我らが帝国に栄光を!   作:やがみ0821

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情勢変化

 

 帝国における基本的な戦略は総動員及び戦時体制への移行が完了した後、一気に殴り掛かるというものだ。

 反撃開始は遅くとも半年以内であり、それを目処に各軍の作戦は立案されている。

 

 戦時体制移行よりも遥かに早く――2週間以内――動員は完了するが、その兵力は膨大だ。

 それこそ陸軍だけで全ての方面に十分な防衛戦力を配備しつつ、なおかつ、一方面においてなら大規模攻勢が可能というものだ。

 その理由としては元々の人口が帝政ドイツよりも多かったことと、自然な増加傾向にあったことが人口増加政策により後押しされ、より顕著な増加傾向となったことが挙げられる。

 また帝政ドイツと帝国は徴兵及び予備軍制度は同じものであった。

 予備軍制度とは兵役を終えて除隊した国民を予備軍として組織し、戦時にはこれを正規軍に加えるというものだ。

 新兵よりも短期間の訓練で実戦に投入できる膨大な予備役兵が帝国には存在していた。

 

 連合王国をはじめとした各国は帝国の予想される兵力を大雑把ではあったが、知っていた。

 質・量ともに優れる戦争機械の如き帝国軍――というのが各国軍における認識だ。

 

 それは正しいものであったが、まだ足りないものがあった。

 実際に戦争となった場合、帝国はどれだけの砲弾や爆弾、戦闘機や戦車を量産してくるか、というものだ。

 帝国の生産力は巨大だ。

 しかし、平時とはいえ、遅々として進まない帝国軍における装備の更新を見る限りだと、戦時となっても生産力を有効に活かせないのでは、というのが各国における主流な意見だった。

 

 もっとも楽観的な予想としては、帝国は戦時となっても国民の反発を抑える必要がある為、生産力の多くを民需に振り向けるだろうというものだ。

 対して、もっとも厳しい予想としてはその生産力の4割程度を軍需に投入してくるのではないかというものだった。

 

 だが、帝国はそんな生温いものではなかった。

 ヒトラーは前世における経験を踏まえ、より効率的な制度とそのための法整備を提案し、それを実現している。

 

 生産統制、物価統制、労働動員及びその統制といったものから、各メーカーにおける生産ノウハウ共有などを目的とした協議会設置などの戦時における様々な制度及び法律だ。

 

 この制度によれば戦時において、自動車をはじめとした耐久消費財部門は民需生産から段階的に軍需生産へと転換されることとなっており、また労働力不足を補う為に婦人が総動員される。

 更に多額の軍事費投入によるインフレを抑制する為にも強制的な物価統制もまた同時に行われる。

 この統制の全てには法的根拠が与えられ、議会の承認によって一連の戦時統制は発動される。

 

 こういった制度の下、投入される生産力は各国の予想しているもっとも厳しい――4割どころの騒ぎではない。

 これにあわせて、戦時における軍需生産への転換を前提として企業の工場新設及び設備増強を支援する制度もまた整備されている。

 

 総力戦という概念は帝国軍は勿論、政府及び議会、各省庁の至るところに浸透しており、やりたくはないが、向こうから仕掛けてきたらやらざるを得ないという認識だ。

 

 短期決戦で終わらせてくれというのが政治家達の意見で、短期決戦で終わらせたいというのが帝国軍上層部の意見だ。

 

 両者の意見は完全に一致しており、どうやって終わらせるか、終わらせた後の始末はどうするか、というものも定期的に協議されている。

 

 なお、講和条約の内容が厳しすぎると、のちのち暴発する。帝国がされたらそうだからだ、というもっともな意見がヒトラーにより出されている為、基本的には厳しい条件を突きつけない方針だ。

  

 

 とはいえ、政府にしろ軍にしろ、共通しているものは帝国は自分から戦争を仕掛ける気はまったくなかったということである。

 だが、どうにも周辺国の動きがきな臭くなってきたことを政府と軍は察知していた。

 

 例えば連合王国や共和国をはじめとした周辺国における軍事費の増大だ。

 これまでも増加傾向であったが、近年は明らかに戦争を意識した増加の割合だった。

 そして、各国における頻繁な軍事演習だ。

 陸軍の演習は内陸部で行われるものよりも、比較的国境に近いところで行われる回数が明らかに多く、また国境地帯に配備される部隊の数も増加していた。

 特に連邦軍の部隊数は大きく増加しており、準戦時体制にあるのではないか、と帝国政府及び軍は予想した。

 

 それはダキアやイルドアですらも例外ではなく、国境地帯の部隊が増加しつつあった。

 ただちに、帝国政府は領土問題をはじめとする諸問題に関しては対話による解決を望み、武力による解決は望まないという声明を内外に発表した。

 それは1924年3月のことだ。

 

 この声明はあくまで帝国は被害者側というアリバイ作りも兼ねていたが、他国の軍備増強に対してこの声明は如何なものか、という意見が帝国世論の支持を得てしまう。

 仕方がなく、帝国もまた軍事費を大きく増加させ、帝国軍は万が一を予期し、装備の本格的な更新へと移行する。

 一部の部隊しか新型装備が配備されていないと連合王国をはじめ、各国は把握していた。

 しかし、それは平時において予算が膨らむのを防ぐ為の帝国軍における苦肉の策だ。

 帝国軍は国土の広さ、そして植民地の多さから常設部隊も多く、更新費用は勿論、新型へと転換することで維持費用も従来よりも増えてしまう。

 

 だが、もはや情勢は変わった。

 こちらから仕掛けずとも、相手側がやる気であるならば、もはやいかなる声も届かない。

 

 故に、それに対応すべく、帝国政府及び議会は4月から大規模な軍拡へと舵を切った。

 

 

 帝国軍の各軍予算を300億マルクへと引き上げる臨時予算案を可決します――

 三軍合計で900億マルクとなり、これは50%の増加で――

 

 

 ラジオからは臨時予算案可決の速報が流れ、新聞では号外が配られる。

 戦争間近の雰囲気を国民も――特に国境近くに住む者達にとっては――より強く感じられた。

 

 しかし、開戦が近いという事態に際して、帝国世論はそれを大きく支持をした。

 

 そして、この世論の支持を受け、5月1日にはさらなる臨時予算が編成され議会へと提出された。

 それは各軍予算をさらに70%増加させるものだったが、この臨時予算案可決と同時に戦時体制への移行もまた正式に議会で承認された。

 

 議会の承認により、あらかじめ定められていた戦時統制制度に従い、帝国は膨大な生産力を軍需へと振り向け始める。

 民需生産と軍需生産の占める割合は5月1日時点で8対2であった。

 しかし、1ヶ月が経過した6月1日には7対3へと軍需生産の割合が引き上げられていた。

 割合としてみれば大したことがないかもしれないが、数量では圧倒的だった。

 例えば主力戦闘機であるTa152は4月まで月産数十機程度にしか過ぎなかったが、5月の月産数は200機に達した。

 この数字は時間を経るごとに急激に増加する。

 それも航空機だけでなく、全ての分野において。

 最終的には民需生産と軍需生産の割合は2対8程度にまでなると帝国政府及び議会では予想されていた。

 

 

 

 


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