TSっ娘が悲惨な未来を変えようと頑張る話   作:生クラゲ

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プロローグ
時の悪魔


「楽しかったよな」

 

 彼女は、僕の目を真っすぐに見据えそう言った。

 

「落とし穴につまみ食い、木登りに魚釣り、弦楽祭に収穫祭。短い人生だったけど、今までずっと一緒に過ごしてきたアンタは私の友人だと思ってた」

 

 軽い口調で、朗らかな表情で、声に何の抑揚も乗せず。リーゼは、僕の初恋の人は、静かに僕の瞳を覗き込んだ。

 

「……なぁ。いくら友人でもさ、アンタにどんな事情があったとしてもさ」

 

 一方で僕は、そんなリーゼの瞳を直視できない。

 

 直視できるはずもない。だって、彼女はこれから─────

 

 

 

 

 

 

「─────流石に怨むよ、これは」

 

 

 

 

 

 

 シャ。

 

 無機質な音を立てて、彼女の後ろに立つ男が剣を鞘から抜き放つ。

 

「本当に? 本当に殺る気かよ、お前」

「……」

「何とか言え。何か言ってみろよ、ポッド!!!」

 

 全身を縄で縛られ、背後に立つ男に剣を首元に添えられて。リーゼは、涙を目に浮かべ僕を睨みつける。

 

「ポッド、もうお前はそっち側の人間なんだな!! 権力をかさに、私ら平民を好き放題出来るって思ってんだな!」

「……」

「所詮は貴族か、家が大事か!! 友達より、村のみんなより、自分の権力が大事なのか!!」

「……」

「恨む、怨む、怨んでやる!! ポッド、お前は地獄に落ちて死後も永遠に苦しめ!! 一度でもお前の事を友人と思った自分が恥ずかしい!!」

「……っ」

 

 彼女は、反乱を企てた。だから今日、処刑台に連れてこられ『村長』である僕の目の前で処刑される。

 

 乱を企てる農民の処遇はすなわち、死刑。権力側がどれほど間違った事をしていたとしても、殺されるのは常に力無き民なのだ。

 

 彼女が、余計な『考え』を持たなければこんなことにならずに済んだ。僕は悪くない、不穏な考えを持った彼女が悪いんだ。だからこれは、リーゼの自業自得。

 

 ─────自業自得。

 

「この、村の裏切り者!!!」

 

 その金切り声を断末魔に、リーゼは胸元にブスリと剣を突き立てられ。血反吐を吐き散らしながら、ゆっくりと目が上転し。

 

「呪って、や、る……」

 

 やがて、動かなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕の名前はポッドと言う。年はまだ二十歳を超えただけの若造だが、下級貴族であり村長でもあった父が3年前に死んで、その役割を受け継いだ。

 

 下級貴族と言っても、僕の父の立場は農民に近い。王宮に出入りを許されておらず、領地を持たされてもいない名ばかりの貴族。辺境の小さな集落で『村長』の役割を任されているだけの、まさに底辺オブ底辺な貴族だった。

 

 だから、父は変な貴族らしいプライドを持っておらず。その息子である僕も村の子供と一緒に泥遊びをして過ごすくらいに、父は庶民的な貴族だった。

 

「ポッド。お前は村のリーダーになる必要はない」

 

 流行り病で床に伏せった父が、最期に僕に残した言葉はこれだった。

 

「村の意見を纏めて、それをお上につなぐ役目がお前なんだ。分からないことが有れば、年上の……例えばレイゼイ爺さんだとか、その辺りによく相談しろ。貴族だからえらいだとか、間違ってもそんな妄想に取り憑かれるな」

「父さん……。分かりました」

「よし」

 

 その父の言葉をよく聞いた僕は、村の年寄りたちからよく話を聞いて仕事を行った。

 

 税収、民の移住、商業の売り上げ、そして民からの要望。それらを領主に報告するのが、僕の年に一度の役割だった。

 

 報告する内容や書類についても、全て相談して話し合って決めた。父の代から、会合を開き相談内容を決定するのは変わらないらしい。

 

「お前の父は立派だったから、ポッドも立派な村長になれるさ」

「本当ですか、レイゼイさん」

「無論だとも」

 

 この時僕は、村の一員として認められていた。何せ彼ら農民の子と共に、貴族である僕が泥まみれで遊びまわっていたのだ。僕が貴族と認識されることの方が珍しかったし、僕自身も農民と貴族の違いが良く分かっていなかった。

 

「やっと仕事が終わったのかポッド。飲みに行こうぜ」

「ポッドー、よくあんな偏屈爺さんに囲まれて息が詰まらねえな。私にはマジで村長無理だわ」

「リーゼは元々、頭脳労働に向いてない……かも?」

 

 その、僕と一緒に泥だらけになって遊びまわった幼馴染たち。その中で、美しい長髪の明るい少女リーゼに、僕は恋をしていた。

 

 父は別に身分の違いを気にしない。貴族同士での結婚を強いることもない。

 

 だからその気になれば、僕は村長命令としてリーゼを娶る事も出来た、のだが……。

 

「何だよ、人を馬鹿にして。ラルフ、何とかいってよ」

「……いや、リーゼは馬鹿なのは否定できない。俺はリーゼを愛しているが、仲間に嘘だけはつけないんだ」

「おうコラ、喧嘩なら買うぞラルフ」

 

 リーゼには、もう好きな人がいて。それをうっすら察していた僕は、誰に想いを悟らせぬままにリーゼの結婚を祝福したのだった。

 

 好きな人には、幸せでいて欲しいから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕が父から『村長』を受け継いで2年。

 

 村の老人に助けてもらいながら、僕は何とか村長の仕事をこなしていった。実際、そこそこに上手くやれていたと思う。

 

 大きなミスもせず、領主様の機嫌を損ねることも無く。そんな、平穏な日々が続いていたある日。

 

 

 

「領主様が、倒れられたらしい」

「跡継ぎは、まだ19歳の長男だとか」

「……おいおい」

 

 まだ2回ほどしか顔を合わせたことの無い、領主の訃報が村に届けられた。聞くと、僕の父と同じ流行病らしい。

 

 もうすぐ特効薬が開発されるらしいが、間に合わなかった様だ。

 

「もう、結構な年だったしな」

 

 死んだ領主は50近く見えた。老けていただけかもしれないが、20代半ばで死ぬことも多い今のご時世ではそこそこに大往生と言えるだろう。

 

 跡継ぎの年齢が若すぎてやや不安ではあるが、きっとこれからも大きな違いはあるまい。

 

 その時は、勝手にそう思い込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「久しいな、村の長ポッドよ。改めて名乗ろう、俺はフォン・イブリーフ。この州の新たなる領主となった男だ」

 

 その、新たな領主に年に一度の報告に行った際。僕達の村の、全てが壊される事になった。

 

 この男は視察として僕達の村に来たことがあるらしく、僕の名前も覚えられていた。……そういえば記憶の彼方、貴族がレイゼイ爺さん達の家に話をしに来たことがあった気がする。その時だろうか。

 

「俺が治めることになったからには、今までの様な怠惰な生活は認めない。農民共を発奮させ、よりこの州を発展させてやる」

「……具体的には」

「開墾せよ。生産力の増多こそ、国の発展と同義である」

 

 そして。そのフォン・イブリーフと言う男は今までの領主と違い、限りなく上昇志向だった。

 

「ポッドよ、貴様の村に周知せよ。貴様らの現在の農地面積の、1割の田畑開墾を命ず」

「1割ですか!? は、はあ。ですが誰が開墾し、そして増えた畑を耕すのですか? 移民でもいるので?」

「貴様らだ。1割ほど忙しくなったところで、人間は死にはしない。貴様らの集落が、人口増加傾向にあるのも知っている。好きに村民に仕事を割り振れ」

 

 随分と気軽に言ってくれる。田畑が拡大するのは悪い事ではないが、開墾がどれだけ大変な作業か理解しているのだろうか?

