傍点が少々うまくいっていないんですが、広い心でお読みいただけると幸いです。時間があるときに直せそうなら直します。
※
日が傾き始め、水平線の向こう側から徐々に滲むように赤く染まりはじめた海上を進む。無意識に帽子を深く被り直していたら、近くにいた駆逐艦の女の子に話しかけられた。
「グラーフさん」
「なんだ?」
「そんなに帽子を深く被って、見えるっぽい?」
独特な喋り方をする彼女は、空母と知ると畏まった態度で接してくる他の駆逐艦とは違い、無邪気に話しかけてくる。最初はその喋り方にも戸惑ったものだが、慣れれば可愛らしいものだ。
「ああ。日差しが、苦手でな」
「眩しいっぽい?」
「ちょっとな」
「じゃあ今度からサングラス持ってくればいいっぽい!」
海面を踊るように滑りながらこちらに笑いかける彼女のひょんと跳ねた癖っ毛が揺れる。その毛先は夕日に照らされ赤く染まり、そのまま溶け込んでしまいそうなほど柔らかだ。
艦娘。自身も日本が定義する艦娘、のようなものになってしばらく経つが、このように幼い少女達が人類の救世主たる存在として崇められている現状にはどうにも違和感が拭えなかった。
それでも任務ならこなす、それが自身の与えられた役割だから。そして、この幼い外見に惑わされ、侮っていると足元を掬われるということも嫌と言うほどに知っている。艦娘も、深海棲艦も。
『──夜が来るね』
ふいに、無線から上機嫌な声が響く。それにつられて自身の先をゆく今回の旗艦である彼女の後ろ姿を見やった。どこか彼女、川内の身につける長い長いマフラーも楽しげに揺れているように見える。
『そうだな』
『思いっきり夜戦になりますけど、大丈夫なんですよね?』
『ああ、問題ない』
彼女に無線で答えながら、もう一度水平線の先を見やる。
──日が、沈む。
『夜は、私の領分だ。──蹴散らすぞ』
※
「……またこけたんじゃねぇか、お前」
「一応、体重は変わってないはずだけど」
元々顔つきの悪い彼であるが、その彼が呆れるように目を細めるとまるでガンを飛ばされているように感じる。だがしかし、長い付き合いである自身にとっては特に気になるものでもなく。
「そう思うならもうちょっと艦娘まわしてくれないか?」
「善処はしている」
お互いに仰々しい役職についてから、中々直接会って話す時間が作れないけれども。全く正反対な性格が逆によかったのか、候補生時代の先輩後輩からお互いに呉鎮守府、横須賀鎮守府の提督になってからも友人関係は続いている。
「まぁ、そうだね、うん……」
「舞風やっただろーが」
「……あれは、押し付けたの間違いじゃないの?」
こっちに来たばかりの頃の彼女は、それはひどいものだった。徐々に徐々に、色々な人に支えられて今ではうちに欠かせない大切な仲間の一人となってはいるけれども。
「陽炎型欲しい欲しいってうるさかったのそっちだろ」
「いや、陽炎型っていうか……いや、うん……」
「それにああいうのは俺の手に余る」
「前々から思っていたけれど、僕のこと駆け込み寺かなにかだと思ってない?」
「うるせぇ」
まだ半分も吸っていない煙草をぐしゃりと灰皿に押し付け、また一本取り出す。あ、今日はいつもより機嫌が悪いな、と思いながら黙って手元のコーヒーを傾ける。
「……相方の才能が飛び抜けていると、どうにもな」
「あー、目立つ娘だよねぇ、舞風の元相方さんは」
「呉で役立たずが生き残れるわけねぇだろ。それがわからないほど萎縮してるようなやつぁな、一旦別の環境にぶち込んだほうがよかったりするもんだ」
「なるほど? じゃあこれもそういう新しい刺激を呉に与えるために受けたのかい」
ずず、とコーヒーを啜りながらさっきまで話していた書類について話題を戻す。
「それもあるが……なにより戦術の幅を広げたくてな」
「夜間航空攻撃、ね」
「ちょうどいい打診がドイツからあったことだしな」
「彼女、面白いね。空母なのに夜戦ができるなんて」
「ああ。これを機に夜戦戦力の増強をしたいんだが、な」
そう、彼にしては歯切れ悪く言葉を切る。
「なにか、ひっかかる言い方だね」
「……まぁな」
ぐしゃり。今度はさっきよりも早く煙草を押し潰す。貧乏性の自身はもったいないな、と思ってしまうのだけれど、金を使う暇もねぇしこんくらいでごちゃごちゃ言うな、と怒られてからは何も言わないことにしている。
「夜の適性が高いやつは、
何に、とはあえて言わない。上層部の一部だけが知っている真実。深海棲艦と、艦娘の関係性。
「シーソーゲームで負けたら終わりだ。文字通りな」
「……」
「だからこそ、今いる艦娘達を、艦艇の付喪神達をこちら側に繋ぎ止める何かが必要になる」
戦争を知る世代が消えて暫くして突如として現れた深海棲艦。破竹の勢いでその勢力圏をのばし、人類を恐怖のどん底に陥れた、まごうことなき人類の敵。
『──ワタシ達は、人を助けるため。……皆を救うために、ここにいマス』
その本質は同一にして、それが故に対極の存在。だからこそ救える、だからこそ堕ちる。バランスゲームなのだ、これは。そしてバランスが崩れれば、それは即ち人類の滅亡を意味する。
「目先の勝利で一喜一憂しようが、俺達は危ういバランスのもと生かされているということを常に心に留めておかねばならない」
「……オカルト嫌いの君はてっきりそういうのは無視してるのかと思ってたよ」
「あ?」
「艦艇の付喪神との対話装置、使用廃止したじゃないか、呉で」
「ああ」
三本目の煙草の煙を吐き出しながら、気だるそうに彼は続けた。
「呉のやつらには必要ないからな」
「そう? 呉こそ必要じゃないか」
「どうせすぐに実戦に投入されて、
さらりと言い切ってまた次の煙草へと火を灯す。チェーンスモーカーの彼はストレスが溜まると際限なく煙草を吸い続ける。今の彼の秘書艦は、それが嫌でたまらないみたいだけれど。
「……例えば、川内に対する神通のように。夕立に対する由良のように」
「縁ってやつだね」
「そうだ。艦娘にとっての縁ってのはな、セーフティネットだ。強固な縁が、数多くの縁がそいつの拠り所となる」
「そして、深海棲艦との縁が新たな戦端となる」
「……まぁ、今はそれはおいとけ」
渋面を作って暫く無言で煙草を味わっていた彼の机から、もうひとつの書類を拾い上げる。
