TSっ娘が悲惨な未来を変えようと頑張る話   作:生クラゲ

26 / 51
子供騙し

「勲功一等、ラルフ殿。貴殿は農民の身でありながら、その勇猛さで敵の大将を撃破した事を評し、ここに金一封を封ずる」

「ど、どうも……」

 

 空が赤みかかる頃、イヴ(アイドル)のコンサートがようやく終わり、真面目な雰囲気で勲功労賞が始まった。

 

 さっきまでのアホモードとは打って変わって、イヴはキリッとした顔でラルフへと微笑みかけている。

 

「良いなぁ、俺もイヴたんに微笑みかけられたい」

「あの顔で生えてるんだろ、たまらねぇぜ」

「俺は逆に任務に失敗してイヴたんにオシオキされたい」

 

 舞台袖の兵士からは、羨望の眼差しがラルフに向けられていた。大丈夫だろうか、この軍隊。

 

「貴方のお陰で、私はゾラを失わずに済みました。ここに、最大限の感謝を示します」

「……いや。俺は、単に敵討ちを」

「良いんですよ。それでも、貴方の為したことに変わりはありません」

 

 イヴはそう言うと、クスリと微笑んでラルフの手を握りしめた。微かに、ラルフの頬が赤く染まる。

 

 ……ラルフは、イヴが男だって知ってる筈だけどなぁ。まぁそういうの抜きに可愛いからだろうか。

 

 ラルフまでこの奇妙な集団の仲間にならないよう、気を付けないといけないかもしれない。

 

「同じく勲功一等、ポート殿。貴女は貴族として村民を見事に指揮し、大きな被害を出さずに撤退を成功させました。その功績をここに評し、同じく金一封を封じます」

「ありがとうございます」

 

 今、ラルフも貰った金一封はそのまま村の再建費用として用いる予定だ。そういう話で通っている。

 

「続いて、今回の作戦の一番槍を務めたゾラ殿────」

 

 本当なら、敵の将を撃ち取りまくった今回の戦の一番の功労者はリーゼだったりする。だが、その情報がイヴに届く前に評定が終わってしまったらしい。

 

 リーゼが自分からアピールしなかったのもあるが、元々この表彰は僕らの村の復興支援目当てなので、リーゼがここに立とうと立つまいと支給される額は変わらない。

 

 だったら私は別に表彰なんて要らないわ、とリーゼは言い切った。彼女はアセリオと違い、人前に立つのはあまり得意ではない人間なのだ。

 

 なら、村長夫妻である僕らが矢面に立つのが筋だろうと考えてリーゼの表彰は見送った。その結果、彼女はノンビリと聴衆に紛れてライブを楽しんでいた。

 

 ……ちょっと羨ましい。

 

「以上、これで今回の勲功労賞を終えます。此度の勝利は、皆さんの頑張りによってもぎ取れた勝利です。今後も、変わらない奮戦を期待します」

「「「おおおおおおっ!!」」」

 

 僕らの表彰の後も長々と褒賞は続き、優に一時間は立ちっぱなしで話を聞くだけだった。

 

 こんなのを毎回戦の度にやっているのか。軍隊は大変だな。

 

「さて、今日はもうお疲れでしょう。堅苦しい話はこれで終わりにしましょう」

「……」

 

 やっと終わったか。何だかどっと疲れた。

 

 今日はこの後、イヴが家に来るんだっけ? 歓待の用意をしないと────

 

「では最後に聞いてください。永遠的と狭間のエターナル・愛!」

「「「ヒャッハァァァァ!!」」」

 

 ────やっぱり最後も歌うんかい!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 再び、舞台は狂気(イヴたん)に支配された。

 

「────これは」

 

 勲功労賞とは名ばかりのイヴ・オンステージwithアセリオが再度開催され、皆の興奮冷めやらぬ中。

 

 僕らの村に新たなる来訪者が姿を見せた。

 

「……これは一体、どういう事かの」

 

 イヴの到着から遅れること、3日。全ての戦いは終わり、戦後処理が始まろうとしている段階で。

 

