「ヌメーレ湿原。通称“詐欺師の塒”。二次試験会場へはここを通っていかねばなりません」
暇で仕方がないから花を摘んで冠を作っていると、素敵な試験官のおじ様からそんな説明が始まった。
ずいぶんと奇妙な雰囲気の場所だと思ってはいたが、まさか人間を欺いて食料にせんと意気込む生態系たちの集いだとは思わなかった。だまされると死ぬ。たぶん社会的にとかじゃなく物理的にだ。
……そういや前世じゃ「よくも騙したな!」と貢がせた男に逆恨みされたこともあったが、あれは私が騙したんじゃない。奴らが勘違いしただけだ。誰も貢いでくれれば彼女になるとは言っていないのに。
私も騙されてそんな言葉を吐くことにならないよう用心しよう。
「ウソだ! そいつはウソをついている!」
私がそう意気込んだ瞬間だった。階段の出入り口を覆うシャッターの陰から、とつぜん傷だらけの男がよろけ出てきたのは。
そいつは今の紳士的なおじ様ではなく自分が本物の試験官だと言い張り、このヌメーレ湿原に生息する人面猿をこいつがその証拠だとばかりに引っ張り出してくる。
……それからも続いた男の説明だが、どう考えても力がか弱い生き物があんな長距離や階段をあのペースで走って来られるとは思えない。それにあの男とおじ様ならおじ様のほうが比べるのも申し訳ないくらいに強く感じる。
あとあの猿の死体は実は死体じゃなくて生きてる。だって微妙に呼吸の音が聞こえてくるし胸もほんのわずかに上下している。
本当にこんな言い分で騙される奴がいるのだろうかと周囲を見回したら、“レオリオ”さんらしきスーツでグラサンの男性とハゲた忍者あたりが特に顕著な動揺を示していた。……頭を使うのはあまり得意ではないらしい。
「……ん?」
突然トランプが飛んできたので思わずキャッチする。見れば隣に立っている試験官のおじ様も同じくトランプを指で挟んで受け止めていて、私よりも数が多い。偽物の試験官は顔面にさっくり刺さって絶命していた。
「くっくっく◆ なるほどなるほど☆ これで決定、そっちが本物だね◇」
あからさまに犯人のオーラを漂わせたヒソカの含み笑い。一斉におじ様へと向かう受験者たちの視線。ついでに「お前も何で攻撃されてんだよ」とばかりに私への視線もちょっとだけ来る。私が聞きてーよ。
続いてヒソカが死んだふりをしていた猿にとどめをさしたところで、オセロットが食いついた。
「ちょっとヒソカ。そちらの試験官と偽物は良いとして、どうしてオリヴィエにまで飛ばしたんですの?」
腕組みをしてあからさまに不機嫌な様子で詰め寄る。夕暮れよりも赤い怒りのオーラが幻覚か何かで見えそうだ。周囲にいた受験生たちがこぞって距離をとる。普段とは一転してオセロットの美貌は刺すように冷たかったが、それを真向かいから見たヒソカはなおさら嬉しそうな笑みをこぼした。
「きみの愛人だって言うから、彼にも挨拶しておこうと思ってね★ キミには天空闘技場でもう投げちゃったし◇」
「アタクシが一方的にハンター試験まで引っ張ってきた腹いせの冗談だと本人が暴露してましたわよ、それ。あの子は才能抜群ですけどちょっとどこかしら抜けてるんですから、いくら手加減した攻撃とはいえちょっかいかけるのは止めてほしいですの」
「くっくっく★ 過保護だねぇ◇」
「……変態の魔の手に晒したくないだけですの」
二人の言い合いをBGMに投げられたカードを確認する。ハートのクイーン。女王様だ。
元いた世界では、このハートのクイーンの絵のモデルとなった人物はユダヤの伝説上のヒロインであるユディトという女だ。
目も眩むような美人で、ホロフェルネスというアッシリアの将軍が彼女の住む町を攻撃してきたとき、色仕掛けで将軍の首を切り落とした女傑である。
華やかに着飾り道案内人を装って将軍に近付き、酒宴で泥酔させたあと寝所に誘われて、事が終わって眠りこける将軍の首を将軍の刀でばっさりと両断する。
首を携えて町へと戻った彼女は事の顛末を報告。激しい動揺を見せる敵軍に仲間たちはその機会を見逃さず、出撃して敗走するアッシリア軍を打ち破った。