今日は主にこの二件について話し合っていた。一つは、既に受理されたもの。ドイツからの技術提携の打診とそれに伴う艦娘の交換について。今回日本に送られたのは、戦艦と空母が一人ずつ。その娘達の詳細データが載っているもの。そして、もう一つは。
「それで? ……この娘には誰がそれに当てはまるのかな」
ぱん、と指先の裏で書類を弾く。わかりきっていながら、あえてそう聞いた。艦娘を道具と割りきって扱う彼ではあるが、その癖妙に人と人の縁を繋ぐ勘所が冴えていることは仲間内では有名だ。
そこに記載されていたのは、とある艦娘の新たな改二案。
「……さて、な」
ちらりとこちらに視線を寄越しながら。そう呟いてまた彼は新たな煙草へと手を伸ばすのであった。
※
さらさらさら、とカルテにペンを走らせる音が静かな空間に響き渡る。ここに来て彼女と会話を交わすのが日課のようなものになって久しい。私が着任するよりもずっと前からこの呉鎮守府を陰ながらに支えている大先輩である彼女。職が変わっても彼女はツナギを好んで着込み、その上から白衣をひっかけるという独特なスタイルをとっている。
「最近どう?」
ぎ、っと座椅子に深く腰かけてカルテを見ながら世間話をするかのように気さくに彼女が話しかけた。
「そうですね、演習はもう問題ないですし」
「うん」
「出撃も、少しずつ。まだ、ちょっと夜は苦手なんですけど」
「うん。苦手って言えるようになったのは大きな進歩だね」
こちらを振り返る彼女の頭上の鮮やかな緑色のリボンが揺れる。これくらいは女の子らしくしなさいってうるさくて、とは本人談だけれども、案外それを気に入ってることはここにいる皆が知っていることだ。
「新入りちゃんはどう? 面倒見てるんでしょう?」
「あ、はい。いい人ですよ」
「日本語ペラペラなんだって?」
「はい、ふふ。ちょっと喋り方が男性的なんですけど」
「へぇ?」
「海軍支給の資料で勉強したらしいので、そのせいかもしれませんね。ただ、妙に似合ってて」
『Guten Morgen. 航空母艦、グラーフ・ツェペリンだ。──貴方がアカギか?』
彼女との初顔合わせ。付け焼き刃のドイツ語でどうにかなるのかしら、と身構えていたら流暢な日本語が彼女の口からついて出て、思わずポカンとしてしまった。少し怪訝そうな顔をした彼女が差し出していた手を慌てて両手でとって握手を返しながら、日本語、お上手ですねぇ、としみじみと感想を漏らしたらどこかほっとしたような顔をされたので、もしかしたら通じているかどうか不安があったのかもしれない。
「まだ私会ってないんだよねぇ。艤装はどんなのだった?」
「そうですね……最新鋭って感じがします」
「ほう!」
「ええと、なんだったかしら。カードをスロットにセットすると自動的に組み上がって艦載機が発進するんだとか」
「なにそれ!?」
思わず、といった風に椅子をガタッと鳴らして身を乗り出す彼女に思わずたじろぐ。目がキラキラしている、前職の血が騒ぐのだろう。
「うわー、バラしてみたい。それがダメならせめて触らせてもらえないかなぁ」
「夕張さんなら大丈夫じゃないですか?」
「そうは言ってももう妖精さんの声は聞こえないからねぇ。壊しちゃったら国際問題よねー」
あはは、と笑いながら頭をかく元艦娘、現カウンセラーの夕張さん。艦娘として活躍できる期間は、そこまで長くはない。艦娘として艤装と接続すると外見上歳をとらなくはなるが、それでもある一定期間をすぎると急に艤装との同調率が落ちるのだ。ある者は教職へと転向し、ある者は軍上層部へ食い込み。そしてこの人は艦娘の精神面のケアをするため、カウンセラーへと転向した。
「夕張さん」
「うん?」
「……いつも、ありがとうございます」
『……これじゃあ、
『赤城ちゃん!!』
あの慟哭は、果たして私のものだったのか、
「……この世界にはさぁ」
かたん、とカルテを元の場所に戻しながら。まるで一人言を呟くように、静かに夕張さんは言葉を続けた。
「同じものなんて、一つもないんだよ。人も、モノも。……だから、壊れたからって捨てたくないの、私」
「……」
「……偽善かな?」
私を見返す彼女は私を見ているようでいて、それでいてどこか遠くを見ているかのようだった。
彼女は、この、最前線を支える呉鎮守府における古参だ。なにを見て、なにを思っているのか。それをまだまだ新参者である私が推し測ることなど、できようはずもなかった。それでも。
「……偽善だとしても。それで救われたのが、私です」
私がこの人に感謝をしていることは、間違いなかった。
「……ありがと」
彼女はそうぽつりと呟くと、ようやくいつものような人懐っこい笑みを浮かべるのだった。
※
艦隊が帰投したらしい、という情報を得て彼女の部屋へと向かった。紙の独日辞書があれば欲しいんだが、という彼女に合いそうなものを一つ選んで胸に抱えながらドアの前に立つ。
そういえば夜戦上がりで寝ているかもしれない、とふと思い至り、ドアを叩く直前で勢いを緩める。こつん、と静かな音が響いて暫くして。
『──開いている。入ってくれて構わない』
ドアの向こうからくぐもった声が聞こえ、そうっとドアを開けて中を覗き込んだ。すると途端にふわりといい香りが漂ってきた。
「……寝ないんですか?」
「これを飲んだら寝るさ」
そう言って手元のカップを軽く持ち上げて見せる。
「……コーヒー飲んで、寝られます?」
「問題ない。むしろ飲まないと調子がでない」
出撃中はどうしても飲めないからな、と言いながらグラーフさんは備え付けの丸い小さなテーブルにコーヒーカップを置くと、ズボンのポケットから懐中時計を取り出して開き、時間を確認した。
空母寮は基本的に和室なのだけれど、ドイツからの賓客ということもあり、彼女には使ってない一室を簡単に改装し、彼女に馴染みがある部屋へと模様替えを済ませたものを割り当てた。改装の過程で小さな簡易キッチンも備え付けられたのだけれど、どうやら彼女はそれを思った以上に気に入ったようだった。
ドイツからもってきた自前の器具で色々とコーヒーについて試行錯誤しているようで、キッチンにはそういった器具がずらりと並んでいた。
「日本の水道水はいいな。元々コーヒーは軟水で淹れていたんだが、なかなかどうして悪くない」
「はぁ」
「朝に一杯、ドリップコーヒーの香りを嗅がないと朝が始まった気がしないんだ、例えこれから寝るとしても」