「のう、イヴや」

「……お父様!」

 

 数十年の間、この地を無事に治めた現領主にして稀代の怪物、フォン・イシュタール侯爵が護衛を伴って村へと顔を見せたのだった。

 

 

 

 

 

 

「……む。本当に、襲撃が有ったのか」

「はい、お父様」

 

 聞くところによると、イヴは父親にすら話を通さず独断で村を助けに来てくれたらしい。村が危ないと気づいた時には時間的にギリギリで、外遊している領主を待っている余裕はないと判断したそうだ。

 

 そして、領主様は外遊から帰還された後にイブリーフが出陣したと聞いて、慌ててここに駆け付けてきたという。

 

「……イヴよ。お前は、最近の国境付近の動きを知っておるか?」

「えぇ、存じております」

 

 老いてなお、堂々。嗄れた声で優しく、それでいて厳格にイヴに相対する領主イシュタール。

 

 その目には、不思議な光が宿っていた。

 

「ここから遥か北、レテオ山岳付近に帝国軍の本隊が結集しているとの噂です。恐らく、近々戦争が始まるでしょう」

「うむ。帝国は、儂らの領を避けて遠回りに我が国の首都を伺う心積もりらしい。色々理由はあるじゃろうが、一番の理由は何じゃと思う?」

「……我らの地が森林に覆われ、土地勘の無い者に不利であること。我らの領は、国全体を見渡しても最高の練度の兵士が集っていること。そして何より、悪路故の補給の困難さでしょうか」

「そうじゃ。大軍が通れる道を作っておらん我らの土地で、首都まで侵攻できるだけの物資を細々と補給し続けるのは困難を極める。首都侵攻を考えるのであれば、儂でも北から遠回りに攻め込むであろう」

 

 ライブを中断し、急に真面目な話を始めたイヴ。何やら、空気的には説教でも始まりそうな雰囲気だ。

 

 独断専行したことが、イシュタール侯爵の怒りに触れたのだろうか。

 

「で、あれば。どんな噂が流布される?」

「……噂、ですか」

「北から攻めるのが、本命。であらば、我が領にはどのような情報が流れてくるかの?」

 

 む? 噂?

 

 ……あぁ。そう言うことか。

 

「北から攻めるのが真実であれば、情報を錯綜させるため南……、つまり私達の領を脅かすと言う噂が流れるでしょう」

「うむ。であるから、敵が我が領を伺っているとの情報が届いた時、さもありなんと納得したものだ。情報戦術の基本であるからな」

 

 敵が北から攻めるのが本命なら、偽情報として「南から攻めるぞ」と僕らに漏らしておくだろう。それで少しでも警戒を煽れたら御の字である。

 

「……偽報を講じた敵にとって、我らの軍費の無駄な浪費こそ勝利である。儂も敵が我が領を伺っていると聞いてはいたが、情報戦術だろうと敢えて黙殺したのだ」

「成る程」

「イヴは何故、本当に奴等が攻めてくると分かった?」

「ええ、お答えします。敵は、私達を攻めた方がメリットが大きいからです」

 

 領主の問いに、イヴは流水のごとくスラスラと答えを返した。自らの考えに、絶対の自信があるらしい。

 

「逆に、敵にとっての最悪とはなんでしょうか?」

「そりゃ、北から侵攻する本隊の敗走であろう」

「ええ、その通り。だからこそ、敵は私達が北の戦場へ向かう事を恐れる」

「……」

 

 イヴはそう言うと、地面に木の枝で簡単な地図を書き記した。

 

「敵が我らの領から攻め入らないのであれば、余裕のある我が軍は援軍要請に応じて北へと向かうでしょう。さすれば北の戦線は敵にとってより厳しいものになる。だからこそ、我らはここに釘付けにせねばならない」

「おお……」

「今回の敵の襲撃の意図はそこです。我らの資源を奪い、継戦能力を削ぎ、そして我が軍をこの地に釘付けにする目的」

 

 イヴの考えは理解できた。つまり今回は領土を奪うのが狙いの攻撃ではなく、単なる牽制目的の侵攻だったと言いたいのだろう。

 

