「何故、進めんのだ!」
ド・ルーゴは司令部にて叫んだ。
彼の怒りはもっともであり、司令部における誰も彼もが不思議で仕方がなかった。
既に開戦から1週間が経過していたのだが、共和国軍は悲しいことに国境地帯からもっとも進めたところで、僅かに3km程だった。
しかも、その3kmも帝国軍の陣地を突破し、敵部隊を敗走させたというものではなく、帝国軍が敷設してあった地雷原と鉄条網、対戦車壕を超えたという程度に過ぎない。
その3kmより先には全く進めていなかった。
前線からは悲鳴のような報告が大量に届いているが、それらは到底信じられるものではなく、すぐに信頼できる参謀を派遣し、詳細な調査を命じていた。
それでもド・ルーゴは怒鳴ることを我慢できなかった。
100m進む為に中隊規模で部隊が根こそぎ全滅した――
敵軍砲兵に押し負け、こちらの砲兵が潰された――
敵軍の砲弾・銃弾とも弾量が圧倒的で、まるで嵐の中に突っ込んでいくようだ――
前線からはそういった報告しかなかった。
確かに帝国軍の陣地は強固だろうが、そんな馬鹿なことがあり得るはずがないというのが共和国軍の上層部における認識だ。
今日中には派遣していた参謀が戻ってくる為、ド・ルーゴをはじめとした面々はやきもきしていた。
既に通信では、報告の全ては事実であると参謀から伝えられていたが、実際に口頭で詳しく報告してもらう必要があった。
そこへタイミング良く、派遣していた参謀が戻ってきた。
彼は挨拶もそこそこに告げる。
「前線からの報告は事前にお伝えした通り、全て事実です」
参謀の言葉にド・ルーゴは返す言葉が見つからなかった。
そんな彼と司令部の面々に参謀は更に告げる。
「その理由としましては帝国軍の陣地は相互支援すらも可能な機関銃と重砲の巣であり、攻略は困難かと思われます」
また、と参謀は言葉を続ける。
「前線に展開している空軍部隊も調査してきましたが、こちらも壊滅しています。未帰還機の数は分かっているだけで既に1000機近いらしく……」
「馬鹿な!? 空軍は新型戦闘機を配備していた筈だ!」
ド・ルーゴは叫んだ。
2000馬力にこそ届いていないものの1800馬力の液冷エンジンを搭載した共和国軍の新型戦闘機――ラファールは十分Ta152と戦えると予想されていた。
「数少ない帰還できたパイロットの報告によりますと、敵戦闘機は直線において最低でも時速600km台後半は出ているそうです」
ラファールの直線速度は最高で時速650km程だ。
直線速度で優劣が決まるというわけでもないが、無視できないものでもある。
「機甲軍団と予備の歩兵戦力を一箇所に集中させ、突破を図ることは可能か?」
「まだ敵の空襲は前線でも見受けられませんが、時間の問題かと思われます。ですので、制空権が覚束ない現在では集結すれば叩かれる可能性が高いかと……」
ド・ルーゴの提案に対する参謀の答え。
「攻勢を中止し、立て直しを図るしかないか……」
海を隔てている連合王国以外の、全参戦国の陸軍は相当に苦戦しているに違いない、とド・ルーゴは確信した。
それは一方面を除いて正しかった。
例外となった一方面――ダキアは開戦初日に数十万の大軍でもって帝国軍陣地に攻め寄せたが、あまりにも隔絶した差があった為、あっという間に壊滅し、帝国陸空軍による逆侵攻を受けていたのだ。
これはプロイエシュティにおける油田確保を目的として承認された作戦であり、ダキア占領後は連邦軍に対処する為、迅速に陣地構築を行うものとされていた。
「予想通りの展開になっている」
ターニャは今日も今日とて軍大学の昼休み、大学内にあるカフェのオープンテラスにて安くて美味いランチを食べた後、新聞を眺める。
それは今朝の朝刊だったが、彼女は時間のない朝に読むよりも、昼休みにのんびりと読む方を好んだ。
帝国軍はダキアを除けば全戦線において引き篭もっており、攻め寄せる敵軍は文字通りに消滅している。
現地では敵兵の死体の山であるが、それを掃除する暇もない程に――特に東部戦線では――激しいらしい。
この分だと卒業する頃には敵の兵力が底をついて、反攻作戦に加われるんじゃないかと彼女は胸を高鳴らせる。
なお、ダキアは開戦から僅か半月程で降伏しており、9月時点で全域が帝国の占領統治下にある。
連邦軍が侵攻してきそうなものだが、帝国の東部国境に兵力を注ぎ込んでいる為、すぐに動ける纏まった規模の軍団がなかったようだ。