ポケットに時計を戻しながらいつになく饒舌になっている彼女に目をぱちくりさせていると、ふと彼女が問いかけた。
「……飲むか?」
「ええと。……お砂糖とミルクが、あれば」
恐る恐る返してみると、ふ、と彼女が微かに表情を緩めて頷いた。よかった、なにかコーヒーに対して並々ならぬこだわりがあるみたいだし、そんなものは邪道だと言われるかと内心ちょっとびくびくした。
そこにかけて待っていてくれ、という彼女にならい、テーブルとセットで置かれていた椅子のうちの一つに腰かける。
「あ、あと辞書お持ちしました」
「ああ、助かる。書物は紙の方が馴染みがあってな」
「わかります。私、辞書のこの薄いページの手触りが好きなんですよねぇ」
「……そうか」
手際よく準備をしながら静かに相槌を打つ彼女をちらりと見て、目の前に置かれているコーヒーカップを見る。そこから漂うよい香りが鼻腔をくすぐった。
香りは、好きなのだけれど。どうしてあんなにいい匂いがするのに味はあんななのなのだろう。コーヒー好きの彼女に面と向かって言うことは憚られたが、多分一生ブラックでは飲めないだろうな、と思いつつ彼女に声をかけた。
「あの、グラーフさん」
「なんだ?」
「……冷めちゃいますよ?」
「ああ、構わない」
ちょうど私の分を淹れ終わった彼女がこちらへやってきて静かに私の前にコーヒーソーサーを置く。砂糖はどこだったかな、とまたキッチンの方に戻り、がさごそとなにやら探しながら。
「……熱いのは、苦手なんだ」
そう、ぼそりと呟いた。
「……」
「今、らしくないと思っただろう」
こちらを振り返りながら、少し拗ねたようにグラーフさんが続けた。その表情を見て、ああ、なんだこの人にも年相応の感情があるのだな、などと聞かれたら余計に拗ねてしまいそうな思いが頭をよぎった。
とても綺麗な人だと思う。艦娘の中にはハーフであったり、それこそ外人のように美しい金髪をなびかせて走り回っている娘もいたりするけれど。それでも、早朝の薄明かりに彩られた彼女の姿は、まるで絵画のワンシーンのように様になるほど。怖いくらいに、綺麗なひと。初めて会ったときから、ずっとそう思っていた。綺麗であるがゆえ、どこか感情が抜け落ちたかのように整った顔立ちの人であると。
「ふ、ふふ」
「……アカギ」
「ごめんなさい、馬鹿にしているわけではないんですけれど」
だから初めて彼女の人間らしいところが見られて嬉しくて溢した笑顔だったのだけれど、どうやら彼女には誤解されてしまったようだった。
「ふふ、じゃあ私もひとつグラーフさんにお教えしますね」
「?」
「私、コーヒーはミルクたっぷりじゃないと飲めないんです」
「……ほう」
「角砂糖は、四つ入れないとダメです」
「それは……」
「ふふ、子供っぽいでしょう? 駆逐艦の娘には内緒にしといてくださいね」
かっこいい赤城さんのイメージが台無しになってしまいますから、と口元に人差し指をあててそう続ければ、ようやく彼女は少し表情を崩してくれた。
※
ふんふんと機嫌よく鼻歌を歌いながら軽巡洋艦用の宿舎の廊下を歩いていると、部屋からちょうど出てきた神通に声をかけられる。
「姉さん」
「おはよ、神通。これから演習だっけ?」
「はい。……随分ご機嫌ですね」
「まーね」
ドイツからの艦娘二隻を受け入れてからというもの、夜戦に駆り出されることが多くなった。機嫌もよくなるというものだ。
「いやー、いいね、空母がいても気兼ねなく夜戦ができるのはさ」
「少々変わった方ですよね。……私は、まだあの人のこと、よくわかりませんが」
「あっはは、あたしも」
わしゃわしゃと神通の頭を撫でてやると、どこか嬉しそうに神通が表情を崩す。小さい頃からしょうもないあたしを姉さん姉さんと慕ってくれてなんとも可愛らしい妹なのだ。
「……隙が、ないんだよねぇ」
「え?」
ぼそり、とそう溢すと神通が小首を傾げた。
「んー、スキンシップも兼ねてなんかスッてやろうかと思ったんだけど」
「……姉さん」
「いいじゃん。駆逐にやると結構喜ぶんだよ?」
「あの方は空母で、上司に当たります」
「神通はかったいなぁ」
「姉さんが柔軟すぎるんです」
くぁ、とあくびを噛み殺しながらぽんぽんと神通の頭を叩いてやる。
「まぁ、そんな隙が一切ないからできないんだけどさ」
「隙があってもやらないでください、もう」
「んー……ドイツ人って皆あんな警戒心強いのかなー。でも戦艦の人の方はワンチャンいけそうなんだけど」
「姉さん!!」
「じょーだんだってば」
ひらり、と手を振って部屋へと戻ろうとすると、後ろから神通の声が飛んで来た。
「姉さん!」
「なーにー、あたし、眠いんだけ」
「今日は布団を干してふかふかにしてあるので、ちゃんとベッドで寝てくださいね!」
「……あーい」
部屋に入り、着替えるのも面倒くさくてマフラーだけをそのへんに放り投げながらベッドへと倒れ込む。夜戦が好きとはいえ、こうも立て続けだと疲労は蓄積していくわけで。
仄かに暖かい、ふかふかの布団へともぞりもぞりと潜り込む。太陽の、いい匂いがした。
「……できすぎた妹だよねぇ、あたしにはさぁ」
そう一人ごちながら心地よい暖かさに包まれ、そのまま深い眠りへと落ちていく。
数時間後、着替えもせずに布団に潜り込んだことで説教を受けることになるのだけれど、それはまた別の話である。
※
山のように積み重なった資料のうちの一つのページをめくりながら、グラーフさんが静かに語り出す。
「我々の祖先である古代ゲルマン民族の世界観は、日本に通じるところが多い」
艦娘システムに関しては日本の技術が一歩他国より進んでいる。グラーフさんがここに派遣されたのも、そういった技術に関する情報交換を求めてだった。だからなのか、彼女はいわゆる普通の艦娘よりも艦娘を艦娘たらしめるシステム、思想観についてかなり詳しかった。
「例えば、日本のツクモガミという考え方。これはアニミズムに通ずる」
「アニミズム?」
「ああ。精霊信仰、ともいわれるな。あらゆる事物には精霊が宿り、あらゆる現象はそれらの意思や働きとする考え方だ」
難しい日本語もスラスラと使いこなす。所々馴染みのない単語、苦手な単語は多少発音にぎこちなさも感じるものの、特に会話をしていて問題になることもない。