この逸話からユディットコンプレックスという言葉も生まれた。
強い男に支配されたい衝動と支配されたくないという正反対の衝動。それら二つを内包した精神状態を指し示す用語で、主に女性に使われる。
このコンプレックスを持つ女は男から見るとむしろ男の心を弄ぶ魔性の女に見えるらしい。
他にもカメリアコンプレックス(不幸な女を救おうとする男の心理)だとかダフネコンプレックス(処女の男性嫌悪)だとか歴史上や小説から派生したコンプレックスは色々あって、相手がどんなコンプレックスを抱えているのか把握すると自分がどう振る舞えばさっさと惚れてくれるのかも早急に理解できる。
非情に便利で重宝するが、前世は調子に乗ってこういうことをやりすぎたせいで殺された。今世ではどこかに潜入するでもない限り自重しておこう。
今となってはたくさんのプレゼントよりも一緒にいて楽しい友人知人が欲しい。
うだうだ考えている間にどうやらヒソカとオセロットの会話も終わっていたらしい。おじ様から次に攻撃したら失格と注意を受け、少しも反省していなさそうな顔で頷く。
殺された人面猿と偽試験官は空からやってきた鳥のエサになった。
「自然の掟とはいえ酷いもんだぜ……」
レオリオさんっぽいお兄さんが顔をしかめて呟く。もうこの人がレオリオさんでいいや。隣にクラピカさんっぽい綺麗な生き物もいるし。このむさくるしい会場内において奇跡的なくらいに目の保養になる。
レオリオさんもよく見れば渋くていい男だし、彼らの友達だというゴンくんキルアくんも改めて思い返すとクリスマスのイルミネーションのようにキラキラした子たちだった。オセロットも性格はさて置き容姿だけなら美の結晶だし、この五人さえ視界に入れていれば目が腐ることはあるまい。うっかりヒソカを見てしまったあとは五人のうち最低一人を必ずガン見することにしよう。
あいつもメイクさえ落とせばこの上なく女好みの顔つきをしているだろうに、どうしてそっちの方角を突っ走ってしまったのか。まったくもってもったいない。
「少年、怪我はありませんか?」
こっちに視線を合わせてしゃがみこんだおじ様が私の手からトランプを抜き取り、そう話しかけてくれる。見た目だけでなく行動まで紳士的なおじ様だ。お礼にシロツメクサの花冠をおじ様の頭に乗せてふかぶかと一礼。さすが素敵なおじ様は花冠をかぶっていても素敵だった。
「……それでは皆さん、私についてきてください」
虚を突かれたような顔で間を開けたあと、おじ様はそう言ってそそくさと先に行ってしまった。かぶったままということは怒らせてしまってはいないはず。その後ろを追随する受験者たち。私はレオリオさんとクラピカさんについていく予定なので、今回はあまりペースを上げないことにしよう。
「チッ。またマラソンだぜ」
「しかも今度は湿原だ。足元がぬかるんでいるぶん、体力が奪われるぞ」
「不幸中の幸いは、口呼吸してても喉が乾燥しないことですよね。視界は悪いですけど」
さりげなく会話に混ざったらぎょっとした顔で振り向かれた。
私は危ない人ではありませんとアピールするために、新入社員くらいのフレッシュさを振りまいて片手を上げる。
そういえば逃げ回ったり誘拐されたりで三日はシャワー浴びてない。
制汗シートとか制汗スプレーとか常用してるから臭くはないと思うけど、汚らしい見た目になっちまってねーかな。久々にアロマオイルでも入れた湯船にゆったり浸かりたいもんだぜ。
「お前はたしか……さっきヒソカに攻撃されてたガキか」
「災難だったな。オセロットの知り合いのようだが、一緒にいなくていいのか?」
どうやらオセロットはこの二人とも既に接触済みだったらしい。あいつのフットワークの軽さは踊子の尻軽さよりも上だ。
「オセロットと一緒にいると担がれそうな気がしたので。レオリオさんとクラピカさん、でよろしいですよね? 私はオリヴィエといいます。ゴンくんからお二人の話を聞いて一度お会いしてみたいとずっと思っていたんですよ」
