地底の仏師   作:へか帝

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 仏師殿、放っておくと仏彫ってるだけなので話を作るのが難しいという問題があります。


空から女の子が

 目覚めたとき、正邪は自分が粗雑な藁の上に寝かされていることに気づいた。

 

 横になったまま軽く辺りを見回してみても、視界に映るのは冷たい断崖ばかり。見覚えのある景色は映らなかった。

 なぜこんな場所で自分は寝ているのか。最後に何があったかうまく思い出せないが、それでも記憶を辿りながら体を起こそうとして──全身に走った激痛に止められた。

 

「ぃ˝ってぇ……!」

 

 思わず声を漏らして身悶えする。

 ずたずたになった衣服の切れ目からは、無数の打撲痕や裂傷の名残が覗いていた。

 

「目覚めたか」

 

 その声は、こちらに背中を向けた大男から聞こえた。

 正邪は内心で心臓が飛び出るほど驚愕したが、なんとか声を張り上げることだけは堪えた。

 猿のように背中を丸めて座る巨大な男は、横になっている正邪からすれば一つの丘ほど大きく見える。

 だというのに、そのスケール感に実感が湧かない。まるで気配の掴みどころがなく、蜃気楼を見ているかのようだった。

 だが、その感覚はちらりとこちら一瞥した男の顔を見た瞬間吹き飛ぶことになる。

 

「お、鬼……!」

 

 燃え滾る髑髏のような貌を見て、正邪は言葉を失った。

 鬼は地上から姿を消して久しい。種族のみで語る場合、天邪鬼が最弱の妖怪であり、鬼は最強の妖怪である。

 自分ほどの木っ端妖怪がお目にかかるなど、正邪は夢にも思っていなかった。

 天邪鬼は弱い。故に、相対する相手は常に自分より上の存在だ。

 それに食って掛かってこその天邪鬼。相手は鬼? それがどうした、関係ない。

 そう心を叱咤しても、今だけは体が怖気づいて動けなかった。

 

「……くく、心と体がまるでちぐはぐじゃな。別に取って喰いなどせんわ」

「ここはどこだ! どうして私はここにいる!?」

 

 身体は竦んで動かないが、それならせめて口先だけでもと声を上げる。

 仏師の言葉から命の危険がないと分かって安堵し、付け上がっただけでもある。

 仏師はそれを窘めることも無く、淡々と問いに答えた。

 

「ここは地底世界。地獄と呼ぶ者もおるな」

「地獄だって……?」

 

 地獄。生前悪事を繰り返した悪人を苦しめる死後の世界。

 学のない正邪にも、それくらいの知識はあった。

 

「じょ、冗談じゃねぇぞ! そもそも私は死んでねぇ!」

 

 地獄に落とされる身の覚えは両の手と足の指を使っても数えきれないほどあるが、生憎死んだ覚えはない。大人しく裁かれてやるつもりなどさらさら無かった。 

 

「上を見てみるといい」

 

 正邪は言われるがままに視線を上に向ける。

 すると視界を囲むように広がる岩壁の遥か向こう側に、僅かに光を放つ小さな小さな穴が見えた。

 

「わ、私はあそこから落ちてきたのか……?」

「さしずめ、ヤマメの張った糸にでも引っ掛かったんだろう。でなけりゃあ、この高さだ。人の形すら保てん」 

 

 呆然と彼方にある光の点を見つめ続ける。

 あまりにも──高すぎる。

 

 平時なら空を飛べばいいだろう。だがそれはできない。

 感覚でわかる。生命の維持と肉体の再生に、なけなしの妖力を全て注ぎこんでしまったのだ。

 弱すぎる正邪の身体には、もはや空を飛ぶ程度の余力さえ残っていなかった。

 ここを出るには、自力で登らなくてはいけない。

 その事実は、正邪の頭に絶望の二文字を浮かべるには充分すぎた。

 

「たかが二束三文の腹いせにここまでするかよ……!」

 

 地上の光を目に焼き付けている内に、正邪は自分がここにいる訳を思い出していた。

 何のことはない。食い扶持を繋ぐために里で常習していたスリが原因だ。

 その日、鬼人正邪は下手を打って悪事が里の人間に露見したのだ。

 

 人里とは、幻想郷において唯一の人間の集落である。

 人間以外の種族にも人里は解放されており、多種多様な商いが取り交わされるため幻想郷で一等の賑わいを見せる場所だ。

 だが、人以外の種族に解放されているといえど、それは妖怪が無遠慮に足を踏み入れて良い場所というわけではない。

 外から見てもわからぬ程度には人に化け、暮らす人々に混乱を招かない程度の配慮が必要だ。

 一応獣の尻尾程度なら隠さなくとも見てみぬふりをしてくれるだろう。

 

