スカパ・フローは静かな朝を迎えていた。
オークニー諸島に存在するこの入り江はメインランド島、ホイ島、バレイ島などに囲まれ、細い水路により外海と繋がっている。
天然の良港であり、昨今の帝国海軍の増強に伴い、ここは連合王国海軍本国艦隊の根拠地となっていた。
そして、このスカパ・フローには現在、戦艦8隻をはじめ、巡洋艦や駆逐艦の多数が停泊している。
連合王国海軍の本国艦隊は戦艦を15隻――全て15インチもしくは16インチの主砲を持つ超弩級戦艦――保有しているが、そのうちの半数をスカパ・フローに置き、帝国海軍に対して睨みを効かせていた。
残る7隻はアルビオン・フランソワ海峡沿いの沿岸部に分散して配備されている。
しかし、開戦以来、帝国海軍が北海に乗り出してくることは無く、従ってスカパ・フローにおける本国艦隊も出番が無い。
本国艦隊のやることといえば時折、外海に出て訓練を行う程度だ。
艦隊を出撃させ、共和国軍を援護してはどうか?
帝国の沿岸部を艦砲射撃してはどうか?
いっそのこと、スカゲラク・カテガットの両海峡を突破し、バルト海から陸軍を上陸させてはどうか?
そんな案もあったが、海軍上層部は頑として譲らなかった。
航空機で戦艦が沈められるとは考えにくいが、それでも数百機の爆撃機に襲われたら、無傷では済まないと彼らは判断している。
結局、出撃するということはなく、開戦から今日まで続いていた。
そういう事情も手伝って、スカパ・フローは平時と変わらない雰囲気だった。
対空陣地が増設されたり、レーダーサイトが新しく建設されたりしていたが、本土から近いこともあって、前線のようなピリピリとした雰囲気ではない。
魔導師達も2個中隊程度しか駐屯しておらず、メインランド島にあるオークニー諸島唯一の飛行場には戦闘機が50機程度、爆撃機は20機程度しか配備されていなかった。
何かあったら、本土からすぐに援軍がやってくる、というのがスカパ・フローやその周辺に存在する全ての部隊における共通認識だ。
「空軍の連中が言うには、近日中に戦闘機が半分くらい引き抜かれるらしい」
「そいつは羨ましいな」
レーダーサイトにて、昨日の夕方から勤務に入り、あと数時間で勤務が終わる2人はコーヒーを飲みながら、眠気覚ましに会話をしていた。
PPIスコープの画面を見るというのは退屈極まりない。
ましてやこのレーダーサイトは魔導師の魔力反応を探知する専門であり、駐屯している魔導中隊が訓練飛行をするとき以外、全く反応を示したことがなかった。
「帝国軍はアルビオン・フランソワ海峡を超えて、ポーツマスやドーバー、ロンディニウムあたりを空襲するっていう噂だ」
「ありえるな。そっちのほうが距離も近い。共和国の沿岸部から目と鼻の先だ」
「だから言ってやったのさ。俺たちも連れて行けって」
「ああ、本当にな。まったく、まさかこんなところに配属されるなんて思ってもみなっ……」
何気なく、1人がPPIスコープの画面へと視線をやったときだった。
呆けたように彼がそれを見ていると、もう1人もまたPPIスコープの画面を見る。
「南西方面なら、アバディーンか、インヴァネスあたりの魔導大隊じゃないか? 朝早くから訓練でもしているんだろう」
「輝点の規模からして、おそらくそうだよな。ああ、驚いた。勤務終了間際に、こういうのはやめてくれ」
「全くだ。さっさと帰って、シャワーを浴びて寝たい」
「あと3時間はあるから、一応報告だけはしておくか?」
「それもそうだな。しっかり仕事をしているというアピールができる」
それで給料があがりゃいいがな、と言って2人は笑い合う。
そして、彼らは電話にて上官へと報告を行った。
「南西方面から魔導大隊? いや、そんなことは聞いていないぞ」
レーダーサイトから報告を受けた大尉は首を傾げる。
