地底の仏師   作:へか帝

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 SEKIROにおいて、人物が刀を抜くときにはその人の迷いが垣間見えます。
 主人公である隻狼と、相対する相手。どちらが淀みなく武器を構えているか見てみると面白いかもしれません。

 迷えば敗れる。SEKIROを最後まで遊べば嫌というほど耳にする言葉ですが、中々含蓄があります。(前書きに書くことないから考察垂れ流すマン)


戻りの道

 

 栗色と紅紫のチェックが敷き詰められた仄暗い廊下に、ステンドグラスを通して灼熱地獄の光が極彩色の影を落とす。暗鬱とした空間に散りばめらるサイケデリックな色の破片は、神秘と底気味の悪さが入り混じって超現実的な様相を示していている。地底の最奥に居を構える地霊殿に相応しい景色だった。

 

 暗い廊下には、水面を歩くような足取りの鬼と、対照的に跳ねるように楽し気に歩みを進める赤髪の少女がいた。後ろには多種多様な動物の妖怪が続いている。

 

 仏師は、己の業を見抜いてなお朗らかに歩く化け猫を睥睨した。

 

「随分と、鼻が利く。ちとお前さんを甘く見ておったわ」

 

 自分が数えることも億劫になるほどの数の生を殺めてきたことは、不変の事実である。だがそれを心を読まれたわけでも無しに見抜かれたことには驚いた。妖怪といえど所詮は猫の小娘と知らずのうちに侮っていたやも知れぬ。仏師は己の不徳を自覚し、戒めた。

 

 無論、殺しの経験を言い当てられたとて取り繕うような真似はしない。

 それは忍びとしての誇りに泥を塗るだけでなく、背負ってきた業への背徳となる。

 殺しを誇示することも、否定することもしない。忍びに許されるのは、ただあるがままを受け止めることのみ。

 

 それにしても、お燐もそれを見破ったものだ。忍び技を披露したわけでも、貫くような殺気を身に浴びた訳でもあるまいに。

 そんな仏師の疑問に答えるように、お燐が口を開いた。

  

「あたいはこう見えて火車やってるからね、死体とか怨霊とかの声が聴けるんだ。そういう匂いにも馴染み深いさ」

 

 お燐が人指し指をピンと立てると、その指先に大きな青い鬼火が灯った。

 火車。悪行を重ねた者の亡骸を奪い持ち去る妖怪で、老いた猫が変じるとされる。

 火車としての性質から、生きている人間よりもその死体や怨霊に強い興味を持っているお燐は、仏師から漂う濃厚な死の気配を嗅ぎ取っていた。

 

「ほう、怨霊の。あまり聴きたい類のものじゃあ、ねえだろう」

「そうでもないさ。これがなかなか癖になる」

「とんだ物好きもいたもんじゃ。儂は、二度と御免だが」

 

 仏師は半ば独り言のように呟いた。

 かつて仏師は、忍びとして殺しを重ねる内に己を見失った。

 何のために技を磨き、誰のために刃を振るうのか。それすら忘れ、ただ斬る悦びに心を囚われた。

 故に──修羅に飲まれた。怒りの炎に魅入られたのだ。

 

 その仏師を再び人の道に引き上げたのが、国盗り戦の葦名一心その人である。左腕はその時斬り飛ばされた。人へと返る戻り駄賃だと思えば安いものだ。

 

 例え一度は人を取り戻せども、修羅へと堕ちかけた代償は大きい。

 仏師はその報いとして、渦巻く戦禍によって降り積もる怨嗟の声をその身に受け止め続けねばならなかったのだ。

 怨嗟の炎はおぞましい。人を一人、鬼に変えるほどには。

 

 力を求めるあの男は、己とは違う道を歩んだ。

 すすき野原で拾った死に掛けの狼だ。彼が忍び義手の整備を請いに戻ってくる度、仏師は狼の目を見ていた。それは、いつか瞳の内に憤怒の色が燻ってしまうのではないかと恐れていたからだ。 

 

 だが、それは要らぬ心配に過ぎなかった。あの愛想の無い狼は己と同じ轍を踏まなかった。人を殺め続けようと、決して己の目的を見失わなかったのだ。

 為すべきことを為す。狼の目に宿っていたのは、最後まで曇りなき信念のみであった。

 思い返すと、まるで愛想はないが不思議と人に好かれる律儀で憎めぬ男だった。

 はてさて、一体誰に似たのか。

 

 それにしても、と仏師は訝しむ。

 己に降り積もった怨嗟の炎は狼が悉く斬り払ったはずだった。炎も織り成せぬほどの僅かな残滓はあれど、声を聴けばそれだけでわかるものなのか。

 