 

 僕達の集落も100年単位の長い時間をかけ、少しづつ開墾を進めてきた。そして、今の田畑面積となっているのに……、たった1年で1割も?

 

 ただでさえ忙しい農作業の間にそんな事をしたら、過労死する人が出てくるかもしれない。なんとか、この命令は撤回して貰わないと。

 

「領主様。お言葉ですが、それはわが村の人手的に厳しいかと」

「他の村では、同じ内容の課題をやってのけると言った。お前らは出来なくて、その村が出来る理由はなんだ?」

「人手の違いでしょう」

「違うな。お前は出来ないと決めてかかって、諦めているだけだ。貴様らの村が周囲と比べても良く発展しているのは知っている、むしろ人手は多いはずだ。あまり怠惰なことを抜かすと、この場で首を切り落とすぞ」

 

 ちゃきん、と領主は剣を抜く。その眼は鋭く、構えた剣には小さな血錆が付いている。

 

 ……本気だ。この男、本気でさっきの命令を断れば僕を切り殺すだろう。

 

 なるほど、だから、他の村も今みたいな無茶な課題を受け入れたのか。くそったれ。

 

「……わ、分かりました。村で相談してみます」

「ほら、出来るのだろう。ならば最初からそう言え、貴様の怠惰が俺に数分の無駄な時間を取らせた。よく反省しろ」

「……申し訳ありません」

 

 そんな罵倒を浴びせられ、はらわたが煮えくり返りそうになる。出来る訳ないだろ馬鹿じゃねーの、という悪態が喉元までせり上がってくる。

 

 ダメだ。この領主、農民の実際を何もわかってない。

 

「ですが、領主様。せめてお願いがあります」

「何だ、言ってみろ」

「開墾を指示するのであれば、当然に人手ではそちらにとられます。今まで通りの田畑運用は難しく、例年通りに税を納めるのは難しいでしょう。来年の、減税をお願いしたく存じます」

「ハァ!!? お前は馬鹿なのかポッドとやら!」

 

 せめて。せめて、減税してもらえるのなら。

 

 普段畑仕事をしている人間を、開墾に回すことが出来ればなんとかなるかもしれない。そう考えての、お願いだったのだが。

 

 

 

「お前の村は田畑が1割増えるのだぞ。治める税は、今年の1割増しだ」

「……は?」

「税は、その年の田畑の面積により課せられる。来年は開墾されるのだから、1割多くの税を用意しておけ。そんな計算も出来んのか貴様は」

 

 

 

 若く無知な領主の指示は、まさかの増税であった。

 

「ああ、知らないと思っているなポッド。貴様の村の倉庫に、数年分の小麦の貯留があるのだろう。それを吐き出せと言っている」

「は? ……領主様、何を?」

「無駄な貯蓄は経済の停滞を産む。お前らの集落以外にも多くの村があり、貧困に喘ぎ明日の飯がない村も多い。比較的裕福なお前らの村は、課税対象なのだ」

「いえ。あの倉は、わが集落の名産である麦酒の鋳造所です。あの倉庫の麦は発酵させる用のものが殆どですし、アレを持っていかれたら酒造が出来なくなります」

「それが?」

「そうなれば商人は我らの村に足を運ばなくなり、我らの村は困窮するでしょう。領主様の言う他の村の様に」

「その通り、他の村も貧困にあえいでいる。次は貴様らの番だと言うだけだ、今まで甘い汁を吸い過ぎたな」

 

 何を、勝手な。何を、知ったような口を。

 

 ああ、この領主は僕達の努力を知らない。僕の祖父の代にどれだけ貧困に苦しみ、そこから必死で発展させてきた村の軌跡を知らない。

 

 祖父の代から粛々と酒造業を発展させ、父の代で頭を下げて新たな商人を呼び込み、数十年がかりでやっと村から貧困を消すことに成功した僕達一族の努力を知らない。

 

 貧困に苦しむ村と、平和で活気あふれる村にどんな違いがあるのかを理解していない。

 

「俺は州の長として、民に発展を強いる。最初は怨まれるかもしれないが、10年後には俺への感謝と称賛の声で溢れているだろうさ」

「……お考え直しください。そんな事をすれば、我々の村は─────」

「はぁ。辺境で農民と戯れる下級貴族には難しい話だったか。まぁいい、貴様に理解できなくても出す命令は変わらん」 

 

 若い領主は、フォン・イブリーフは僕を見下してこう言った。

 

「以上の命令を村民に伝えろ、村長ポッド。貴様には数名ほど補佐をつけてやる、未熟そうな貴様でもうまくやれるようにな。まぁ、監視の意味も込めているが」

「監、視」

「貴様らがまともに働くか、監視だ。人は、目の届かぬところでどこまでも怠惰になるからな」

 

 ……それは。かつてない、僕達の村への試練だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「出来る訳が無かろう」

「……」

 

 レイゼイ老人の第一声は、それだった。

 

 そりゃあ、そうだ。僕だってそう思う。

 

「その若造に、何で言い返さなかったポッド」

「言い返しましたよ、そしたら血のついた剣を抜かれて」

「……なっとらん。ワシなら首を斬られようと、その領主の顔に噛みついたと言うのに」

 

 領主からの『命令』を、村のみんなに相談した時。普段は優しいレイゼイ老人が、顔を真っ赤にして怒り声を上げていた。

 

「怠惰? ただの貴族の坊やが、日々あくせくとお日様の元で働き続けてる私達に向かって怠惰っていったのかい?」

「随分と若いから心配していたけど……、そんな白痴の様な領主でこの州は大丈夫なのかい」

「大丈夫な訳が無かろう」

 

 会議場で新しい領主への、不満が吹き出る。 

 

 1年で1割も開墾出来るなら、10年ごとに田畑の面積は倍々になっていくだろう。そんな有り得ない急成長が増税された状況下で出来てたまるか。

 

 そして、そんな簡単な事すら「分からない」若すぎる領主。この州に未来はないかもしれん。

 

「ポッド、あんたはもう長旅で疲れただろう。休んでおいで、私達が話し合っておくから」

「……すみません」

「ああ。ポッドには折り返してもう一度領主様に直訴して貰わなきゃならん。そんな頭の悪い命令は、なんとしても取り消してもらわんとな」

 

 老人会への報告を終えた僕は、婆さんの勧めで尋常でない疲労感と共に帰宅することになり。

 

「領主にはガツンと─────」

「言ってもわからなそうなら、別の手で─────」

 

 怒声の蔓延る会議小屋を背に、僕はゆっくりと家に帰った。

 

 

 

 

 

 

「おかえりなさい、ポッド様」

 

 数名の、見知らぬ他人が我が物顔で占拠する我が家にたどり着く。

 

 家でくつろいでいるのは、フォン・イブリーフから派遣された彼の私兵、合わせて5名。彼らは残念ながら、僕の「客」である。

 

「僕は部屋に戻り寝る。君たちは勝手にしていて」

「はい。ポッド様、村の皆様にご理解いただけましたか?」

「理解できるわけないだろ」

「……はぁ」

 

 この集落で一番大きな屋敷は、仮にも貴族の称号を持っていた我が家であり。父が死んで、空室も有ったので。

 

 監視のために領主から備え付けられた兵士数人は、僕の家で寝泊まりする事になっていた。

 

「ポッド様は、ご理解いただいているんですよね?」

「……」

「農民共に騙されちゃだめですよ。アイツらはサボる事を覚えたら、とことんまでサボりますからね。本当は出来ますって」

「俺達だって力を貸しますから」

 

 そんな、頭の中まで領主に染まった馬鹿兵士共を背に、何も言い返す気力が起きない。そして僕は、死んだようにベッドに身を投げて眠るのだった。

 

 ────ああ。これから、どうなるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーっ!!!」

 

 

 

 その、耳障りな罵声に僕はゆっくり瞳を開く。

 

 時刻は、深夜。村の中で、誰かが大騒ぎしている。

 

 何やら、村で事件が起こったいるらしい。

 

 ……誰か喧嘩でもしているのだろうか。なら眠たいけれど村長として、外の様子を見にいかねば。

 

