しかし、物語中盤で立ちはだかるボス、大忍びは危険攻撃をしてきません。
戦闘中のセリフを含めて考えるとつい勘ぐってしまいますね。
地底の辺境、街としての整備の進んでいない外れ。ごつごつとした荒々しい岩肌に囲まれた場所に血の池地獄はあった。
繁華街で飲んだくれた鬼たちの明るい喧騒に包まれていると忘れそうになるが、この場所は地上の裏側。辺りに無数に伸びている鍾乳石を見やれば、ここが地上の遥か下である実感が得られる。
広い広い血の池やその周囲からは、得体の知れぬ蒸気のようなものが立ち上り、淡い霧が満ちていた。そこに、ゆらゆらと歩みを進める巨影が映る。仏師は血の池地獄へと足を運んでいた。
強い理由はない。ただ、話を聞くうちに興味を惹かれた。気づけば、導かれるように自然と進んでいたのだ。
自分が何をして生きていくべきなのか。仏師はそれを見失っていた。
人として生き永らえ鬼として一度死を迎えたはずが、異郷の地で目が覚めた。
断ち切れぬ因果の鎖。一体どんな力で、どんな理由があった。何を為す為に己はここにいる。
仏を彫る傍らで、ずっとその意味を仏師は探していた。
血の池のほとりへ近づけば、人影が二つ……いや、池の上に更にもう一つ。全部で三人見えた。
「ぶはぁっ! どう! 何秒だった!?」
「んー、25秒」
「ざんねん、記録更新ならず」
「かぁーっ!! 天下の村紗水蜜ともあろうこの私が、耄碌したか!?」
あれは何をしているのだろうか。血の池地獄から這い出てくる水兵の服装をした少女を、空色の髪をした尼と、空に浮いた異形の翼の少女が機械時計を見せつつ何やら盛り上がっている。
血の池地獄は誰も浮けない溺死の責め苦。仏師も散々血は浴びてきたが流石に血に浸かった経験まではなかった。
一部始終を見ても、まるで意図が掴めない。何かの時間を測っているようだが。
「お、隻腕の鬼が来てるよ。ほら、最近話題の」
訝しんでいるとそのうちの一人、真紅と群青で対となす六枚の翼を持った黒髪の少女がこちらに気づいた。背中から伸びるそれは、もはや触手といって差し支えない程で幾何学的に婉曲した奇怪な形状をしている。見れば見るほど翼としての役割を到底果たせるようには思えない。思えないが、現に黒髪の少女はふよふよと宙に浮いている。
不可解だが、あれで翼としての役割は全うできるようだ。
こちらの様子を窺う翼の少女は、こちらを品定めするような嫌な視線を送っている。
それは不吉な気配を纏っていた。仏師の背中に嫌な汗が伝う。
「それ」
翼の少女が不意にいたずらっぽい声を出した刹那、携えていた三又の槍からけたたましい音と共に紫電が放たれた。
攻撃。
そう判断した仏師は半ば反射で大地を蹴り、中空を舞う。
すかさず右肩に刺さっていた一振りの刀を引き抜き鋼の刀身で以って閃く雷撃を受け、返す刀で雷を払う。
すると、刀身に宿された雷電は一直線に翼の少女のもとへと返っていった。
「うぇ嘘ォ!? あばばばばばば!!!」
秘儀、雷返し。
葦名に語り継がれる技の一つ。
古の戦にて、かつて葦名を襲ったあやかしを迎え討った葦名衆の神業である。
地に足を付けず、雷が全身を巡るよりも早く雷を返す。
大地を離れ、空を駆けるが本懐の忍びには容易い技だ。
まさか放った雷が返ってくるなどとは夢にも思っていなかった翼の少女はあえなく直撃。電撃に体を痙攣させながら墜落した。
「随分な挨拶じゃな」
「や、やるじゃん……」
音無しに着地した仏師が、黒焦げになった翼の少女に声を掛ける。ぷすぷすと煙を上げつつ、少女もなんとか返事を返した。
流石の妖怪というべきか、焦げ臭い匂いはするものの肌が火傷した様子はない。そもそもの紫電も加減してのものだったのだろう。
手荒い歓迎だったが、彼女らに敵対する意思があるという訳ではないようだ。
翼の少女、封獣ぬえは噂を耳にしたときから仏師を侮っていた。
鬼の分際で腕を落とされ、顔に致命の一撃を貰うような負け犬に過ぎないと。