 正邪の繰り返す窃盗は、人里に忍び込んだ妖怪がするには些か浅ましすぎるものの、それでも里の人間から敵視されるのには充分すぎた。

 事実里には正邪の指名手配が出回っており、その日も警備を担う者たちが目を光らせていた。

 

 そんな折、正邪は馬脚を現した。

 瞬く間に衆目を集めた正邪は里の退治屋に追われ、追跡は里の外まで続いた。

 

 人に追われる妖怪という情けない構図には、正邪が弱すぎるという身も蓋も無い理由がある。

 人の嫌がることを好み、人に嫌われることを喜ぶ。それが天邪鬼という妖怪だ。

 武器を持った大人一人相手に手も足も出ない程度には弱い。その癖各所で悪事を働くものだから、目の敵にされて返り討ちに合う。

 今回もその一環だった。

 

 そうして逃げ惑う内、正邪は焦りに焦って確認もせずに足元の洞に飛び込んだ。

 里の退治屋の実力はお世辞にも高いとは言えない。故に、活動は撃退が主で庇護の無い人里での長時間の活動は控える傾向にあった。

 つまり、正邪はとっくに引き返した追手を恐れて死に物狂いで走り、挙句に自らを更なる窮地に追い込む間抜けを晒したことになる。

 全て己の浅慮が招いた結果であるが、本人がそれに気づくことはないだろう。

 里の退治屋は謂れもない逆恨みを買わされただけである。

 

「お前、さっきから何してる」

 

 正邪はずっと仏師の手元から聞こえるがり、がり、と規則的に岩を削る音が気になってしょうがなかった。

 

「仏を彫っている」

「は、はぁ?」

「何度彫ろうと、これがどうしてままならぬのよ」

 

 仏師は手に持った硬い鉱石で、岩に打ち付けて仏の形を削り出していた。

 

「地獄で仏なんて彫って何になるんだよ」

「どうにもならぬから、仏を彫っている」

「い、意味わかんねぇ……」

「そら、見てみろ」

 

 倒れ伏す正邪の傍らに、作り上げた仏像を投げ寄越す。

 体をよじってそれを見てみる。

 

「おい、これのどこが仏なんだよ。仏はこんな顔しねぇ」

 

 怒り、悔やみ、悲しみ、悼み、嘆き。全てを同時にこなそうとすれば、こんな貌になるだろうか。今まで見たこともないくらいに複雑な感情が顕れている。

 超常的で、ひどく人間らしさのある仏だった。

 

「これは言わば鏡よ。自分のありのままの姿が映される」

「じゃあ、この仏がお前の姿なのか……?」

「いつか、穏やかな顔の仏様を彫らにゃならん」

「なんで」

 

 正邪の疑問に答えるように、仏師は半ばから斬り落とされた左腕を正邪にまっすぐ向けた。

 

「見えるか」

「ッ! お前、体の中に火が……」

 

 息を呑んでそれを見つめる。

 腕の断面には、昏い炎が走っていた。火勢こそ微弱なれど、火は仏師の内側をちりちりと焦がしていた。

 

「うかうかしてると、こいつに燃やし尽くされっちまうのよ」

 

 今は弱い。だが、いつまでも弱い保証はない。

 斬り払われた怨嗟の炎は、未だ完全に潰えてはいないのだ。

 また我を失ったとき、今度は誰が己を止められるだろう。楽観はできない。

 けじめはつけなくてはならない。

 

「お、お前が燃えようが私の知ったことじゃねぇ! それより他に地上に繋がる道はないのか!?」

「お前さん、上に戻るつもりか」

「当たり前だろ!」

 

 何とか体を起こし、仏師に追及する。

 僅かに身じろぎするだけであちこちに鋭い痛みが走る。折れた骨が再生しきっていない。

 それでも身体を動かすのは、反骨精神の賜物だった。

 

「残念だが、他に道はねえな」

「クソ、じゃあ登るしかねぇか……」 

 

 正邪の小さな呟きに仏師は僅かに瞠目した。

 この矮小な小娘は、未だに地上に登ることを一寸たりとも諦めていない。

 現実が見えていないのかと思ったが、どうやらそれも違う。

 何か、強い激情に駆られている。強い意志がある。傷付き弱り果てた姿でなお吠える姿はなんとも滑稽で、だがそれ故に気高かった。

 

「何故、そこまで地上に拘る。上にはお前を虐げた連中がいるんだろう」

「──だから戻るんだろうが!」

 

 正邪は立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 岩壁に手を掛けてよじ登り、程なくして力尽きて落ちてくる。その拍子にまた身体を痛め、身体を癒す為に力を浪費する。

 ずっとその繰り返しだ。それを昼夜問わず繰り返している。

 

「あのちっこいの、まだやってるの?」

 

