喜んでほしい。綺麗と言ってほしい。
 ただ、それだけなのに。

 本作はpixiv様でも掲載しています。

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恋心を自覚した春雨ちゃんが悶々とする話

 鏡を見ることが多くなった。

 ちょっと前までは最低限の身嗜みを整えれば充分だと思っていたのに、近頃は髪型とか目元とかお肌とか、そんなことばかり気にしてしまう。

 

『春雨はカワイイんだから、もっとおめかしするといいわよ』

 

 村雨姉さんに、よくそう言われてきた。

 でも私は姉さんほど綺麗でもスタイルが抜群でもないし、おめかししたところで、子どもが背伸びした感じか、小生意気な印象にしかならないだろう。

 でも……いまは、もうちょっと興味を持っていればよかったかなと思っている。

 

 髪を櫛で整える。

 村雨姉さんがよく「綺麗よ」と褒めてくれる髪。

 ……あの人が褒めてくれた髪。

 

『まるで桜の花みたいだな』

 

 もっと早く、綺麗になる努力をすれば、何か変わったのかな?

 

 鏡の中の自分は、最近、ちっとも笑っていない。

 

  ◆

 

「司令官、コーヒーをどうぞ」

 

「おう、ありがとう春雨」

 

 秘書艦をするといろいろなことを覚える。コーヒーの淹れ方もそのひとつだ。

 どう淹れれば司令官が喜ぶのか、自然とわかるようになる。

 カップに口をつけた司令官の頬が緩むのを確認する。普段は仏頂面な司令官のそんな顔が見られると、静かな誇らしさを覚える。

 

「うん、やっぱり春雨の淹れるコーヒーはうまいな」

 

「えへへ♪ ありがとうございます」

 

 決して口にはしないけど、コーヒー好きの司令官はコーヒーの味に結構うるさい。

 

「比べるのは悪いとは思うが、春雨の淹れるコーヒーが一番好みだな」

 

「そんな……光栄です、はい♪」

 

 分け隔て無く艦娘と触れ合う司令官からそんなことを言われると、思わず飛び跳ねたくなるほど嬉しくなる。

 どんなことでも司令官に特別扱いされるだけで、満ち足りた気持ちになる。

 

 いつからだろう。

 滅多に笑わない司令官の笑顔をもっと見たくて、その笑顔を独り占めしたくて、コーヒーの淹れ方を工夫するようになった。

 だって司令官ったら、せっかく淹れても何も感想を言ってこないんだもの。

 お料理が好きな身としては、思わず「おいしい」と言わせたくなるではないか。

 最初はそんな、子どもじみた対抗心だったのだと思う。

 でもいまは……

 

「あの、司令官。司令官がお望みなら、春雨が秘書艦でないときでもコーヒーを淹れてさしあげますよ?」

 

「おう、それはありがたいな。実を言うとな、できれば毎朝飲みたいと思っていたんだよ、春雨のコーヒー」

 

 ああ。気を張っていなかったら、膝から崩れ落ちてしまうところだった。

 司令官にコーヒーを淹れてあげる日々。なんて素敵なんだろう。

 毎日、毎日、この人の笑顔を独り占めできるんだ。

 そう考えるだけで背筋に甘い痺れが奔っていく。

 でも……

 

「ああ、けど……金剛にバレるとまずいな。あいつ、俺が紅茶以外飲むと怒るからさ。やっぱりたまにでいいぞ」

 

 幸せなひとときは長くは続かない。

 

「……そうですね」

 

 そんなものは、もう叶わないとわかっているのに。

 

「お嫁さんがそうおっしゃるなら、しょうがないですよね」

 

 わかっているから私は、必死に笑顔を浮かべる。

 鏡の前で練習した、貼り付けたような、でも不自然に見えない笑顔を。司令官に、心配をかけたくないから。

 

 

 司令官の笑顔を独り占めすることはもうできない。

 それはもう、春雨じゃない誰かのものになってしまったから。

 司令官の左手を意識して見ないようにしている自分が、ときどき情けなくなる。

 どんな艦娘にも分け隔て無く接してきた司令官が、ただひとり特別にした相手。

 

 きっと、これから司令官は紅茶を嗜むことのほうが多くなって、コーヒーを淹れる機会は減っていく。

 そんな確信があった。

 それでも……

 

「司令官、コーヒーが欲しいときはいつでも、春雨にお申し付けください。こっそり、淹れてあげますから」

 

「そうしてもらうかな。金剛には秘密で」

 

 ふたりだけの秘密だな。

 司令官の言葉で、ゾクリと甘い昂揚がカラダに満ちていく。

 思わず、熱い吐息をこぼしてしまいそうになった。

 

 ああ、自分はなんて卑しい女なんだろう。

 どんな形でもいいから、この人と特別な時間を欲しいと思ってしまう。

 この人との、秘密の関係を欲してしまう。

 

 

 

 司令官はコーヒーを飲み終えると、演習の様子を見に行くと言って、席を空ける。

 その間にカップの片付けをする。

 

「……」

 

 司令官が口をつけたカップを見つめる。

 コーヒーの痕がついた縁に、そっと指を触れる。

 

 司令官の目に、いまの春雨はどう映っているだろう。

 

 ――最近、お洒落に気をつかってみたんです。どう、ですか?

 

 綺麗になった。

 そんなこと、あの人が言うわけないのに。

 あの人がその言葉を向ける相手は、もう私じゃないのに。

 

『春雨の髪は綺麗だな。まるで桜の花みたいだ』

 

「司令官……」

 

 もう一度だけ。

 もう一度だけ、そう言ってほしい。

 ただ、それだけなのに。

 

 鏡の中の自分が、ときどき自分とは思えない顔を浮かべることがある。

 鏡の中の私は、よくない想像をしている。

 それは司令官の笑顔を奪うこと。だからこれ以上はいけない。何かを期待するのは。

 そう、わかっているのに。

 

 カップの底には少しだけコーヒーが残っている。

 私はそれを飲み干す。

 司令官が口をつけたところに、唇を当てて。

 

 苦い。

 ちっともおいしくない。

 思わず、涙が出るほどに。

 

 


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