 農村が狙われてしまうのであれば、イヴ達はここを離れるわけにはいかなくなる。そうすることで、本命の戦線を有利にする狙いなのだ。

 

「敵が北の侵攻路を選択したからこそ、我らの領の村は危うい。牽制という毒にも薬にもならぬ戦略で、無駄な犠牲者が出る。そう判断し、敵軍の不穏を聞いてすぐに出陣しました」

「……そうか」

「此度の敵の部隊は、お世辞にも練度が高かったとは言えません。きっと、彼らは本隊に組み込まれなかった新兵の寄せ集め────。戦術目標が侵略ではなく略奪であらばこそ、彼らで十分だと判断されたと思われます」

「そうか、そうか」

 

 イヴの答えを聞いた老人は、ふぅと一息ついて。柔らかな笑みを浮かべ、イヴの頭を撫でた。

 

「……すまんの。儂が老いていた」

「お父様?」

「そうか。頼りないと思っていた我が子も、いつの間にか獅子へ育っていたか。あぁ、我ながら何たる無様を晒したものよ」

 

 イヴを撫でる領主の目は優しい。しかして、その目は何かの迷いを断ち切っていた。

 

「家督を譲ろう、イブリーフ」

「……え?」

 

 領主様は、そう言いきるとイブを抱き締めて。

 

「無論、お前にすべてを背負わせはしない。だが、お前はもう立派な長となる資格を持った」

「お父様……」

「儂はもう高齢。次の世代は、お前の世代だ。せめて儂が生きているうちに、お前の築き上げる世界を見せてくれ」

 

 領主様は柔和な笑みを浮かべ、その立場を娘のイヴへと譲ったのだった。

 

 ……時代が、僕の知る歴史とは全く違う方向へと歩みだし始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……と、言う訳で。イブリーフ侯爵、誕生です!」

 

 ライブ会場が、急遽として任官式場となり。イブリーフは兵士皆に見守られながら、その家督を受け取った。

 

 侯爵の立場を受け取った彼女は、式の後で満面の笑みを浮かべ僕に自慢しにきた。父親に認められたのが嬉しかったらしい。

 

「お、おめでとうございます」

「もー、敬語なんて要りませんってばポートさん。敬語は威厳ある人が使われるモノ。私みたいな弱虫が民に敬語を強要してたら、器が小さく見えてしまいます」

「いや、領主が農民にタメ口効かれたらまずいでしょう……」

「えー」

 

 小さな頃に一緒に遊んだことすらあるイヴが、随分と大物になってしまった。さすがに領主様を呼び捨てには出来ない。

 

「君が、ポート殿か。うむ、そうか……。あの時の利発そうな村長の娘殿であったか」

「こ、これはどうも。お久しぶりでございます、イシュタール様」

「イヴから話は聞いておるよ。君から貰ったという政治本が、イヴや我々を大きく発展させた。一度、君と話がしてみたかった。イヴが君の家に出掛けるというならば、儂も貴殿の家に邪魔しても良いかの?」

「え、ええ。大変光栄です」

 

 その、この州の最高権力者が2人セットになって我が家を訪れる事になった。

 

 正直、重圧で死にそうだ。

 

「ポートさんは、農富論を読破されておりますよね?」

「……ええ、まぁ」

「これから、我が州は忙しくなります。来るべき戦争に備え、高度に軍事拡張を進めねばなりません」

 

 イヴはそう言うと、僕の手を握って。

 

「人が足りません。我が家には優秀な武官が揃っていますが、政治に詳しい人材には欠けるところがあります。貴女の今回の指揮を見て確信しました、貴女であれば我が家の大黒柱になれるでしょう」

「え、ええ? 買いかぶりでは」

「あの本を理解した上で読破している時点で、文官の仕事は人並以上に出来るでしょう。農富論を理解してくれてる人自体が、我が家にはかなり少ないのです。ポートさんには是非、私の下で仕事をしていただけると……」

「ちょ、ちょっと待った!」

 

 数年ぶりに会ったイヴは、僕に熱烈なラブコールを投げかけた。正直困る。

 

