地底の仏師   作:へか帝

13 / 16
センター試験がんばれ更新


バックドア

 それは、仏師が射命丸の持ち込む新聞を読んでいた時のことだった。

 彼女の新聞で使っている文字や文体は時代の移りからか馴染みのないものもあるが、大部分は理解できる。

 そうして読み進めていけば、地上の勢力図や地理情報なども断片的にではあるが手に入る。もちろん、情報の供給源をたった一つの媒体に依存することの危険性を理解していない仏師ではないが、それでも仏師は射命丸の書いた新聞はある程度の信はおけると判断していた。 

 

 というのも、前に射命丸が直々に他の天狗の新聞を見せにきたことがあったが、それはそれは酷い内容のものだった。内輪受けだけを狙った大げさなテーマに、一目で虚飾と捏造まみれとわかる内容。眉唾の娯楽にすらならない、紙の無駄というのが仏師の感想だった。一応、それでも前年度の妖怪の山の新聞大会の優勝紙らしい。

 翻って考えてみれば、射命丸の書く新聞は上質だ。

 そもそも、射命丸の新聞に対するスタンス自体が妖怪の山において異端である。社会性のある天狗という妖怪だからこそ普及した新聞という文化は、元来妖怪の山の内側だけで完結する。なにせ、排他的な天狗たちにとって山の外側の事情など興味もないし、知ったところで何をするものでもない。

 

 それを鑑みれば幻想郷中を駆け回って積極的に取材を繰り返し、裏付けを伴った事実のみを記載する射命丸の文々。新聞はむしろ異質なのだろう。

 だが、その異質こそが山の外側では需要を招いていた。このあたりには射命丸自身にもこだわりがあるらしい。わざわざ聞き出そうとは思わないが。

 

 紙面に目を落としていた中で、特に興味を惹いたのはいつの間にか新たに地上で起きていた異変についての記事。

 異界に封じられていた恩人を救うため、地底の妖怪が先の間欠泉異変に乗じて地上へと抜けて復活の為に奔走し、それは空を泳ぐ宝船という形で人々の前に姿を現した。

 博麗の巫女らが異変解決に向かうが、その傍らでなんとなくで集めていた正体不明の欠片こそが封印を解く術であったという。そうして封印されていた聖人『聖白蓮』は見事復活。白蓮は博麗の巫女との交戦の末、和解。星を連れる船は姿を変え、人里の外れに命蓮寺を建設し、人妖の共存への一助となった。

 これがこたびの異変のあらましである。

 

 それを読んだ仏師の感想は、『やはりやってのけたか』というものだ。

 かつて一輪らと血の池地獄にて出会ったとき、その瞳の奥に静かに燃ゆる決意の光を見た。故に、必ず彼女たちは目的を果たすだろうという確信があったのだ。しかしまさかこれほど早いとは仏師も思っていなかったが。

 それに関してはお空の巻き起こした間欠泉異変を機と見て即座に地上に抜けた彼女たちの英断を褒めるべきだろう。

 

 そういえば、今回の異変の象徴であった空を飛ぶ船は、村紗の所持する聖輦船という名の船舶であり、元来は自在に姿を変える倉らしい。誰もが空飛ぶ船を新鮮な気持ちで追いかけたというから、必然的にその船は地底にあったということだ。

 きっと船は村紗と共に千年もの間、地底に封じられていたのだろう。だが、宝船が地底にあればこの上なく目立つはず。しかし思い返してもそんな大きな船を見た記憶は仏師にはない。地底で他の誰かに聞いても、恐らく皆首を横に振るだろう。

 

 だが、仏師にはその船の行方に心当たりがあった。

 すなわち、血の池地獄である。まさしく村紗はその船を秘密とし、血の池の水底に隠していた。

 棄てられた旧地獄、何人も泳ぐことの叶わない赤く濁る池の湖底にある船など、船幽霊である彼女以外の誰が見つけられるだろう。

 ともすれば、同じ場所に居合わせていたぬえと一輪もその真実を知らなかったのではないだろうか。

 

