ」
「ISコア間の量子通信はできるけど、インターフェースが作りかけなんだ。
バグって精神だけジョウントしたら大変だよ。
ちーちゃん。人間の
千冬は深く考えず頭を指さす。
束は深くうなずき、親指を立てて首のあたりでまっすぐ横に動かした。
インフィニット・ストラトスは別次元に構築した物流システムを利用して物の出し入れを行う。
別次元の物流システムを利用するためには、まずISコアを介して生体情報を記録する。
記録した情報にタグ付けを行い、外から情報を取り出せるようにするのだ。
量子化により物を格納する際、物流システムはタグを読みに行き、最初に記録した状態との差分確認を行う。
このとき損傷が認められると時間軸を巻き戻す。千冬たちの世界では見た目上は治療・修復となる。
「インターフェースが未熟だから頭だけ格納されちゃうんだよ。
シミュレーションしたら頭が消えちゃったのさ。
やってみて、元に戻そうとするけど肝心の身体がダメになってる。
頭が消えたら、人は死んじゃうでしょ」
「……おい」
砂浜に波打ち音が絶えず立ち続ける。
後ずさりした千冬は地平線の向こうに目をこらした。
タンカーが汽笛を鳴らしている。
リモコンモータージェット船に待機形態へ転じたインフィニット・ストラトスを設置する。
GPS装置と周波数発信器を取り付け、念入りに防水対策を加える。
船を浅瀬に浮かべ、束はスマートフォンのストラップを首にかけた。
千冬が時計を読み上げる。秒針がゼロになった。
「モーター始動!」
三〇秒が経過する。
「進路〇三〇、距離二キロメートル、短距離転移開始!」
束がスマートフォンの画面に触れると、船が消失した。
すぐさまパソコンへ駆け戻る。
沖合3Kmの地点に船があるとGPSが知らせてくれた。
1Kmほど誤差が出たが、一応は成功だ。千冬以外の面々はうれしさのあまり飛び跳ねる。
千冬は、ちょっと信じられない思いで再び地平線を見つめたまま立ちつくした。ふと重要なことを思いだした。
「なあ、どうやって回収するんだ?」
その場の一同が互いに顔を見合わせる。みんな往路のことばかり考えて復路のことを忘れていたのである。
三一日、GPS装置の輝点を確かめる。
ISコアは潮流に乗って洋上を漂っており、東へ向けて移動しているようだ。
もし漁船が通りかかったとしても小さな船だから見落とす公算が高い。
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