「お願い、その魚ゆずって! 金なら後でいくらでも払うから!」
「あらあら、この場で受験生が最も求めるものが金などではないくらい理解しているはずですのよ?」
「くっ! さすがに自分が魚を食べたいからって理由で一人だけ合格にするわけには……でも食べたいッ!」
「さあさあ、ご自分の欲求に素直になりなさいな!」
私の眼前でめくるめく舌戦を繰り広げる女二人に、どうしたものかと困惑する。
さっきまでヒソカと向かい合って火花を散らせていたオセロット。そんなあいつにどんな理由があって試験官の女性と言い争っているのか。それを説明するとわりかしすぐに終わる。
私の頭上の吸血魚を食べたがっている試験官を何故かオセロットが妨害している。ただこれだけだ。
コントを彷彿とさせるやりとりをしている二人には悪いが、私はそもそもこの魚に対する未練なんざない。
さっさと渡して二次試験を再開してほしいのだが、それを言い出そうとするとオセロットが牽制するように尻を撫でてくる。口出しするなということだろうか。
今さらケツを触られた程度でセクハラだと騒ぐほど純情でもないが、だからといってタダでほいほい触らせるほど寛容な心は持っちゃいない。あとで代金を請求しておこう。元商売女はがめついんだ。
「くそ、こうなったら……決めたッ! 二次試験後半、あたしのメニューは照り焼きよ!」
「へ? 照り焼きですの?」
カッ! という効果音を背負いながら言い放つ試験官に、オセロットはきょとんとした表情を見せる。
元いた世界で連載されていた内容と違うことが起こったのだろうか。それにしても豚の丸焼きに照り焼きとは、美食ハンターって焼く料理が好きなのか?
醤油をベースにした甘みのあるタレを食材に塗りながら焼く技法。日本ではわりとポピュラーな調理方法なんだが、この世界ではそうではないのだろう。試験官の口から“照り焼き”という言葉が出た瞬間あたりがザワついた。
「おい……照り焼きってなんだ?」
「さあ。さっきの会話から察するに、たぶん魚を使う料理だとは思うが……」
「照り焼きってくらいだからもちろん焼くんだよな。でも照りってどういう意味だ」
「わからん。一体どこの国の料理なんだ」
「ヒントをあげる! 照り焼きは照り焼きでも、魚の照り焼きしか認めないわよ!」
そう宣言して、試験官の女性は受験生たちを背後の建物の中へと導く。前にならって私も中に入れば、そこには数種類の包丁とまな板、それに酢飯。簡単なキッチンに置いてあるそれらは、どちらかというと寿司とか作るための用意に見えた。
「あっちゃー、そういえば寿司の用意しかしてなかったわね。でも基本的な調味料とかフライパンも念のために置いておいたし。うん。いけるいける」
試験官に近い位置にいたせいで小さく呟いた内容が聞こえてしまった。どうやら料理の内容を直前で変更してしまったらしい。
私が連れてきたこの魚のせいだろうか。だとしたら申し訳ないが、文句は受け付けないので試験官を煽ったオセロットにでも言ってくれ。
「それじゃあ試験開始よ! あたしが満腹になったところで終了だけど、それまでは何度でも作ってきて構わないわ!」
試験官がそう言った瞬間、受験生たちは雄叫びを上げて魚をとりに川へと走っていった。
その中の一人であるハゲた忍者は物凄くにやついていた。知っているならあいつも魚の照り焼きを上手に仕上げてきそうだし、私もさっさと行かなければ。
そう思って川へと足を向けたところで、背後から二つの腕に肩を掴まれた。
振り向く。
すらりと伸びた長い足に、ハイヒールがよく似合ういい女の二人組。オセロットと試験官の女性だ。
二人ともこの上なく整った笑みを私に向けて、骨が軋んでしまいそうなほどの強い力で私をキッチンのほうへと引きずっていく。
「なあに他の奴らと一緒に川に行こうとしてるのよ。あんたには頭の上に乗った吸血魚ちゃんがいるでしょうが」
「せっかく寿司よりも簡単そうな試験内容に変わったんですのよ? レア魚ゲットした時点で合格したようなものなんですから、大人しくそいつにタレ塗って焼いてりゃいいんですの」
「なんで元は寿司の予定だったってアンタが知ってるのよ」
「ヨークシンを拠点に活動するフリーの情報屋、29歳の女。30代と言われるとキレる。夏でもマフラー・ニット帽・手袋完備」
「……なるほど。あの『地雷原』から買った情報ってわけね」
二人してよく分からない会話をしながらも私を掴む指の力はゆるまない。