「ま、本当の所は声を聴くまでもなかったんだけどね。だって、こんなに良い匂い」

「む……」 

 

 鬼火を消したお燐は、仏師の灰のように青ざめた右腕に顔を寄せてその香りを存分に堪能していた。

 怨霊の声を聴くまでもない。ということは怨嗟の声を汲み取ったのではなく、漂う死臭から察したという事か。

 

 仏師は己の纏う死臭を忌むべきものであると考えていた。これは人の倫理に反する証左であり、怖気をかき立てる化生のそれだと思ったからだ。

 だがそれは人間にとっての話。

 人の血を啜り心を喰らう妖怪にとって、その価値観は反転する。鬼の身体で人の理性を抱える仏師は、このときようやくそれを理解した。

 誰も彼も人の姿をしている為に勘違いしがちだが、人間と妖怪は根幹的に異なる存在である。

 妖怪が存在するのに必要なものは妖怪によって異なるが、おおよそは人間の畏怖である。

 

 人を喰らう妖怪も、そもそも人間に手っ取り早く畏れられるためにそうしていることが多い。思考するほどの知恵を持たない木っ端妖怪ですらそれは理解しており、知恵がないなりに闇雲に人間を襲っては無残に退治されている。

 

「お前さんの読み通りじゃ。大勢殺した。殺しすぎるほどには、殺したわい」 

「うっとりしちゃうね。私みたいな妖怪は特に」 

 

 仏師には人間の恐怖がこびりついている。いつからと問われれば、きっと最初からなのだろう。 暗殺を生業とする忍びとして、人斬りの修羅として、怨嗟の鬼として。仏師は姿形を変えながら、長きに渡って相対する人間に恐怖の感情をぶつけられてきた。

 その残り香は、かぐわしきことこの上ない。

 己に付き従うようにあとに続く無数の動物らも、きっとこの香りに誘われての事だろう。さとりとの会話から危険がないとわかり、遠慮がなくなったわけだ。

 

 そういえば、と仏師はさとりとの会話を思い返して疑問をひとつ浮かべた。地霊殿に住まうペットと呼ばれる魑魅魍魎には役割があると言っていたはずだ。

 

「さとりが怨霊の管理を任しておる者がいると言っておった。それはお前さんのことか」

「ん? そうとも。操れるようになるまで随分苦心したんだ。うっかり地上に漏らせば一大事だし」

 

 仏師の手から離れたお燐は、再びこれ見よがしにひと際大きな青い鬼火を灯す。冷えた炎の光は、冥々とした地霊殿の廊下を青白く照らして見せた。

 よく見れば、揺らめく炎の奥に髑髏が影を作っているのがわかる。あれが怨霊の主だろう。

 

「見事じゃな」

「どーも」 

 

 お燐は素っ気なく答えたつもりのようだが、頭の猫耳がぴこりと嬉しそうに跳ねていた。 

 話を聞くに、どうやらお燐の怨霊を操る力は先天的に備わっていたものではないらしい。後に自ら修練を重ね、怨霊を操れる術を身に着けたようだ。どのような手段を取ったかなど想像もつかないが、怨霊を自在に操る術が決して容易に習得できる代物ではないことはわかる。

 

 お燐は能天気な性格に見えて、これで結構な努力家らしい。そして、その努力を他人に誇示すること、またそれに驕ることせず、黙々と与えられた職務を全うする。それは、仏師から見ても実に好ましく映った。

 

 ここで一つ、お燐ならば地底の事情にも詳しいだろうと踏んだ仏師は彼女に問いを投げることにした。地上との約定のことだ。

 

「お燐。なぜ怨霊は地底に封じられておる」

「ん、そりゃ怨霊は妖怪を殺すからさ。だからわざわざ上から下までせっせとかき集めて地底で管理してるんだ」

 

 直前に褒められたが故の機嫌の良さが幸いしたか、お燐は手元の鬼火を弄びながら問いに淀みなく答えた。

 

 妖怪の生命力は常軌を逸する。常識を逸脱すると言い換えてもいい。

 心の臓を引きずり出されようが、首を切り落とされようが、妖怪は死なぬ。力ある妖怪の中には異能を振るい森羅万象を揺るがすような存在さえいる。

 そうした神とも比肩、混同されるのが妖怪だ。だが、そんな妖怪にも恐れるものもある。そのうちの一つが怨霊だった。

 

 妖怪は強靭な肉体を持つ一方で、精神的な干渉には滅法弱い。取り憑かれ意識を乗っ取られれば、それだけで容易く死に至る。

 妖怪の楽園に怨霊は邪魔だった。故に、妖怪に邪魔な妖怪もろともに土の下に放り込んで蓋をしたのが地底である。それでも放り込まれた妖怪たちで新たに楽園を築いて好き勝手生きているのだから、世の中はうまく回るものだ。