「しかしながら我々は歴史上、キリスト教への改宗を経てこの考え方を捨てている。それによって近代化、工業化が進み、今の我々の文明があるとも言えなくもないが」
「ああ、なるほど。だから艤装も日本に比べると機械っぽさが強いんですね」
「かもな。……だがしかし、今我々がこの艤装システムに組み込んでいるものはまさにアニミズムをベースにした呪術だ、皮肉にもな」
そう語りながら資料を捲ってはこの部分はなんと書いてあるのか、と問いかける。会話はまったく問題ない彼女ではあったが、漢字の読み書きに関してはまだまだらしく、こうして時間が合うときはよく付き合っていた。
「我々は、忘れてしまった自身の根幹たる精神を形作っていた祖先崇拝、自然信仰に立ち返るべきなのかもしれないな」
「……それで今でもそういった思想が残っている日本の霊観についての資料を読んでいるんですか?」
「ああ」
こういう資料は本国では手に入らないからな、と呟きながら指先で文字を追っていく。そして、ところどころ止まっては手帳へと何かを記載していく。
「……ドイツの艦娘の方って、皆そんなに艤装の仕組みについて詳しいんですか?」
艤装がどういった仕組みなのか、実のところ自身はあまり理解していない。理解していなくとも、全く問題なく使いこなせるからだ。それが私達を艦娘足らしめる艤装システム。だから、その仕組みについて詳しい彼女を見て少しの恥ずかしさを覚えたのと、これは国民性もあるのかしら、という疑問も感じたので純粋に質問をしてみたのだ。
私の質問に対し、ちらりとこちらに視線を寄越した彼女は、また本に視線を落としながら質問に答えた。
「……グラーフ・ツェペリンは、史実では未成艦でな。今でこそどうにか形になってはいるが、初期は不具合が多かった。気づけば自然と知識も身についていたよ」
そう、なんでもないことのように続ける彼女だけれども。一体その裏にどれほどの苦労があったのだろう。だって、戦場での不具合は、それこそ死を意味するはずなのに。
「ソーリューに聞いたんだが。こっちの艦娘はツクモガミと意識が混ざることがある、だとか」
「ええ。私達は、そうですね。簡単に言えば神降ろしをしている巫女のようなものですから」
「ふむ」
「特に蒼龍は甲適性なので」
「……コウテキセイ?」
さらさらと会話の端々から単語を拾い上げ手帳に書き留めていた彼女の手が止まる。
「ええと。日本では艦娘を付喪神との相性の良さで四段階に分けて呼称しているんです」
「相性の、良さ」
「ええ。上から甲、乙、丙、丁、って」
さらさらとメモ用紙に書いてグラーフさんに見せる。慣れない単語を口に馴染ませるため、コウ、オツ……と反芻している彼女に十分な時間を与えてから話を続けた。
「甲適性は十数年に一人いるかいないかレベルの逸材なんです」
「ほう?」
「乙以下の娘は同調率が上がり過ぎると精神に異常をきたしてしまうんですが、彼女達は、そうですね。端的に言えば完全に降ろせる、というか」
そう言いながらさる日の飛龍の様子を思い起こしていた。彼女は厳密には甲適性ではないけれど、戦い方はまさに甲適性そのもの。普段は無邪気で人懐っこい彼女ではあるけれど、そう。
「心の撃鉄、というんでしょうか。スイッチが入ると完全に同化する、らしいですよ」
「……らしい?」
「私は乙適性なので、あまりその感覚はわからないんですよ」
負傷すればするほど、彼女、飛龍の攻撃は冴え渡る。ピンチになればなるほど、獰猛な笑みを浮かべて相手を食い破ってやると言わんばかりの攻めた攻撃をする。そう、まるで史実におけるミッドウェー海戦での飛龍の反撃のように。
「ただ、悪い面もありまして」
「悪い面?」
「ええ。私達、乙適性もそうなんですけど。艦艇の付喪神の負の感情の影響も受けてしまうんです」
「すると、どうなるんだ?」
「……暴走を起こして、下手をすると大事故に繋がってしまいますね」
『……これじゃあ、
かたん、と鉛筆を机に置いて黙り込む。艦艇の付喪神の想い。後悔、しがらみ、悲しみ、苦悩。重いのだ、彼女らに宿っている積年の想いは。
「……我々はあまりそういったことを経験したことがないんだ」
「そうなんですか?」
「ああ。これは単なる仮説なんだが」
とん、とん、とゆるやかにペンのキャップ部分で机を叩きながらグラーフさんが続ける。
「日本の天皇の祖先はアマテラスオオミカミと言われているだろう。ウジガミ、という考え方にもあるように、祖先を神として崇めている日本人と神々の間には連綿とした繋がりがある」
「……でも、私無宗教ですよ? 日常生活であまり神様とか意識したことはないです」
「でもツクモガミの存在を自然に受け入れているだろう? そういった無意識下の根本的な部分で、日本人は神々と繋がっている」
考えたこともなかった。私もそうだけど、私の周りの人達も宗教観が希薄だ。新年には初詣をし、何か困ったら神頼みと神社に足を運ぶ。けれども熱心な神道、仏教徒というわけではない。ああ、でも大変なときに神様に頼ろうとするのは、なるほど、確かに身近に神様の存在を感じているといえなくもない。
「一方、キリスト教では神はアダムを土から作ったとしている。神と我々は完全に別たれてしまった。だからこそ自然に対しても帰るべき母体ではなく、利用し、支配するべきものと捉えるようになった」
「……ええと、つまり?」
「そうだな。我々にとって自然、精霊はただの道具、という認識が根底にあるのかもしれない。だから我々は日本人のように神々と一体化することはない、というあくまで仮説だが」
くるり、とペンを回してまたさらさらと何かを書き始める彼女を見ながら、彼女達ドイツ艦の艤装について思い起こす。日本の装備に比べ、どこか荘厳で重厚な雰囲気のある艤装だと思った。最初はそのデザインから受ける印象なのだと思っていたのだけれど、彼女の話を聞いているうちにああ、と一つ思い至ることがあった。
──冷たいのだ、どこまでも。ひやりとした冷気を纏い、ただただそこに重々しく鎮座する。精霊は、道具。そう表す彼女の言うとおり、彼女達ドイツ艦娘と恐らくドイツ艦に宿っているとされる精霊の関係性はどちらかというとビジネスライクなのかもしれない。
『──同じように見えるけど、全部違うんだよ。モノだってね』
