帝国における企業家や投資家達にとって、ヴェルナーとは金山の在り処を教えてくれる案内人のような存在だ。
ヴェルナーの先見の明は彼らからすれば歯ぎしりする程に羨ましいものであり、利益を取られたと悔しがったが、それは最初だけだ。
飛行機に自動車、造船においてヴェルナーはその市場を製品の性能や価格、販売戦略などによらない不公正な方法で独占しようとはしなかった。
飛行機の発明時、彼は誇り高い帝国貴族として、他者の成功を横取りする盗人のようなことはしないと国内外の新聞記者達の前で宣言している。
ライト兄弟の功績は彼らのもの、フォードの自動車による成功は彼の功績とヴェルナーは明言し、自分はただの支援者に過ぎない、という立場もあわせて表明した。
それは一瞬にして全世界に広まり、RFW社への応募が殺到したということがあった。
たとえ功績を上げても、それは資金を出した経営者もしくは会社のものとされてしまうことが多かったという背景がそこにはあった。
カネを出している立場は、それだけ強かった。
他人に功績を取られるくらいならば、と会社には属さず、独自に研究をしていたものの、資金不足で行き詰まってしまっていた発明家や研究者達も多く、ヴェルナーは基本的に彼らを順次、雇用するか、会社へ属するのを嫌った場合は金銭的な援助を行った。
その結果は今日、RFW社が自然科学的な基礎研究部門から自動車や航空機などのエンジン開発・製造部門、自動車や航空機本体の開発・製造部門に加え、造船部門まで幅広い分野を単独でカバーするということに繋がっている。
しかし、それだけであった。
例えば異様に安い価格でもって製品を販売し、他社の製品を市場から締め出すということもできただろうが、それはしなかった。
基本的にRFW社の製品は飛ぶように売れたが、他社の製品が全く売れなくなったというわけではない。
市場における他社のシェアは大きく減少したが、新製品を投入すれば盛り返すことができたのだ。
無論、RFWも新製品を投入し、また他社が新製品を投入するという熾烈な競争に発展したが、それは極々当たり前の現象であった。
RFW社がより厳しい規格策定、部品点数削減、品質の改善や製造工程の見直し、新型工作機械導入やマニュアルの見直しと改善による既存製品の量産体制効率化と高品質化、新製品の開発・量産を成し遂げれば、他社もまたそれに倣って、同じように既存製品の量産効率化と高品質化を成し遂げ、更に新製品を開発して市場へと投入してくる。
それを上回るべくRFW社はさらなる高品質化及び効率化、新製品の開発を目指す――というサイクルが完成していた。
無論、高品質化・量産効率化において前提となる、既存の工作機械は勿論のこと、より精度の高い工作機械の需要も激増し、工作機械を開発・製造する多くのメーカーにとっては笑いが止まらない状況だ。
そして、当然、労働者達にとっても最高の環境だ。
生産体制拡充の為、どこの自動車メーカーも人手不足であり、人員確保のため、給与水準は高かった。
特に研究者や技術者といった専門的な技能を有する者達は、他社に引き抜かれることを防ぐ為に単純労働者よりも極めて高い給料が支払われた。
そして、彼らは高い給料を支払われているが為、仕事帰りに、そして休日に気前良くお金を使い、それらは他業種の景気を良くすることに繋がっていた。
こういった状況から帝国政府は、将来において深刻な労働力不足に直面すると判断し、経済界からの要請もあり、人口増加の為、一定年齢までの医療及び教育無償化、更には税制上の優遇を行うなどの様々な対策を行った。
経済が好調なのに、労働力が足りません、だから経済も駄目になりました、などとは笑い話にもならない。
ましてや、産まれてから成人するまで長い時間が掛かる。
早めに早めに対策をせねば、間に合わなかった。
また経済界から追加の要請があり、将来における労働者の高度化及び専門化の為、教育関連の予算が大きく増加することとなった。
このような状況下でヴェルナーは工作機械、化学工業、冶金工業、石油精製の各分野における複数の会社へ多額の出資をした。
