ファイアーエムブレム 聖戦の系譜 〜 氷雪の融解者(上巻) 作:Edward
戦火の残るセイレーンに入り込む悪意は徐々に城内を侵食していきつつあった。
カルトの張った感応魔法を察知するや、通常では往来しない裏口からの侵入する。もちろんカルトの感応魔法は裏口にも設置しているが人目のないこの場所なら解除魔法を使用しても気付かれない。
感応魔法を完全に解除すればカルトに不審を与えてしまう為、入り込む瞬間のみ感知されない一時解除を試みる・・・。
「・・・相変わらず周到な奴だ、波長を読み取るだけでも一苦労だな・・・。」ローブの中からため息混じりに呟く、裏口の扉に手を当てながら様々な魔力を放出させてカルトの魔法を嗅ぎ取るように探り当てていた。
カルトに張られた魔力の波長に対して反転した魔力を送り込み、その瞬間にすり抜ける高等技術・・・。これは並の魔道士にできる芸当ではない、波長を変えて相手の魔力に直接触れる事が出来るのは極一部の魔道士のみである。調理場に入り込んだ魔道士はしばらくしても襲撃の様子はないと見ると悠然と歩み出す。
狙いはディアドラ一人・・・。シギュンが数奇な人生の翻弄の果てに禁忌を破り、産み落とした一人の女がこの世を反転させる鍵となるのだ。ローブの男は不気味な笑みを湛えながらその波動を追って行くのである。
「エスニャ、頑張りましたね。・・・元気な女の子ですよ。」ディアドラが取り上げたエスニャの子は大声で泣いていた。エスニャは大量の汗と、絶え絶えの息を整えながら我が子の誕生に感動する、しかし彼女には別の感情も同時に渦巻いていた。
「カルト様は来られませんでしたね、ごめんねこんな時で・・・。」エスニャは呟くように生まれた我が子に謝罪する、こんな有事中ではカルトもさすがに我が子の出産にこの場へくるのは難しかった。
「そんな事はありませんよ。この戦乱の中でもつぎを担う子供はどの時代でも希望なのですから・・・、カルト様に嬉しい報告をしてあげましょう。」
新生児を湯で清め、産着を着せて戻ってきたディアドラはこの言葉に応じる。泣き終えた子はもうすでに寝息を立てて休んでいてエスニャの横にそっと子供を置くと、エスニャはその小さな手を握った。
「そうですね・・・。でも、もう少し待ちましょう。
あの人に教えてしまいますと戦時中でもこの子の名前をずっと考えてそうな気がします。」エスニャの上段にディアドラは笑みをこぼしたのであった。
「ディアドラ様、他の方はもう生まれたのですか?」後産の処理を終え、母乳を与えるエスニャは三角巾を外したディアドラへ問いかける。
第2期ベビーブームを迎えたシアルフィ軍の女性陣はセイレーン城の一角で産科病院のような状態と化していた。産婆が常駐し、臨月を迎えた女性陣を見守っている。
「ええ、先日はエーディンが女の子を出産しましたよ。あと少しすればブリキッドとティルテュも・・・。」ディアドラは一通りの仕事を終えると、ようやく椅子に腰掛けてスヤスヤと眠る新生児を優しく見つめた。早くもむくみと赤みが消え始め、濡れた髪もすっかり整い始めていた。小さな額をそっと撫でると、ディアドラははっと思い出してせっかく座った椅子から飛び上がる。
「すっかり忘れていましたわ、そろそろアミッドをここへ連れてきてあげましょう。セリスも連れてきていいかしら?