 

「一応封印してるのは怨霊だけじゃないよ。大昔に悪さした妖怪も一緒さ」

「ほう」

 

 地底は閉鎖的で陰鬱とした場所だ。中央に広がる鬼の巨大都市の喧騒がそれを感じさせないが、その空気が肌に合う妖怪ばかりでもないだろう。

 望まずして地底に落とされたならば、地上の空を渇望する妖怪がいても何らおかしいことはない。

 

「血の池地獄のあたりに足を運んでごらん。ずーっと昔から地底に封印されてる奴らが馬鹿やってるから、顔を見せるといいよ。別に気の悪い連中でもないしね」

 

 この地底には、辺りにかつて地獄として稼働していたときの名残がある。

 灼熱地獄に蓋をするように被さっているこの地霊殿を始めとして、悪行を為した者を苦しめるための責め苦が点在している。

 奇妙な話だが、地獄として捨てられたにも関わらず、好き好んで責め苦を受ける者もいる。贖罪の意識でもあるのかないのか、なんにせよまともな者であるまい。

 

 しかしその妖怪らも、大昔より封印され続けているというのに特段邪悪な存在という訳でもないらしい。随分と奇妙に思える話だが、翻って考えてみればただ妖怪であるというそれだけで人間には邪悪に過ぎる。古い妖怪は、往々にして力を蓄えている。顔を拝んでみるのも、また面白いかもしれない。

 

「あれ、もう着いちゃったね。名残惜しいなあ」

 

 他愛の無い話をしているうちに、長い廊下は終わりを告げ、地霊殿の入り口まで戻ってきていた。お燐たちペットの見送りはここまでらしい。

 

「行く道でも声を掛ければよかったって後悔してるよ」

「地底におれば、また世話になることもあるじゃろう。ではな」

 

 お燐とそれを囲む小さな百鬼夜行のようになった動物の大群に別れを告げ、惜しむことも無く地霊殿に背を向け歩みを進める。

 

 さて、珍しく縦穴から離れた場所まで足を運んだのだ。ひとつこれを機に軽く旧地獄を巡るのも悪くない。今までは単に縦穴に籠って仏を彫ることに没頭していれば良いとばかり思っていたが、仏師も勇儀やさとりと顔を合わせて話したことで少し考えを改めた。

 

 過去に厳重に札を貼られた荒れ寺で仏を彫り続けていたのには、怨嗟の封印という意味が強かった。しかし、その甲斐もなく鬼へと変じた己には、言ってしまえばとうに仏を彫る必要は失われているのだ。

 それでも彫るのは、自らの心の貌を知りたいが為。誰に言われたわけでもなく、ひたすらに仏を彫るのに没頭するのは、ひとえに仏師の望みである。

 

 だが、郷に入って郷に従うべきだ。誰にも憚らず、やりたいことだけをやっていてはさとりの顔も立たない。であれば、通すべき筋を通すことを優先するべきだと思った。

 

 すなわち、顔を繋ぐことである。知られていないということは罪である。忍びとしての在り方を否定しているようでもあるが、疎かにしては不幸を生む。闇夜に紛れるうちに、味方であるはずの者に刀を向けられたことも少なくない。

 

 鬼の己も、この地底ではどうやら目の敵にされるわけではないらしい。加えてこの幻想郷という閉ざされた箱庭は、横のつながりが強い。手を取り合って仲良しこよし……とまではいかないまでも、ある程度の交流は必要だと判断した。

 

 それにしても……と、地霊殿で律儀に見送りを果たしてくれた住人たちを思い出す。

 さとりとの会話から危機がないことを察したとはいうものの、本当によく懐かれたものだ。お燐を始めとしたペットたちとは地霊殿の外でも顔を合わせる機会が多いだろう。彼らとの良好な関係を築けたのは僥倖だった。

 

 地底の役割である怨霊の管理は、お燐を筆頭として彼らに委ねられている。

 それは本来は地底に住まう者たちの義務とも呼べるものだったはずだ。それを彼らが肩代わりしてくれている。 

 その恩恵を授かっている以上、己も何らかの形で報いるべきだ。機会があれば力を貸すことも吝かではない。口に出して告げることはしなかったが、仏師は内心でそう決めていた。

 

 だが、忍びの牙を置き、仏を彫る他に能のない己だ。できることもそう多くない。

 修めた殺しの術を振舞う機会など、この楽園において無用の長物であろう。

 

 だが──もしさとりの妹を目にすることがあれば。

 そうすれば、土産話の一つでも地霊殿に持っていくくらいは己でもできるだろうか。

 




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