夕張さんはことモノ、艤装について親しい友人について語るかのように話す人だった。艤装技師の人達も、今日は調子がいいなぁ、お前! と艤装に話しかけている姿をよく見かける。
モノをモノとして捉えるドイツ人。モノを人のように扱う日本人。なるほど、艤装から受ける印象の違いはこういったところからも来てるのかもしれない。
「……しかし、なんだな。随分とリスクが大きいシステムに依存しているんだな」
「ええ、そうですね。だから私達は心のあり方に重きを置いているんです」
ぱたん、と資料を閉じて軽く伸びをしながらグラーフさんがぼやく。どうやら今日のお仕事はここまでらしい。だからここからは軽い雑談、という気持ちで話を続けた。
「自身の心をコントロールする
「……人間関係もか?」
「ええ、大事ですよ。ここの提督はよく縁って表現するんですけれど」
「……エン?」
いまいちその言葉に馴染みがなかったのか、僅かに首を傾げた彼女に分かりやすいように説明をする。
「ええ、人と人の、繋がり。運命の赤い糸、とかご存知ですか?」
「……いや?」
「運命のお相手とは小指同士、赤い糸で繋がっているそうですよ」
小指をちょこんと立たせてみせると、グラーフさんは怪訝そうな顔でそれを見つめた。
「何も見えないが」
「もう、例えですよ、例え。それに見えない方がロマンチックじゃないですか?」
「……よくわからないな」
そういった話はあまり興味がないのか、あるいは苦手なのか、少し申し訳なさそうに首をかきながら言葉を濁す彼女に笑いかけながら言葉を繋げた。
「まぁ、これはあくまで一例で、私達は人との繋がりをよく糸に例えるんです」
「……ふーむ、興味深いな」
「強い繋がり、そして多くの繋がりは編まれた糸のように頑丈になり、人の支えとなるって。うちの提督の口癖なんです」
「ほう」
「ふふ、結構ロマンチックな表現をしますよね」
お前達はただの戦争の道具だ、と豪語する呉の提督。自身が艦娘に積極的に関わることはないが、こと艦娘の編成、転籍といった事柄において艦娘同士の繋がりを重視していることは見てとれた。
例えば、飛龍と蒼龍。彼女達がよく一緒に組まされているのは決して二航戦同士で組ませやすいという理由だけではない。お互いにお互いが、精神的ストッパーとして相手をここに留めるのが上手だからだ。
時々、私も怖くなる。自分が自分でなくなるかのような感覚。それは、戦いの最中。日常から逸脱した異常な環境での、異常な思考のなかでゆっくりと鎌首をもたげる、重々しく、どろりとした暗い感情。
『──ヒノ……カタマリトナッテ……シズンデシマエ……!』
一度だけ。あれは、確か全滅寸前まで追い込まれた戦いの最中だっただろうか。赤城とは異なる、
──やめよう。頭を振って思考を追い払う。不確かなことをぐるぐると考えても不安が増すだけだ。そして不安が大きくなればなるほど身動きがとれなくなるということもよく知っている私は、そこで思考をシャットダウンした。
「あ」
「うん?」
「大変、切れちゃってますよ」
ふと彼女の方を見やると、腕のところに赤い線が走っていて慌てて自身の懐のポケットを探る。
私の指摘にひょい、と腕を動かしてああ、と一拍おいてから、なんでもないことのように彼女が続けた。
「気づかなかったな」
「ええと、絆創膏……」
「これくらい問題ない」
「ダメですよ、もう。痕になっちゃいますよ」
駆逐艦の娘達に特に顕著なのだけれども、どうにも艦娘というものは自身の傷に対して頓着しない傾向がある。大破しても入渠や高速修復剤であっという間に治っていく様を見ているからだろう。だけれども、治るとはいっても少々の傷痕が残ってしまうことはある。それをどこか誇らしげにしているところもあるのだけれど、やっぱり女の子なのだから、といつしか彼女達のために絆創膏を持ち歩くようになった。さすがに普段の喧嘩で入渠の許可は降りないし。とにかく血の気が多く、生傷が絶えないのが駆逐艦娘なのだ。
「せっかくの、綺麗なお肌なんですから。ね?」
絆創膏を貼るとき、僅かにぴくりと彼女が身をすくめたのを感じた。そういえば、グラーフさんってあまり人とべたべたくっついているところを見たことがないし。少々お節介だったかな、と若干思いながらも笑いかける。
文化の違い、というものは思わぬところで齟齬を生む。でも、多分笑顔は世界共通で人を安心させる効果があると思うのだ。気分を害したいわけではないですよ、という意味も込めて、でも彼女に不快な気持ちを与えないよう、そっと身を引きながらにこにことしていると、彼女は一瞬困ったような顔をしながら。
「……Danke」
ぼそり、と。そう呟いた。
※
「そっちはどう?」
そう母国語で問いかけながら彼女、ビスマルクは缶コーヒーを投げて寄越した。
「特に問題はない。……ん」
「アイスコーヒーだってば」
「そうか」
缶の表記をしげしげと眺めていると、ビスマルクが呆れるように言葉を続けた。そうはいってもこれは癖のようなものだから仕方がない。喋ることはある程度はこなせてはいるが、読み書きとなるとまた別だ。一応温かい、冷たいといった必要最低限の言葉は覚えたが。
うー、さむ、と言いながら同じ銘柄のホットコーヒーをあおるビスマルクを尻目にプルタブを引き上げて一口、口をつける。
「……あまい」
「そう? こんなものじゃない?」
「これはもうコーヒー風味の何かだろう」
缶コーヒーに何求めてるのよ、とぼやきながらフェンス越しに空を見上げる彼女と同様に、何の気なしに空を見上げた。空には厚い雲がかかり、薄灰色の空は冬の到来を象徴するかのようだった。寒くなってきたのもあってか、この呉鎮守府の屋上には私達以外の誰の姿も見られなかった。
「……しかし、グラーフの艤装構造はもう面影すらないな」
「ああ、噂のアカーギ? そうなの?」
戦艦と空母は宿舎が異なる。この呉鎮守府の一員として組み込まれた私達は艤装構造の解析、演習、そして出撃と他の日本の艦娘と変わらぬ生活を送っているため、中々会う時間が作れない。
日本語でコミュニケーションをとるのに問題はない、それでもやはり母国語が通じる者同士でいるということは少なからず私を饒舌にさせた。
「ああ。どちらかと言えば、そうだな。リュージョーなどの艤装のが近いかもしれない」
「ふうん」
「アカギは……初期型だからだろうか。いやに古臭い艤装だと思ったよ、正直」