とはいえ、旧ダキアと連邦の国境地帯で数日前に戦闘が勃発しており、こちらは陣地構築との同時並行であり、東部国境のような一方的というわけでもなく、多少の被害は出ているらしい。
ただ、将兵と装備の質に加えて、制空権を確保し、好き放題に爆撃していることから、連邦軍はこちらでも帝国軍の損害とは釣り合わない程の甚大な損害を被っているようだ。
「即応軍かぁ……」
参謀本部直轄の魔導師による即応軍。
その技量は特に優れており、ターニャも何度か、戦技教導隊に所属していた際にお相手をさせてもらったことがあったが、そこらの魔導師連中とは技量も根性も違った。
帝国軍魔導師の最精鋭であり、参謀本部は彼らを航空魔導大隊として複数個運用し、自由自在に必要な箇所へと投入している。
彼らは輸送機からの高高度降下や潜水艦からの発進も行い、柔軟な戦略的機動性を確保していた。
ダキアにおけるプロイエシュティ油田を施設ごと丸々無傷で入手できたのは即応軍の魔導大隊と降下猟兵によるものだ
彼らがいち早く進出し、油田周辺の敵部隊を排除し、確保し続けたのだ。
火力・防御力・展開速度などの全てが歩兵よりも高いが、その反面人的な補充が難しいからこそ、非魔導師である降下猟兵と組み合わせて帝国は運用していた。
無論、既存の近接支援や敵魔導師狩りといった任務もある為、各方面軍には規模が減じられたものの、魔導師部隊は存在していた。
「即応軍に興味があるのかね?」
横合いからの声。
ターニャがちらりと視線を向けると、そこにはゼートゥーアが立っていた。
彼女は素晴らしい速度で椅子から立ち上がり、敬礼する。
そんな彼女にゼートゥーアは笑いながら、答礼し、彼女の対面に座った。
「そういうのを見ると、失礼だが、君も歳相応だな。レルゲン中佐などは以前、幼女にしては完成された人格で、恐ろしがっていたが」
ゼートゥーアの言葉にターニャは冷や汗をかきながらも、椅子へ着席する。
レルゲン、レルゲンと彼女は頭の中で考え、士官学校時代に見たあの佐官か、と思い出す。
そして、最適だと思っていた行動が裏目に出ていたことに戦慄する。
とはいえ、その後は今に至るまで接点などもなく、現在、ターニャのキャリアは順調である。
「今日、私が来たのは他でもない。卒業後の進路相談だ」
「進路相談……ですか?」
「ああ、そうだ。率直に言うと君は前線でも後方でもどこに行っても活躍できるだろう。希望はあるかね?」
問いに、ターニャは好機到来と確信するも、同時に下手な答えは面倒くさい事態を引き起こすと予想する。
どう答えるべきか、と悩む彼女にゼートゥーアは告げる。
「君は優秀な魔導師だ。魔導師でなければ書類と戦う仕事しか選択肢はなかったかもしれないが、道を選べる……中には書類と戦うのが好きだという変な奴もいるが……」
あいつは特殊だろう、とゼートゥーアは告げる。
「あいつ……とは?」
「我が帝国が世界に誇る魔法使いだ。奴がもし、参謀本部勤務を選んでいたら、今頃、私は奴の部下だっただろう」
懐かしそうに語るゼートゥーア。
ターニャは彼が語る人物が誰だか、すぐに察した。
「空軍大臣のルントシュテット元帥閣下ですか?」
「ああ、そうだ。奴は参謀本部勤務どころか、兵站本部を希望したのだよ。当時はあまり希望する者がいなかったところだ」
今ではすっかり、参謀本部と並ぶ花形だが、とゼートゥーアは笑う。
転生者だからだよなぁ、とターニャは思うが、当然言わない。
転生者だろうが何だろうが、ヴェルナーが帝国を強化したのは間違いない。
ターニャはその恩恵をありがたく受けている。
例えば帝都では秋津島皇国の料理屋が複数あり、ターニャは慣れ親しんだ日本食が食べられたのだ。
刺し身に天ぷら、寿司、うどんや蕎麦を食べたときなど彼女はまさしく生を実感した。
そういった料理屋は全てヴェルナーがポケットマネーを使って、秋津島皇国から招いたという。
当初はゲテモノ扱いされたらしいが、今では帝国においても人気となりつつある。
「ヴェルナーの士官学校時代の指導教官は私だった。入学初日、奴のドクトリンを聞かせてもらったとき、もうこいつはこのまま卒業でいいんじゃないか、と思ったものだ」
「それほどまでですか?」
「ああ、あいつはそういう奴だった。何よりも新米の癖に、まるでベテランを相手にしているみたいな印象を当時、抱いたものだ」