 そりゃ、あの本を書いたのは僕だけど……。あーいう内容はイヴの立場の人間が読んでこそなのだ。

 

 僕みたいな下っ端貴族が理解してても、あんまり意味が……。

 

「うちの家臣の識字率が低くて、まだ読破すら出来てない文官もいる始末なんです。ポートさん、私を助けると思って」

「え、えぇ……」

「儂らの家訓は『敵より強くあれ』だからのう。部下もみな体を鍛えることには努力を惜しまぬが、頭脳労働はあまり得手ではないらしい。今までは儂一人でなんとかしていたが、情勢が変わってちと手が足りぬ」

「……」

 

 そうか。武闘派集団といえば聞こえがいいが、その片方で内政に長けてる人が少ないのか。

 

 そういや前世でも、イブリーフの無茶な命令を止めようとしてる人もいなさそうだったしなぁ。本当に領主様が一手に担ってたのか、内政。

 

「この、戦争が一段落つくまででも。一人でも多くの文官が必要なのです、ポートさん」

「……成る程。僕の家に来たいだなんて言うから何かと思えば、要は勧誘ですか」

「え、いや、そうではなく。……本音を言えば私はただ、数少ない友人と言える立場の貴女に近くにい居て欲しいのです」

「報告を聞く限り、君は非常に優秀だそうだしの。在野の賢人は、得ようと思ってもなかなか得れぬ」

 

 ……そんなことを言われてもなぁ。

 

「過分な評価を頂き光栄なのですが、申し訳ございません領主様。僕は、この村に生まれこの村に育てられました。僕を育ててくれたこの村の繁栄こそ、僕の悲願……。ありがたいお話ですが、伏して辞させていただこうと思います」

「……そうですか。なら、仕方ありませんね」

 

 イヴには悪いけれど、正直言ってこの領の未来まで背負い込むだけの能力は僕に無い。この村一つ守り抜けるかどうかも分からないのだ、余計な事をしている余裕はない。

 

 都の図書館とか正直興味はあるし一度は行ってみたいけれど、イヴの部下になってしまったらこの村がピンチの時に戻ってこれるか分からない。

 

「ふむ、気が変わったら何時でも来ると良い。イヴを支えてくれる人間は一人でも多いと良いからの」

「ええ、すみません」

「昔話になるが……。今我が軍の大将をしとるゾラの奴もな、最初は儂の喧嘩相手だったのよ。アイツとは下らないことで毎日喧嘩しとったな。そんな領主を継ぐ前の対等な友人こそ、決して裏切らぬ最後まで信用のおける味方となる」

「……」

「まぁ、無理にとは言うまいよ。君の人生だ、君が好きに決めなさい」

 

 ああ成程。つまりさっきのイヴの誘いに応じていたら、僕は腹心みたいな扱いにされていたのか。

 

 それは……申し訳ないがありえない。そこまで、僕はイヴに尽くす理由を持っていない。

 

「振られてしまいました、お父様。くすん」

「かっかっか。女に振られるとは、お前も成長したのう」

 

 まぁ、あわよくばという程度だったのだろう。僕の返答を聞きため息混じりにションボリしているイヴと、それを見て笑いながら慰めている二人からは本気の悲壮さは感じられなかった。

 

 むしろ、予想通りといった雰囲気だ。

 

「では、どうします? 今から家に寄られますかイヴ様」

「もー、敬語は本当にやめてくださいよ……。当然寄ります。仕官は振られましたけど、ポートさんとは友人ですもの。私だってたまにはお友達の家に遊びに行きたいです」

「そ、そうですか」

 

 だが、イヴは僕のこと友人と言ってくれている。なら、僕もその友情には応えねばならない。

 

 僕の家に来ることで、毎日忙しいだろうイヴの疲れを少しでも癒すことが出来るなら、今夜はそれに付き合おう。

 

「では、ご案内します。書庫に、明かりを灯しておきますよ」

「まぁ。また、あの場所に行けるのですね」

 

 イヴはそういって、僕の手を握ったまま微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ。何も変わりませんね」