 欠伸を一噛み、立ち上がり。既に闇に包まれた村の畦道を、僕は寝ぼけ眼を擦りながら歩いていると……。

 

 

 

「おとなしくしろ!!」

「離さんか!!」

 

 

 

 その罵声は、明かりの灯った会議用の小屋から聞こえてくることに気が付いた。

 

「……おい、まさか」

 

 嫌な予感がする。たらりと汗が頬を伝う。

 

 そういえば、さっき僕の家に彼らが居なかった。

 

 僕の家に屯しているはずの、バカ領主の私兵どもが────

 

 

「この、反乱者どもめ!!」

「出来る事かどうかの区別がつかぬ、愚か者に従う気など無いわ!」

 

 

 ああ、案の定。会議小屋には5人の兵士が乱入し、老人会の人々を威圧していた。

 

「甘い汁を吸えなくなるのがそんなに辛いか農民! 蓄えに蓄えやがって」

「ワシらの育てた作物を、我らが蓄えて何が罪か!!」

「戦う脳のない貴様らは、せめて生産物を国に捧げるのが義務だろう。何を勘違いしている!」

「勘違いしているのはどちらだ! ワシらは奴隷じゃないんだぞ!!」

 

 兵士達は既に剣を抜いており、一触即発の様相を呈していてる。ああ、何でそんな事に。

 

「待て! お前ら、何をしている!!」

「これは、村長様。村を警備していたら、この連中が不穏な話をしていたのでね。何でも、領主様を害するだとか」

「言葉の綾じゃろうが!! 大体あんなアホみたいな命令を出すガキんちょを、領主などと認めはせんわ!!」

 

 その問答で、大体の状況はつかめた。

 

 きっと、老人会では領主の不満で大盛り上がりしていたのだろう、それを、何故か勝手に家を抜け出て見回っていたこの私兵に聞きとがめられたらしい。

 

「問答無用。村長殿、コヤツらを拘留します。牢屋へ案内してください」

「牢屋だと!? 貴様ら、何の権限があって」

「領主様を害する計画を立てた謀反人共。彼らを捨て置く理由がどこにありますか」

 

 ……これは、マズい事になった。彼は僕に、見張りとしてついてきている。

 

 何か領主に不都合な事が在れば、即座に報告するのが役目。謀反人がたくさんいるなどと報告されたら、この村は終わりだ。

 

 何とかしないと。

 

「私兵ども、引け。彼らは領主を害するつもりなどない!!」

「ですが、私は聞きましたよ。そこの老人が、はっきりと『殺してやる』と言ったのを。こんな夜中に大勢集まって、そんな物騒な話をしているとなれば報告せずには────」

「誤解かもしれないだろう!! その言葉を僕が聞いた訳ではない、君達の発言のみで判断するのは憚られる」

 

 僕は必至で、老人会と私兵の間に割って入り。懇願するように、彼らを窘めた。

 

 冗談じゃない。ただでさえ無理難題を撤回してもらわないといけない状況なのに、これ以上心証を悪くしてたまるか。

 

「だが、確かに我々は聞きましたよ。それに今の彼らの態度、それ自体が最早証拠では」

「だがっ────」

「それとも。彼らの企画する謀反は、貴方も含めたこの村全員の総意なのですかな。なのでしたら、報告の内容が変わりますが」

 

 ……ぐ。

 

 マズイ、マズイぞ。いくら若造の領主だとしても、権力は本物だ。先代領主の時代から、賊の討伐や外征を繰り返してきた屈強な正規兵は彼の一声で動くのだ。

 

 この村で反乱が計画されてるなんて報告されてみろ。皆殺しにされて終わりだ。

 

「……今日はもう遅い。明日、明日改めて事の精査を行う」

「では、彼らはどうします。まさか、捨て置くのですか」

「彼らの住居はここだ。逃げ出すような事はない」

「彼らが反乱軍であれば即座に逃げ出すでしょうな。何故勾留しないのです? 理由が何もありませんが」

 

 くそ。たった5人の、しかも貴族でもない私兵の癖に何を偉そうに。彼らは村で一番偉い、僕達の祖父母の様な人達だぞ。

 

 だが、奴等は自分の思い通りに報告する事が出来る。……逆らわぬが、得策か。

 

「……なら明日まで、彼らを勾留する」

「それがよろしいかと」

 

 涙を飲んで。僕は、普段から世話になっていた老人会の面々を捕らえることにした。

 

 許してほしい。彼らを怒らせるわけにはいかないんだ。

 

「ポッドっ……!」

「レイゼイさん、堪えてください。明日、何とかして見せますので」

「……」

「信じてください」

 

 この場を納めるのに、ケチをつけられる手段を使っちゃいけない。村長権限でうやむやになんかしたら、それこそ即座に報告されて面倒なことになる。

 

 だから、正攻法だ。明日、簡易裁判を開いて何とか罪に問わず終わらせるしかない。裁判の結果、公正にレイゼイさん達の無罪を宣言できればどう報告されても言い訳できる。

 

「……ぐぬぬ」

「おい、ついてこいお前ら」

 

 偉そうな態度で、自分より年上の老人会の面々を引きずる兵士ども。そんな彼らを、見送る事しかできない僕。

 

 腸が煮えくり返る思いだ。いつも僕を助け、相談に乗ってくれたお爺ちゃんお婆ちゃんが手荒に扱われる様は胸がかきむしられる。

 

 だが、僕は村長。村の責任者。個人の感情で動いて、村を滅茶苦茶にするわけにはいかない。

 

 ここは心を鬼にして、彼らを牢屋に入れるんだ。そして今夜は徹夜で、過去の裁判資料と法務書を読みふける。

 

 絶対に助けてやる。これ以上、あのクソ領主の好きにさせなるものか。

 

「村長殿は休んでおいてください。後は我らが」

「……彼らを手荒に扱わないでくれ。くれぐれも、な」

「はぁ」

 

 いち早く。僕は自宅の書斎に舞い戻り、眠い眼をこじ開けて資料を探し始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ。殺しましたよ全員」

 

 それが。明朝の、僕が受けた報告だった。

 

「隊長である私は、一応貴族に準じた権力は持っているんです。庶民程度であれば、裁判を通さず処刑できます」

「いちいち裁判を開くのは無駄ですからね。こんな明らかな反逆者ども」

「此処にいる全員と、貴方の証言があれば問題ないでしょう。貴方も聞きましたよね、彼らの領主様への暴言を」

 

 その小屋は、血に染まっていた。

 

 地面に敷かれた藁の上に、乱雑に7つの生首が並ぶ。その真ん中には、僕の祖父代わりだったレイゼイ爺の顔が無造作に打ち捨てられていた。

 

「私達は夜通し働いて、疲れました。申し訳ないが、少し休ませてもらいます」

「庶民への説明は、この村の長たる貴方から行うのがよろしいでしょう。彼らの処刑された意味と、その末路を告知してくださいな」

 

 彼らが何を言っているのか、理解できなかった。

 

 昨日必死で書き留めた、過去の判例のまとめが僕の腕から零れ堕ちた。

 

 僕を可愛がってくれた村の爺婆が死んでしまった。こんなにも、あっさり────

 

「何故、こんな勝手なことをした」

「勝手? 何がです」

「何故、レイゼイさん達を殺した」

「反逆者だからですよ」

「それを判断するのは君達ではない。この村の長は僕だ。何故、勝手に行動した」

 

 怒りで手が震える。

 

 憤怒で、頭がのぼせ上がる。

 

 許せない。殺してやる。僕の家族に、大事な仲間に、こいつらは何をした。

 

「やだなぁ、何を怒ってるんですか村長殿。気を利かせたつもりだったんですがね」

「王都じゃ、こういう場合は裁判省略して即処刑が普通ですよ? 何を怒ってるんですか?」

「あれは言い逃れできないですよねぇ」

 

 ……それは、お前らが勝手に考えた事だろうが。

 

「この村のルールは僕だ。お前ら、何を勝手なことを!!」

「あーはいはい、ゴメンナサイ。そう怒らんでくださいよ、こっちもサービスで夜通し仕事した明けなんですよ? ちょっとはその辺汲んでくださいって」

「うるさいっ!!」

 

 誰がそんな事を頼んだ!! 誰が、そんな勝手な!!