ターニャはゼートゥーアの言葉に確信する。
ヴェルナーの前世は、本職の軍人だ、と。
「話を戻すが、私個人としては君はまだ幼い。前線に出るよりも後方で、と思う。だが、軍人として見た場合……」
ゼートゥーアはまっすぐにターニャの瞳を見つめる。
「即応軍に入らんかね? 大隊を1つ、預けよう。即応軍の大隊は一般には増強大隊だが、問題はない。必要な人員も余所から引き抜いて構わん」
ゼートゥーアの勧誘にターニャは即答はできない。
道はあると言っておきながら選べないじゃないか、と文句の一つでも言いたいが、そんなことはできない。
受けるしかない、だが、将来的には後方勤務となれるような確約がほしい。
それをどうゼートゥーアに伝えるべきか、と彼女が悩んだときだった。
「孫と戯れているのですか? 准将」
横合いからの声にターニャは視線を向け――そして、椅子から立ち上がり、直立不動の姿勢で敬礼を行った。
「デグレチャフ中尉に失礼だぞ」
そう言いつつ、ゼートゥーアもまた立ち上がって敬礼を行う。
それに対し、声を掛けてきた、鞄を持った人物――ヴェルナーは苦笑しつつ答礼を行った。
噂をすれば彼だ、とターニャは思いつつ、敬礼を解く。
「同席しても?」
「勿論です! 元帥閣下!」
ターニャの言葉にヴェルナーはありがとう、と告げて近場にあった椅子を引き寄せて、座る。
「しかし、君がここに来るとは珍しいじゃないか。空軍省と各企業を行ったり来たりと聞いていたが」
「噂のデグレチャフ中尉が気になりましてね。時間を見つけてどうにか」
そのような会話がゼートゥーアとヴェルナーの間でなされる中、ターニャは千載一遇の好機と判断する。
うまく売り込めば、程々に前線で働いた後、後方勤務になれる、と。
とはいえ、彼女は不用意に発言はしない。
何しろ、陸軍参謀本部戦務参謀次長と空軍大臣の会話だ。
普通に軍隊生活を送っていては、まず聞くことができないもので、得られるものは必ずあると確信する。
「空軍はどうか?」
「問題ありません。現時点で量は劣っていますが、質では優位に立っています。量も時間の経過で解消されるでしょう」
ヴェルナーは一度、言葉を切り、少しの間をおいて「何よりも」と続ける。
「陸軍がダキアを手早く片付けてくださったので、石油不足の心配も、どうやらなさそうです」
ここだ、とターニャは口を開く。
ダキアの石油といえばプロイエシュティ油田に他ならない。
そして、彼女の頭に出てきたのはタイダルウェーブ作戦だ。
「僭越ながら、発言をしてもよろしいでしょうか?」
「構わない、大いに言ってやれ」
ゼートゥーアの言葉にターニャは思わず笑いそうになり、ヴェルナーは再度、苦笑する。
「プロイエシュティ油田の防空体制はどのようになっておりますか?」
その問いにゼートゥーアは不思議に思う。
現状、そこへ攻撃を仕掛けられるのは連邦空軍くらいだが、連中は前線で帝国空軍に一蹴されている。
しかし、ヴェルナーはすぐさま察した。
「レーダーによる早期警戒網の構築及び戦闘航空団が2個、進出している。来るとしたら地中海か、イルドアか?」
「はい。連合王国のランカスター、あるいは合州国のB24でしたら可能かと」
合州国という単語にゼートゥーアもその表情を険しくする。
「やはり、合州国も参戦してくると思うか?」
ゼートゥーアの問いにターニャは頷いた。
そして、彼女は言葉を紡ぐ。
「直接介入をするには大きな理由が必要ですが、兵器を輸出する、義勇軍を派遣するというのでしたら、そこまでハードルは高くないかと……」
「参謀本部で予想された通りだな……しかし、やはり君は後方にも欲しいな。元帥、デグレチャフ中尉を即応軍か、あるいは後方か、どちらが良いだろうか?」
ゼートゥーアの問いにヴェルナーは大きく頷き、告げる。
「空軍という手はどうでしょうか?」
「駄目に決まっているだろう」
ゼートゥーアの駄目出しにヴェルナーは肩を竦めながらも、真面目に答える。
「魔導師は絶対数が不足しています。優秀であれば即応軍に入れるべきでしょう」
ターニャは絶望した。
しかし、続けられたヴェルナーの言葉に彼女は顔には出さずに歓喜した。
「しかし、優秀であるからこそ、後進育成の為にも後方で頑張ってもらうほうが良いのでは? 未熟な者を優秀な魔導師へ育て上げることができる教官は非常に重要です」
私じゃ言えないことを言ってくれた――!