グラーフは赤城を参考として作られた。史実では完成し得なかったグラーフの試作型が、私だ。大分調整も進んできて調子もいいが、それでも問題点や改善点は散見される。
『──本家を見てこい』
別に、元々そんなに興味はなかった。ただ、それが任務であるならこなすだけ。ただ、思い描いていたものと異なって少し驚いただけ。
「……それ、言わない方がいいわよ」
「さすがにそこまで空気は読めなくはないぞ」
甘ったるい液体を一息に流し込んで、ズボンのポケットから懐中時計を取り出す。はぁ、と息をつくと、それはほんのりと白く色づいた。
「大丈夫?」
「ああ」
パチリ、とそれを閉じながら言葉を続ける。
「照準すらついていない弓矢で発艦するなんて、正気の沙汰とは思えないな」
「でもこっちの正規空母は大体そのスタイルなんでしょう?」
「まぁな」
極東の島国。そこに住む人々も、気候も、文化も。なにもかもがドイツと異なる。わからないことだらけだ。駆逐艦の娘との会話中にじっと目を見つめていたら、あわあわと視線をそらされ──かと思ったら意を決したかのようにきり、と見つめ返され、数秒でまたもとの状態に戻る。最近はなんとなくそれが面白くてじっと観察をしているのだが、日本人はシャイだからずっと目を見つめていられないそうよ、とは後でビスマルクに聞いた。
「理解に苦しむ。……が」
「が?」
タァン、と高らかに響く音。残響の中、そよ風に揺られる美しい黒髪、まっすぐに伸ばされた背筋。その背丈は、私よりも一回りも小さいというのに。放たれた弓矢はどこまでも力強く、まっすぐに飛んでいく。その、後ろ姿を。
「……美しいとは、思ったよ」
どうしようもなく綺麗であると。そう感じてしまった自身の心でさえ。よく、わからなかった。
※
せっかくの休日だと言うのに、早く目が覚めてしまった。辺りは薄暗く、時計を確認すればまだほとんどの人が眠りこけている時間帯だった。
目が覚めたというのにまた寝ようと頑張るのも少々馬鹿馬鹿しい、せっかくだから外を散歩してみようか、と外套を着こんで懐中時計をポケットに突っ込みながら宿舎を出た。
空がようやっと少し白み始めたところだろうか。はぁ、と息をつけば緩やかにそれが色づき、首元のマフラーをしっかりと巻き直した。
ああ、そういえば。確かこの近くに大きな公園があるんだったか。元々静かな場所でゆったりした時間を過ごすのを好んでいた私は、ここに来てからばたばたと忙しく、まだそういったお気に入りの場所を探していなかったことを思い出し、せっかくだからとそちらへと足を向けた。
手入れが行き届いた、綺麗な公園だった。芝生はきちんと整えられ、噴水からは静かに清らかな水が流れ落ちていた。日中にここで読書をするのもいいかもしれない、と思いつつ、せっかくここへ来たのだからととある場所へと向かう。そして、目的の場所を遠目で見つけて──思わず身を隠してしまった。それは、まさかこんな早朝に人と出くわすことなどあるまいとたかをくくっていたための反射反応のようなものだったが、そのお陰で相手にこちらの存在がバレることはなかった。そぉっと木の影からその人物の様子を伺って──予想外の人物が、予想外の状態でそこにいたため、思わずかたまってしまった。
この大きな公園の、少し外れ。そこには大きな石碑があり、戦没者である艦娘の名前が刻まれている。そしてその前に立って、石碑を指先でなぞりながら。──赤城が泣いていたのだ。
「──」
ここからは少し距離があるため、なにを言っているのかはわからなかった。それでも、何かを語りかけるようなその仕草に、誰かを偲んでいることは間違いなかった。
一通り語り終えると、ごし、と自身の腕で涙を拭いとり、そしてぺちん、と両手で両頬を叩いてその場を後にする。こちらに振り向いた彼女の目は少し赤かったが、それでも顔つきはいつもの、極めて凛々しい、駆逐艦娘からかっこいい赤城さん、と呼ばれるのにふさわしい表情だった。こちらに気づくことなく横を通りすぎていった彼女の後ろ姿が見えなくなるまで見送って、自身も石碑の前に立つ。
ずらりと並ぶ文字の列。漢字はまだあまり読めないが、ここに並ぶこの文字が何を意味するのかは知っていた。
『──艦娘は、艦娘として死ぬんです』
それは、ドイツと日本の艦娘に対する価値観の違いについて赤城と話し合っているときだった。
『死してなお、石碑に刻まれる名前は艦名です。この日本において、艦娘は一個人として認識されないんです。……だから』
「……まさか、毎日来てるのか」
綺麗に掃除された石碑の周囲と、そっと添えられている真新しい花を見てぼそりと呟く。
『せめて私は、その娘達のことを一人の人として。……覚えておきたいなと、思うんです』
見なければよかったと思う。普段穏やかに皆に笑いかけ、常に頼りにされている彼女が早朝、ひとりで泣いているあの姿を。きっと、あれは誰にも見られたくない彼女の一面なのだろう。だからきっと皆が寝静まっているこの時間にひとりここで佇むのだ。
見なければ、よかったと思う。艦娘にとって死別は日常茶飯事だ。死んだからといって一々死者に心をさいていたら身が持たない。だから自身は例え仲間が死のうと、あのように心から涙を流すなどということはしなかった。だからこそ。死者を悼み、涙する彼女のことを、理解できないと思ってしまったのだから。
※
とある日の昼下がり。この時間になると鎮守府内もガヤガヤとうるさくなってくる。ここの鎮守府では艦種ごとに食堂が異なるため、各々別の方向へと行き交う人々で廊下が混雑する。
食堂に向かう途中、前方に軽巡洋艦の由良を見つけた。軍から支給されている携帯端末に視線を落としながらゆっくりと歩いている彼女のその背後から、ぴょこぴょこと跳ねるように近づく人物が一人。
「ゆらー! さーん! 今度のお休み一緒に買い物いこー!!」
「きゃっ!?」
ホップステップジャンプ、といわんばかりの勢いで夕立が由良に飛びつき、たたらを踏みながら由良が悲鳴をあげた。
「由良さん!」
「ちゃんと言ったっぽい?」
「なんかとってつけた感じがしたわよ! さんの部分!」
「そ、そんなことないっぽい」
「目を見なさい、夕立ちゃん」
むぎゅーと両手で由良が夕立の両頬を押し潰すと、声にならない悲鳴が夕立から上がった。
「由良のばかぁー!」
「さん!!」