 なぜ隠していたのかと考えれば、そんなもの、他の妖怪たちの興味を惹くに決まっている。何より地底は力あるものが全ての世界。頂点に立つ勇儀の統治によって極端な悪行は為されていないが、例えば他の鬼に船を奪われるようなことがあれば、もはや一介の舟幽霊が鬼に敵う道理もない。泣き寝入りするしかなくなってしまうだろう。

 そうでなくとも、空を飛ぶ船だ。地底の脱出を目論んでいると見做されて没収、最悪破壊されるおそれもあった。

 考えれば考えるほど、村紗の行動が理に適っている事がわかる。

 

 仏師がそれを突き止められた鍵は、彼女の繰り返していたあの意味不明な溺死タイムアタックとやらにある。あの不可解な行動の目的は、他の誰にも気づかれないままに船の調整や維持管理をすること。自分の発言や行動が他人にどう映るかを把握し、己の人柄なら怪しまれないと分かった上での巧みな嘘だった。

 事実、偶然に通りがかった仏師にも隠蔽は完璧に行われ、優れた洞察力を持つ仏師を相手に血の池にある船の存在の影も形も掴ませなかった。

 鬼という種族が一般的に嘘を嫌うことなど、地底で長く暮らす村紗が知らないはずがない。それでも顔色一つ変えずに隠し通したのだから、大した胆力だ。白蓮に救われた彼女もまた、不屈の気概を構えていたのだろう。

 一輪と比べて能天気で享楽的に見えた村紗水蜜という妖怪は、脇目も振らず目的の為に手を尽くす、とんだ食わせ者だった。

 

 彼女らとの会話を振り返りながらも新聞を読み進めていけば、命蓮寺を背景に長髪の尼がインタビューに答えている写真が目に入った。背後には撮影者である射命丸に柄杓で水を掛けようとする村紗と、それを羽交い絞めで抑える一輪が映っている。

 肩の荷が下りて柔らかく笑う二人には、青空がよく似合う。この鬱屈とした地底の世界は、彼女たちには少し窮屈だったろう。

 そんなことを柄にもなく考えていた時だった。

 

 

 ──その思念の数は、いかに多きかな。

 

 無人の縦穴に、朗々とした声が響いた。人ならざる者の気配。ぞわりと肌が粟立つような悪寒が走る。その感覚の源は仏師の背後からだった。

 

 ──我、これを数えんとすれどもその数は沙よりも多し。

 

 振り返ってみれば、扉や障子、襖などが幾重にも重なった状態で忽然と姿を現している。

 前触れなく虚空に出現した多層の戸口に目を剥く暇もなく、重なった扉は次々とひとりでに開門していく。

 

「──生死の去来するは、棚頭の傀儡たり、一線断ゆる時、落落磊磊」

  

 戸の向こうから現れたのは、車椅子に腰かけた七星文様の導師服の女だった。

 季節外れな蝉時雨が聞こえる。扉から粉雪を乗せた凍てつく風が吹き抜け、こがね色のイチョウがこちら側へと運ばれてきた。

 

「是は、生死に輪廻する人間の有様をたとへ也──」 

 

 背後の扉は木漏れ日の差す欝蒼とした森林へと繋がっていた。重なる奥の扉の先には秋めく紅葉の絨毯や、処女雪の降り積もった白銀の世界、綿のような雲が浮かぶ青空に、茜色の夕焼けに照らされた木造家屋の並びなど、扉を一つ隔てるたびに位置も時節も超越した景色が広がっていた。

 長く伸ばされた山吹色の髪が、四季の風を受けてふわりと広がる。

 

「ただし仏師、テメーはダメだ」

 

 導師は仏師を指差して声高々に宣言した。

 

 

 

 

「さて。我こそは摩多羅隠岐奈(またらおきな)。秘められたる神ぞ」

 