ターニャは心の中で喝采を叫ぶも、ゼートゥーアは眉間に皺を寄せる。
「だが、即応軍にもう1個、魔導大隊があればより効果的な運用ができる。銀翼持ちで、なおかつ広い視点で物事を見ることができるデグレチャフ中尉こそ、隊を率いるに最適だと参謀本部では判断している」
ゼートゥーアの言葉にヴェルナーは提案する。
「折衷案として、前線で一定期間働き、休養も兼ねて後方へというのはどうでしょうか? 何なら彼女の部隊ごと、休養も兼ねて後方で教導隊をするというのも悪くはないかと」
そこで言葉を切り、彼はゼートゥーアの反応を見ながら、さらに言葉を続ける。
「ただの休養ではなく、教導隊としての任務も兼ねていますので、期間は長めで。空軍でもこの制度は実施しており、こちらでは現状、問題は起きていません」
ターニャは内心でガッツポーズをする。
そうだ、元帥、もっと言ってくれ!
何よりもそれは理に適っている!
休養は必要で、後進育成も重要だ!
ターニャはそう思いながら、少しでも前線で働く時間が減ることを祈りつつ、2人のやり取りを見守る。
「ふむ……それならば彼女の部隊だけでなく、即応軍全ての魔導大隊をローテーションする形で良いな。現状、即応軍の魔導大隊は各地へ引っ張りだこで、纏まった休養が全くできていない。方面軍の魔導大隊はそうでもなさそうなんだがな……」
ゼートゥーアはそう言って頷き、ターニャは勝利を確信する。
そして、更にそこへヴェルナーが告げる。
「他にも質・量ともに十分な装備、そして中尉に匹敵するとまではいかなくとも、部下には腕の良い魔導師も必要でしょう。即応軍に組み入れるのならば、そこらもしっかりと面倒を見て頂く必要があります」
「無論だ。既に各方面軍及び中央軍には話をつけてある。大隊の定数である48名までなら好きに選んでもらって構わん。装備に関しては君の方が詳しいんじゃないかね? 例の機関の予算は凄いだろう?」
ゼートゥーアの問いかけにヴェルナーは苦笑する。
その会話にターニャは内心、首を傾げた。
エレニウム工廠は陸軍の管轄で、空軍は関わりはない筈だ。
そんな彼女の疑問を見透かしたかのように、ヴェルナーがゼートゥーアへ問いかける。
「准将、彼女の機密保持能力は?」
「彼女がもし機密を漏らすようなことがあるならば、事前に書面にして提出してくれるだろう」
ターニャはその言葉に、自分がどのように評価されているか把握した。
良い、実に良い!
それだけの信頼を得られている、少なくとも機密保持については!