「さーん!」
「名前にくっつけなさいって言ってるでしょ!?」
ぎゃあぎゃあと廊下で騒いでいる二人の隣をそおっと通り抜けて、思わず苦笑いをした。
「仲が、いいんだな。あの二人は」
「そうですねぇ。由良さんは、もう少し敬って欲しいみたいなんですけれど」
軽巡の方は多かれ少なかれ面倒見がいいですからね、と笑いながら食堂に向かう赤城の隣に並んで歩く。
「あ、赤城さん!」
「あら、巻雲ちゃん」
「この前はありがとうございます!」
「もう転ばないようにね」
パタパタと落ち着きなく駆けていく駆逐艦と思わしき女の子が、ぺこり、と頭を下げてまた走り去る。
「赤城さん」
「はい、こんにちは、神通さん」
「この前那珂ちゃんが横須賀から間宮の羊羹をお土産にもってきてくれて」
「あら」
「よければ、空母の皆さんにも」
「いいの? ありがとう」
今度はすれ違った彼女から受け取ったお土産を嬉しそうに胸に抱え込む。
「グラーフさんは羊羹を食べたことはありますか?」
「いや?」
「ふふ、じゃあ食後に一緒に食べましょう。私の大好物なんですよ」
そうして、ひとり、またひとりとすれ違っていく人達に声をかける。すれ違う艤装技師に、調整していただいてからとても調子がいいんですよ、と返しているのを見て思わず彼女に問いかけた。
「……まさか、この鎮守府にいる全員のことを覚えているのか?」
「え? はい、それは、まぁ」
そんなわけないじゃないですか、という答えを期待していた私は、まさかの返答に押し黙った。いや、ここに何人勤めていると思っているんだ。赤城なりの冗談なのだろうかとも思ったが、きょとんとこちらを見上げる彼女の様子を見るにどうやら本気でいっているらしい。
「みんな、大事な仲間ですから」
袖振り合うも、多少の縁。そっと呟かれた単語が耳に残る。また、縁か。
「すれ違って、ほんの少し袖がふれ合っただけの関係だったとしても。前世からの縁があるそうですよ」
「……」
「だから。……私は、私に関わる人達を、大切にしたいんです」
ああ、だから。だから誰もいない墓前で人知れず涙を流すのか。自分に関わった人達を偲ぶために。
不器用な人だな、と思った。そうやって全てを抱え込んでいったら、きっと身動きがとれなくなるだろうに。それでも出会いのひとつひとつを蔑ろにできないのだ、この人は。
黙ってそのまま歩き、食堂へと足を踏み入れる。辺りに漂う匂いから、今日はカレーらしいということが伺えた。お盆に一通り載せて辺りを見回すと、ちょうど赤城が隣、いいかしらととある二人組に声をかけているところだった。どうぞどうぞ、と席をすすめる二人に言われるまま、席について食べ始める。
「あー、演習つっかれたー」
「艦隊運動はまだちょっと慣れないよね」
「輪形陣とかそわそわする」
「今までの訓練、少人数でやってたもんね」
「あと駆逐艦の娘からキラキラした眼差しを受けるのも慣れない」
「わかる」
呉鎮守府の空母の中では比較的新人にあたる飛龍と蒼龍。まだまだ慣れないことも多いのか、カレーをつつきながら二人してぼやく。
「でも飛龍も蒼龍も回避運動上手よね、まだ艦娘になって日が浅いのに。すごいわ」
あーだこーだと喋り続ける二人の会話を聞いていた赤城が、それを受けて朗らかに褒めると途端に二人がぴたりと動きを止めた。
「……ああ」
「それは……」
「「鬼教官達に鍛えられましたから……」」
見事にハモらせながら、どこか遠い目をしながらしみじみと二人が呟く。
「……オニキョーカン?」
「ええ!」
思わず聞き返すと、飛龍が力強く頷いてキッと目を細め、上から見下すかのような仕草で誰かの真似をする。
「──誰が弓を落としていいと言いましたか」
「……似てる!」
それを受けてふは、と思わず吹き出した蒼龍に気をよくしたのか、今度は腕を組みながらじと目で別の誰かの真似をした。
「飛行甲板は盾じゃないっつってんでしょ」
「ぽいぽい」
あはは、とお腹を押さえて笑い転げる蒼龍。そして飛龍は今度はノリノリで片目を手で隠してすごんだ。
「艦載機がなけりゃなァ、殴ればいいだろ」
「後でそれやろうとしたら怒られたよね、提督に」
「あの人達といると感覚狂うわよね……」
「お仕置きの正座にも慣れちゃったよね……」
そしてまた遠い目をして黙り込む二人。つい最近、こんな感じの人達をなにかで見かけた気がしたのだがなんだっただろうか、と食事を咀嚼しながら考えていると、ふとその単語が思い浮かんだ。
「……ヤクザ?」
「「ぶっ!」」
思わず咳き込む二人。……なにか、間違った表現をしただろうか。
「いや……カタギ、の、はず……」
「そこは自信持とうよ……」
「だって……」
「ていうかどこで仕入れたんです、そんな単語」
「ビスマルクに無理矢理押し付けられたマンガから」
「漫画読むんだ……」
「悪くはなかった」
絵から会話を類推できるし、なにより漢字にふりがながふられていて意外といい教材になった。ただビスマルクが出撃の際によーし、カチコミよ! と叫んだら周りがぎょっとしたので、使い方には注意がいるのかもしれない。
「……しかし、よく食べるな」
「はい? ……あー、はは」
三人前はあるのではないか、という大皿に盛られたカレーがものすごい勢いで飛龍の胃の中へとおさめられていく。その食べっぷりは見ていて気持ちがいいが、一体この体のどこにそんなに入るんだ、と思わず言葉を溢してしまった。
「まぁ、なんていうか。……
「は?」
ぼそり、と呟かれた言葉がよく聞き取れず、思わず聞き返すとうーん、と唸りながら彼女が言葉を続けた。
「まぁ、食べても食べてもお腹がすいちゃう体質みたいなもんです」
「もともとよく食べる方ではあったけどね」
「そ、そう? そうだっけ……蒼龍が少食なのよ」
「そうかなぁ」
「女の子ぶってんじゃないわよ」
「まごうことなき女の子だよ!!」
ぎゃあぎゃあとまた姦しくなる二人を見て苦笑いをしながら、ちらりと赤城の方を見やる。彼女は穏やかな表情でそんな二人のやりとりを眺めていた。
赤城は、そこまで喋る方ではないと思う。それでも一人一人、会う人に声をかけ、言葉を交わす。そしてそのときの表情はそう、まさにこのような、まるで穏やかな時の流れを慈しむかのような顔をするのだ。
「でもなんか食堂のおばちゃんには歓迎されてるんですよねー」