 名乗りを上げた不遜な導師は、小さな笑みを口元に湛えて車椅子の肘掛けに体重を預けた。

 たちまち、周囲に荘厳で思わず口を慎んで祈りを捧げたくなるような気配が醸し出される。

 彼女が纏うこの何物にも例えようのない神秘的な空気感は、いつぞやに洩矢諏訪子と対峙したときにも感じたものだった。

 

「……その秘められたる神とやらが、こんな僻地に何の用じゃ」

「うん。私はお前に会いに来た。遠路はるばる後ろ戸の国から出張してきたんだぞ。手厚く迎えろ」

「ほう、儂に。じゃが、生憎とここは大地の裏側でな。悪いが茶の一つも出せん」

「えー? 摩多羅そういうのちょっとどうかと思うな。甘味とかないの?」

「……神さんに供えられるようなものはない」

「そんなぁ」

 

 隠岐奈は傲岸とした態度を崩し、威厳ある神らしからぬ気の抜けた返事を寄越す。辺りに満ちていた緊張感も、同時に霧散してしまった。 

 

「むう……。仕方ない、許そう。なにせこの摩多羅、懐の深さには定評がある。この程度でご機嫌斜めにはならんのだ」

 

 先触れのない唐突な来訪だったが、どうやら奉じられる供物には期待を大にしていたらしい。隠岐奈は登場時と比べて露骨にテンションが下がっていた。

 諏訪子の時にも思ったことだが、神というのは意外にも堅苦しい態度を崩してフランクに接してくることがある。二面性があると言えばいいのか、相対する者としては対応に困る部分でもあった。

 

「大層な神とお見受けする。繰り返すが、儂に何の用じゃ。見ての通り、儂は両手を合わせて拝むこともできん身の上じゃが」

「構わん。拝むだけが信仰の在り方ではないからな」

 

 隠岐奈は縦穴に丹念に彫り込まれた仏像を一瞥した。

 摩多羅隠岐奈は神であり、他者の関心の向き方も実に神らしいものである。すなわち、自らを敬うものには懐が深く、そうではない者に対しては容赦がない。

 

 仏師は仏像を彫り続けているが、仏教の信徒という訳ではなかった。経のひとつも諳んじることはできないし、教典の教えが何を意味するかを学んだことも無い。

 それでも仏を彫るのは、慈悲を感じるその姿に怨嗟からの救いを見出したからだった。

 教えは知らずとも、仏師は神仏に対しては分け隔てなく信心深い。特に良いのは仏師が特別に一つの神にこだわっているわけではないという点。それを理解する隠岐奈は、多少恭しさに欠ける仏師の言葉遣いにも気を悪くすることはなかった。

 

 言葉遣いは人と人が誤解なく意思を疎通するのに重要な要素ではあるが、神がその裏側にある信仰に気づけぬのでは話にならない。

 少なくとも、言葉だけに頼らずとも仏師の信心深さを証明するものはそこら中に形になって彫られている。信仰の形は数あれど、雑念のないひたむきな信仰を向けられて悪い気のする神などいようはずもない。

 

「しかし何の用かと聞かれれば、本当に顔を見に来たというだけなんだが」

 

 隠岐奈は、首をひねりながら言葉を探していた。理由は既に決まっているものの、如何にそれを伝えようかを迷っている様子だった。

 

「……まあ、言葉を飾る意味もないか。私も一端の管理者でな、うん。投げっぱなしというのは性に合わんのだ」

 

 何か吹っ切れたのか、隠岐奈はパンと両手を叩いたのを拍子に考えるのをやめ、仏師に向き直った。合わせた隠岐奈の瞳は、暁の様な色をしていた。

 

「この摩多羅が告げよう。お前を幻想郷に招いたのはこの私だ」

 

 それは、威風堂々たる宣言だった。

 突拍子こそないが、決して聞き流せる言葉ではない。

 

「それは……」

「ちゃんと説明してやる。要するに──殺りすぎたんだ、お前はな」

 

 これはつまり、隠岐奈がこの場に現われる際に告げた文言の要約だった。

  