第一印象は大切だ。ヒソカのような変態やオセロットのような規格外ならともかく、さっきのおじ様やこの二人のような尊敬すべき年上にはきっちり丁寧語を使わなければ。
どうやら私への警戒を解いてくれたらしいレオリオさんが人の良さそうな笑み真ん中を開けてくれる。ありがたく二人の真ん中に割り込んだ。
「なんだ、スれてそうなガキだと思ったけどいい奴じゃねえか」
「ありがとうございます。いい子扱いを受けたのはずいぶん久しぶりで、なんだか小っ恥ずかしいですね」
「かしこまった口調や呼び方はよしてくれ。ゴンも私とレオリオには使っていない」
「何で俺のぶんまでお前が言うんだよ!」
和気あいあいと話すお二人はなんだかんだで相性が良いのだと思う。こういうお互い取り繕わなくても関係が成り立つ相手はなかなか出会えるものじゃない。
ゴンくんとキルアくんもきっと良い親友同士になるだろうし。……あれ? じゃあ余り物の私とオセロットがコンビなのか? どうしよう。シモいネタ以外であいつを振り回せる気がしない。
「ったく、お前は相変わらず可愛くねー奴だぜ」
「お前に可愛いと思われたいとは思わないからな。……それよりオリヴィエ。その服はジャポンの民族衣装だが、オリヴィエの出身地はジャポンなのか?」
「いや。これは好きだから着ているだけで、出身地は……一ヶ月に一度は引っ越す生活だったから覚えてない。一箇所に長くいると情報が漏れて襲撃されちまうんだ」
初めて誘拐されたのは三歳の時だったが、取り戻しに来てくれた両親と誘拐犯のバトルは壮絶だった。自分の影からとつぜんマシンガンを取り出してくる奴がいたり、ロケット花火を本物のロケットくらいの爆発力に改造してる奴がいたりとかなり個性的。あれはどんなトリックを使っていたんだろうか。
うちの両親も似たようなことして対抗してたけど、母さんが急にハート型のメリケンサック召喚して「愛の鉄拳!」とか叫びだした時は何事かと思った。父さんもいきなりマイクを手にして効果音をシャウトしたかと思ったら建物の窓ガラスが割れたりしたし。
……いま思えば、オセロットと出会う前から私の周りには変な奴が多かったのかもしれない。いや、これじゃ私に知り合いが多いみたいだ。訂正しよう。私の知り合いには変な奴しかいない。
「よくわからねえけど、お前も苦労してるんだな……ハンターになりたい理由とその襲撃される理由は何か関係してんのか?」
「いや。ハンターになりたい訳じゃない」
「? では何故ハンター試験に」
「誘拐犯から助けてくれたオセロットに試験会場まで誘拐されたんだ」
そう言うと、レオリオとクラピカは私の肩に左右同時に手を置いて無言で目を合わせてくれた。私も無言で頷く。言葉はいらない。オセロットのおかげで三人の距離が縮まった瞬間だった。
「レオリオー! クラピカー! オリヴィエー! キルアとオセロットが前のほうに来てたほうがいいってさー!!」
「ドアホ!! 行けるもんならとっくに行っとるわ!」
「そこをなんとかさー!!」
「無理だっちゅーのー!!」
先頭集団から聞こえてきたゴンくんの声に、レオリオさんが罵倒混じりに無理だと応える。私は行けそうだったがここで二人を置いていくのもなんだか気後れする。ヒソカの内側からにじみ出る粘着質な殺気がなんとなく気持ち悪いが、まさか虐殺でもやらかすつもりだろうか。
……私では十中八九ヒソカには勝てない。あいつの性癖次第では全力で噛み付けば気に入って見逃してくれるかもしれないが、その方法じゃレオリオとクラピカの安全までは保証できない。
そして私の手元に武器はない。
得意な戦法は飛び道具を利用した、時間をたくさん使って相手に見えない位置からじわじわと追い詰めていくようなスタイルなのだが、そもそも飛び道具が無いんじゃその作戦はとれない。
地面に落ちている石ころならあるが……仕方がない。心もとないが徒手空拳よりはマシ。戦いになったら少し離れた場所から霧に乗じて石を投げよう。
あいつ、気配読むのも上手そうだけど。
風邪をひいた二日後にノロウイルスに感染してその二日後にインフルエンザに感染した。
次は肺炎かな?(絶望)