内心で彼女は喜びながらも、表には一切出さない。
更にゼートゥーアは軽く周囲を見回す。
「人払いも済んでいるようだ。相変わらず手際が良いな」
「ええ、お二人を見つけたときに」
その言葉にターニャも周囲を見回してみる。
誰もいない。
オープンテラスであることから通路を行き交う教官なり生徒なりの姿が見えてもいいはずだが、全くいない。
店員も気を利かせたのか、店の奥に引っ込んでいるようだ。
「人払いを衛兵にお願いしておきました。店の者達も、こういう秘密の会話の際、どう振る舞うべきかはよく知っています」
ヴェルナーはそこで一度言葉を切り、ターニャに告げる。
「デグレチャフ中尉、アーネンエルベだ」
「は……? アーネンエルベ、ですか?」
遺産を意味する単語で、それ以外にはない筈だ。
しかし、ターニャはこれまでの会話から予想し、告げる。
「……秘密の研究機関というものでしょうか?」
「正解だ。設立は6年程前になるが、官民軍合同の研究開発機関だ。そこにエレニウム工廠も組み込まれている。表向きは陸軍の管轄となっているが」
その意味をターニャは悟り、断言する。
「予算、人員、資源の選択と集中……というわけですね」
「そういうわけだ。何か知りたいものはあるかね? 魔導師関連でなくても構わないぞ」
問いかけにターニャは数秒程、考え――口を開く。
「電子技術について、アーネンエルベではどこまで?」
「真空管の次へ進んでいる。2年以内に量産開始だ。勿論、その試作は既に各メーカーに配られている」
ターニャは獰猛な笑みを浮かべた。
ゼートゥーアは理解が追いつかなかったが、ターニャの反応を見るに、何かとんでもないものをアーネンエルベが完成させたらしいことは分かった。
「元帥、それは革新的なものかね?」
「ええ。率直に申し上げますが、戦争の形態はまた変わります」
断言するヴェルナーにゼートゥーアは深く溜息を吐く。
「やれやれ、私が現役のうちに、こうも目まぐるしく戦争の形態が変わるとはな。勉強が追いつかんぞ……」
「絶え間なく技術を発展・進歩させることにより、敵国を圧倒する。それが唯一、勝利への道です」
「いや、言っている意味は分かるんだがな……元帥、また書面に纏めてくれ」
「勿論です。准将には参謀本部へ広める役割を期待しているので」
「私は君の広報部長か? いや、以前からそうであったな……」
ゼートゥーアにとって、ヴェルナーの持ってくる話は興味を惹かれるものばかりだ。
戦略・戦術は無論、色んな話題をヴェルナーはゼートゥーアに話すことで、ゼートゥーア経由で参謀本部に広めてもらう――というのがこれまで何度も行われたことだ。
もっとも、ゼートゥーアとしてはヴェルナーの陸軍における最高の戦果は晩餐室及び前線部隊の食事事情――特にその味――を改善したことだ。
陸軍兵站本部に彼が勤めていたとき、晩餐室で何度も食事をしながら会議をした。
その度にヴェルナーは思いっきり顔を顰めてみせ、遂には私費をふんだんに投じて、腕の良いコックと食材を揃えさせた。
結果、晩餐室の食事は味は三ツ星レストランに引けを取らず、またメニューも豊富になった。
その後はちゃんとその予算もつくことになり、同時に前線にも美味い飯を、というヴェルナーの主張で、前線部隊の食事も大きく改善されたという顛末があった。
あのときはゼートゥーアもヴェルナーの食事事情改善の提案を参謀本部内に広めつつ、関係各所を説得して回ったもので、懐かしい思い出だ。
「ところでデグレチャフ中尉」
唐突に呼ばれ、ターニャは元気良く返事をする。
するとヴェルナーは真面目な顔で、告げた。
「サインをくれないか? エースのサインを集めるのが趣味の一つなんだ。空軍ならいいんだが、魔導師のエースのサインは中々手に入らなくてな……」
「あ、はい、勿論です」
ターニャは呆気に取られつつも、頷いた。
ヴェルナーは笑顔で鞄から色紙を取り出し、ペンとともに渡してきた。
もしかして、会いに来た理由はこれなのでは、とターニャは感じつつも、サインを書く。
そこでふと思う。
もしも自分の目の前にハルトマンとかルーデルとかがいたら――?
そう考えると、ヴェルナーの気持ちが分かった。
サインを求めないわけがない、むしろ一緒に写真を撮ってくれ――
ただターニャとしてはそんな凄まじい連中と自分が同じであるとは到底思えなかった。
このやり取りから数ヶ月後、軍大学を無事にターニャは卒業した。
そして、彼女は参謀本部の晩餐室で美味い料理を堪能した後、正式な辞令がゼートゥーアから手渡された。
航空魔導大隊を以前の約束通りに任されることとなったのだ。
このとき、既に各戦線では戦闘が全く起きない、奇妙な戦争と言われる状態となっていた。
しかし、いよいよ帝国軍は反撃の準備を完了させつつあった。
同時に連合王国もまた、合州国からの義勇軍を受け入れ、帝国の石油供給源を断たんとしていた。
イルドアには連合王国空軍及び合州国義勇軍の四発爆撃機が集結しつつあった。