「たったいっぺん死んだ程度でチャラになるほど、お前に降り積もった怨嗟の炎は甘っちょろくないんだよ。たった一人の人間の怨念が千年を越えて影響を及ぼす時さえあるというのに、お前は数百幾千の人間の怨みを一身に受け続けた。そうだな?」

 

 人が死ねば、それまで積み上げたものは無に帰す。背負った罪を地獄で濯ぎ、再びまっさらな魂として生を繰り返す。それが命あるものが本来辿るべき道だ。

 だが仏師にそうはならなかった。修羅としての一面と降り積もった怨嗟の炎が命の導を歪め、生命のあるべき形から外れてしまったのだ。

 

「だから葦名には後々まで器を失い行き場のなくした強烈な怨念がふらついていた。まったく物騒なことこの上ない。だが、捨てる神あれば拾う神ありとも言うだろう?」

「……つまり、儂はお前さんに拾われたと」

「そうなる。言っておくが、ここ最近でこの摩多羅ダントツの大仕事だったからな。感謝しろよ」

「身に覚えはないが……。じゃが、世話になったのは確からしい。礼は言わせてもらおう」

 

 狼に見事殺されたはずが、知らぬうちに幻想郷の地底にて目が覚めていた。いくら考えようと答えの見つからない謎だったが故に、気にすることもなく過ごしていたが、まさかその主犯から直接答えを得ようとは。

 要因は数あれど、仏師が幻想郷にいる理由の大部分は目の前の神が占めているようだった。

 

「まあ放っておいたってここに迷い込んだとは思うがな。でもどうせなら自分で面倒を見た方が心配がないじゃん?」

 

 隠岐奈は周到で抜け目なく、最後の詰めを怠ることのない人物である。脅威を過小評価せず、重要度を見誤らない慧眼は本物だった。

 

「怨念だけ引きはがして別の妖怪にしても良かったが、いたずらに力を振り撒き始めたらと思うと始末が面倒くさい。だったら、初めからお前に手綱を握らせたほうが百倍早いしマシだろう。そういう訳で火の面倒はお前に任せた。まあ、星の巡り合わせが悪かったと思って諦めてくれ」

「もとより儂の背負った因果よ。今更泣き言など吐きはせん」

「結構。実をいうと、恨み言のひとつくらいは覚悟していたんだがな」

「そんな真似は到底できん。顔向けできなくなる」

 

 誰に──とは、隠岐奈は聞かなかった。構わず、話を進める。

 

「そもそも私が出張ったのも表の管理人が寝坊助なのが悪い。今は冬眠の時期なんだ。しかし部下に任すにしても、うちのも向こうのもまだまだ危なっかしくてねえ。結界をダメにされたら手間だから、仕方なくこの摩多羅が直々に手引きした」

「お前さんは、幻想郷の管理人なのか」

「裏の、と頭に付くがね。ついでに言うとこの幻想を創り上げた賢者の一人でもある」

 

 口ぶりからしてかなり位の高い人物ではあると思っていたが、まさか幻想郷の歴史の核心に迫るほどの大物だとは仏師も想像していなかった。

 隔絶された秘境を作るのに、どれほどの力が必要なのか想像もつかない。だが、会話の端々にその力の片鱗が垣間見える。時空を超越した扉の構築もそうだが、怨念を別の妖怪に変えるという発言もあった。人の領域を超えた権能を気軽に振るまう姿を見ていると、この神はひょっとしたら何でもできてしまうのではという、力の果てを見通せぬがゆえの畏れさえ仏師は抱いていた。

 

 そういえば幻想郷の管理人については、僅かながらも過去にさとりの口から聞いたことがあった。といっても、それは何やら胡散臭いらしいということや、大変頭が切れるといった実に断片的な情報しかないもの。そして、どうやら冬眠をするらしいという情報も追加された。

 隠岐奈の言う裏というのは、きっと能力を駆使して人知れず暗躍するその働きぶりを指しての事だろう。

 

