魔王、帰郷   作:dukemon

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第3話

三、

 

重大な事実を発覚した後、ミハイルは鷹化に自分のことを護堂に秘密にしてくれと頼んでから、喫茶店を離れた。

彼は黄昏に照らされながら、これからのことを考える。

 

――これ、隠し切れねえぞ。

 

――分かっている。ああ、これからどうすればいいのか。

 

――気分転換に行こうか。

 

――どこへ?

 

――俺に任せろ!

 

言われた通り、ミハイルはミカエルに体を渡した。

ミカエルは携帯を取り出し、依頼人の一人に連絡した。

 

――おい、ミカエル。

 

もともと、彼らの手元には数件の依頼がある。

緊急なものではないから、日本に一週間滞在した後で取り組むと考えていた。

 

――一緒に神獣を殴って、このストレスを発散するぞ!

 

――やっぱり……

 

ミカエルが選んだ依頼はクレタ島の神獣退治だ。

数年前、アレクとミノスと戦った時出現した迷宮の中に神獣ミノタウロスが現れた。

それを発現した魔術結社は王立工廠に連絡し、助けを求めた。

だが、アレクが神祖との戦いに備えていたから、アイスマンはこの依頼人にミカエルを紹介した。

ミノタウロスは迷宮に留まって外に出ないから、急を要する事ではないが、それでもかなり重大な案件だ。

 

依頼人が周辺を避難させたと確認した後、ミカエルはミハイルに言った。

 

――それじゃ、転移任せたぞ!

 

――わかったよ。

 

人目につかない場所に移動した後、ミハイルは神行法(しんこうほう)を使い、クレタ島に転移した。

 

神行法は梁山泊百八星の一人神行太保(しんこうたいほう)戴宗(たいそう)が使った道術で、一日で千里を駆けると水滸伝に記載された。

この術を使うため護符を用意する必要があるが、羅濠教主が愛用した縮地法に比べて、呪力の消耗が少ない利点がある。

 

ミハイルにとっては普通の移動術だが、

「普通の神行法は大陸間転移ができません」と鷹化に言われたことがある。

 

神行法は広く知られた術で、護符も簡単に入手できる。

だが、一般の術者が使ったものは移動時間を少し短縮するだけ、普通に交通工具を乗るほうが早いということ。

絶対に市販の護符で瞬間移動できる道術ではないと、鷹化が念入りに説明した。

 

 

 

クレタ島の迷宮に侵入したミカエルは、すぐに神獣に遭遇した。

だが、ミノタウロスはもう死んでいる。

明らかに自分の斧で自殺した。

 

そして、ミノタウロスの死骸は爆発した。

飛び散った血肉は一瞬でミノタウロスの体内から出た者に吸い込まれた。

 

『……不味いぞ』

 

――ああ。

 

「まさか、ぼくの再誕に立ち会う者は神殺しの獣とは」

 

清らかな声を発した存在は、白き牛頭の巨人。

その身長は三メータルほどある。身に青銅の鎧を纏って、大きな斧を背負っている。

 

『綺麗だな、お前』

 

ミカエルは率直に自分の感想を言った。

 

そう、もし並みの人間がこの白き牡牛を見れば、彼の美貌に涙を流し、跪きだろう。

どれほど優れている彫刻家でも画家でも、彼の体躯を目撃したら、その美しさの万分の一でさえ表現できない自分に絶望し、自死を選ぶだろう。

先の声を聞けば、たとえ天才的な音楽家でも、その天籟を再現するため、生涯を捧げるだろう。

 

「すごいな。ぼくを見て綺麗という言葉だけを言った者は、君が初めてよ。何も言えない人、あるいは美辞麗句(びじれいく)を並べる人はほとんどだ」

 

『まあ、俺は口下手だから、そういうものしか言えねえ。兄弟は先からずっと黙っているぞ』

 

――少し驚いているだけだ!