とはいえ、報告を受けたからには確認をせねば自分の責任問題になる。
大尉はすぐさまスカパ・フロー周辺の守備隊の司令官である大佐へと電話を掛けた。
そのとき、何気なく大尉が壁にかかった時計を見ると、午前7時12分であった。
「南西から魔導大隊? アバディーンか、インヴァネスの部隊か? 私も聞いていない。すぐに確認をしろ」
そう電話越しに指示を出し、大佐は椅子にどかっと座った。
抗議の一つでもしてやろう、とそういう思いが彼にはある。
早朝訓練は良いことだが、せめてこっちに事前に連絡を入れてからにしてくれ、と。
この田舎の守備隊司令に任命されたときは、彼はツイていないと思ったものだが、戦争が始まった今では安全な後方で、幸運だったと神に感謝している。
何しろここはスカパ・フロー。
本国艦隊の拠点であり、外敵なんぞ彼らが蹴散らしてくれる。
大佐はこのままキャリアが傷つくことなく、退役できればそれでいいと思っていた。
ターニャは大隊総員に指示を下す。
「もうすぐ目標地点だ! 予定通りに行動しろ!」
友軍部隊であると偽装する為、降下地点から最短で向かわず、アルビオン本土寄りに迂回し、さらに波を被りそうな超低空飛行でもって、ここまで来ていた。
既に細かな指示を出す必要はない。
大隊各員は全員、頭に叩き込んでいるからだ。
ターニャは思う。
まさか自分がこうして空を飛びながら、スカパ・フローを上から眺めることになるとは、と。
無神論者であり、運命とかそういうものなど信じたこともがないが、それでも何か、不思議なものを感じてしまう。
朝日に照らされるオークニー諸島はとても綺麗であり、ターニャは少しの間、見惚れてしまう。
こういう体験、前世では絶対にできなかった――
たとえ飛行機で遊覧飛行ができたとしても、それは魔導師として空を飛ぶのとでは全く違うと彼女は断言できた。
こういった点では存在Xにターニャとしては感謝する。
彼女は間近に迫った仕事へと思考を切り替える。
完全な奇襲となればいいが、蓋を開けてみなければ分からない。
トラ・トラ・トラとでも言ってみるか、とターニャは思うが、変なことをすると後で意味を尋ねられたとき、誤魔化すのに苦労する。
とはいえ、似たようなもの――というか、そのまんまのものはある。
トラ・トラ・トラではないがトツレの方だ。
「突撃隊形作れ!」
ターニャの指示に各中隊の隊形が変化する。
それは隊長を先頭に一本槍となって進む陣形だ。
4本の槍となって、まず主目標であるレーダーサイトを破壊する。
レーダーサイトはメインランド島、サウス・ロナルドシー島の東側に2箇所ずつある。
それらは魔力探知用と航空機探知用が1つずつだ。
手早く済ませる為に、ターニャが率いる第一中隊、第二中隊はメインランド島を担当し、第三、第四中隊がサウス・ロナルドシー島を担当する。
その後は滑走路、対空砲、港湾施設の順番で余裕があれば破壊する予定だ。
そして、ターニャ達は見た。
スカパ・フローに停泊し、朝日に照らされている艨艟達を。
ターニャは柄にもなく興奮した。
写真を、写真を撮りたいっ!
だってあれ、クイーン・エリザベス級とレナウンとフッドと、マトモな形のネルソン級だぞ!
この世界は軍縮条約とかなかったから、ネルソン級が16インチ砲を前部2基、後部に1基という常識的な配置なんだぞ!
勿論、三連装砲だ!
そこで彼女は気がついた。
確か、ライカのカメラを持たせていたことに。
戦果確認の為に写真を撮ろうと。
ターニャは告げる。
「シュルベルツ中尉! 写真だ! 撮れ!」
「はっはい!」
急に言われた第一中隊所属のアイシャ・シュルベルツ中尉はすぐさまその指示に従ってカメラを取り出してシャッターを切った。
ターニャは満面の笑みを浮かべながら、進撃する。
今日は最高の日だ! 任務を遂行し、さっさと帰るぞ!