 

 領主様とイヴを伴い帰り着いたころには、既に陽は落ちて夜闇が我が家を包んでいた。

 

 敵兵に多少荒らされた跡があったものの、僕の家は幸いにも大きな損傷なく残っていた。

 

「初めてポートさんにお会いした日。私は貴女に手を引かれ、この家へと招かれた」

「……そうでしたね」

「何を思ったのでしょうか。ポートさんは私を書庫に連れ込んで、『本でも一緒に読まないかい』と誘ってくださった。子供に誘う遊びではないでしょうに」

「僕は本が好きだったけど、周りに本について語り合える人が居なくてね。イヴは名門貴族だから、本も読めるだろうと思ったんだ」

「昔から本が好きだったんですね」

 

 イヴを誘った本当の理由は、僕が悲惨な未来を知っていたから。イブリーフに少しでもまともな政策をしてもらおうと、書き連ねたのがあの本である。

 

 あんな本が巡り巡って、ここまで未来を変えることになるとは思っていなかった。イブリーフがまともになるし、その影響なのか戦争が早まってるし。

 

「今夜は、どうせこの村で1泊することになるでしょう。お二人とも、僕の家にお泊りになられますか?」

「よろしければ是非。護衛の方、今日はこの家を守ってください」

 

 気を利かせ、イブ達には客間で泊まってもらうことにする。イヴの自宅に比べれば質素なものだが、テントに寝袋を敷くよりかは多少は寝心地が良いだろう。

 

「ねぇポートさん、今から書庫に参りましょう。……久しぶりに、あそこで農冨論について論じ合いたいものです」

「ええ、いいですとも」

「子供の頃は教わるばっかりでしたけど、あの本はとっても読みこみましたから。もう、ポートさんには負けませんよ」

 

 そうか。そんなに農冨論を読み込んでくれたのか。

 

 作者としてはうれしいような、騙したようで申し訳ないような。農冨論は7歳の女の子が知った風な口をきいているだけの政治本だけど、それでもここまで読み込んでもらえたなら少しは価値のあるものだったのかもしれない。

 

「僕も、その本についてはそこそこ詳しいつもりさ。僕でよければ、お付き合いしますよ」

「……ふふ。うれしいです」

 

 大きく成長し、政治のリアルを知ったイヴとの議論。それは、きっと僕にとっても有益な時間となるだろう。

 

 僕は農民と同じ目線はもっているけど、領主クラスの為政者の目線は分からない。それを、イヴとの会話を通じて感じ取れるかもしれない。

 

「ほ、ほ、ほ。若いとは、羨ましいの」

「まったくです」

 

 そんな僕とイヴの様子を、既に家に帰りついていた両親と領主様が微笑ましく眺めていた。

 

 

 

 

 

「さて。今日は前々から感じていた、農冨論の矛盾点について議論したいと思います」

「矛盾点ですか。それは一体?」

 

 農冨論の写本を開き、鼻息荒く少し興奮した様子のイヴ。

 

 領主様曰く、久し振りに羽目を外している様子だという。僕と会えたことが嬉しかったのだろうとの事。

 

 そこまで親愛の情を示されると、こそばゆくなる。

 

「農冨論には、最低限の『道徳』が民には求められています。その道徳を乱すようなものを、『法規』で処罰するべきであるとされています。しかし、後の項で同時に民は『理性の存在しない、動物のような存在』とも見なされている」

「……ふむ」

「動物に道徳は求められません。動物を律するのと、道徳ある人間を律するのを同一視は出来ないでしょう。この作者は、実際のところ民をどのように捉えていたのでしょうか」

「そうだね、その二つの記述は一見して矛盾しているように見える。でも────」

 

 やはり、イヴは知的だ。僕の知っている人間の中でも、一等頭の良い人間だろう。

 

 今日は久しぶりに、頭をフル回転させて作者としての意地を見せねばならない。

 

「────つまり、道徳というのは集団が集団たる核なんだ。動物に置き換えると、それは習性と名前が変わるだけ。動物にも人間における道徳に近い概念は存在しているんだよ」