 

「それとも、何ですかい? もしかして、村長もあの反逆者共のお仲間で? なら、すぐさま切り殺して領主様に報告しないといけねぇんですが」

「貴様らが僕に断りもなく、裁判もなく!! 勝手なことをしたから怒っているのだろうが!!」

「あーはいはい、それは私が悪うございました。まったく、ケツの穴の小せぇお方だ」

 

 殴り飛ばしてやろうか。ここで皆殺しにしてやろうか。

 

 許せない、こんな、こんな残酷な─────

 

 

 

 ……奴らは、剣の柄を握っている。

 

 ここで僕が暴れても、戦闘経験も人数も勝る奴らの方が強い。

 

 ここで僕が暴れたら。僕は殺されるだけじゃなく、この村は反逆者集団とみなされて攻め滅ぼされる。

 

 ─────そうなれば、父に顔向け出来ない。

 

 

 

「行け。二度とこんな勝手をするな」

「へいへい。寝るぞお前ら」

 

 

 

 震える声で、怒りを抑え。僕は、兵士どもに家に戻るように告げた。

 

 カツカツ。血濡れの兵士たちは、楽し気に談笑しながらその小屋を後にする。

 

 村の生き字引たちが集っていた、赤黒く変質した村の小屋を後にして。

 

「─────ぅ」

 

 そして僕は膝をつく。

 

 7人の被害者を前に。助けられなかった、僕の大事な家族たちを前に。

 

「くぅぅぅぅぅ─────」

 

 鼻水を滴らせ、はらはらと流涙する目を拭くことすら忘れ。声にならぬ慟哭を上げ、地面を何度も何度も殴りつけながら号泣したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……殺す」

「待ってくれ」

 

 明朝。僕は、村人を集めて事の顛末を説明した。

 

 老人会の反応と、兵士どものやった凶行。そして、二度と帰って来ない人々。

 

「その兵士どもに合わせろポッド。地獄を見せてやる」

「その為に俺達を集めたんだろ。武器を取ってくる、待っててくれ」

「違う」

 

 仲間たちの反応は、激怒なんて言葉では物足りない。彼らは村の長老であり、父であり、母であった。

 

 老人会の惨殺はすなわち、僕たちにとって親を殺されたにも等しい。その怒りを表現するなど、容易いことではない。

 

「……頼む。何とか、彼らに逆らわないでくれ」

「ポッド。そりゃどういう意味だ」

 

 だからこそ。僕は必死で、彼等を宥めた。その激情の先にある景色は、無惨な末路だと理解しているから。

 

「奴等はそもそもが見張りの役目だ。無理難題を押し付けられた民が、領主に対して反乱を起こさせないようにする為のな。……手を出せば領主に密告されて、最悪村ごと滅ぼされる」

「でもよぉ!」

「分かってるさ!!」

 

 皆の気持ちも、痛いほどに分かる。叶うならば僕も今すぐ、復讐の業火に身を委ねてしまいたい。

 

 だが同時に、僕は知っているのだ。この州の正規兵の強さを。数を、質を。

 

 先代の頃から国境付近の小競り合いに度々出陣し、容易く敵を撃退し続けた彼らの練度を。

 

「お願いだ。……無力にも、僕達程度じゃ領主には逆らえないんだ。涙を堪えてくれ」

「……」

「誰かが怒りに負けて、彼らに手を出せば。村の住人は皆殺しにされ、僕らの財産を好き勝手に略奪する口実を与えるだけなんだよ」

「ポッド……」

「気がすむなら、代わりに僕を好きなだけ殴ってくれて構わない。彼らに手を出すのだけは────やめてくれ」

 

 泣きながらも、僕は頭を下げる。

 

 今回の事件、兵士どもの手綱を握りきれなかった僕の責任だ。だから、好きなだけ殴ればいい。

 

 しかし僕は村の長として、この村を守り抜かないといけない。それが父との約束で、僕の使命なのだ。

 

「……ここは。僕に好きなだけ怒りをぶつけて────そして、どうか耐えてくれ」

「……」

 

 そういい、7つの生首の前で土下座を決め込んだ僕に。

 

 村の皆は、各々無言のまま……、険しい表情で、立ち去った。

 

 7人の遺体を埋葬するべく、墓地に向かって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、そんな臍を曲げるとは思わなくてですね。中央ではむしろ、何もしなきゃ『何故あの者共がまだ生きている』とか領主様に言われて鞭で打たれてたくらいでさぁ」

「勝手に殺しちゃいかんなら、先にハッキリそう言っとくべきだと思いますがね。それで拗ねられたらたまんねぇですよ」

 

 家に帰ると。酒盛りをしていた兵士どもが、頬も赤くそんな文句を垂れて来た。

 

「他に、何かやっちゃいけないことは有りますかい? あれば、先に言っといて貰わんと。こんな辺境の村の掟とかいちいち把握しちゃいないのでね」

 

 ……彼等の、その態度は。まるで『器量の狭い上司に当て付けをする部下』のような口ぶりで。

 

「……」

「もう無いんですね? 後から文句とか言われても知りませんぜ」

 

 彼等と関わっていたら、精神が持たない。怒りで気が狂いそうになる。

 

 僕は意図的に彼等を無視し、自室に籠ると。声を圧し殺して泣き、そのまま泥のように床についた。

 

 昨夜から、一睡もしていないのだ。色んな事が重なって、僕はもう限界だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ポッドや』

 

 夢の中で、老人の声がする。

 

『ポッドや、ポッド。何故ワシの仇を討ってくれない?』

「レイゼイ、さん?」

『あんなに可愛がってやったのに。共に村のことを考え、話し合ったのに。ワシが死んでも、どうでも良いのか?』

「……ち、違う。違うんです」

『殺してくれ。あの腹が立つ兵士どもに地獄を見せてやれ。恨めしい、恨めしい。ああ恨めしい────』

「やめてください。やめてくれ! 僕がそんな、怒りに飲まれたらこの村はっ!!」

『殺せ。殺せ、殺せぇ!!』

 

 それは、慟哭。

 

 夢の中に出てきたレイゼイ老人は、僕を復讐へと駆り立てる。悪辣な領主への恨み辛みを重ねながら、地獄を見せろと叫び続ける。

 

「許してください。許してください……」

『殺せポッドォ! 奴等を皆殺しにしろぉ!!』

 

 その夜。僕は一晩中……、夢の中でレイゼイ翁の呪詛をその身に浴び続けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……酷い顔をしている」

 

 翌日。鏡越しに自らの顔を見て、思わず独り言がこぼれた。

 

 色濃く浮き上がったクマ、こけた頬に視点の合わぬ目。たった一晩で、こうも人間は変わるのか。

 

「……そうだ。レイゼイさん達に代わって考えないと」

 

 だが、僕に休んでいる余裕はない。何とか領主を言いくるめ、先の命令を撤回してもらわねば。

 

 資料を集め、現実的に不可能だと領主の前で証明して見せねば。この村の見取り図と、田畑の所在とその運用について記載した表を使って何とか説得しないと。

 

 1つの村だけで、直訴しても二の舞になる。近隣の村落を巻き込んで、撤回して貰うべきか。

 

 うちの村の田畑面積は既に他の村より遥かに多いことを示し、ここから1割増やすことは非現実的だとアプローチすべきか。

 

 ……僕らの頼れる生き字引達は、もはやこの世にいないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ポッド。お前大丈夫か?」

 

 ふら、ふら。何故か力が入らぬ足を引き摺り、村の書庫を目指す僕に声をかける人がいた。

 

 それは、

 

「何て顔、してんのよ……」

「……顔、酷い」

 

 僕の大好きな、3人の幼馴染み達だった。

 

