香港。安ホテルの一室。
何故か重苦しい感じがする頭を摩りながら、一人の少女、
『あれ……ここは?』
きょろきょろと美星は様子を窺うが、彼女が記憶している直前の出来事と今の現状はどうにも結びつかない。
『たしか、やたら強い女と戦って、そのあと変な奴らが……』
仮面をつけた奴らよりも先に思い出される白。よほど印象が強かったことが窺える一幕だった。
『そうだ。石像の頭、あいつらあれを欲しがってた。……あっ!?あれ?』
ベッドサイド、ベッド脇、見える範囲には像の頭は無い。
力無く両手を見つめる美星の顔は見る見る蒼褪めていく。彼女にとってあの像の欠片はただ一人の肉親である兄の唯一の手掛かりだったのだ。気丈に一人で兄を探してはいたが、それは縋れるものがそれだけだったに過ぎない。
兄を救う。その目的が果てしなく遠くなる。挫けそうな心を目的で支えていた彼女の拠り所が無くなったことで、瞳からは勝気な光が失われ、代わりとばかりに涙がこみ上げてくる。そこにはただ不安に体を震わせる中学生の女の子が一人居るだけだった。
「くっそーこんな小汚ねぇもんに、ほんとに人化の秘密が隠されてんのかねぇ?」
「魔法陣や土地が大事で、それ自体は補助に過ぎないのかもな。まぁ
ノックもなしに八雲が例の像の欠片を抱えながら入室。そしてそれに続くように白が独自の考察を口にしながら部屋へと足を踏み入れる。
『「……」』
『「あ」』
「ん……あー」
涙を流す少女と八雲。数瞬視線をぶつけ合い、そして像の欠片に視線を向けた。
二人の思考が動き出す前に白は全てを察してあちゃーと可愛らしく頭を抱える。これは面倒なことになる。そんな白の推理は数秒も経たずに証明されることとなった。
『……おい』
年頃の少女から零れる声色は何故か酷く低い。地を這うような独特の威圧が込められていた。
そして、相対する八雲もなんとなくではあるが、これが不味い状況だと理解したのだろう。言葉にならない吐息が、あ、だの、う、だのと発している。
『そいつを返せーー!!』
両手を広げて獣の様に美星は八雲へと飛び掛かる。白は状況を理解している故に敢えて何もせずにギャーギャーと騒ぐ二人を眺めるだけだった。
「おーい!俺は恩人だぞ!?」
『返せー!』
互いに違う言葉を話しており、そして興奮している故に意思は伝わらず二人はもみくちゃになっている。八雲もこの場は像の欠片を渡せばいいのに、頭の上に掲げて美星の手が届かないようにするから、事態はちっとも収まらない。
そして、八雲に体を預けて両手を伸ばす美星と、これまた両手を頭上に伸ばしている八雲。その体勢が次の事故への布石となった。
ずるり、どちらだろう?どちらかの足が滑ったことで二人の体勢が大きく崩れる。具体的には二人の体は八雲が下になるように倒れていく。
そして、二人とも手を伸ばしていたために、手を使って咄嗟に体を支えることが出来なかった。
――
二人の唇が重なり、それを意識しながら二人は床へと吸い込まれるように倒れこんだ。
(……えらいもんを目撃してしまったな)
遠い目をしながら白は腕を組む。予想外過ぎて、どういった行動をしていいかわからない。茶化せばいいのか?流せばいいのか?八雲を殴りつけるか?数パターンの行動を考えるが何が最適化は白の頭脳をもってしても分かりかねる事態だった。
そして、当の二人は顔を赤らめて、言葉に詰まっている。初心だなぁと白は思うが当事者が動かない以上、いよいよ自分かと白は覚悟を持って動こうとした、そんな瞬間。
「静かにしてなきゃダメェエエエ!」
どたばたという足音と共にパイが怒鳴り込んできたではないか。
しかも、その恰好がバスタオル一枚に、未だに滴が落ちるという扇情的な姿だ。
八雲はその危なげな魅力を持つ姿に頬を染め、美星は年頃故に八雲とパイがなんやかんやしてシャワーを浴びたと誤解し赤面する。そして白は白面、でははなく浴室にタオルを取りに向かう
『「静かにしてくれなきゃせっかくのテレパシーがとぎれちゃうんだから!」』
『て、テレパシー?』
バイリンガルで日本語と中国語の両方で器用に話すパイに美星は聞き慣れぬ単語を思わず聞き返す。
「お風呂じゃなかったの?」
『「うん。水浴びして精神統一してたの」』
パイを直視出来ず照れる八雲にタオル一枚で無警戒に振る舞うパイ。
『待っててね美星。必ずお兄さんを見つけるからね!』
にっこりとそうパイは断言する。そう、なにを隠そうパイは先ほどの襲撃者を自らの使い魔である人の頭を持つ怪鳥タクヒを小鳥サイズに縮めて尾行させていたのだ。ぽやぽやと暢気そうに見えるがこう見えてやる時は意外にやるらしい。
『ほら、髪くらい拭け風邪ひくぞ』
『ありがとう』
正直、美星に話しかけないのならば日本語でも良いのだが、自分の知らない言語で話されても不信感が募るだろうと白は中国語でパイに話しかける。髪をタオルで挟み痛まないように丁寧に拭く。もちろん、ドライヤーもタオル越しにするのを忘れない。無駄に手馴れていた。
『それで、本当に兄貴が見つかるんだな!』
『まぁ落ち着け、さっきの相手がお兄さんの誘拐に関わっていたらの話だってのを忘れるなよ』