 

「なるほど、一つの魂は二つに分けたか。奇妙な神殺しだ。戦うの前に、先に名乗っておこう。ぼくはアステリオス」

 

ミカエルは読んだことがある神話を思い出した。

アステリオス。雷光と星辰の子。

ギリシャ神話で、ミノス王の妻がクレタの牡牛と生んだ怪物ミノタウロス、その真名はアステリオス。

最後は英雄テセウスに倒されたという。

 

――王妃が牛の子供を孕んだことを読んだ時、少し引いてたけど、アステリオスの姿を見て納得したぜ。

 

――たぶん、アステリオスは生贄の神と思う。

 

――生贄?

 

――死をもって、勝利、繁栄、豊穣などを祝福する神。最優の物しか生贄になれないから、あのような姿で現れただろう。テセウスはアステリオスを殺し、その祝福を受けたという解釈もできるよ。

 

――へえ。そういうものか。

 

ミハイルの分析を聞き流しながら、ミカエルはアステリオスに話しかけた。

 

『俺はミカエル。兄弟はミハイル。戦うのがいいが、先にやりたい事がある』

 

「ほう、言ってみよ」

 

『一緒に酒を飲みに行こう!』

 

「――――なに?」

 

戸惑うアステリオスを見て、ミカエルは微笑んだ。

 

『これは俺たちのわがままだ。相手のことを知らなくて殺し合うのは、少し気が進まねぇ』

 

アステリオスはその雷光を宿す瞳で、ミカエルを見た。

ミカエルの真意を見抜けようとするだろう。

だけど、何も見抜けないはず。

彼は本気でアステリオスを誘っているから。

 

「いいよ。君の命を数時間延ばすだけで、ぼくは構わない」

 

 

 

 

それから、ミハイルの神行法で、俺たちは近くの町に移動した。

 

「人気がない。寂れたところだ」

 

「あ。先に住民を避難させましたから」

『そういえば、そうだったな』

 

「賢明な行為だ。神と神殺しの戦いに巻き込まれれば、こんな町など一瞬で蒸発されるだろう」

 

『まずは、酒が置いてあった店を探そう』

 

俺たちは町中の小さなバーに入って、棚から数本の酒と二つのグラスを取って、代金をカウンターに置いた。

 

『それじゃ、神と神殺しの出会いに乾杯!』

 

俺とアステリオスはお互いのグラスに注がれたワインを飲み尽きた。

 

「ほう、安い酒でありながら、製作者の情熱を感じるぶどう酒だ」

 

『安いし、美味しいし、最高だぜ!』

 

――僕が選んだ酒だから、当然だ。

 

「さて、君はぼくのことを知りたいと言ったな」

 

『ああ』

 

そして、アステリオスは語り始めた。

 

 

ミハイルの予測通り、彼は豊穣、勝利や繁栄などを祝福する神だった。

生贄に取り付き、その死を持って顕現して、民衆に加護をもたらす者。

神王ミノスの長子として、次代の神王になると約束された存在。

もともとはそうだったが、ギリシャの台頭によってクレタの神話が貶められ、アステリオスも怪物に堕ちた。

 

今回、彼はまつろわぬミノスの死によって呼び起こされた。

王が崩御したから、継承者が次の王にならなければならない。

神の威光を世界に示すため、彼はまずクレタ島を支配し、周辺の地域を征服すると決めた。

そして、神権社会を築き上げ、神王の愛をもって、神の民に永遠の繁栄を約束する。

 

 

アステリオスが熱を上げて朗々と自分の願いを語っているのを見ると、俺はこの神の本質を見抜いた気がした。

 

彼は確かに民衆の守護神だ。

支配も征服も民のために、そこには何の裏もねえ。

王として人民に幸せをもたらすのが自分のやるべきことだと、この神は信じきっている。

 

普通の人はそのまっすくな言行と理想に心を動かされ、素晴らしい未来のために命さえ捨て去るだろ。

 

だが、アステリオスは前に進むことしか考えていねえ。

その幸福な未来に到達した時、どれくらいの人間が生きて、それを目にすることができるのか。

 