 

 

「ポッド。お前、あの連中のしでかしたことを許すのか」

「……許せないよ」

 

僕の幼馴染の第一声は、やはりあの兵士共への不満だった。

 

「なら、ぶっ殺すか」

「それも、出来ない」

 

 彼らも怒り心頭なのだろう。とくに今回の虐殺で祖母を失ったラルフは、尋常でない殺気を纏っている。

 

「あいつら、農民を……俺達を人として見ていない」

「あんな連中に従っていられないわ。思い知らせてやらないと」

 

 何も考えていないのだ、あのアホ兵士は。彼らの住む大きな街であれば、民を雑に処刑しようと『逆らえば即座に仲間の兵士が集まってきて殺される』のだから。

 

 その権力で自らの立場を勘違いし、『自分たちは民を殺せる偉い人間』だと思い込んでいる。他人の命を奪える権利など、誰も持っているはずがないというのに。

 

 ……だが。

 

「ラルフ。僕は知ってるんだよ、領主軍の強さを。この村程度、1日もかからず滅ぼされる」

「……それで、涙を飲んでんのか」

 

 ここで安易に彼等を害することが、きっと惨劇の引き金なのだ。

 

「それでポッド、あんたどうするつもりなの」

「領主に報告して、それで────どれだけ不満が上がっているかと、現実的に可能かと言う視点からもう一度命令を撤回できないか説得してみせる」

「……無理、し過ぎ?」

「僕がしなきゃ。もう、レイゼイさん達はいないんだから」

「ポッド……」

 

 だから。だから僕は、何とかして。

 

 父から託された、レイゼイさん達と築き上げた、大好きなこの村を守り抜かないと。

 

「ごめん、もう行かなきゃ。あんまり、時間無いんだ……」

 

 眩暈と頭痛に耐えながら。僕は、あの領主を説得すべく資料集めを続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「帰れ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「甘えるな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聞く耳持たん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが僕が何度足を運んでも、領主に取り次いで貰えなかった。

 

 下っ端が出てきて決まり文句を言うだけだ。「領主は忙しいのでお会いする事はできません」、そして「そういう陳情に対しては領主様から言葉を預かっております」と。

 

 あまりにも同じ様な陳情が多く、いちいち対応していられないのだとか。

 

「……5村共同の陳情でもですか?」

「領主様は改革を進めている最中です、時間に余裕がありません……。書類はお預かりしますからご安心ください」

 

 ……果たして。我々の村と同じ様な陳情が多い理由を、彼は理解しているのだろうか。

 

 これじゃ、ダメだ。どんなに、どんなに丁寧に説得材料を纏めても、領主に陳情できないんじゃ意味がない。

 

 どうせあの男は目も通さず「甘えた農民の戯言」と一蹴するだけ。

 

「……また、来ます」

「いえ、もう来なくとも構いません。それより開拓に専念していただけると助かります」

 

 ……どの口がそう言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このまま、年を越したらどうなるだろう。

 

 このまま、来年に無理難題を達成できなければ何を言われるのだろう。

 

 僕達と同じように無理難題押し付けられた村の殆どが達成できなければ、あのバカ領主も考えを改めるのだろうか。

 

 いや。きっと幾つかの村は、あの難題を達成している筈。そして、鬼の首をとったかのごとく「~村は出来た事だろう。貴様らの努力が足りなかった」云々を説教されて厳罰を処される。

 

 うちの村は既に発展しきっている。田畑面積も限界まで開拓している。ここからの1割増畑は、無茶以外の何者でもない。

 

 だが、未開拓な村なら。まだ興したばかりの新規開拓村は、1割開拓は無理すれば何とかなるはず。

 

 そして、その村としての発展度の違いを理解する知能を、あの領主は持っていないだろう。

 

「……来年の領主との対面が、勝負か」

 

 今年は、きっとどれだけ言っても聞き入れられない。自分の出した命令がいかにバカらしいか、理解していない。

 

 だから、来年。多くの村が「達成不可能」だと報告すれば、理解する可能性もある。

 

 何とか言いくるめないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、冬。かじかむ手を押さえ、皆が雪掻きを始める頃。

 

 僕たちの村に、事件が起きた。

 

 

「この村、禁欲的すぎますって。たまには羽目を外さんと、士気にも関わる」

 

 

 村の若い娘が、兵士に襲われたのだ。それも、嫁入り前で婚約者もいる女性である。

 

 深夜であったが襲われた娘の必死の抵抗と金切り声で人が集まり、何とか事なきを得たものの……。

 

「非番の日に夜這いくらい良いでしょうが」

 

 とうの本人に、全く反省が見られない。むしろ、恥を掻かされたと腹をたてている節すらある。

 

 俺についてくれば王都でいい暮らしが出来るのに、とボヤくその男。村の法に則り、不貞の夜這いは百叩きにする事とした。

 

 ……だが。

 

「農民の法を、準貴族の俺達に適用されても困ります。別に農奴に手を出そうが王都では罰されません」

「ここは、王都ではない」

「我々は王都の所属です。それに俺、確認しましたよね? 我々はこの地の掟とか知らないので、他に注意しておくべき事はないかってね。聞いてませんぜ、夜這いが駄目なんて」

 

 嫁入り前の娘を夜這ってはいけないと、いちいち説明されないと理解できないのだろうかこの男。

 

「困るんですよね、こんな手で人を罪に問おうとして。そんなに監視されるのが不都合で?」

「……」

 

 だが、この男は本気だ。本気で「農民ごときを夜這いして罪に問われる理由が分からず」、この判決を「監視している自分達に対する難癖」だと思っている。

 

「なら、相応の報告はさせて貰いましょうかい」

「……」

 

 

 

 

 

 

 彼は、特例で恩赦とした。

 

 幸運にも、被害はなかった。だから次は無いと告げて、謹慎で済ませた。

 

 余計な報告をされる方が、面倒だと思ったから。

 

 

 

 

 

 

 

 この辺りから、村の僕への態度が少しよそよそしくなった。

 

 不信感だ。王都から来た人間を、個人の意思で優遇し庇っているように見られたらしい。

 

 無理もない。実際に、そうしているのだから。

 

 ポッドも所詮は貴族。ポッドも兵士も、同じ権力者という立場の人間。村の仲間からは、そう映ったようだ。

 

 変わらず接してくれるのは、幼馴染み連中のみ。段々と、村に僕の居場所がなくなってきた。

 

 

 だとしても。僕のやることは変わらない。

 

 父から受け継いだ使命。犠牲になったレイゼイさんへの義理。僕はこの村の村長だ。

 

 守り抜く。何としても、あのふざけた領主から守り抜いて見せる。

 

 嫌われたっていい。恨まれたっていい。僕は、この村が好きなのだ。

 

 僕をこの年まで育ててくれた豊かなこの村に、恩返しをしたいのだ。

 

 

 

 

 

 

 そして、半年が経った。

 

 初夏。もう少しで、僕が領主に報告に旅立つ季節である。

 

 毎年収穫の直前に、領主に報告にいくのが通例なのだ。

 

 だと言うのに。

 

「なぁ村長。春も過ぎたってのに、全然開墾が進んでませんぜ」

「誰かが人望ある人手を切り殺したからな」

 

 当然、開墾など進んでいる筈もなく。それどころかむしろ、昨年まで運用できていた田畑が一部荒れ果てている始末である。

 

 この小さな村で7人も切り殺されたのだ。至極当然の帰結だった。

 

 この現状に指を咥えて見ているつもりはない。僕は、この責任は兵士にあると報告するつもりだ。

 

「へぇ? 村長は反乱因子も人手と見なしているので?」

「僕からは、君達といさかいが起きただけで反乱因子には見えなかったんだがね。兵士と村人のいさかいの結果、兵士が自分の判断で「反乱因子」と決めつけ勝手な処刑を行い、結果人手不足に陥った。僕の口からはそう報告させてもらうよ」