「成る程。つまり、狼における群れの掟のようなものでしょうか」

「それを、人間の世界では道徳と呼称している。しかし、人間は本質的にどこまでも貪欲なのさ。道徳と言う概念に縛られようと、時として自身の欲望におぼれ罪を犯す」

 

 これは、想像した以上に楽しい時間だった。

 

 優れた頭脳を持つ権力者と、政治という高度な内容について議論し理解を深め合う。

 

 ……もしかしたら。イヴの誘いを断りはしたけれど、本来の僕の人間としての適性は文官なのかもしれない。

 

 誰か絶対的な主導者の下で、その覇業を支え方策を提案し議論を交わす。適正だけなら、なるほど僕は向いているだろう。

 

「では、結局のところ。作者は、動物だろうと人間であろうと集団としての性質は同一であると考えているのでしょうか?」

「それは違うと思う。そもそも、動物の集団と人間の集団は一つ決定的に違うところがあるんだ」

「それは?」

「知恵だろう。動物の単純な思考回路では想像もできないような、狡猾で悪辣な犯罪者というものが存在するからね」

 

 もし、生まれが変わっていれば。

 

 もし、僕がイヴの配下として生まれ、『滅びゆく国を救う』ために生きていたのであれば。

 

 

「……」

 

 

 ────いや、よそう。

 

 そんな無意味な過程をしても、きっと何も現実は変わらない。

 

 それに今世のイブリーフは優秀だ、国が亡ぶなんて未来があるわけない。

 

「……」

「どうしたの、イヴ。もう、議論は終わりかい」

「……」

 

 夢中になって、論ずること十数分。

 

 あれだけ饒舌だったイヴが黙り込み、静かに虚空を見つめている。

 

「……イヴ?」

 

 どうかしたのだろうか。もう、議論のネタが尽きてしまったのだろうか。

 

 なら、こちらから話題を振ってもいいかもしれない。僕は、まだまだ彼女と議論していたい。

 

 そう、感じて────

 

 

 

 

「民、冨論?」

「……へ?」

 

 

 

 

 ふと、イヴの目線の先に目をやると。

 

 そこには、まだ書きかけの僕の新作の政治本が書庫の本棚に堂々と立てかけられてあった。

 

 ……。

 

「え、あ、ポートさん? あの本は一体……」

「な、なんの事だい? あはははは」

「え、あ、ちょ。まさか、同じ作者様の!? え、嘘!」

 

 しまった。隠すのを忘れていた。

 

 僕は何を考えていたんだ。民冨論なんて分かりやすすぎるタイトルで何故書いてしまったんだ。

 

 作者バレする大ピンチじゃないか!

 

「よ、よよよ読ませてください!! その本を、今夜私に貸してください!!」

「ま、待つんだイヴ。落ち着いて、深呼吸して。はい」

「すぅー、はぁー。……で、あの本は同じ作者さんの著作なんですか!?」

 

 やばい。全然落ち着いてくれない。

 

 ど、どう答えるべきだ。あの本はまだ未完成で、内容も中途半端そのもの。あんな本を読まれるわけにはいかない。

 

「わ、分からないけれど。あれも僕の写本なんだよ、イヴ」

「写本ですか。じゃ、じゃあ原本もあるんですね!? 買います、買わせていただきます! 言い値をどうぞ、ポートさん!」

「そ、その。あの本は申し訳ないけど、まだ写している途中でね……未完成なんだよ」

「そ、そうですか。では……」

 

 ど、どうしよう。あんなの見つかったら、絶対に回収されてしまう。

 

 よし、ここは時間を稼ぐしかない。

 

「イヴ、あの写本は君に渡すよ。数日待ってくれないか、本を写せたら君に渡そうじゃないか」

「え、ええ。本当ですね? わかりました……、お待ちしましょう」

 

 よ、よし。これで何とか数日ゲットだ。

 

 こうなれば、急いで執筆を続けて無理やり書き上げて────

 

「では、今日は原本を見せてもらえませんか? できれば、作者様の筆跡も見たいのです」

「……」

「私が持っていたのは、ポートさんの写本ですから。出来れば農冨論の原本も、見せていただけると嬉しいです」

「…………」

 

 え、原本?