俺たちより立派で、善行を成そうとする神だが、どこかで歪んでしまった。

その歪みは決定的な破綻となって、やがて世界に災いをもたらす。

なんだか、やり切れねえ感じがする。

 

――俺、アステリオスのことが嫌いじゃねえ。

 

――アステリオスはこれから歩む道にかなりの苦難が待っていると理解しているけど、それでも前に進むと決めたのだ。あなたはそういう不器用な人間や神が好きだと前から知っているよ。ヘラクレスも似たような神だった。

 

――確かに。そうかも。

 

話が終わって、アステリオスはグラスの中の酒を一息で飲んでから、口を開いた。

 

「ぼくだけ話すのは不公平だ。次はあなたの番だ」

 

『つまらねぇけど。まあ、いいか』

 

 

 

 

 

俺の最初の記憶はイギリスの孤児院だった。

虐められたミハイルは暴力の受け皿として、俺という人格を生み出した。

まあ、俺は受け皿として、失格としか言えねぇ。殴られたら殴り返すというのが信条だから。

後から聞いた話だけど、ミハイルはあの時の俺をヒーローと思っていたんだぜ。

って、色々な問題を起してから、あそこに追い出されて、連絡を受けた親父のところに引き取られた。

あの時は確か、七歳かな。

 

俺の記憶はあの頃、ミハイルと共有していなかったから、かなりバラバラだった。

親父はミハイルを自分の子供みたいによくしていたから、俺の出番は少なかった。

大体、数ヶ月に一度ぐらい。

それでも、親父とおふくろが俺に気づいて、医者に連れて行ったが、解決できなかった。

 

だけど、俺はそもそもミハイルの心を守護する存在として生まれてきた人格だから、ミハイルが自立したら、ミカエルという人格が自然に消滅してしまう。

 

あの時の俺は、それでもいいと思っていた。

兄弟を守るのは生きる意味だから。

 

 

 

そして、運命の日が来た。

二十年前、俺は見知らぬ部屋で六年ぶりに目覚めた。

 

なぜか、手に騎士剣と鞘と持って、眼前にローブ姿の男性が気絶していた。

状況から見ればミハイルがやったことだが、俺は何もわからずに佇んでいた。

突然部屋のドアが開くと、子供を抱えた女性が慌てて入った。

 

――――――――――彼女はミハイルの妻で、その子供はミハイルの娘だ。

 

その二人を見た瞬間、俺はそれを理解した。

心の中にどす黒い感情がこみ上げたのを感じたが、その気持ちの意味が分からなくて戸惑っていた。

 

とにかく、俺はミハイルの妻・フェリシアに自分の状況を聞いた。

幸い、ミハイルが人格のことを彼女に話したから、話し合いはすんなりと進んだ。

 

ミハイルはこれから一騎打ちの決闘をするという。

気絶した男はたぶんミハイルに襲撃し、返り討ちされたという。

その時、何かが起きて、俺の人格が浮上しただろう。

 

ミハイルが目覚めていなかったから、決闘に俺が出るしかなかった。

初めて、剣を使うのはあの決闘だった。

それに、相手のパオロという少年は明らかに剣の達人だった。

 

しかし、なんとかなるだろと思った。

実際、最後は俺の圧勝だった。

 

ミハイルはよほど鍛錬に励んでいた。

俺は剣技が知らないが、この体は知っている。

後は最適の時に、最適の技を打ち込めばいい。

 

決闘に勝利した俺は、部屋に戻った。

フェリシアはそこに俺を待っていた。

 

彼女は俺に礼を言った。

これで、ミハイルと正式に結婚できるって。

 

その時、俺は自分の心の中に蠢く暗い物の名前を知った。

その醜い感情の名は、嫉妬。

最初にフェリシアに会った時から、彼女に恋をした。

守るべき兄弟に羨ましくてたまらなかった。

 

その時、ミハイルの意識は覚醒しはじめたのを感じていた。

 

――――――――――ああ、フェリシアを俺の物にしたい。

 