「反乱因子は反乱因子でしょう。あんな老人ども殺してどれだけ影響がある。責任転嫁も過ぎると呆れられるだけでさぁ」

「ならばそう報告すればいい。僕も君も、嘘偽りない事実を報告するのが仕事だろう? その1件で、村の協力が得られなくなったのも事実。なら、僕の口からはそういう報告になるだけさ」

 

 何も領主に告げ口するのは彼らの特権ではない。逆に、彼らがいかに村の発展に迷惑な存在だったかを報告すれば、あの領主も閉口するかもしれない。

 

 ……そう、持っていくしかない。彼らの責任と言う落とし所に持っていかないと、ますますうちの村は無理難題を押し付けられ破綻するだけだ。

 

 この半年、その為の準備はしっかりしてきた。提訴書類も揃えたし、彼らの言動の一つ一つを記録して纏めた。

 

 後はあのアホ領主がどう判断するかである。

 

「言いたかないがあんた、人の上に立つのに向いて無いですわ。器がちっちゃい、嫌がらせも下らない、小さなミスをねちっこくつつきなさる。挙げ句仕事が失敗したら何もかも部下に責任押し付け、ってねぇ」

「結構。僕ぁ安易に民を害する君達も、兵士に向いてないと思うね。お互い様さ」

「違ぇねぇ」

 

 けっ、と。反吐でも出しそうな顔で、その兵士の男は僕を睨み付けて。

 

「最低の一年でしたよ、村長様」

「こっちこそ」

 

 最早彼等に占拠された僕の屋敷へと、足早に立ち去っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さあ正念場だ。

 

 この一年間、僕は必死で耐え続けた。あの最低な連中を家に住まわせ、聞くに耐えない身勝手な愚痴を聞き流し、やっとこの季節がやってきた。

 

 この村から奴等を追い出せるチャンス。クソ領主に文句の限りをぶつける機会。あの意味不明な命令を撤回させる、唯一の可能性。

 

 

 僕はレイゼイさん達の遺志を継ぎ、この村を守らねばならない。その為の準備は、出来る限りやった。

 

 後は────どう転ぶか。それだけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それだけ、だったのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……今、何て言った?」

「あの兵士どもをボコボコにして、村から叩き出した」

「どうして」

「理由を聞かないと分からんかポッド。やはりお前もそっち側なんだな」

 

 

 兵士達が村から引き払うときいて、一部の暴走した村民が『敵討ち』を実行したのだ。

 

 数で勝る農民には、剣を持っていようと兵士ごときでは対抗できず。

 

 結果、5人いた兵士のうち3人は殴り殺され、残った2人は保々の体で逃げ出したとか。

 

 

「うちの嫁が兵士に脅されて、ちょくちょく襲われてたんだそうだ。それ聞いて、ぶっ殺すことにした」

「そもそも私は、あの連中に母様を殺されてるんだよ? 何の報復もせず帰すとかありえない」

「あの連中、もうすぐ王都に戻っちまうんだろ? それまでに復讐しないと間に合わん」

 

 ……自分の顔が真っ青になるのが分かる。なんて事をしたんだ、彼らは。

 

 腹が立つのは分かる。復讐したい気持ちも理解できる。

 

 だけどそれを1年も堪え、今日まで過ごしてきた努力を投げ捨てやがった。

 

 自らの感情に飲まれ、暴走してしまった。

 

「……領主軍が来る。そんなことしたら、村は破滅だ」

「アイツらが悪いんだろが。それを領主に説明し、アイツらを処刑するのが本来の村長(アンタ)の仕事。……ずいぶん仲良くしてたみたいだけどなぁポッドは」

「あぁ……」

 

 どうすれば良い。こんな事件が起きては、反乱と思われない方がおかしい。

 

 あのクソ兵士の言い分に真実味が出るだけ。

 

 

 

 この一部の暴走のせいで、村ごと滅ぼされる────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……兵士に暴虐に対する恨み。それが今回の事件の発端です」

 

 

 

 

 

「ええ、勿論それは当然」

 

 

 

 

 

「今回の暴動に関わった皆を、捕らえることに異存はありません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 領主への申し開きは、実に1日かかりだった。

 

 何でもこの1年、領内のそこかしこで暴動が起きており領主はその対応に追われっぱなしだったという。

 

 その領主は『暴動の鎮圧』として即座に兵を僕の村に派遣しようとしていた最中だった。僕が王都についた頃には、領主軍は既に出陣準備が終わっていた。

 

 そこから何とか僕は領主にゴマをすり、頭を下げ、兵士の行動の悪辣さを吹聴し。必死で出陣を止めるように嘆願した。

 

 村を守らねばならない。僕の大事な仲間を、幼馴染みを、故郷を守らなければ。

 

 

「……ならば今一度チャンスをやる。2度と農民どもに勘違いさせるな」

 

 

 そう言って領主は、新たな「監視兵」を10名僕につけて村への出陣を取り止めた。

 

 若き領主は既に疲れはてているように見えた。

 

 彼の政策は上手くいってない。農民に対する政策含め、何もかも前領主時代に発展していたこの州の財産を食い潰していると聞く。

 

 そして『誰も自分の理想を理解しない』と、日々ぼやいているのだとか。……人の事を理解しない人間が自分を理解して貰えると思うなよ。

 

 そして、それが逆に幸いした。兵士への暴行程度でいちいち村を襲撃していたら、村のほとんどを攻撃せねばならずキリがないらしい。

 

 村の長たる僕が陳情した事により、むしろ彼からして『出陣を取り止める理由が出来た』のだろう。

 

「犯罪者の首を並べ王都に持ってこい。さすれば、不問とする」

 

 それが領主フォン・イブリーフの下した裁定だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰かを殺さねばならない。今回の事件に加わった主犯格を、処刑せねばならない。

 

 だが、それは自業自得。元々、命懸けでの復讐だったのだろう。

 

 領主の兵に手を上げたのだ。むしろ温情判決と言える。

 

 だから、僕はその条件を村に持ち帰った。

 

 

 

 

 

 その、村へ戻る道すがら。僕と兵士達は、野盗を名乗る覆面の集団に襲撃された。

 

 ……付き合いの長い僕には分かる。村の連中だった。

 

 村の連中が、兵士を引き連れ戻ってきた僕ごと襲撃を計画したのだ。

 

 

「やあやあ、私はイブリーフ侯爵家三将の一人、ゾラである」

 

 

 彼らが不幸だったのは。監視の役目として僕に追従した兵の中に、領主軍の主力の一人たる猛将ゾラがいた事だ。彼が今回の報告役であり、村の治安を確認して帰ってもらう予定だった。

 

 その精強と名高い領主軍の猛将相手に襲撃してきた連中の半分はあっさり切り殺され、もう半分は捕らえられた。ものの数分の出来事だった。

 

 

 

 

 

 その時、気づいてしまった。村の連中は、僕をも攻撃対象にしていた事を。

 

 

 

 

 ぞろぞろ兵を引き連れ戻ってきた僕は、完全に敵と見なされたらしい。襲撃してきた村人は、僕ごと兵士を殺す算段だったようだ。

 

 それを悟った瞬間、僕のなかで何かが吹っ切れた。

 

 これだけ心を砕き、村のために奔走しているのに。彼らにとって、僕は村の敵でしかなかったのだ。

 

 僕は、村の仲間とはもう見てもらえないのだ。

 

 

「彼らこそ。前回の主犯にして、今回の現行犯ですよ」

「そうか」

 

 

 僕は兵士達にそう報告して。その場で、全員の首を落とさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十数人の、村人の首を引っ提げ僕は自宅へと闊歩する。

 

 村へ戻った際、彼らの家族の顔が青くなった。だが知るもんか、彼らの自業自得だ。

 

「……領主は、この村が反乱を企てているのではないかと疑っている。先月、領主様の兵士を切り殺した悪漢が居たからだ」

 

 僕は兵士に囲まれ、村人にそう宣言した。

 

「そして今日、再び彼らは身勝手な襲撃を試みた。その末路がこれである」

 

 能面の様に、無表情に。ただ淡々と、事実を事実として宣言した。

 

