地底の仏師   作:へか帝

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 11点お姉ちゃんが好評なようで何よりです。
 それにしてもまさかこんなにたくさんの方に読んでもらえるとは思ってなかったよね


それから

 

「いやぁ惜しい、惜しいねぇ!」

「なにがよ」

 

 仏師の去った大橋。パルスィは酒が入って声の大きくなった勇儀に辟易しつもも、会話に付き合っていた。

 

「何がって仏師のことに決まってるだろう! いやあ、ありゃ大層な鬼だ! 是非あいつと喧嘩をしたいと思ってね!」

「だったらすればいいじゃない」

 

 パルスィはにべもなく言う。そもそも勇儀が自重とか我慢とかができる気質であるものか。これと決めたら順序も周囲の迷惑も全部すっ飛ばして即行動だ。

 そして後始末はだいたいパルスィがやらされる。いくら断ろうが泣きつかれて始末に負えないので、もはや諦めの境地だった。

 やるならとっととやれ。

 だが、勇儀の反応は想像と違っていた。てっきり「それもそうだ!」と得心してすぐさま仏師の後を追うものかと思っていたのだが、勇儀は力なく笑うばかりだった。

 

「いんや。ありゃ受けてくれやしないだろうさ。なにせ、あいつはもう満足してる。心の満たされる死合いに望んで、見事打ち破られたのさ。ほんと妬ましいよまったく」

「ちょっと。嫉妬は私の十八番なんだけど」

「これが妬まれずにいられるかい!くそぅ、いいなあ! 私も人間に殺されたい!」

「だったらまた地上にでも出て毒でも盛られてくればいいじゃないの」

 

 鬼退治と言えば騙しうちが華。身分を偽り群に紛れ毒を盛って寝首を掻く。それこそが鬼退治の正道である。だいたい、まともな手段で矮小な人間が鬼に勝れるはずもない。

 

「毒を盛られて喜ぶ鬼がどこにいるんだい。私は強い人間に正面からねじ伏せられたいの」

「いや、無茶でしょ。貴女自分が誰かわかってるの?」

「なんだよ、ただの妖怪一匹じゃないか」

 

 残念ながらこの星熊勇儀、古くは天下に轟く鬼の四天王、語られる怪力乱神。腕を振るえば山に風穴が空き、一歩脚を踏みしめれば大地が裂ける鬼の首魁である。

 

「相手になる人間が可哀そうになるわ」

「少なくとも仏師は望む戦いをできたんだ。見ただろう、あの腕と顔の傷! よほどの手練れと刃を重ねたに違いない!」

「いや、わかんないけど。痛ましくてそんな見てられないし」

 

 そんな熱っぽく語られてもパルスィにはドン引きすることしかできない。鬼という妖怪の価値観には他の妖怪も困惑を隠せないことがままある。

 

「私の見立てじゃ、あの傷はそれぞれ別人につけられたものだね。腕の方は迅く、滑るような斬撃に斬り飛ばされたと見る。生まれついての力に依らず、修練と研鑽を絶えず積み重ねた人間の放つ技の集大成! それも、凡百の人間にたどり着けるような域じゃない。

 人の歴史を揺るがすような、時代が生んだ傑物。すべてを飲み込まんと貪欲に力を欲した人間に斬られたか? くう、痺れるねえ!

  もしもこの身に受けたらと思うと、想像するだけで身悶えするね……! 

 というかだ、そもそもなんで私まだ五体満足なんだ!? こんなふざけた話があるか‼ クソ、クソっ! せめて指の一本くらい持っていけよバカヤロー!」

 

 聞いてもいないのに長々と語り出した勇儀は、恍惚な表情で身悶えしたり突然キレ始めたりと忙しい。パルスィは苦い顔をして勇儀からそっと離れた。

 

「あー……なら、顔の傷の方は?」

 

 まさか橋姫が理由もなく橋から離れる訳にもいかないので、仕方なく勇儀に話の続きを促してやる。暴れられるくらいなら話を聞いてやったほうが俄然マシだった。

 勇儀はすぐさま怒りを収め、仏師の顔に刻まれた深い刀傷を脳裏に浮かべながら饒舌に語り始めた。

  

「腕の傷も見事だけどね、顔の方はもっと容赦がない。ただ、殺すこと。それだけに専心しなくちゃあ、あんな慈悲深い刀傷にはならんだろうさ。快楽とか愉悦とかっていうのかな、そういうのとは無縁の……殺したものの業を背負うような、深い悲しみを湛えた一撃だ。

 私も、命を取られるならああいうのがいい」

 

 その目に浮かべるのは、やはり羨望の感情だった。因果から、仏師は幻想郷の地底へと流れ着いた。だが、間違いなくあの時仏師は殺された。殺してもらえたのだ。尽きぬ怨嗟の炎に終わりを告げたのは、他でもない狼の慈悲だった。

 

「こうしちゃいられない、もっといい酒を用意しよう!」

「……はぁ? どういう風の吹き回しよ」

 

 