邪念が湧き上げた。

あの時、ミハイルの力が俺より弱くて、体の主導権を握るのは容易かった。

このまま、彼を眠らせば、俺がすべてを手に入ると考えていた。

 

ミハイルは激しく抗ったが、俺にやすやすと制圧された。

あと一歩で、兄弟を永遠の眠りに追い込む時、何も知らないフェリシアは俺に言った。

 

「あなたはやはりミハイルが言ったとおりのヒーローです。」

 

――――――――――俺は一体何をしている。

 

気が付くと、俺はうずくまって泣いていた。

外のフェリシアはどうしたらいいかわからねえようで、オロオロしていた。

中のミハイルは突然解放されて、慟哭している俺を見て、混乱していた。

 

――――――――――どうして、僕を解放したのか。

 

――――――――――…………うるせえ、さっさと行け。みっともねえ俺を見るな。

 

ミハイルは静かに俺の側に座って、俺の肩を叩いた。

それだけで、彼はすべてを知った。

 

フェリシアは俺のことをヒーローと言ってくれた。

だが、ミハイルを殺したら、俺は彼女のヒーローにいられるのか?

そう考えると、みじめな自分を嫌いになってきた。

ミハイルは何も言わずに、俺を抱き締めた。

 

――――――――――こんなに得難い兄弟を殺したい俺はどうかしている。

 

俺はミハイルを押して、外に帰らせた。

これはたぶん、最後の目覚めだろう、と思っていた。

六年も起きてねえのはミハイルがもう自立したってこと。

このまま眠れば、二度と目覚めねえ。

 

しかし、あの時はかなり満足していた。

もちろん、フェリシアを手に入れねえことに悔しくてならなかったが、彼女に好印象を持たせることに成功した。

それに、兄弟と初めて心を通じ合わせた。

 

俺は目を閉じて、覚めない眠りに――――――――――

 

 

 

 

 

『――――――――――つかなかった』

 

「だろうな。でなければ、ぼくとここで対話できない。なぜこんな共存している状況になった?それにしても、現代の酒はかなりいいな」

 

アステリオスは興味津々な顔をして、ウィスキーを一本飲み尽きた。

 

その飲みぶりにさすがに感服した。

俺は彼を真似して、ワインを一本干してから、話を続けた。

 

『あの時、ミハイルを襲撃した魔術師は狂化の呪いを彼にかけた。ミハイルは冷静が売りの剣士だから、そうすると弱くなると考えていただろ。バカとしか思えねえ』

「ちなみに、パオロさんがこのことを聞いた後、激怒しましたよ。騎士の決闘が邪魔されたから、当然です。あれから、その魔術師が所属していた結社は潰されたそうです」

 

『で、その狂化の呪いは精神に作用する術のようで、その後遺症として俺の意識はミハイルの意識と繋がって、今のような状況になった。そのことを気づいた後、兄弟もひでえことをしたぞ。日本帰りの船の中で酒漬けになってから、俺に体のコントロールを押し付けた。あの時の記憶はねえが、話によると俺はどうやら酒の勢いでフェリシアに告白したようだ。気持ちの伝え方としては最悪だったぜ』

「そうしなければ、あなたは告白しないでしょう。その気持ちを受けるかどうかはフェリシアが決めることなのに、僕を気遣ってどうする、この馬鹿弟」

 

『あれから、彼女は俺を愛人として受け入れてくれた。その後、俺たちは彼女と十数年幸せな生活を過ごしてから、六年前フェリシアがこの世を去った。気晴らしのためにギリシアに旅行し、そこで神を殺した。そして今、お前と酒を飲んでいる、アステリオス』

 

「なかなか面白い話だよ」

 

『そりゃ、どうも』

 

俺は残りの酒を飲み尽きた。

アステリオスもそうした。

 

『決闘の結果で俺が死んでも、おまえを恨まねえ』

「あなたと戦えることを光栄に思います」

 

「同じ言葉を返すよ。神殺し。敗者は勝者に賛辞を、勝者は敗者に敬意を。縁があったら、また飲もう」

 

そして、戦いは始まった。

 


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