「この村にはもう、こんなバカな真似をする人間はいないと信じる。ではゾラ様、どうぞ僕の屋敷へ」

 

 その僕の後ろで兵士達は村のみんなに睨みを聞かせ、無言で立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 襲撃者達の首を晒し、僕は村民に開墾を指示した。領主に逆らう意思はないと見せつけるために。

 

 僕に話しかけてくる村人は居なくなり、血に染まった兵士の剣に怯えて着々と開墾を進め出した。

 

 もっとも。村の民も大きく減り、作業量が倍増した今の状況で仕事が回るはずもなく。バタリ、バタリと過労でみんなは倒れていく。

 

 ……まぁ、仕方がないことだ。全てあのフォン・イブリーフと言う阿呆の責任である。

 

 僕のせいじゃない。

 

 

 

 

 

 やがて、僕の幼馴染みの一人であるアセリオが倒れた。

 

 

 

 

 

 彼女は少し変わったところはあるけれど、仲間内では一番おとなしく、優しく、慎み深い女性だった。努力家だが自らの努力を人に見せるのを嫌い、極限まで頑張ってコトリと糸が切れたかのごとく気を失うタイプの人だった。

 

 そんな彼女が倒れた直後。あまりに静かに倒れるその様子を見ていた兵士は、アセリオの気絶を『サボり』と判断し、何度も鞭で打ったという。

 

 録に休んでいなかった彼女は意識もはっきりせず、全身をボロ雑巾のように打ち据えられ高熱を出してウンウン魘されていた。

 

 今も彼女は大層、危険な状態らしい。だが、兵士は自らの職務に準じただけとゾラ将軍は判断し、その兵士を不問とした。

 

「おいポッド。アセリオはまだ苦しんでるぞ、何も言うことはねぇのか」

「……」

「まだ婚約者も決まってないのに。あんな、顔が腫れ上がるまで打ち据えられて可哀想と思わないの?」

「僕が指示したことじゃない。今の僕に、彼等をどうこうする権力は無い」

「……なぁポッド」

 

 兵士が不問になった件で、幼馴染み達は僕の家に押し掛けてきて不平不満をぶちまけた。

 

「アセリオはさ、お前を待ってたんだと思うぞ。お前が苦しんでいるのを全部受け止めるつもりで、いつか話してくれると待ち続けた」

「……それで」

「アイツは健気に待ち続けた。それで無理が祟ってああなっちまった。……でよぉ、ポッド」

 

 知ってるさ。彼女の優しさも、健気さも。僕だって彼女の幼馴染みなのだから。

 

「お前はさ、あの兵士達の言いなりで『逆らうな』の一点張り。村長の立場のお前が、ちょっとでも兵士から俺達を守ろうと努力したのか?」

「したつもりだよ」

「領主軍が怖いから。それを言い訳にして、俺達に我慢ばっかり強いてた様にしか見えなかったけどね」

「怖いもんは怖いさ」

「……なぁポッド。お前、アセリオが倒れたってのに何でそんなに冷静なんだよ。何で怒り狂ってないんだよ!!」

「さぁ? 何でだろう」

 

 言われてみれば、その通り。以前の僕なら、その兵士に怒り狂っていたに違いない。

 

 だというのに、不思議なことに……。僕には一切の怒りが沸いてこなかった。

 

「……っ。行こうリーゼ、こいつもうダメだ」

 

 その時僕は、きっとずいぶん間の抜けた顔をしていただろう。

 

 そんな僕を見たラルフは吐き捨てるようにそう言うと、リーゼの手を引き足早に立ち去った。

 

「……ああ、もう僕は怒るだけの元気がないのか」

 

 その数日後、アセリオは傷が化膿して昏睡状態となり、魘されながら息を引き取った。まだ20歳の若さだというのに、彼女は苦しみ抜いてこの世を去った。

 

 ……この1件がきっかけだったのだろう。とうとう、今まで話しかけてきてくれていた幼馴染み達も僕に声をかけて来ることがなくなった。

 

 僕は、正真正銘の一人ぼっちになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「楽しかったよな」

 

 その1週間後。とうとう、村人は蜂起した。

 

「落とし穴につまみ食い、木登りに魚釣り、弦楽祭に収穫祭。短い人生だったけど、今までずっと一緒に過ごしてきたアンタは私の友人だと思ってた」

 

 僕は結局、村の反乱を止めることができなかった。今まで散々苦心していた僕のあれこれは水泡に帰した。

 

 ただの農民が歴戦の兵士に勝てるはずもない。

 

 怒りに負け激情と共に蜂起した彼等は、後日召集された領主軍にあっさり鎮圧された。

 

「……なぁ。いくら友人でもさ、アンタにどんな事情があったとしてもさ」

 

 反乱に加わったラルフは切り殺され、リーゼは捕らえられた。僕の幼馴染みは、これでもう彼女だけになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「─────流石に怨むよ、これは」

 

 

 

 

 

 

 シャ。

 

 無機質な音を立てて、兵士が剣を鞘から抜き放つ。

 

「本当に? 本当に殺る気かよ、お前」

「……」

「何とか言え。何か言ってみろよ、ポッド!!!」

 

 全身を縄で縛られ、涙を目に浮かべ叫ぶリーゼ。そんな彼女を見ても、僕は何も感じなくなっていた。

 

「ポッド、もうお前はそっち側の人間なんだな!! 権力をかさに、私ら平民を好き放題出来るって思ってんだな!」

「……」

「所詮は貴族か、家が大事か!! 友達より、村のみんなより、自分の権力が大事なのか!!」

「……」

「恨む、怨む、怨んでやる!! ポッド、お前は地獄に落ちて死後も永遠に苦しめ!! 一度でもお前の事を友人と思った自分が恥ずかしい!!」

「……っ」

 

 彼女は、反乱を企てた。だから今日、処刑台に連れてこられ『村長』である僕の目の前で処刑される。

 

 乱を企てる農民の処遇はすなわち、死刑。権力側がどれほど間違った事をしていたとしても、殺されるのは常に力無き民なのだ。

 

 彼女が、余計な『考え』を持たなければこんなことにならずに済んだ。僕は悪くない、不穏な考えを持った彼女が悪いんだ。だからこれは、リーゼの自業自得。

 

 ─────自業自得。

 

「この、村の裏切り者!!!」

 

 その金切り声を断末魔に、リーゼは胸元にブスリと剣を突き立てられ。血反吐を吐き散らしながら、ゆっくりと目が上転し。

 

「呪って、や、る……」

 

 やがて、動かなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────こうして。僕には何もなくなった。

 

 ────村のみんなを守りたくて、必死でアレコレ頑張って。最後は僕の一声で、それら全てを失った。

 

 ────リーゼ。ラルフ。アセリオ。ずっと僕と共に居てくれた3人の幼馴染み達は、もう土の下だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……貴様」

 

 そして、僕は捕らえられた。

 

 猛毒を塗りたくったナイフを、領主めがけて投げつけたその罪で。

 

「貴様も、理解してくれないのか。何故、民は怠惰を許容するっ……!!」

 

 僕の決死の一撃は、確かに領主の頬を僅に掠めた。今は何ともないだろうが、遅効性の毒である、当たったからには奴の命もあと数日だろう。

 

「何故だ!? 俺は、民をより豊かにしたかっただけなのに!! 貧困を消し、民が笑っていてくれる州を作りたかっただけなのに!!」

 

 蒙昧な叫び声をあげる、アホ領主。そんな彼に、僕は静かに笑いかけた。

 

「……そんなのどうでも良いんだよ」

 

 貧困を無くす、それはとても素晴らしい。国が発展する、それはきっと望ましい。

 

 だけど。

 

「お前さ。誰かの大事なもの何もかもぶっ壊した……その先にある理想なんか追っちゃダメだろ」

 

 そんなのは国目線で考えてくれ。僕達の願いは、そんな壮大なものじゃなくていい。

 

「僕はただ、平穏に。貧しくとも、みんなが支え合える村で生きていきたかっただけ」

 