 仏師の傍らに、吊るされた白い糸を伝って金髪の少女が逆さまに降りてくる。

 黒谷ヤマメ。仏師よりも古くからこの縦穴に住み着く妖怪で、仏師が幻想郷で共に過ごした時間が最も長い妖怪だ。

 地底に落ちた正邪の命を間接的に救ったのも彼女である。

 

「あの様子じゃあ、死ぬまで止めんじゃろう」

「愚かだね。それで命を落としちゃ世話ないでしょうに」 

 

 くるりと宙返りして地面に降り立ったヤマメは、嘆息しながら言う。

 

「弱っちいのに馬鹿なやつ」 

「くく、だが上手い。登るたび、少しずつ上には進んでいる」

「いや、どうせ落ちるんだからその前に死ぬじゃん」

 

 珍しいことに仏師は仏を彫る手を止めて懸命に壁をよじ登る正邪を眺めていた。

 その表情には、僅かな笑みが見える。

 

「何がそんなに面白いのさ」

「ただ、昔の己に重ねているのよ。無様に谷あいを跳ねた、昔をな」

 

 まだ忍びとして未熟な頃、仏師は片割れと共に落ち谷で忍び修行に励んだ。

 がむしゃらに上を向いて登り続ける正邪の姿は、青臭く懐かしいものだった。

 仏を彫るばかりでは見えないものもある。正邪の愚直でひたむきな後ろ姿は、仏を彫る手を止めて見るだけの価値があった。

 

「へえ、聞かせてよ」

「くく、酒でも飲まにゃあ、顔が赤くなっちまって語る気もせんわ」

「なんだよケチ」

 

 それを聞くには、きっと羞恥で染まった顔色を誤魔化せるように、酒豪の仏師でも顔が赤くなるような特段辛い酒がいいだろう。

 

 

「儂の見立てじゃあ、次に落ちたときがあやつの最期じゃの」

「間違いないね」 

 

 仏師の忍びの視力は正邪の限界を捉えていた。疲弊した両腕は小刻みに痙攣し、半端に癒えた切り傷が開いて鮮血を流している。落ちるたび硬い大地に打ち付けられた肉体はダメージが蓄積し、軋みながら悲鳴を上げている。

 まして、あの過去一番の高さ。そこまで辿り着いたその努力は大したものだが、登り切れぬのなら意味はない。

 ヤマメも同じ見解らしく、純粋な妖怪から見ても正邪が危険な状態にあることは火を見るよりも明らかだった。

 

「さて、ここに屍を晒されちゃあ気が散って仕方がない」

「それに、仏の前に死体があっちゃあ恰好がつかないね」

「ふ、例え鬼の彫った仏でもか?」

「誰が彫ろうが仏は仏でしょ」

 

 仏師はヤマメとやりとりを交わしつつ、正邪の登る縦穴の高さを目測で測る。

 人外の膂力を持つ仏師とて、容易に到達できる高度ではない。例え摩訶不思議な術を用いて空を飛んだとしてもある程度の時間を伴うだろう。

 

「ヤマメ。糸を借りたい」 

「ん、どんなのがいい?」

「縄のように使う」

「ほい、一丁あがり」

 

 ヤマメが手元で素早く指を格子状に交差させると、瞬く間に重厚に折り重なった糸がヤマメの手にとぐろを巻いて積みあがった。

 糸の扱いに長ける土蜘蛛の真骨頂である。

  

「伸縮性抜群だけど大丈夫?」

「いや、都合がいい」

 

 仏師はヤマメから受け取った糸の先に根本から折れた刀を括り付け、それを足を使って器用に右腕に巻き付けた。

 それを振り子のように揺らしてみたり、縄の伸びの具合や握りを確認し始めた仏師を、ヤマメは怪訝な目で見つめた。

 

「……なにそれ」

「鉤縄──と、呼ぶにはちと不格好すぎるか。しかし不足ない」

 

 忍びの使う忍び道具のひとつ。常人にたどり着けない高所や崖を渡るための道具。

 これは鉤は粗末だが、縄は極上だ。

 

 仏師もヤマメには散々世話になっている。裸一貫の姿だった仏師に衣類を作り、住まいを割くどころか、寝床がいるだろうと言って自慢の建築力で外れに小さな社まで築き上げてもらった。

 まさしく至れり尽くせり。恩の一つでも返さねば、男が廃るというものだ。

 

 一度、ヤマメは崖を跳ぶ仏師が好きだと語った。

 この程度で返せるとは露ほども思っていないが、興じさせる見世物くらいにはなるだろうか。

 

 仏師が見上げれば、今まさに正邪が力尽き、空中に身を投げ出しているところだった。

 

 

「ヤマメよ、衣食の恩じゃ

 

──落ち谷の飛び猿を知るがいい」

 

 





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