故に悪戯心のままに、ひとつからかってやろうとちょっかいを掛けた。初対面ついでにどちらが上かとわからせてやろうという打算もあっただろう。
所詮、鬼など力任せしか能がないと高を括っていたのだ。それが誤算だった。
故にこの様である。
しかし、鬼がこれほど芸達者な真似をするのを予想しろというのも無理な話。
そもそも妖怪など生まれた種族こそが持ちうる力の大半を決める。まさか生まれながらに妖怪としての格が最上位に位置する鬼が技を駆使するなど、常識の埒外だ。
「鬼に喧嘩売るやつがあるかっての」
地面に突っ伏したぬえを呆れた目で見下ろすのは、法衣の少女。こちらはぬえと違って血気盛んな方ではないらしく、敵対する様子はない。むしろ一方的に攻撃を仕掛けたぬえを責めるような口調だった。
同時に、再び血の池に沈みかけていた水兵の少女も陸へと這い上がって来る。
不可解なことに、どろどろとした血だまりから上がったばかりだというのにその衣服は未だ眩い白を保っている。周囲の物体との干渉が不自然だ。推察するに、彼女は霊的な種族なのだろう。
「すごいね今の。それに随分と水の掛け甲斐のありそうな奴」
水兵の少女は陸に錨をかけることで、それを手繰って浮上してきたようだ。
しかし水の掛け甲斐がありそう、というのは燃え盛るようにたなびく朱のたてがみを指しているのか。
水兵の少女は物怖じもせずにずいずいと距離を詰め、仏師に血の注がれた柄杓を差し出した。
「やあやあ、初めましてだね。どうだい、景気付けに一杯いっとく?」
──いきなりよくわからない誘いを持ちかけられてしまった。
どうやら、この柄杓でもって頭から血を被れということだと思われる。だが、血の注がれた柄杓を頭から被ることの何がどう景気付けになるのか。仏師は理解に苦しんだ。
ひょっとすると己の知らない風習なのかもしれない。貼り付けられたような笑みを見るに、好意からの行動とみて間違いはないのだろう。しかしなぜだろうか、彼女は明らかに異を唱えることを許さないような威圧を、やさしさの欠片もない笑顔の裏側から発している。
頭をひねっても答えは出ない。水兵の少女の笑みは深くなるばかりだった。
「相手にしなくていいよ。こいつ、舟幽霊だから。人に水被せたがるんだ」
仏師が返答を渋っているうちに、法衣の少女が助け舟を出した。
舟幽霊。法衣の少女は水兵の少女をそう呼んだ。それは渾名や比喩ではなく、一つの種族である。
船幽霊とは、人を殺す幽霊である。航行中の船を訪ねては柄杓を要求し、渡せばその柄杓で水を汲んで船を沈め、渡さなければ逆上し嵐を呼んで船を沈めるという迷惑極まりないなんとも倒錯的な霊だ。
ちなみに対策は底抜けの柄杓を渡すことであるが、この村紗水蜜はそれを見越して自前で柄杓を用意するという、船幽霊のしきたりを踏みにじる身も蓋もない暴挙で以って対策している。
まさに殺意の権化のような存在だった。
だが、話の分からない霊でもない。一つ身の上話でも語ってやれば興味津々に話に乗ってくるし、幸運にも興味を惹いて雑談に花を咲かすことができればまたとない船旅の友となるだろう。
村紗も思わず熱が入って水を汲む手が加速するというものである。
目を付けた相手は誰であろうが絶対に殺す。手心は加えない。船幽霊の矜持だった。
標的となった哀れな船主には己の不幸を呪うか、身の上話でもして彼女を楽しませる以外にすることはない。
というのは、昔の話。
幸いなことにこの村紗、故あって昔よりも相当に丸くなっている。
今では突然水を掛けてくることにさえ目をつむれば特に危険のない一般少女霊だ。
そんな害悪水難系一般少女霊は、仏師との水難交渉に水を差した法衣の少女に抗議していた。
「ちょっと、人の営業邪魔しないでよ。いいでしょ別に沈めて息の根止めようってんじゃないんだし」
「鬼にちょっかいを掛けるやつがあるかいばかたれ」