 貧しい人がいれば助け合うさ。どうしようもなくなれば、助けを乞うさ。僕達の村は、そうやって今まで長い時を生きてきた。

 

「君の理想を押し付けないでくれ」

「────貴様っ!!」

 

 そして。

 

 

 

 僕は、領主フォン・イブリーフの剣により首を落とされ、その生涯を終えた。

 

 ああ、僕は実に馬鹿だ。初めからこうすれば良かったのだ。

 

 レイゼイさんの言う通り。決死の覚悟でこの男を殺す事が出来れば、全て解決していたのだ。

 

 それに気付けたのは、何もかも失って自分の命が惜しくなくなってからとは……。僕自身の頭の悪さに反吐が出そうだ。

 

 

 

 

 僕一人死ねば、みんな助かっていたのに。

 

 

 

 

 僕さえ覚悟を決めていれば、村を救えたかも知れなかったのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『実に愉快でした』

 

 首を跳ねられ闇に沈んだ僕の意識に、語りかけてくる声があった。

 

『この一年間、あなたは私を十全に楽しませた。ええ、目をかけてあげた甲斐がありました』

 

 それは、静かな女性の声。

 

『絶望に飲まれ、感情が鈍磨し、自らの大切なものを自ら叩き壊す。その様は、まさに抱腹絶倒。実に惨めで無様で愉快な人生でしたね』

 

 どこか侮蔑を含んだ声色で、その女性は僕に語りかけ続ける。だけど、不思議と腹が立ったりはしなかった。

 

 そもそも、怒るだけの気力もないのかもしれない。

 

『ねぇ。今の貴方は何を願いますか?』

「……」

 

 その女性の問いかけに、僕は答えることが出来なかった。

 

 何を願いたいか、だって? 願いたいことはたくさんある。けど、願う気力も沸いてこない。

 

 だって僕はもう死んでいるんだから。

 

『なら生き返りたいと、願わないのですか?』

 

 ……当然だ。生き返ったところで何になると言うのだろう? もう僕の大切なものは何も残っていないあの世界に何の未練があると言うのだろう。

 

 良いからさっさと、僕を永遠の眠りにつかせてくれ。幼馴染み達を殺してのうのうと生き延びるつもりなどない。

 

『ああ、それも道理。ならば、こう言い換えましょうか』

 

 しかし謎の女性は、どこか喜色を声にのせて僕に語りかけ続ける。

 

 その内容は────

 

 

『やり直してみたくは無いですか?』

 

 

 そんな、言葉だった。

 

 

『もう一度。貴方は貴方として生を受け、貴方の大事な人々を今度こそ守り抜きたいとは思いませんか』

「……それは」

『あんな、悲劇的な結末を変えてみたいと思いませんか?』

「……そんなの」

『貴方の大切な幼馴染み達と────平和に過ごし続けたくはありませんか?』

 

 それは甘い蜜のように。僕の乾ききった心を、少しずつ粘っこい欲望に染め上げていく。

 

 やり直す。僕の失敗だらけの人生を、1からやり直す事ができたら。

 

 レイゼイさんや老人会の方々が切り殺されるあの日に戻れたら。いや、アホ領主の剣に怯えて要求を飲んだあの日に戻れたら。

 

 いや、それよりも前に────

 

『ポッド、貴方には資格がある。磨耗しきったその激情を再び燃えあげる事さえ出来れば……きっと君の願いは叶う』

「出来るのか? 僕は、もう一度皆に会えるのか」

『会えるとも。そして、守れるとも』

 

 欲しい。機会が欲しい。

 

 やり直せるチャンスが欲しい。村のみんなと幸せに笑っていられたあの頃に戻りたい。

 

 

 ────ポッドはいつも真面目すぎんだよなぁ。

 

 ────そーそー、肩の力抜きなよ。生き辛くないか?

 

 ────……でもそれが、君の良いトコロ。

 

 

 あの、かけがえの無い仲間達ともう一度────

 

『……返事を聞きましょう、不幸なるポッド』

「僕は……もう一度」

『もう一度?』

 

 微かに震えた僕の返事に、女性は楽しげに返事を返す。

 

 ああ。答えなんてもう、とっくに決まっている。

 

「もう一度。僕にチャンスをください────」

『心得ました』

 

 その言葉を皮切りに、僕は急激な勢いで『何か』に掬い上げられる。

 

 それは、きっと僕なんかの想像の及ばぬ凄まじい力。人間では理解の届かぬ理外の現象。

 

『最後に名乗っておきましょう、不幸なるポッド。私は"時の悪魔(ノルン)"と申します』

「時の、悪魔?」

『ええ。私は悪魔と呼ばれている存在です』

 

 その理外の現象を引き起こしている謎の存在は、悪魔を自称した。

 

「その悪魔が、何でまた僕を」

『当て付け、ですかね。私には貴方を救う義理も道理も無いのですけれど……、そこは私、悪魔ですので。他者の嫌がる行為が大好きなのです。それと……』

 

 未だ姿も見せず、ただ語りかけるだけのソイツは。僕をどこかに引っ張り続けながら────

 

『今世の貴方には、実に楽しませて頂きました。来世でもまた、貴方に不幸のあらんことを』

 

 

 

 そんな、全く嬉しくない祈りを捧げ。僕はすぽーんと水面のような何かまで引っ張られ、そして放り投げられた。

 

『そして、貴方が本懐を遂げることを陰ながら願ってもいますよ、不幸なるポッド。私は悪魔ですけれど……私を楽しませてくれた人間には、どこまでも寛容なのです』

 

 僕は爽快な浮遊感と、眩しく何も見えない世界の合間でそれを見た。

 

 ぼんやりとだが確かに、誰かが僕に微笑みかけているのを。

 

『では、いってらっしゃい』

 

 その言葉を皮切りに再び僕は、何かに引き寄せ吸い込まれる。自分の実体が輪郭を帯び、小さな形となって顕現する。

 

 それは、大層に不思議な感覚だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、僕は目を開く。

 

 息が苦しい。体がベトベトで、肩や胸が痛く全身が怠い。

 

 必死で助けを求めるが、僕の叫びは言葉にならぬ声として周囲に響き渡るのみである。

 

「生まれました! 生まれましたよ」

「お、おお! おおおっ!!」

 

 僕の体は、何か暖かいものに包まれる。

 

 それは柔らかな布であり、誰かの腕であった。

 

 滲んだ景色のなか、うすぼんやりと目を開く。僕を腕に抱いたその巨漢が、誰かを目視するために。

 

 

 

 ────ああ、それは父だ。

 

 

 父さんは僕を抱きながら感涙し、母はそんな父と手を握りあっている。

 

 そうか。あの悪魔はやり直させてくれると言っていたが、ここからやり直すのか。

 

 幼い頃に死んでしまった母が、僕に頬擦りしている。もう会えぬと思っていた父が、僕を抱えて母にすり寄せている。

 

 ────平和な光景だ。心休まる景色だ。

 

 僕が求めてやまなかった、平穏で平凡な幸せのあり方だ。

 

 時の悪魔よ、礼を言う。例え貴女が悪魔だとしても、僕は貴方からチャンスを貰えた。今一度、全てを取り戻す機会を得た。

 

 

 一度は、自ら叩き壊してしまった大切なもの。次こそは、壊さず守り抜いて見せる。

 

 もう二度と間違えない。もう二度と前世の様な、愚かで無様な選択肢を取らない。

 

 それが、僕が新たに生を受けた理由だ。あのアホ領主からこの村を守って見せる。刺し違えてでも、あの男を殺して見せる。

 

 それが、村長たる僕の役目。それが、村長『ポッド』としての生の意味────

 

「女の子ですよ」

「おお! ならば約束通り、この子の名はポートだ!」

「男の子ならポッド、女の子ならポート。そう言う約束でしたね」

「ポート! お前には将来、俺が村長となる男を探しだして娶って貰うからなぁ!!」

 

 

 

 

 

 

 …………あれ?


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