傍目に見れば両手に花かもしれないが、実際は両サイドに怪獣だ。こうして触れ合っているだけでもわかる。オセロットはもとより、試験官の女性だって私よりはるかに強い。
おそらく寝込みを襲っても瞬殺されるレベルだ。
二人の会話が終わりそうにないので先にタレを作ってしまおう。
醤油と酒と砂糖とみりん。これらを適切な割合で混ぜて鍋に入れ、強火にかける。
沸騰してからも一分煮なければならないから、その間に魚をさばいておこう。
「じゃあな、吸血魚。今からお前をいただくぜ」
包丁を構えて宣言すると、覚悟はできているとばかりに男前な表情で吸血魚はこくりと頷く。見事だと心の中で賞賛。えらめがけて包丁を振りおろそうとしたその時だった。
「ちょっと、違う違う! 吸血魚のさばき方はそうじゃないのよ!」
風圧で髪が数本切れるほどの鋭い蹴りが飛んできた。私の握りしめていた包丁にヒット。弾き飛ばされて地面をすべる。
犯人は試験官の女性で、キスでもするつもりかと危惧するくらいに近い距離で私に怒鳴り散らしてきた。胸ぐらまで掴まれている。気分はカツアゲされるいじめられっ子だ。
「吸血魚の食用部分は翼! あれを切り落とせば色が平常時に戻るから、また川に放流して誰かの血を吸うのを待つの! 寿命が来る前に殺すなんてもったいない!」
「そう凄まれても……私は普通の魚しか取り扱ったことがなかったんだ。大目に見てくれよ、おねーさん」
「まったく……自分がどこもかしこも綺麗なことに感謝するのね」
「おねーさんは女が憧れるタイプの女だよな」
褒め言葉を交えつつ返す。
私が美形だから軽い説教で済んだというのなら、この人はきっとかなりの面食いに違いない。例えば自分の入浴を覗かれても相手が自分好みのイケメンとかなら許しそうだ。
試験官の女性……面倒だからおねーさんでいいや。
おねーさんの言いつけに従って翼だけ切り落とす。本当に色が真紅からただの魚類っぽい色に戻って、吸血魚はまな板の上でピチピチし始めた。
それを指先でつまみ上げて川まで歩いていく男性のほうの試験官。はやく俺を川に戻してくれと主張するように魚は口をパクパクさせていたが、歩いても三分以内にたどりつく近場の川だからもう少し耐えてくれ。
フライパンにサラダ油を入れて加熱する。鍋にも注意を向けつつもいだ翼を焼いていると、意外そうな顔でオセロットが横槍をいれてきた。
「へえ、あなた料理できたんですのね」
「親に作ってもらえたことが無かったからな。独学で調理できるように頑張った」
私にとってのおふくろの味といえば、虫のわいた生米とホコリの入った水道水だ。
あの栄養状態でよく生きていけたもんだと自分でも思う。近所のお兄さんや学校の男子生徒にさんざん媚びて食べ物を恵んでもらっていなければ、私の死因は失血死ではなく餓死だっただろう。
もっともそのせいで近所の主婦には嫌われ女子生徒にはぶりっ子と陰口を叩かれたが、家に帰れば温かい布団で眠れるような奴らが私に道徳を語るなよと、当時はそんなひねくれたことを考えていたものだ。
ある程度成長してからはまったく逆の意見である。
私が例え死にかけていたってあの人たちが私に気を遣わなければならない理由にはならない。私が勝手に不運なだけだったんだから。
生まれつき与えられなかった以上、幸運は自らの手で掴み取るしかない。その手段が私の場合はちょっと世間から冷たい目で見られるようなものだった。ただそれだけの話。
清らかに死ぬよりも泥にまみれて生きることを選んだのだから、多少の誹謗中傷は覚悟の上だ。
「……アタクシ行き着けのレストランでもご一緒しましょうですの」
「……この試験が終わったら何か食べさせてあげる」
私の発言が母性本能をくすぐったらしい。一度に二人の女から食事に誘われるという男子垂涎の状況に陥った。
しかし“貢がせる”のではなく“恵まれる”ことによって物を得るのは私のかつての矜持に反する。是非とも行きたいが相手に申し訳ないからというニュアンスの保護欲を煽る表情で断ったあと、完成した吸血魚の翼の照り焼きを皿の上に乗せた。
「どうぞ、食べてくれ」
「……いただきます」
差し出した照り焼きをおねーさんが口に運ぶ。
はてさて、私はこの試験を無事にくぐり抜けることができるのだろうか。
……あれ?
そういやオセロット、魚とりに行ってないけど大丈夫なのか?
存在だけ出てきた『地雷原』の異名をとる情報屋はオリキャラです。
ただし今のところ登場する予定はなし。
ちなみに異名の由来は(精神的な意味で)踏み抜く地雷が多すぎるから。精神病の一歩手前レベルでぶちギレやすい。ただし凄腕。