「なんなら普通はこんな風に姿を現さないんだぞ。レアキャラだ、レアキャラ。せっかくだから崇めておくといい」

「ああ。この出会いは僥倖じゃった」

「おや」

 

 これ見よがしに両手を大に広げて見せる隠岐奈に、仏師は首肯した。

 自分でやっておきながら本当に崇められると思っていなかった隠岐奈は、素直に感謝の念を伝える仏師の姿に一層気を良くした様子だった。

 仏師は何も隠岐奈の太鼓持ちをしている訳ではない。全ての言動は本心から来るものだ。

 

 彼女の手にならず怨嗟の声が別の形で具現していれば、ひょっとすると怨嗟の炎がこの地を襲っていたかもしれない。そんな仮定は、隠岐奈の言動を鑑みるにきっと杞憂にしか過ぎないのだろう。彼女の力を以てすれば、怨嗟の暴走程度、鎧袖一触に違いない。

 だがやはり、自分の宿痾が他人の生を脅かすなどあってはならないこと。己の業はやはり己で決着を着けるべきだ。

 一度は狼に委ねた火の始末。今度は己で果たさねばなるまい。

 

 隠岐奈に自身の身の上を聞かされた上で決意を新たにする仏師だったが、隠岐奈はそれを知ってか知らずか、上機嫌なのも相まってマイペースさに磨きがかかっていた。

 彼女の秘神としての性質を鑑みれば、きっと人前に姿を現すのも久方ぶりだったのだろう。

 

「お前とは良い縁が結べそうだ。親しみを込めて特別に私をおっきーなと呼んでもいいぞ☆」

「……」

「なんか言えよ」

 

 そんなご機嫌な隠岐奈から送られたあざとくも可愛らしい渾身のウインクを、仏師は無慈悲にもスルーした。

 

「まったくもう、この摩多羅の言葉を無視するとは見た目に違わず不遜なやつ。相手が寛容という言葉に脊髄と脳が癒着して這いずり回っているような存在であるところのこの摩多羅だからよかったものの、他の神が相手なら一発アウトだからなー?」 

 

 隠岐奈はそう言っているが、浮かべた笑みに一切の曇りはない。今の隠岐奈は無敵だった。

 近ごろ不思議と神と縁が繋がることが多いが、仏師から神との邂逅を望んだことなどない。常に向こうから勝手に出現して好き勝手していくだけだった。 

 この摩多羅隠岐奈という神は厳かで力ある神を演出しつつも、天真爛漫な童子の如き一面も覗かせる。振舞いが二転三転するので仏師は着いていくだけでも一苦労だった。

 

「惜しいなあ。部下にしたいくらいなんだが、いかんせんデカい。もしお前を部下にしたらと思うと戸を開くとき絶対面倒くさいぞ」

「……そうか」

 

 自身の体躯の大きさが初めて役に立った瞬間だった。この神の部下など、どう転んでも気苦労が絶えないであろう。まして、幻想郷の管理者という重要な役職でもある。忙殺されるのが目に見えていた。仏師が望むのは、ただ仏を彫ることに没頭できる日々である。

 

「うん? おいおい、随分素敵なものがあるじゃないか」

 

 不意にそう言った隠岐奈は、山の神の片割れを象った首の無い像を見つけたようで、椅子の車輪を回してすいすいと近づいていった。車椅子は当然のようにひとりでに車輪が回っている。

 

「いいねいいね、何がいいって首がない」

 

 隠岐奈はその像を上から下までじろじろと眺め、満足そうにそう言った。

 彼女の言う通り、その像は博麗の巫女との戦闘で首から上が大破していた。神を祀る像としては、かなり問題のある姿である。

 

「ちょいと失礼」

 

 隠岐奈はそう言いながら像に手を翳し、衣服にあたる部分に七つに連なる星を刻んだ。

 像から少し離れ、改めて全貌を確認した隠岐奈は、それを見てうんうんと頷き、ご満悦といった風の表情を浮かべた。

 

「これでこの像は山の神かもしれないし、摩多羅神かもしれない像になった」

 