あの二人、すっかり一緒に生活しているから兄弟みたいになってるのですよ。」
「すみません、アミッドまで面倒を見てもらいまして・・・。」エスニャは頭を一つ下げるとディアドラはクスリと笑う。
「そんな事ありませんよ。アミッドとセリスは同じ日に生まれているのにアミッドの方がお兄ちゃんみたいですよ、セリスも刺激を受けて言葉を喋り始めたくらいなんですから。」
「まあ!あのアミッドが?誰かさん譲りの口の悪さがセリス様に移らなければいいのですが・・・。」エスニャの冗談に二人はふっと笑うのであった。
その和やかな会話とは裏腹に、慌ただしい足跡が徐々に大きくなりながら不安を連れてくる。ディアドラはこちらに向かっていると思い、振り返った時に乳母の一人が慌ただしく二人の部屋に入室する。顔面は蒼白であり只事ではない事が伺えた。
「ディアドラ様、エスニャ様!!大変です。セリス様が突然現れた賊に攫われました!!」ディアドラは立ち上がって側に置いている聖所杖を手にたぐり寄せた。
「落ち着いて、セリスと一緒にいたアミッドは無事なんですか?」ディアドラは乳母を落ち着かせる為に努めて冷静に状況を確かめる。
「は、はい・・・。アミッド様は抵抗されまして、最後に突然光を発しました。賊は諦めてセリス様だけを攫って書き置きを残して消えました。」乳母はディアドラにその文を渡す。ディアドラはその文面を追うと表情はみるみるうちに険しくなる、そして一つの決意を胸に秘めたのか決した表情を見せると重い口を開いた。
「エスニャごめんなさい、私はセリスを迎えに行きます。」
「だ、駄目です!お一人で行かれるつもりなのですね、文面に何が書かれているのかわかりませんが罠です。
セリス様もディアドラ様も命の保証がないのですよ。」エスニャは立ち上がろうとするがディアドラは制する、決意を秘めているがその優しい表情は崩れない。麗しきディアドラはどんな時も優しく包み込むようであった。
「それでも私が行かなければセリスが無事では済みません。
エスニャ、ごめんなさい・・・。わかって・・・。」
「そんな!みんなで考えましょう!!きっとカルト様やシグルド様なら最前の手を見つけてくれます、早まってはいけません。」エスニャの決死の引き止めをするが、彼女はまるで運命が引き寄せるかのように揺るがない・・・。一体何が書かれているのかエスニャには察する事は出来なかった。
「そうしたいのですが時間がありません・・・、今それが出来るのは私だけです。それに、エスニャに嫌われたくありませんから・・・。」ディアドラは一雫、また一雫と涙を零す。セリスを案じての悲しみだけではない事が窺い知れる、彼女は一体何を背負い悲しんでいるのだろうか・・・。エスニャは混乱する気持ちを抑えて状況を整理するが糸口が見当たらない、今は引き留めることのみを考えていた。
「ディアドラ様、お願いです!その悲しみを私に共有させて下さい!!私も聞く以上、覚悟を決めてお聞きします!!ディアドラ様が何様であっても私の感謝の気持ちは変わりません。この子に誓って!!」エスニャは今日産まれた我が子をそっと抱いて宣言する。
ディアドラが取り上げてくれたこの子に誓って彼女の気持ちを無にする事はない、女性同士の決意表明には充分な効力のある誓いであった。
ディアドラもまた表情を一瞬崩す、エスニャにこの苦しい想いを伝えたい。伝えられたらどんなに救われるか、彼女は揺り動く・・・。だが最後の最後まで彼女は濁流に本流される気持ちを必死に堰き止めた、エスニャに再び悲痛な笑顔を向けた。
「ディアドラ様!」
「スリープ・・・。」エスニャの言葉を遮り聖杖から虹色に輝く粒子が部屋を充満していく・・・。
普段のエスニャなら耐えられたかもしれない、しかし出産直後の疲労ではディアドラの魔力を抑える事はできなかった。魔法に抵抗のない側にいた乳母は既に眠りに就いている。
「ディアドラ様・・・、お待ち下さい。」エスニャはそれでも全身の魔力を集めて彼女を止めようと裾を掴む、握力も徐々に抜けて行き、引き留めるのは数秒も出来ない。それでもエスニャは必死に抵抗する。
「ごめんね、エスニャ・・・。あなたは本当に私のよき理解者です。それだけに辛いの・・・わかってね。」ディアドラの言葉にエスニャは察する。エスニャの瞳から涙が溢れ、彼女の表情が読めない・・・。
「この子は近くの乳母に預けておくから安心して・・・。エスニャ、あなたとあなたの子達もまた数奇な運命を持ってます。強く生きるのですよ、負けないでね。」エスニャはとうとう意識を魔法に刈り取られ、ディアドラとの別れとなるのであった。
「・・・・・エスニャ!・・・・・・エスニャ!!」徐々に意識が戻ってくる。微睡みから再び意識がはっきりしていくのは愛する夫のレストによる、魔法解除によるものであった。
魔力により、強制的に復活した意識は初めからはっきりしている。
飛び起きるなりカルトのローブの裾を掴んだ。
「カルト様!済みません!!ディアドラ様が!!」冷静さを失ってるエスニャに、カルトは両肩を掴んで見つめて自身の胸に抱き寄せた。
「・・・わかっているつもりだ。それに謝るのは俺の方だ、出産直後にこんな事になってしまって・・・。済まない・・・。」
「カルト様・・・。」一筋の涙を流して安心して身を彼に委ねた。
「行ってください・・・。そして、みんなを連れて帰ってきて下さいね。」エスニャの言葉にカルトはそっと彼女から離れると、無言でうなづく。そして白銀のローブを整えると翻して退室する。