どうやらこの法衣の少女、大変珍しいことに良識のある人物のようだ。だが悲しいかな、パルスィと同様に苦労人の気も見て取れる。哀れ、半端に常識を持ってしまったばっかりに。
差し当たり、仏師は掲げられた柄杓を押し返した。
彼女には申し訳ないが、仏師もわざわざ好き好んで血を浴びようという気にはなれない。
「悪いが、血はちと浴び飽きた。遠慮させてもらう」
「えー、残念。水難が恋しくなったらいつでも言ってよね」
もし仏師が是と答えていたならば、彼女は嬉々としてその小さな柄杓で鬼の巨躯に何度も何度も血の池地獄の血を注ぎ頭に被せては悦に浸っていたことだろう。
軽率に答えを出さなかったのは仏師の英断である。
「私は雲居一輪。この生きてる方の命知らずが封獣ぬえで、そっちの死んでる方の命知らずが村紗水蜜。それで……あんたは? こんなところまで何か用かしら」
電撃、血の柄杓と続いてようやくまともな挨拶である。この幻想郷は言葉が通じる割に話が通じない輩が多い。
一輪と名乗った法衣の少女の対応は前二人と比べると淡泊で、友好的ではあるがそれほど歓迎という雰囲気でもない。お燐の語っていた、封印されているという曰くも関係しているのだろうか。
「仏師という名で通しておる。今は新参者の地獄巡りの最中よ。もっとも、ここで何をしていたのかはまるでわからなんだが」
「あ、今の? 溺死チャレンジ」
溺死チャレンジ。水兵の少女改め、村紗が即答した。
外来の横文字も耳馴染みこそないが、言葉の意味はわかる。
言葉の意味はわかるが、言っている意味はわからない。
手に入れた情報を統合して考えると、なにやら入水して死を迎えるまでの時間を計測しているようだ。
「妙なことを……」
なぜわざわざ自ら溺死に挑まんとするのか。それも死の淵にある霊体の身で。
望まぬ不死の肉体を得た者が、あらゆる手立てで死を求めるようなものだろうか。しかし気さくに死に挑む様子を見るに、それとは風情が違う。
妖怪はそれぞれが独特の常識と価値観を持っている。故に自らの常識に囚われてばかりでは振り回されるばかりとなる。今一度、己の常識を捨て去らねばならないらしい。
「要は暇つぶしよ、暇つぶし。することないんだよねぇ。あーあ、地上が恋しいよ」
「そろそろ封印されて千年になるんじゃない?」
「え、もうそんなに経つ?」
千年。悠久を生きる妖怪にとっても、それは決して短い時間ではないだろう。
まして地底という閉鎖的なコミュニティならば尚更だ。
「何故、封印されておる」
「大昔に人間と妖怪の共存を志した大馬鹿者がいたのよ。私らはその人と同じ夢見て──まあ色々あって、今ここにいる」
「あ、私は違うからね。悪さしてるのがバレた」
人間と妖怪の共存を志す。村紗が慕った者の語るそれは、きっと人の理解を得られなかっただろう。それどころか、傍目には一個人が妖怪という超越的な戦力を率いているようにさえ映ったに違いない。
それがどう転んだか、彼女たちは地底に封印され、大馬鹿者とやらの姿は地底には見えない。どのような結末を迎えたかは想像に難くないだろう。
それと、意外にもぬえは彼女たちと同時期に地底に来ているというだけで特別縁があるわけではないようだ。彼女の封印の理由は至って分かりやすい。仏師にしたようないたずらを、大衆を相手に楽しんでいたのだろう。
「難儀じゃの。だが、未だ諦めているようには見えん」
「まあね。姐さんには千年経っても醒めない夢を見せてもらったのよ。ここで腐るつもりなんて毛頭ないわ」
千年という気の遠くなるような時間を経てなお志を保つ。並大抵のことではない。彼女らの慕う人物とは、それほどなのか。
未だ雌伏の時。だが、いつか。いつか必ず、成し遂げる。
それを感じさせるだけの熱を、その目から受け取った。
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長編とか週一更新とかしてみたい(願望)