「あー、なんだっけ。赤い悪魔の再来だっけ?」
たまたまだった。横目で彼女を見ていたからこそ、その僅かな変化に気づいた。ぴくり、となにかに反応して身じろぎをする彼女の様子に。
「久々に腕が鳴るわ、って目ぇ輝かせられちゃってさー。あれ、なんだろ」
「さぁ?」
まー迷惑じゃないならいいんだけどさぁ、とぼやきながら彼女がカレーを完食するのと、けたたましく食堂の引き戸をうち鳴らして龍驤が怒鳴り込んでくるのは同時だった。
「くぉら飛龍!! おどれ昼は次の舞鶴航空部隊との合同演習のミーティングがあるっつたやろ!!」
「……あれ?」
「十秒で準備せぇ!!」
わー! なんで蒼龍教えてくれなかったの!? え!? 私のせい!? などと言い合いをしながらガタガタと慌ただしく二人は去っていった。
「……元気だな」
「あはは……」
思わず苦笑いをこぼした赤城ではあったけれど、どこかそこにぎこちなさを感じた。確か、あの単語が二人から出てきた辺りから。なんとなくその単語の意味も気になったことだし、と食事が落ち着いた辺りで話を切り出すことにした。
※
それは、とても自然な会話の流れだった。
「──アカイアクマ、とはなんだ?」
だから、ある程度予測はできていたのだ。それでも、この話題に触れるときは、どうしても。
「あー……前の、赤城さんのことですね」
心が少し。重くなるような気がした。
「前のアカギ?」
「はい。……ふふ、色々とすごい人で。弓の代わりにしゃもじで出撃しかけただとか」
「……」
「一人で食料庫を空にしただとか、夕御飯に間に合わなくなるからと一瞬で敵を殲滅しただとか」
「……それは」
「食に関する逸話に尽きない人で。その破天荒っぷりについたあだ名が赤い悪魔です」
『──"赤城"を、よろしくね』
かたん、と箸を置く。どこかつかみどころがなくて、それでいて気がついたら目で追ってしまうような妙な魅力のある人だった。
候補生時代を呉で過ごしていた私は、少しだけ彼女と話す機会があった。破天荒でいて、それでいて気がついたらみんなの中心にいる、強く、しなやかな彼女と。
『ちゃんと面倒を見てあげるのよ、加賀』
『……いつも私が誰の面倒を見ていると思っているんですか』
『あら』
彼女の相方であった、加賀さんに。
「……随分と、その。個性的な人だったんだな」
「ええ。でも、それ以上に皆に愛される素敵な人でした」
『一航戦の誇りにかけて』
それが口癖だった彼女は、その言葉の通りどんな逆境でも笑って乗り切るような強かさと、確かな実力を兼ね備えていた。そして、彼女の隣には無口ながらも阿吽の呼吸で彼女を支える加賀さんがいて。ああ、これが一航戦なのだと遠目で見て思ったのだ。
「私も、赤城さんみたくなれるように。……頑張らないと」
だからこそ。だからこそ、失敗してしまった弱い私は。一航戦という名を汚してしまった私は、もっと強くならねばならないのだ。そうでなければ申し訳ない。ここにいる皆に、そして。今は遠くの地にいる彼女に。
「……よくわからないが。前のアカギと今のアカギは別人だろう」
「……え?」
深く自身の思考の沼へと落ちていた私は、彼女の予想外の言葉に反応が僅かに遅れてしまった。
湯飲みに落としていた視線を上げれば、彼女はこちらをじっと見つめていた。
グラーフさんは、人と話しているときその人の目をじっと見つめる。最初は怒っているのかしら、と少し怖く思ってもみたけれど、どうやらそれは彼女なりに真摯に話を聞いていることを表しているらしい、ということに最近気づいた。
「そうだな。私が知っているアカギは、コーヒーをブラックで飲めなくて」
「ちょ、ちょっとグラーフさん」
慌てて辺りを見回す。幸いにも喧騒に紛れ、誰も私達の会話を聞いていなかったようなのでほっと胸を撫で下ろした。
「それでいてちょっと見栄っ張りで」
「う」
「あとは……」
ぎ、と深く椅子にかけながら食堂の粉末を混ぜて作られたタイプの大して美味しくもない冷たいお茶を片手で、まるでウイスキーを飲むかのような仕草で傾けながら。
「とても丁寧に生きる人だと思う」
「……え?」
まるで予想だにしなかった言葉を溢した。その、少し灰色がかった菫色の瞳でじっと見透かされ、思わず動揺する。
「貴方は自身と相対する人や物事に対してとても真摯だ。どれをとっても蔑ろにはしない」
「……」
「前のアカギがどんなにすごかったのかは知らないが。貴方は今のまま、十分に尊敬されるに値する"アカギ"だと思う。……私にはできない生き方だ」
少し、生きづらそうだが、とぼやきながらグラーフさんはことり、と静かに湯飲みをテーブルに置いた。
『──さすが、"赤城"さん!』
そうでしょう、だって私はあの赤城なのだもの。誰からも尊敬され、艦隊の中心となってしかるべき、誇り高き一航戦の。あの人と同じ軍艦の。
強くあらねばならない、皆を不安にさせないためにも。
『──私はいい、から。赤城、さんを……!』
涙を他人に見せてはならない。天下の一航戦がそんな泣き虫であると知られては皆を不安にさせる。だから、私を守って死んでいったあの娘達を想って泣くのは、必ず誰もいない早朝の、みんなの名前が刻まれたあの墓標の前でだけと決めていた。
『……ごめん、なさい』
私はいつだって自分のことでいっぱいいっぱいで。あんなに頼りになる
強くならなければならない。愚かな自分を戒めるため、みんなの理想の赤城であるため。だから、だから私は。
「……グラーフさんって」
ようやく言葉を形作ると、喉がひりついて少々声がかすれてしまった。それを知ってか知らずか、視線をはずしてぼんやりとあさっての方を眺めていた彼女がこちらを見返す。
「ん?」
「結構、はっきり言いますよね」
「……気分を害しただろうか」
「いえ、そういうわけではなくてですね」
喉の渇きを誤魔化すように冷めてしまったお茶を一口含んで。ゆっくりと噛み締めるように言葉を紡ぐ。
「……ありがとうございます」
きっと先代の赤城さんを知らないから。きっと、一航戦という名の重みを知らないから。だから彼女は純粋に私を"私"として見てくれているのだと、わかっていても。
「うん? ……うん、なんだ、よくわからないが……どういたしまして?」
怪訝そうな顔をしながらそう答える彼女を見て。久しぶりに、心からの笑顔が溢れたような気がしたのだ。