 一見すると意味の分からない発言のようだが、言われてみれば確かにその通りである。今までこれが洩矢諏訪子の像であると認識できていたのは、ひとえに製作者である仏師がそう作ったからである。

 だが今、別の存在によって手が加えられ、新しいモチーフが追加された。

 他に諏訪子を知るものが見れば、すぐに諏訪子を象ったものだと分かるだろうが、胸に刻まれた七星を目にしたとき確信を持てなくなって首を傾げるだろう。

 

「するとどうなると思う? 摩多羅隠岐奈は、山の神かもしれないと、そうなるわけだ。この像を見るに、ひょっとしたら蛇を従えるかもしれないな?」

 

 そう告げれば、かつて諏訪子がそうしたようにたちまち白蛇が地中を割いて姿を現し、そのこうべを隠岐奈へと垂れた。

 

「……驚いたな」

「習合はこの摩多羅の独壇場故な。なに、信仰と権能を奪ったわけではないよ。この像は紛れもなく山の神の像であるからな。ただ、その姿にこの摩多羅の影が重なったというだけの話」 

 

 眉唾な理屈だが、実際にそれがまかり通っている。神というのは、人とも妖怪とも異なる不可思議な理屈で存在しているらしい。それを強く感じる出来事であった。

 頭を差し出す白蛇の額を隠岐奈が優しく撫でると、瞬く間に蛇の体表の色が毒々しい斑点模様に変わる。

 隠岐奈はその大蛇を自身の身体に絡めるように這わせ、真剣な面持ちで仏師の方を向いて言った。 

 

「じゃーん。まだら模様のまたら」

「……」

「笑えよ。ウィットに富んだ秘神ジョークだぞ」

「……お前さん、ひょっとして冗句の才能が無いんじゃないか」

 

 そんな下らない冗句の為にまだら模様にされてしまった蛇が憐れで仕方がない仏師だった。服を着た理不尽とはこの隠岐奈のことである。

 

「なんでそんなひどい事言うの。摩多羅べつに神だからとか関係なく本気で泣くよ?」

「泣きたいのはお前さんに塗り替えられたその蛇じゃろうて」

 

 見れば蛇は隠岐奈に責めるような視線を送っていた。しょうもない一発ジョークをする為に純白の体表を奇怪な警戒色に変えられたのだから当然の権利でもある。

 そんな蛇のつぶらな瞳と目の合ってしまった隠岐奈は、気まずそうにさっと目を逸らした。

 

「ま、マタラ コトバ ワカラナイ」

「…………ハァ」

 

 旗色が悪いと見るや否や子供じみた雑な方法で乗り切る隠岐奈に、仏師は突っ込む気にもなれず深い深いため息をついた。この神と付き合っていると本当に気が疲れて仕方がない。

 そんな仏師を見て隠岐奈は拳を後頭部に当て、ぺろりと舌を出していた。お茶目な一面でも演出しているつもりなのだろうか。仏師は重ねてため息をついた。

 

「お前さんほどの強力な神が、今更こんな辺境の小さな像に頼らねばならないようには思えんが」

「摩多羅も神だからな。秘められていようと存在証明は必要なのさ。よくわからない神がいる。それでいい」

「……結局、お前さんは何の神なんじゃ」

 

 それは、初めて出会った時から抱いていた疑問だった。諏訪子はわかりやすく祟り神であったが、この隠岐奈に関してはとんと見当がつかない。初めに秘められた神とは名乗っていたが、それだけでは何のヒントにもならなかった。

 

「何の神かと問われれば、そうさな。後ろ戸の神、障碍の神、能楽の神、地母神、星の神、被差別民の神、あとなんだっけ……まあ、いろいろだよ」

「……多いな」

「まあね」

 

 司る領域が多岐に渡る神はいる。だが、隠岐奈の語るそれはあまりにも節操がなく、共通点がなかった。果たして、一人の神がこれほど多面的な要素を司ることなどあるのだろうか。

 