 

 いや。えっと。

 

「げ、原本は見せられないんだ。本当に申し訳ないんだけど、うちの書庫のルールというか掟的なアレで原本は一族の人間にしか見せられなくて」

「……では、そこの本棚に並べられているモノは写本のみなんですか?」

「そ、そうなんだ。あははは」

「棚の上段にあるエ・コリ聴聞録。その書物は貴方の曽祖父が直に記した原本である、幼い頃にそう自慢された記憶があるのですが」

「あ、あはははは」

 

 ……。

 

「……あら、ポート聴聞録? これは……貴女の書いたものですか? タイトル的にも、ポートさんの曽祖父を敬ったものですね」

「え、ええ。その本は、僕が旅人さんから見聞きしたことを纏めたもので……」

「では、農冨論や民冨論と同じ棚にポートさんの著作が並んでいるのはどういう訳でしょうか」

「……」

 

 ……。

 

「いや、でも。よく考えたら、そんな────」

「待ってくれイヴ。君は何か誤解をしているんじゃないかい? 一度よく話し合おう、それが大切だ」

「こんな優れた内容なのに、作者の名前がないのもおかしかったです。これを著した人物は、何を目的にこの本を書いたのでしょう? 普通政治本を書くような人は仕官を目的にしているはず」

「あの、イヴ、その」

「それに前から不思議でした。この本に書かれていた風習や文化は、どうみても最近の時代のモノが含まれていた。ポートさんの話では、かなり前に書かれた本のはずなのに」

 

 ああ。イヴは頭がいい。

 

 小さなころは騙せた『子供騙し』が、通用する年齢ではなくなっている。

 

「……ま、さか────」

「……」

 

 これ以上は、もう無理だろう。

 

 状況証拠が揃いまくっている、誤魔化せるレベルを超えてしまっている。

 

 小さなころについた嘘が、ようやく綻んで化けの皮がはがれたという事だろう。

 

「まさか、これ、ポートさんの……」

「……イヴ」

 

 もう、これ以上見苦しい真似はしない。

 

 僕は堂々と顔を上げ、そのまま垂直に頭を床まで下げ土下座して。

 

 

「騙していて申し訳ありませんでした!」

「……あ」

「その本は僕が、僕が書いた落書きなんです。こんなに広められることになるとは思わなくて。ごめんなさい!」

 

 

 自身の、過去の非礼を詫びた。

 

 イブリーフがあんな成長をしないように、僕はそれだけで頭がいっぱいだった。

 

 結果として、僕を友人だと思ってくれているイヴをずっとだまし続けていた事になる。

 

「……」

 

 イヴは、黙って僕を見下ろしている。

 

 彼女の心境はいかなるものだろうか。今までずっと、高名な人間が書いた本だと信じて疑わなかった教科書が7歳児の落書きだと知って、どれほど傷ついただろうか。

 

 だが、僕にはただ詫びることしかできない。伏して、命だけは許してくださいと願う事しかできない。

 

「……き」

「き?」

 

 彼女だけじゃない。僕は、領主様をも騙していたことになる。

 

 二人は一体、どんな審判を僕に下すのだろうか。出来れば、村に被害が及ぶような事は────

 

 

「きゃああぁぁ!! や、やったぁぁぁ!!」

「……へ?」

 

 

 がっしり。

 

 イヴは突然に目を輝かせ、頭を下げている僕の両肩をガッシリ掴み上げた。

 

「やっぱり! もしかして、もしかしたらと思っていたの! 居た、あの本の作者がこんなにも身近な場所にいてくれた!!」

「え、い、イヴ?」

「ふふ、うふふふふ! 人材、喉から手が出るほど欲しかった政治の人傑がこんな場所にいた!! うふ、うふふふ!!」

 

 ど、どうしたというのだろう。イヴは壊れたように高い声で笑いながら、頭を下げていた僕を抱き上げて肩に背負った。

 

