『放課後、暇?』
『というかどうせ暇でしょ』
『迎えに来てよ』
『校門のところで待ってるから』
『5分で来て』
という有無言わせないメッセージが原因で俺は自転車を飛ばしていた。行き先はメッセージの主の学校――羽丘女子学園だ。うちの学校から20分ぐらいかかる。
お陰さまで俺は汗だくだ。制服が汗で肌に張り付いて気持ちが悪い。
徐々に彼女の学校に近づく。校門の近くで俺を呼び出した少女を見つける。近づくと彼女も俺に気付いた。
「遅い」
少し不機嫌そうな第一声。
「迎えにこさせた相手に対してそれは酷くないか」
俺は乱れた息を整え、蘭の無慈悲な言葉に抗議した。
「5分で来てって言ったじゃん」
「無茶言うな。これでも飛ばしてきたんだぞ」
「あんたならもっと早く来れるはず」
「鬼か」
それは物理的に不可能だ。
美竹蘭は俺の遠縁の親戚だ。遠縁故、今まで会うことなどほとんどなかった。しかし俺がこちらの高校に通うために一人暮らしを始めてからはよく会うようになった。
最初はぎこちない会話しかできなかった。今ではこうしてお互い軽口も叩けるようになった。まぁ、こき使われてような気もしなくもないが。
ちなみに蘭は俺の一つ下。一人っこの俺にとっては妹ができたみたいでちょっと嬉しかったりする。だから、決してドMではない。
蘭は自転車の荷台に腰をかけ、抱きつくように腕を俺の腰に回し捕まった。女の子の柔らかな身体を制服越しに感じた。もう慣れた感触だ。とはいえちょっとはドキッとするのは恋愛経験の少なさ故だろうか。
蘭の鞄は俺のと一緒にカゴに放り込む。これで準備完了だ。
「それじゃ安全運転でよろしく」
「おう、しっかり捕まってろ」
「変態」
「そういう意図はない」
「ふーん」
あまり信じてなさそう。いいけど。
俺はペダルを踏み、自転車を漕ぎ出した。
「重っ」
想像よりペダルが重くて、思わずそんな言葉が出た。
二人で乗っているせいで、自転車のバランスが取りづらいのだ。さっきまで一人乗りだったから余計にそう感じてしまう。おかげで少しふらふらしてしまう。
「それは何? ケンカ売ってるの?」
しかし後ろの同乗者さんはそんな事情は知らず、俺の発言を聞いてしまった。女性にとってはセンシティブな(になってしまう)単語だ。
その声色は低く、ドスが効いていた。顔を見ることができなくてよかった。きっと鬼のような形相に違いないのだから。
「お前の体重のことじゃないから」
俺はすぐさま弁明する。
「どうだか」
蘭はそう言って数秒間脇腹を抓る。微妙に痛い。
「痛い。運転中はやめろ」
「運転中じゃなきゃいいんだ」
「いいわけないだろ」
「だったら、言動に気を付けたら」
蘭はふっと笑って、まあ無理だと思うけど、と付け足した。
どうやらそこまで怒っていなかったみたいで俺は一安心した。
そんなこんなしている間に自転車はどうにか安定し、ゆっくりではあるがふらつくことなく夕暮れの町を進んでいた。彼女の家に向かって。
会話が途切れる。蘭も俺もそんなにお喋りではない。だから二人でいるとき、こういうことになるのはよくあることだった。
なんとなく空を見上げれば、夕暮れ。橙色のお空に薄っすらとまん丸お月様が出ているのを見つけた。気が早いと思った。
「……どこ見てるの?」
ちゃんと前見て運転しろ、と蘭は俺を嗜めた。
「悪い」
「あたしも乗ってるんだから気をつけてよ」
周囲に人が居なかったとはいえ、危ないのは事実。反省。
「それで、どこ見てたの?」
「空」
俺は今度は前を向いてそう答えた。
「空?」
「ああ、月が綺麗だぞ」
薄っすらだけどな、と付け足した。
「……なにそれ告白?」
蘭の声は隠そうとしていたけど少し震えていた。動揺してるのか。
その声で俺は気付いた。『月が綺麗ですね』は『I LOVE YOU』的な意味があるんだっけか。
「そんなつもりはさらさらなかった」
「……それはそれでなんかムカつく」
蘭はそう言うとまたもや脇腹を抓る。
「なんだよ、告白してほしかったのか?」
「は? 違うから」
蘭さん、マジギレ。怖い。
「冗談です。すみませんでした……」
俺はすぐさま謝ることにした。マジ怖かったんです……。
まぁでも、またからかうのだが。反応が面白いから仕方ないよな。
「はぁ……あんたっていっつもそうだよね」
「どういうことよ?」
「ふざけてるって言いたいの」
呆れた蘭の声を聞いて、俺はふっと思って聞いてしまう。
「ふざけてなかったら、いいのか?」
言った後に後悔する。また怒られるようなことを口走ってしまった。ヤバい。