「覆い隠された神秘が、お前さんのルーツということか」

「それは違う。別にこの摩多羅は初めから何も隠しちゃあいないのさ。ただ、秘密を暴けば暴くほどより多くの謎が明らかになる。不思議を知れば知るほどに、新たな未知が芽を出す。そうして深まり続ける朦朧な空漠こそが、この摩多羅の本質よ。

 だから我が正体は誰も知らない。我が身は汲めど尽きせぬ未知の泉ゆえな」

 

 摩多羅隠岐奈は、その正体を見ることも聞くこと語ることも許されない、究極の絶対秘神である。だが、それは隠れている事と同義ではない。誰も知らない神は、神でいられなくなってしまう。神というものは集まる信仰心、ひいてはその知名度が力の強さを決定するといっても過言ではない。隠岐奈は誰も知らないながらに力を集める稀有な神であった。

 

 摩多羅隠岐奈は、常にすべてを見せている神だった。何も飾らないありのままの姿は、習合した神々の混沌そのもの。力の秘密はそこにあるだろう。気づきは常に手の届くところにある。しかし混沌は深く、迂闊に知れば智慧が溶けてしまうかもしれない。だからこその秘神である。

 

「さて、顔を見るだけのはずがつい長居してしまったな。私はここいらでお暇しよう」

「そうか」

「別れをもっと惜しめ。それ秘神ジャッジだともう落第点だからな」

「そうか」

 

 望むところだった。気に入られる分には構わないが、それが高じて部下にされてしまってはたまったものではない。程よい距離感を保つべきだ。

 

 

 その会話を最後に、摩多羅が視線を外して虚空へと向かう。その先には、出迎えるように再び重層の扉が出現した。仏師に背を向けたまま車椅子を進める隠岐奈が、振り返ることもなく口を開く。

 

「鏡を看よといふは、反省を促すの語也。されどまことに反省し得るもの、幾人ぞ。人は鏡の前に、自ら恃み、自ら負ふことありとも、遂に反省することなかるべし。鏡は悟りの具ならず、迷いの具なり」

 

 既に隠岐奈の纏う雰囲気は変わっていた。放たれる神威は、謂れある神に相応しいものだ。

 

「お前、その仏を鏡に見立てているだろう。鏡じゃあ悟りには至らん。仏を彫る意味、ゆめゆめ考え直すことだね」

 

 隠岐奈の言葉は、今の仏師にはまさしく図星であった。

 神から授けられたありがたいお言葉である。仏師は素直に受け取り咀嚼することにした。

 

 重なる扉が、誰の手を借りることも無く次々と開かれてゆく。

 隠岐奈は仏師を一瞥することもなく、木枯らしに揺れる桜吹雪を受けながら扉の奥に車椅子を進めていった。隠岐奈の通った戸はやがて扉がゆっくりと閉じてゆく──が、その動きは半端な位置で止まった。

 仏師が戸の様子を怪訝に思うと同時に、僅かに開いたままの戸の隙間からひょこりと隠岐奈が顔を覗かせた。

 

「次まではちゃんとなんかおいしいやつ用意しておくんだぞ」

 

 それだけ言い残すと、隠岐奈は今度こそ戸の向こう側に姿を消し、後を追うように閉じた扉は色を失って無くなった。

 

「……次があるのか」

 

 誰もいなくなった縦穴の底。ひとり、仏師はそうぼやいた。

 

 

 後日、酒の代わりに茶菓子を持ってきてくれと頼まれた射命丸が驚くのは、また別の話。




星蓮船の話かと思ったか? おっきーなだよ!
東方は星蓮船~神霊廟でいったん離れた人が多い印象なので、隠岐奈を知らないという方もいたかもしれませんが、可愛いので信仰しましょうね(宣教師)

ところで周りのみんなが白蓮復活の為に奔走するなか、通りすがっただけで巫女にボコボコにされた傘の付喪神がいるらしい。

そしてこれは本編とは何ら関わりの無いアンケ―ト

あなたの好み

  • おっきーな派
  • まったいら派

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。