水浴びを終え、衣服を着なおしたパイはベッド上で目を瞑り精神統一している。いつもの明るさは鳴りを潜め何処か神聖さすらその身に纏っていた。
『ホテル……』
『ホテル、ロイヤルソアラ・香港』
タクヒが見た映像が網膜を通さずにパイの脳内へと写し出されていく。飛行生物特有の高い視点、それは俯瞰とも呼べるほどに見通しの良い物だった。
三十二階、人目に付かないように飛ぶ、タクヒがやすやすと仮面の男達が腰を落ち着けた場所までたどり着いた。
そして、タクヒひいてはパイが見た光景は想像をしていなかったものだった。
『何?何なのこの部屋!?』
そこには服を奪われたうら若き乙女たち何人も床に座らせられ、仮面の男達に見張られているという非日常の光景が広がっていた。そして、それだけの裸の女性といかにもな仮面の男達が居るのにも関わらず、少女たちには明らかな乱暴の痕跡は見て取れない。そう、まるでそれは出荷を控えている家畜の扱いに近しい物だった。
「
『兄貴、兄貴は居ないか!?』
互いに探し人を口にする八雲と美星。パイはちょっと待ってねとタクヒを部屋の中央に近い天井へと飛ばす。
『鈴々さんっぽい人は……いない。あっ!』
『どうした!?居たのか?』
焦った様子の美星には構わずパイはタクヒをある方向へと飛ばす。そこは部屋の奥まった場所であった。
『男の人が椅子に縛り付けられてる……ひどい、ゴーモンにでもあったみたい』
顔は腫れ上がり、いたることころから血を滲ませた男性は力無くうなだれており、呼吸をしているのが分かる程度で、怪我の具合までは分からない。
『兄貴、今行くかっ!?おいっ!?』
勢いよく美星は立ち上がり、脇目も振らずに兄の元へと向かうべく動き出す。しかし、その体を八雲が抱き着くことでどうにか留まらせた。
「おーやわらけぇ、じゃねぇや……」
武道を嗜んでいたり、口調が粗暴だったりするが、美星も年頃の女子中学生。出るところは出ている。意図があったかどうかはさておき、美星に抱き着いた八雲の左手は見事に美星の胸を鷲掴みにしていたのだ。
パイに気にした様子はないが、それとは対照的に白は氷の様な冷たい目をしている。こんな緊急事態にどうしようもない事をしている八雲に白は呆れる。
『八雲はお前のこと心配しているんだよ。このままホテルに行けば殺されるってな』
『うるせぇ!』
怒鳴り声と共に膝蹴りが繰り出され、八雲の腹に見事に突き刺さる。腰の入った膝蹴りを受け八雲の体はがくりと崩れ落ちた。
「うぐっ」
「八雲!?」
不死の八雲に膝蹴り程度は心配するだけ無駄なのだが、そこは長年の癖でついつい白は八雲に駆け寄ってしまう。
「……悪いな。じゃあな!」
「待て!」
そう言って美星は部屋を飛び出して行ってしまう。白の制止は微塵も彼女の耳には届いていないらしい。
(兄が余程心配なんだろうが、無茶な)
出来れば助けてやりたいと白は思うが、あんな奴らに襲われた後にパイと八雲を放っておくわけにもいかない。
「白、美星を追いかけよう!」
「パイ、別に放っておいても良いだろ」
「ダメだよ八雲。美星、いい子だもん。助けたいって思うもん」
パイを危険な目に会わせたくなく、悪役振る八雲だが、そんな八雲の心中は筒抜けなのだろう。慣れない日本で困っていたところを助けられ、それ以外も幾度と助けられた為に八雲の優しさが分かっていたのだ。
「ま、大本を潰すってのは賛成だな。さっさと行くぞ」
「うん!……よし」
「どうしたんだ?」
「タクヒに私たちが行くまで美星を守ってってお願いしたの」
幸いにもタクヒはホテルを離れさせずに居たため、パイはテレパシーにて美星の護衛を頼む。タクヒの真の姿は十メートルにも迫ろうかという巨躯だ。ホテル内では流石にそこまで体を大きく出来ないにしても、人間程度に後れを取るほど弱くはない。
三人は身支度もそこそこにホテルを出ると手近なタクシーを呼び止め、急ぎ乗り込んだ。
「いけないっ!」
助手席に八雲が座り、後部座席に女性二人が座る中、パイが突然、声を張り上げた。目は閉じられているが、その表情は焦りに歪んでいる。
「ダメ、逃げて……逃げて!」
「タクヒか?」
か細い声からの再び大きな声、パイがタクヒとテレパシーで繋がっていると思いだして白はタクヒが敵と相対し、不利な状況にあるのではないかと推察した。
そして、タクシーがホテル、ロイヤルソアラ・香港前に到着する。
「パイ、タクヒはどうした?」
無表情に立ち尽くすパイに白は神妙そうに声を掛ける。その表情に白は覚えがある。それは大事なものを失い、その感情の大きさに心が追いついていない時の無だ。
「……死んじゃった。タクヒ、死んじゃった……う、うぅ」
そして、徐々に涙を滲ませたパイは八雲の胸に縋りつく、声を押し殺して泣くパイの肩に優しく手を置きながら八雲は力なき自分に歯噛みした。
パイにとってタクヒは使い魔ではなく、大事な家族だったのだろう。百年単位で人に出会わずタクヒと暮らしてきたから、その悲しみはより深かった。
(……くそっ)
パイの様子に白も奥歯をぎりりと噛んだ。婢妖、ひいては化身のいずれかがいれば、偵察なり制圧なりが出来たはずだ。ここでも半端に力が足りない。
悲しむパイと慰める八雲、そして自らの力の無さを悔いる白。
日本を飛び出した三人の冒険は未だ終息が見えない。