 脈絡もなく勇儀が声を上げる。盃には、至高の大吟醸がなみなみと注がれている。追加の酒を用意する頃合いでもないだろう。酔いが回りすぎていよいよ判断力が鈍ったかとも疑うも、鬼がその程度なら世話がない。

 

「仏師に振舞うのさ! あいつの傷自慢を聞いてみたい!」

 

 傷自慢。鬼を始めとした、人間の強さを信じる妖怪たちの間で特に好まれる話のタネだ。

 どのようなとき、どのような人間に、如何なる得物で付けられた傷かを誇る。勇儀はそれを他でもない仏師の口から聞き出したいらしい。

 パルスィも仏師の話に興味がないと言えば嘘になる。時が来れば、なんとしてでもご相伴に預かってやろうとは思う。

 あの鬼は、明らかに篠笛の音に特別な感情を抱いている。ぜひ真相が知りたいものだ。

 

「よっしゃ、そうと決まれば伝手を辿らにゃならないね、邪魔したよパルスィ!」  

  

 盃の残りを一息で飲み干すと、それだけ言い残して勇儀は去った。

 向かった先は旧地獄街道とは逆方向、地上に繋がる縦穴の方角へと後ろ姿は消えていった。

 

「あいつ、どこいく気かしら……」 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 さとりとの会談を終えた仏師は、大きな体躯が嘘のように物音ひとつ立てずに地霊殿の出口へとのそのそと歩みを進めていた。

 仏師は努めて気にしないようにしているが、そのあとには、影を縫うように犬や禽獣、牛から虎まで実に多種多様な動物たちが続いている。肩には小鳥さえ乗っていた。

 この動物たちがさとりの言っていたペットとやらで間違いないだろう。よく見れば一つ目であったり尾が二又に分かれたりしているので、尋常な獣ではないことは確かだ。

 行きの道ではどこかに息を潜めていたようだが、帰りになってぞろぞろと顔を出し始めたらしい。しかし、仏師にこのように大行列を作るに至る理由にはまるで心当たりがなかった。

 

 地霊殿の住人は二種類に分けることができる。すなわち、さとり妖怪とペットの二種類だ。その割合は推して知るべし。あえて言うならさとり妖怪の方の絶対値は2である。

 言葉を飾らずに言うと、地霊殿のそれはもはや動物園と形容しても差し支えない様相だった。

 

 無数に後を付けてくる大小さまざまな動物たち。その内の一匹、黒猫が駆け寄ってくる。

 その黒猫は仏師としばらく並走したかと思えば、「にゃーん」とひと鳴き。すると、黒猫は瞬く間に赤いおさげの少女へと姿を変じた。

 

「じゃーん。お燐さん登場!」

「……ほう」

 

 仏師は黒猫の変化に僅かに面食らいつつも、それをおくびにも出さずすぐさま辺りに目をやった。霧は満ちていない。

 

「幻術……では、なさそうじゃな。さしずめ、変化の術といったところか」

 

 幻術は、常に霧と音とに密接な関係にある。霧なきは幻に非ず、音無きは幻術に非ず。

 まず霧のあるところにまぼろしが生まれ、術者がそれを音によって導くことで幻術は成り立つ。

 音のない幻と見えたならば、それは亡霊である。

 標高の高い葦名は、黄昏時になると急激に気温が落ちることでしばしば霧に満たされる。故に葦名は亡霊の噂の絶えない地であった。 

 

 霧のない場所で変じて見せたのなら、それは未だ己の知らぬ異端の力である。

 にしてもこの少女。猫が人に変じたか、それとも人が猫に変じていたのか。頭の猫耳を見るに、前者だと思われる。

 鬼と変じた己にも備わる、あやかしの持つ妖力とやら。彼女の見事なまでの変化を見ればその力の一端が知れるというもの。

 

 これを殺しの術に用いれば、いかような忍びの技が生まれようか。

 例え身に着け研鑽を重ねようと、忍びを捨てた己には無用の長物。それが分かっていながら、考えることを止められぬ。こんな物騒な物思いにばかり耽っているから、己はいつまでたっても穏やかな顔の仏が彫れぬのだ。仏師はそう内心で自嘲した。

 

「それで、儂に何の用がある」

「さとり様がとても楽しそうにお話してたから、みんなで様子を見に来たのさ」

 

 並び歩くお燐が嬉しそうに表情を崩して言う。お燐も他のペットたちも、随分と主人のさとりを慕っているらしい。他人との関係をこじらせるばかりの読心も、口のきけない動物が相手ならばその限りではないようだ。

 

「初めはなにやらおっかない鬼が来たってみんな隠れてたんだけどね。さとり様があんなに嬉しそうに話す相手なら心配ないってものさ。いやあ、ほんと杞憂だったよ。あっはっは!」

 

 随分と人好きのする少女だ。にしても、嬉しそうに話していたとはどういうことだろうか。仏師の記憶が正しければ、さとりにはただ一方的に心を読まれて口答え一つ許されないまままくし立てられただけなのだが。

 

「さとり様はいつも初対面の相手には一発目に"かます"のさ。人が一番触れられたくないようなデリケートな部分にね。大概のやつはそこで頭に血が上って逆上するか、おぞましさに耐えきれなくなって逃げ出すんだよ」