そのとき、後方で爆発音が響き渡った。
ターニャは無線で告げる。
「第三・第四中隊諸君! 任務達成おめでとう! 正式採用だ!」
ターニャの言葉に笑い声が返ってくる。
『ありがとうございます! 就職祝いに一杯やりたいところです!』
『同じく、旨い酒と美味い飯で!』
中隊長2人にターニャは答える。
「勿論だ!」
ターニャはそう言いながら、目前に迫ったレーダーサイトの手前で急停止し、爆裂術式を叩き込む。
第一中隊の面々もまたやや遅れて爆裂術式を叩き込む。
レーダーサイトは爆音と共に吹き飛び、もうもうとした黒煙を立ち上らせる。
そのとき、第二中隊からレーダーサイトを破壊したという連絡が入る。
「今、我々は連合王国海軍本国艦隊の根拠地にいるのだ! 我々に旨い酒と美味い飯を振る舞わないで、誰に振る舞うのか! さぁ、諸君! 戦功の上乗せだ!」
スカパ・フローの守備隊の反応は鈍い。
警報すらもまだ鳴っていない。
ここからは時間との戦いだ。
ターニャは中隊を率いて空を駆ける。
彼女がメインランド島を選んだのは隊長としての責務というのもあったが、滑走路がもっとも近いからだ。
オークニー諸島にある飛行場はメインランド島にただ一つ。
しかもそれは規模が小さいが、それでいて潰せれば評価は高いという美味しい獲物だった。
あっという間にターニャら第一中隊は飛行場の真上に到達した。
敵魔導師と交戦という報告が第二中隊、第三中隊から入ったが、第四中隊はフリーだ。
また第二、第三中隊によれば援護の必要なし、とのこと。
ターニャは舌なめずりをして、眼下に見える飛行場に筒先を向ける。
「第一中隊、爆裂術式。滑走路、格納庫、管制塔の順番だ!」
慌ててスピットファイアが1機、エンジンを掛けながら滑走路に進入してきたが、もう遅い。
ターニャはオタクとして、スピットファイアを潰すことに勿体ないと一瞬思いもするが、そんなことは平和になってから考えればいいと即座に割り切った。
ターニャ達は一斉に爆裂術式を放ち、スピットファイアごと滑走路を攻撃し、穴だらけに変える。
そして、そのまま彼女達は特に妨害を受けることもなく、格納庫、管制塔の順番で潰し、最後に航空燃料が詰まったタンクを離脱しつつ破壊して、予想通り大爆発を起こさせた。
飛行場は完全に破壊され、更に第二・第三・第四中隊もまたそれぞれ敵魔導師部隊を排除した後、対空砲や港湾施設を攻撃し、多大なる戦果を挙げることに成功する。
散々に暴れまわった第203航空魔導大隊は脱落者なしで、最後に濛々とした黒煙に包まれるスカパ・フローを写真で撮影し、意気揚々と南へと離脱した。
スカパ・フローでは大混乱が生じていたが、連合王国海軍にとって災難だったのは第203航空魔導大隊は、単なる前座に過ぎないことだった。
停泊していた艦船は無傷であったが、すぐには動けない。
訓練の予定も無かったことから、機関は完全に止まっており、ボイラーに点火してから蒸気圧が使用圧力になるまで数時間掛かる為だ。
しかし、帝国空軍の放った無数の爆撃機はあと30分以内にスカパ・フローに到着する。
水平爆撃は当たるものではないが、空軍の爆撃隊には海軍機が一部混じっていた。
ターニャは潜水艦との合流地点へと向かいながら、無数の四発爆撃機と護衛戦闘機達がスカパ・フローへ向かっていくのを見ていた。
壮観な眺めに彼女は見惚れそうになってしまう。
しかし、そこで何か変な機体が混じっているのに気がついた。
二重反転プロペラで、逆ガル翼で――
マジかよ、とターニャは思わず呟いた。
見た目は若干異なるものの、あれは紛れもなくXTB2Dスカイパイレート――
史実のそれとはたぶん色々と異なるだろうが、史実のペイロードを備えているのならば魚雷を4本も積める
巨大なサイズだが、そんなものを積める空母でも作っているんだろうか?
ターニャはそう思いながら、大隊を率いて潜水艦との合流地点を目指すのだった。