「事情が変わりました、ポートさん。申し訳ありませんけど、こういう事はあまりしたく在りませんけど!」

「な、何だいイヴ?」

「強権発動ですわ、領主特権で貴女の身柄を拘束しますわ! ごめんなさい、後でとっても謝りますから!」

「あ、あーれー!?」

 

 そのまま、拉致とでもいうのだろうか。

 

 僕はか細いくせに妙に力の強いイヴに抱きかかえられ、そのまま運ばれていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「お父様!!」

「おや、イヴ……、と、ポート殿? どうしたかの」

 

 ああ、無情。これから僕はどうされるのだろうか。

 

 とても嫌な予感がする。政治の人傑って何だ、僕を一体どうするつもりだ。

 

「聞いてくださいお父様、かくかくしかじかで!! ポートさんが、本物の作者様で!!」

「……ほ?」

 

 先ほど起きた内容を、イヴはそのまま報告した。彼女の言葉を聞き、領主様は目を丸くして驚いていた。

 

 ……これで、領主様にも僕の嘘が広まってしまったことになる。領主様は、僕を一体どう裁くつもりだろう。

 

「……本当なのかい、ポート殿」

「は、はいぃ……」

 

 こ、怖い。領主様の目の奥がきらりと光った。

 

 もしや、すごく怒っているのだろうか。まさか殺されないよね、大丈夫だよね。

 

「あぁ、とうとうバレちゃったのかいポート」

「と、父さん。そんな、軽く」

「7歳であれだけの本を書いたんだ、君はもっと堂々としているべきだ。僕は、そう思っていたがね」

 

 一方で父さんは、領主様の前で優雅にホットミルクを飲んでいる。

 

 こんなとんでもない秘密がばれたというのに涼しい顔だ。何でそんなに落ち着き払っているんだ。

 

「村長殿。貴方は知っておったのか」

「最近知りましたよ、むしろ納得しましたけどね。以前からポートは、出来が良いというレベルを超えていた。親の欲目ではなく、彼女はまぎれもなく神童です」

「……」

「ポートはあの年で、この村の酒税導入や店の配置に商業流通などこの村の色々なところに関わっています。正直、親としては恥ずかしいけれど、今すぐ村長を譲っても僕以上にうまくやると思います。だからこそ、惜しかった」

 

 父さんは、内心大慌ての僕を見て小さく笑っていた。

 

「僕としては、ポートをこんな小さな村に閉じ込めていていいのかと疑問だった」

「な、何を言ってるんだよ父さん。僕は生まれてから、この村の村長として────」

「うん、君の気持ちはだれよりもよく知っている。だから、今まで何も言わなかっただろう?」

 

 父さんは、いきなり何を言い出すんだ。そんな言い方をしたら、僕がまるでイヴの配下になっても構わないかのような言い方じゃないか。

 

 父親なら、断固として娘は渡さない的な態度をとって欲しいんだけど!

 

「……利発そう、か。ポート殿はそんな可愛いレベルではなかったようだな、やはり儂の目も老いていたか」

「え、いや、その。領主様?」

「……ポート殿。老い先短い老人から、伏して頼みたいことがある」

 

 こ、これは。

 

 今までイヴや領主様を騙していた責任を取らされて、文官として仕事をさせられてしまうパターンか。

 

 冗談じゃない。せっかくラルフと婚約して、やっと悲願の村を守れる体制が整ったんだ。お役所仕事にかまけて村の窮地にかかわれないなんて、そんな無様なことになってたまるか。

 

「ポート殿」

「は、はい」

 

 だが、どう断る? どういえば、この二人を納得させられる?

 

 やっと念願叶ってラルフと婚約したんだ、絶対に僕は────

 

 

 

 

「イヴの、嫁に来てくれんか」

「────はい?」

 

 

 

 

 ────2夜連続。

 

 僕は、この州の最高権力者からの命令で、連日のプロポーズを受けたのだった。

 

 

 

「……♪」

 

 その背後。

 

 領主様の御言葉を聞き、イヴは大層嬉しそうに頬を緩めていた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。