ドアに手をかけた時、そっと振り返った・・・。
「エスニャ・・・。」
「はい・・・。」
「リンダ」
「え・・・?」
「あの子の名前だ。予想通り女の子だったからな、前から決めていたんだ・・・。意味は、みんなを連れて帰った時に話すよ。」カルトの笑みにエスニャは出産後、カルトに笑顔を向けたのであった。
「くそ、くそ!・・・クソったれえー!!」カルトは最上階のテラスを蹴破るように開けはなつとセイレーンの空へ叫んだ。
聖杖を振り回し、魔力を解放させながら叫ぶ彼を見れば気が触れたかと思うだろう。それでも彼は理性は失っていない、だからこそ苦しくて自身の失態に腹立たしく激流となって押し寄せていた。
賊とディアドラは転移でこの場から離れている。
遠方の転移はディアドラでも出来ないはず・・・。
ディアドラがシレジア内で行った事のある場所。
そこから導かれる答えはわかっていた。
すぐ様転移し、カルトもまたセイレーンを後にするのであった・・・。
バーハラでは一つの灯火が消えようとしていた・・・。
すっかり床に臥せていたグランベル公国の国王であるアズムール陛下の崩御の時であった。
「アルヴィス・・・。お前だけは変わらず私に仕えてくれた事を嬉しく思うぞ。」床の側に控えるアルヴィスは陛下が起き上がろうとする上体を支えると水差しを口元へやり、喉を潤した・・・。
ここ数日病が進み食料も採らなくなっており、日に日に衰弱するアズムール王。
カルトの住むシレジアがアグストリアの一件で同盟破棄となり、気をもんでいた事が病床を悪くさせているのであろう・・・。
彼がアグストリアに行ってから定期的に行なっていた伝心魔法も応じず、文も帰ってくる事はなくて陛下は気を弱くされていた。
「アルヴィス・・・、シレジアは本当に同盟を破棄したのだろうか?他意があって行きたがっているのではないか?」
「陛下・・・、残念ですがどう解釈してもそのような都合のいい事は考えられません。
アグストリアでエルトシャンと結託したシグルドはバイロン公の逆恨みでランゴバルド公を卑怯な騙し討ちをしました、それはレプトール公が見ております。カルトの手引きでシレジアへ亡命させ、ここへ攻め登る準備をしていると聞きます。
いち早く察知したアンドレイ公は、シレジアで虐げられていたドノバン将軍の悲痛な要請に応じて出動しましたがレヴィン王の謀略で敗走しました。
このような状況で彼らを擁護する事はできません・・・。」
「・・・アルヴィスがそこまで考えているならそうであろうな。
ファラフレイムは正義の炎の象徴・・・、アルヴィスの判断を信じよう。・・・だが、死にゆく儂の最後の願いだ・・・。聞いてはくれないか?」頭を下げる陛下にアルヴィスは動揺をみせた。
「何を言われるのです、陛下のお心は私と共にあります。陛下の為す事は私の使命・・・。最後とは言わず、私達を導き下さい。」
「アルヴィス・・・、ありがとう。
願いというのはお前が探し出してくれたナーガの書の事だ・・・。これをカルトに渡してほしい。・・・お前が言い分もわかるが、カルト公はこの書に認められる可能性のある人物だ。戦争になっても彼を捕縛して、確かめて欲しいのだ。
できれば平和的に成して欲しいのだが、儂にはもう時間がない。この使命を、託したい。」
「・・・・・・畏まりました。その命、私の命に代えてもやり遂げましょう。」
「そうか・・・、それを聞いて安心した。あの書が世に出てしまった事で儂は恐れている、ナーガの血は絶えてはならん。あの書に対抗できるのは十二聖戦士で持ってしてもナーガだけじゃ・・・。決して小さな希望でも確かめ、もしナーガの書に認められれば保護しなければならぬ・・・。
アルヴィスよ・・・、ナーガの書を扱える者が出るまでの間お前がグランベルを導いくのだ・・・。その者が出来れば最後に王位を与えて再びナーガの血筋を絶やさぬように頼む・・・。」
「はっ!陛下の御心のままに・・・。」アルヴィスは上体を元の床へ戻すと陛下が寝入るまで側に控え続けていたのであった。
私室に戻ったアルヴィスは入るなり豪奢な戸棚より、見事に磨き抜かれたグラスを引き抜くと左手に持ったワインをテーブルに荒々しく打ち付けるように置くとコルクの栓を力づくで引き抜く・・・。テーブルに飛沫が飛んでも気にする事はない、瓶をひっくり返すようにグラスに注ぐと一気に飲み干した。
炎の様に荒々しく、怒りがランゴバルドに引けを取らないくらいである。
項垂れながらワインをグラスに注ぐ気力もなく、瓶に口を付けて飲み始めるアルヴィスを背後から抱きしめる一人の女性がいた。
「アイーダ、今日の俺は格別機嫌が悪い・・・。今すぐ出て行け・・・。」普段はそんな劣情を見せないアルヴィスにアイーダは驚くが、すぐに元の精神状態に戻りアルヴィスの膝にアイーダは顎を乗せて甘える様に上目遣いに見つめた。
「なら、その獣のアルヴィス様に襲われたみたいですわ。その激しい炎に灼かれて、受け止めたい・・・。」アイーダは身に纏うシーツを床に落とすと一糸まとわぬ肢体をアルヴィスに晒す、アルヴィスは鼻を鳴らすとアイーダを抱き上げる。アイーダは、アルヴィスの首に手を回すと頰に口づけをする。
「後悔するなよ・・・。」
「アルヴィス様の御心のままに・・・。」
二人は寝室の闇に溶けていくのであった・・・。