「まぁ……それなら考えてあげないこともない、かな」
「え」
……この反応は意外だ。
恥ずかしそうに、消えていってしまいそうな小さな声で彼女は言った。聞かせるつもりはなかったんだろう。聞いてしまったが。
からかってやろうと思った。だができなかった。蘭の反応に俺は動揺してしまったから。今は上手く冗談を言える自信がない。
「…………」
「…………」
先程とは異なる、気まずい沈黙が二人の間に訪れる。背中越しの蘭をよりはっきりと感じてしまう。
「……聞こえた?」
「聞こえた」
「冗談だから」
「そっか」
「うん」
「…………」
「…………」
お互い冗談ってことで流してもなかなか会話は生まれちゃくれない。言いたいことが沢山あっても、相手がどう答えるか不安になって、結局言えない。ああクソ、所詮俺は恋愛初心者だこのヤロウ。
蘭もだんまりできっと俺と同じようなことを考えているんだろう、多分。
「あのさ」
意を決したように蘭が口を開いた。少し震えていたのを背中越しに感じた。
「あんた、将来の夢とかある?」
「将来の夢?」
予想外のことを聞いてきて思わず聞き返してしまう。話題を変えるつもりなのだろうか。
「うん。やりたいこととかなりたいものとか、そういうのないの?」
「あー……うーん……ないなぁ」
俺は考えた後、結局そう答える。俺には悲しいかな、そういうものがない。将来の夢とか目標とかそういうの。
「卒業したらどうするつもりよ、それ?」
「……とりあえず大学進学?」
「とりあえずって」
蘭はさっきみたいな呆れ声でそう言った。気まずかった二人の中の空気が和らいだような気がする。
「大抵の人はそうじゃないか。まぁちゃんと決まってる奴もいるけど」
「そうだけど」
蘭は口を閉じ、30秒ほど考え込んだ後、
「あんた将来やりたいことないんだよね?」
確認するようにそう言った。
「ああ、ないな」
「じゃあさ…………うち来る?」
ちょっと間があってから、蘭はそう言った。
「……うちって、美竹家?」
「まあ、うん」
それはどういうつもりで言ったのだろうか。
物理的に? いや、それはないだろう。そもそも蘭さん家である美竹家に今から行くのだから。わざわざ改まって言う必要がない。
その言葉をどういう意味で受け止めればいい?
「ごめん、冗談。やっぱり今のなし」
その沈黙を打破するように蘭がそう言った。
正直言ってありがたかった。どういう意味で受け止めればいいのかわからなかったから。どう答えればいいのかわからなかったから。
だけど、蘭の声が強がっているようで少し震えているのに気付いて、何か言わないといけないって思った。
それでようやく蘭が何を言いたいのかわかった気がした。俺も答えるべき言葉がわかった気がした。
「それもいいかもな」
口を開いて、その言葉を蘭に伝える。
「えっ」
蘭にとって予想外の言葉だったのだろう。思わず驚きの声が漏れた。
「言っておくが冗談じゃないからな」
何か言われる前に俺はきちんと言っておく。
「……そう。まあ、あんたがそうしたいならいいんじゃない」
そっけない言葉。だけど、蘭は少し安堵したようなそんな声をしていた。
自転車を止めて後ろを振り向きたい。彼女の顔が見たい。そんな衝動に俺は駆られる。
「なあ」
「何?」
「自転車止めていいか? いやまあ、止めるんだけど」
「はぁっ!? い、いきなり何っ」
俺は蘭の抗議を無視して自転車を止める。後ろを振り向き、彼女の顔を見ようとした。
「顔見えないんだけど」
蘭は顔を俺の背中に埋めていた。これじゃ見たいのに顔が見れない。
「うっさい、バカっ」
蘭から罵倒を頂く。でも嫌じゃない。
「こっち向くなっ。バカっ、変態っ、デリカシーなしっ、昼行灯っ、ニートっ、ロリコンっ」
いくつか関係ないの混ざってるよ、蘭さん。
「顔見せてくれない?」
「嫌」
「そうかよ。理由は」
「秘密」
蘭はどうしても見せたくないらしい。理由はだいたい想像がつく。
「いいから早く自転車漕いで」
「へいへい」
俺は肩を竦めて自転車を漕ぎ出した。二人分の重さのペダルはなんとなく軽く感じた。
「……これからもよろしく」
風を切る音に混じって聞こえた小さな呟き。聞き逃しそうになった。
「末永くよろしく」
だから俺も蘭に対抗するようにそう言った。ああ、恥ずかしい。
すると背中を何回か殴られた。何が気に食わなかったのか。
俺は殴られつつも、蘭の家へと向かうのだった。できれば蘭の親父さんと顔を合わせませんように、と祈りながら。