これはクリスマスプレゼントのようなもの
「この地底もすっかり賑やかになってしまいました」
迷惑そうにぼやくのは、地霊殿にいるはずのさとりのものだった。
ひっきりなしに続く来客に嫌気が差したか、居城を離れわざわざ仏師のいる縦穴まで避難していた。
異変解決に訪れた巫女たちの騒動から、もう何日も経った日の事である。
この地底世界は、異変をきっかけに大きな変化を迎えた。今回の異変の解決を皮切りに、結ばれた約定の大幅な緩和が認められたのだ。
まず手始めに山の神主導のもと、地底と地上を繋ぐ昇降機が河童の革新的な技術力と鬼の埒外の建設力を惜しみなく振るって施工された。妖怪の山のふもとで饒舌に蒸気を吹き上げる様子は実にハイカラで、大地の上下を問わず大衆の興味を大いに惹き、地霊異変に関心が無かった者たちをも集めた。
今や地底は幻想郷の観光名所の様な扱いである。決まった面子で同じ温度の喧騒が繰り返されていた地底は、新しい風によって大いに盛り上がっている。
幸いにもこの縦穴は旧地獄街道を抜けた更に奥に位置するので、灼熱地獄跡に直結する昇降機からは距離がある。そのため、この場所はまだほとんど衆目に触れていない。
よって縦穴だけは今まで通り、いや以前にも増して閑散としていた。
「岩の裏側で静かに暮らすダンゴムシを強引に太陽の下に晒すが如き所業ですよこれは」
「お前さんの監督不届きが招いた事態じゃろう」
聞けば事の発端となったお空の八咫烏の力は、異変の佳境まで誰も知らなかったという。お燐の暗躍など事情はあったにせよ、どうしても責任はさとりの元に帰結する。
悲しきかな、主というものはいつだって世知辛いものだ。
「小言はやめてくださいよ、気が滅入ります」
さとりが第三の目ともども明後日の方向を遠く見つめる。
どうやら仏師に言われるまでもなくそれを実感しているらしい。
あるいは、既に他の誰かに追及されたか。どちらにせよ、このようにしなびたさとりの姿は仏師には新鮮に映った。
仏師のさとりの印象といえば、口元に嫌らしい笑みを湛えたまま滔々とこちらの思考を読み上げる楽し気なものだ。
けれど、今のさとりにその面影はない。連日訪れる来客がよほど堪えたと見える。
第三の目も今は仏師から視線を外し、読心は行われていないようだ。
「容赦のない巫女でした」
「妖どもの抑止には、あれくらいでなければ務まらんのじゃろう」
あの紅白装束の巫女は、ひどく横暴で好戦的だった。まさしく問答無用といった具合で襲い掛かってきたのは仏師の記憶に新しい。
最終的には声だけの存在が仲裁することによって場は収まったものの、あれはいよいよ退治も辞さないという強固な姿勢だった。
さて、その声だけの存在はそのとき『伊吹萃香』と名乗った。同時に、かつての山の四天王だとも。
恐らくは、勇儀の旧友。
結局その場は巫女が先を急いでいたので、その声との話はそこで終わってしまったが、きっと彼女とはまた別の縁があるだろう。というか、多分向こうから押しかけてくる。
彼女のことは、またその時に考えればいいだろう。
どうやら一端の鬼であるらしいので、きっとそのときは上質の茶も一緒だ。
「後ろのそれは?」
「ああ、ほんの流れ弾でな」
さとりが興味を持ったのは、未完成のままの山の神の像だった。その首は破砕され見る影もない。完成を迎える前に戦闘の余波で破壊されてしまったのだ。
大岩を削り出して彫られた緻密な像は、首無しの姿で放置されていた。
今となっては像の従える大蛇が面影を残すのみである。貌の無い偶像では、信仰の対象足りえないだろう。
一応、大きな陰陽玉が直撃した際にはさしもの巫女もやらかしたという風の表情を浮かべていたので故意ではないようだが、それでもまるで気負った風はなかった。相応に図太い神経をしているらしい。
いかにも失われた神といった有り様の像だが、奇妙なことにこれはこれで分社としての機能は維持できている。
「だとしても手荒すぎると思うんですけど」
「容赦が無いから巫女が務まるんだろうよ。お前さんも一端の妖怪なら、甘んじて受けることじゃな」
「悟り妖怪はひ弱なので今度からは例外ってことになりませんかね」
「そういうのは天邪鬼なんぞに譲ってやれ」
「流石に天邪鬼には負けてられませんね……」
さとりも天邪鬼と比べられるのは心外だったか、ひと際深いため息を吐いた。一応、妖怪として誇りのようなものはあるらしい。妖怪の価値観からしても、天邪鬼とはそういう扱いということだった。
「そういえば、こいしがお世話になったそうですね」
「そんなこともあったな」
古明地こいし。物憂げな顔をして現れ、しかし最後には爛漫な表情で去った少女だ。あれ以来姿を見せていないがあの好奇心の強い気質だ、嬉々として地上に赴いたのだろう。
「いよいよ地上が解放されたことで、以前にも増して放浪するようになってしまいました。姉としては心配で心配で」
「あやつはあれで、地上でも上手くやるだろう」
「根拠を要求します」
「信じてやれぬか」
「それとこれとは話が別なので」
なおも言い募るさとりを見て、仏師は静かに笑みを浮かべる。どうにも掴みどころのない人物だとばかり思っていたが、少なくとも一人の姉ではあるらしい。加えて、清々しいまでの妹煩悩だ。
「まあ、あの子は私と違って世渡り上手だとは思いますけど」
「お前さん、自分の性格に難があることは自覚があったのか」