 

 思い返せば、確かに心当たりがある。顔を合わせて一番初めに仏師は己の名の悉くを掘り返された。まことの名にしてもそうだ。忍びとして生まれ育った者にとって、まことの名は極めて特別な意味を持つ。私情を殺しただひたすらに任を果たす忍びが、誰かにまことの名を伝える相手。それは、その者にとって何物にも代えがたい貴き存在なのだろう。

 

 誰に語ることも無い己のまことの名。それを知る相手が仏師にもかつてはいた。だが、此岸にはもういない。 

 

 さとりは記憶が辿れずまことの名までは分からなかったと口にしたが、あれは方便だ。

 その気になれば知れたのを、さとりはあえて自らの好奇心に蓋をした。それは、生まれながらに心を読めるさとり妖怪にない倫理観であり、さとりなりの相手への敬意の示し方であった。

 仏師もまた、それを見抜いた。

 故に読心を忌諱せず己の内をさらけ出し、さとりの言葉を真摯に受け止めることを選べたのだ。

 これは忍びの修めるところではない。それよりもむしろ、仏を彫ること──ただひたすらに仏を彫り己の心と向き合い続けた経験が、それを可能とした。

 

「さとり様、色々と教えてくれただろ? 新入りの仏師さんのために、聞かれる前にわざわざ先回りして話したんだ」

「ああ。感謝しとる」 

 

 さとりは自分から地上の話を持ち出すことで仏師に地上を意識させ、そこから仏師の知識量を心を読んで把握し必要最低限の知識を提供した。仏師が幻想郷に流れ着いたばかりで右も左もわからない境遇にあるのを慮っていたのだ。

 それも、仏師が静かに仏を彫っていたいだけという心情を加味したうえでだ。ただ何も知らなければただ好き勝手にしゃべり倒しているようにしか感じなかっただろうし、もっと他にいい方法もあっただろう。さとりは、つくづく偏屈で不器用な妖怪だった。

 

「あたいが一番驚いたのは妹の話をしていたことだよ」

「見つけたら、仲良くしてやれと頼まれたな」

「そう。こいし様っていうんだけどね、さとり様はいつも心配しててね、いつも探してるんだ」

「……なにか、訳がある。そうじゃな」 

「うん。こいし様はね、第三の目を閉じちゃったんだ」

 

 第三の目はさとり妖怪の力の根幹を為す部分だ。そうやすやすと開いたり閉じたりできるような代物ではないだろう。目を閉じるとどうなるだろう。

 果たして今まで読めた心が読めなくなるだけで済むのか。仏師はそうは思わなかった。

 

「目を閉じるとどうなる」

「それが、周りから見えなくなっちゃったんだ。さとり様は、無意識になったって言ってた」

 

 周りから見えなくなる。無意識になる。聞けば聞くほど面妖だ。だが、道理もわかる。

 忍びが潜むとき、二つのものを殺す。音と、気配だ。

 だが、もしも。

 もしも己の意識を、他人の意識さえも殺すことができたなら。

 きっとそれは、何人たりとも捕らえられぬ隠密となるだろう。

 

「……さとりが、儂に妹を任せた理由がわかったわい」

 

 きっと、さとりにも妹は見つけられないのだ。

 意識のない者を見つけるのは、常人には困難を極めるだろう。

 意識を読み取る第三の目も、無意識が相手では分が悪い。

 

 ──だが、忍びの嗅覚を持つ己ならどうだ。

 意識を殺すとて、隠密の技術までもは修めておるまい。ならば、如何様にもなる。

 意識が死んだまま音がすれば、音は浮く。気配もそうだ。死線を潜りぬけ、刹那を見切る忍びの目は、一では無く全を捉える。それを以てすれば"無い"違和感にはすぐに気づけるだろう。 

 

「やっぱり仏師さんはいい鬼だ。話してみて改めてそう思ったよ」

「ふん。鬼に、良いも悪いもありゃせんわ」

 

 己ほどのろくでなしにかけていい言葉ではない。そも、良いやつが鬼になるものか。

 たとえ仏を彫って徳を積もうが、背負った業は誤魔化せない。

 その身に浴びた血と、刻まれた大小の傷。重ねた死闘の証が仏師の業の深さを物語っている。

 人も獣も、数えることをやめる程度には殺めてきた。

 やがて、殺すことを目的に殺すようにさえなった。

 恩人が元の道に引き戻してくれたものの、殺めた命は帰らない。

 腕を失えば、今度は腕のない身で殺す術を磨き始めた。

 これをろくでなしと言わずして、なんというのか。

 だが、しかし。

 

 お燐は陽気に笑いながら、仏師を見上げて臆面もなく言った。

 

「ね、いっぱい殺したんでしょ? 仏師さんからはとっても素敵な香りがする」

 

 ──どうやら、己はいい鬼らしい。少なくも彼女の価値観にとっては。

 

 




SEKIROや東方を知らない方も読んでくださっているようなので、用語解説です。

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