「前言撤回します」
そしてこの意地っ張りである。
「姉としての威厳が泣くぞ」
「むむむ」
「何がむむむだ」
さとりはどうも、心を読まなければそれほど弁舌の立つ方ではないらしい。
とはいえ常に相手の思考が筒抜けのまま言葉を交わすのが当たり前ともなれば、さとりでなくても遠からずそうなるのが自然だろう。
「今日のお前さんは瞳が足りんで気楽で助かる」
「私はやりづらくて仕方がありませんけどね。でももうしばらく第三の目は休ませたいんです」
「どういう風の吹き回しじゃ」
「いや、ドライアイ気味で」
見ればさとりの第三の目は充血し、おおきな涙の粒を浮かべていた。わんさと訪れる客の対応のため、短い期間に立て続けに読心を繰り返したのだろう。この様子では、相当酷使されたようだ。
「一つ目が多いというのも、考え物じゃな」
「まあ、多くの生物は進化の過程で二つで十分と考えたようですから。私は違いますけどね」
「なまじ目が良いと、見たくねぇものまで見えちまうだろう」
「ですが、だからといって閉じるというのも、容易い選択肢ではありませんよ」
さとりが第三の目を優しく撫でる。
「肝心の瞳も、一番知りたい妹の心だけは映してくれないのだから、ままならないものです」
「お前さんにゃもう二つ、瞳があるだろう、それを使えばいい」
「そうだ。結局あなたはどうやってこいしを見つけたんですか? 心が読めなくても読めるくらい嬉しそうに自慢されたんですけど」
「目がいいだけよ。お前さんよりもずっとな」
「いや、全然納得できませんが」
しかし、きっと疲弊した第三の目に鞭を打って仏師の心を読んだとしても、見える答えは同じだろう。この男の言葉に下らない虚飾や虚栄はない。さとりも、そんなことは重々承知していた。だからこそ、釈然としないのだが。
「……今度地上に出て眼鏡でも買ってみましょう」
とりあえず視力を上げてみよう。そう決めたさとりだった。
「ところで、お空が今何をしているか知っていますか?」
「いや、知らん」
「気になりますか」
「ああ」
異変の解決を皮切りに、お空がここを訪れることはなくなった。あの血の気の多い紅白に成敗されたのかと初めは思ったが、そういうわけでもないらしい。
何にせよ、慣れ親しんだ顔が失せればそれなりのむなしさもある。
ぽつんと残された、役目の無い止まり木などを見れば尚更にそう思う。
「なにやら地上の神のところで八咫烏の力を用いて、エネルギーを作るとかなんとか。今の地底ではお空の力を持て余してしまいますから、渡りに船といえばそうなのでしょう」
異変の後、お空は灼熱地獄を生み出す野望をすっぱりと諦め、人が変わったように山の神に請われ従順に彼女らの考えるエネルギー黎明に協力していた。お空なりに身の程を弁えたか、それとも巫女がよほど恐ろしかったか。ともあれ、以前のような降って湧いた力に増長した傲慢な態度は鳴りを潜めていた。
太陽の力を利用した大胆不敵な攻勢を予感していた山の神らにとっては些か拍子抜けだっただろうが、そう悪い話でもあるまい。
彼女はきっと、今も平和に妖怪の山の間欠泉地下センターで炉心の温度管理に精を出している事だろう。
「地上を灼くのには懲りたか」
「ああ、それについてはお空が面白いことを言っていましたよ」
「聞かせてくれ」
その様子を思い浮かべたか、さとりがおかしそうに笑う
「『万物を焼き尽くす灼熱は、お湯を沸かすのに使うくらいで丁度いい』ですって。いつからそんな殊勝なことを言うようになったのかしら」
「ほう」
思わず、仏師から小さな笑みがこぼれた。
仏を彫る傍らで手慰みに話してやった与太話だが、どうやらお空の中で彼女なりの考えのもと根づいているらしい。曲解されているような気がしないでもないが、彼女の場合は覚えているだけで御の字だろう。
地底の隅に籠って仏を彫るだけの己も、随分と過ちの多い生を送ってきた。そんな身でも、己の話が誰かの教訓の一つにでもなれれば、これほど幸いなことはない。
今回、お空は大きな力を振るった異変の首謀者となった。どんな沙汰が下されるか一端の心配もあったが、お空はお空でどうやら上手くやっている。仏師は、それがわかっただけで十分だった。
「しかし、大層な仏を彫りましたね。他人の記憶を通して見るより実物の方が迫力があるように思えます」
かつてはのっぺりとした絶壁の広がるばかりだった縦穴も、今や上から下まで大小さまざまな仏が並び連なっている。古今東西、宗派を問わずに様々な様式でもって作り上げられた仏像が立ち並ぶその光景はまさに絶景と呼ぶに相応しい。
「これほど壮観な光景は、幻想郷でもそう多くはないでしょう。何かきっかけでもあれば人が集まるのでは?」
さとりがそう言い終えるのが先か、縦穴に突風が巻き起こった。
それは馴染みのある縦に吹き抜けるものではなく、横合いからぶつけるような神風だった。
「──あやややや! これは隠れた名スポットを発見!」
疾風と共に現れた黒い翼の妖怪は、手ごろな場所にあった止まり木の上に着地した。
止まり木の新たな主は、どうやら次も鴉であるらしい。
身を包む山伏の装束は、天狗の象徴だ。
「素晴らしい! 鬼に怯えず地底に飛び込んだ甲斐がありました!明日の新聞の見出しは『地獄に仏』で決まりですね!」
当然のように地霊異変が飛ばされているのも、作者が気まぐれでしか更新しないのも、ぜんぶぜんぶ嫦娥ってやつが悪いんだ……!