投資家達はすかさずヴェルナーに続いてそれらの会社へ出資し、それは当たった。
出資後、工作機械分野に関しては当然といえば当然で、すぐに利益が出てきたが、後者の分野に関しては1年や2年では利益は出ず、3年目を迎えたあたりから安定した利益を生み出し始め、5年目には多額の利益を投資家達に還元していた。
勿論、これらの分野における出資は継続され、元々大きな額であったのが、さらにその額は増やされた。
工作機械以外の3分野において大きな利益が出た理由としては、RFW社をはじめとする多くの自動車メーカーの競争は時間を経るごとに激化し、自動車の製造台数と販売台数は右肩上がりとなって、原料需要が激増し、さらには新素材の開発を求めてきたことによるものだ。
また、自動車以外にも航空機メーカー(RFW社を含む)による航空機開発・量産競争も激化の一途を辿り、従来素材の需要が大幅に増加し、こちらも航空機に使用する新素材を開発するよう求めたこともある。
そして、造船においても、自動車輸出の為、RFW社をはじめとした多くの造船会社で専用の大型貨物船が作られるなど、需要が急増した。
これらに加え、自動車が帝国国内において多く走り始め、それよりは少ないものの、航空機も当初と比べれば大きくその数を増やし始めていた為、これによりガソリン需要が急激に増加した。
極めつけは、とある帝国の化学メーカー、ゴムメーカーが合成ゴムの開発と量産化に成功したことだ。
国内外問わず、多くの企業がこぞって天然ゴムと比べて品質と価格が安定する合成ゴムを求めた為、莫大な利益を上げることとなり、それによりヴェルナーをはじめとした出資者達へ転がり込んできた利益もまた巨額のものとなった。
こういった実績は、ヴェルナーにくっついていけば確実に大きな利益を上げられる、と投資家達に確信させた。
そして、それは正しかった。
彼は植民地開発と植民地における資源探査・採掘の会社を立ち上げ、他の企業と共同での事業を持ちかけてきたのだ。
植民地における開発や資源探査は気候などの自然条件や劣悪なインフラなどが足を引っ張ったが、そこに利益があるならば行くのが企業である。
多くの企業が参加し、2年程の入念な探査の結果、努力が結実した。
帝国の植民地は、前世におけるフランス戦前の帝政ドイツのものに加えてオランダやベルギーのものが加わった非常に広大なものであったが、その統治は前世のそれよりも優れている。
この世界の帝国においては州となっており、植民地というよりは実質的な海外領土と化している。
原住民達との関係も良好で、彼らも協力的だという。
特にアフリカ、インドネシア、ニューギニアの植民地は生命線と言っても過言ではない。
原油、銅、ウラン、ダイヤモンド、金、ボーキサイト、ニッケル、コバルト、錫やタングステンなどの国家に必要な天然資源の大半がこの3つの地域から産出する為だ。
そして、ヴェルナーが音頭を取って、本格的な探査に乗り出したことで、未発見であった資源が次々と発見された。
これにより、膨大な利益を彼の会社や参加した多くの企業が得ることができた。
パイの独占ではなく共有という信念の下で、ヴェルナーは動いていた。
それは国外における資源探査と採掘においても遺憾なく発揮される。
彼は合州国だけでなく、連合王国、共和国に協商連合との企業とすらも組んで、利益を分け合った。
経済的にも敵視されては最悪の事態を招くため、各国の企業に一枚噛ませることで、反帝国感情を抑え込みに掛かった。
ヴェルナーは国内だけでなく、国外の多くのマスコミとも懇意な関係を構築しており、彼らに反帝国感情を抑え、帝国に対して友好的となるよう記事を書いてもらう。
この時代において、マスコミによる世論操作・情報操作は極めて有効だ。
何しろ、それが正しいかを確認する術を多くの民衆は持たないが為に。
無論、敵対国家によるそういった工作活動だけでなく、諜報活動に対してヴェルナーは政府や軍部までも巻き込み、抜本的な防諜対策に乗り出した。
こちらがやるということは、向こうもやるのは当たり前であったからだ。
なお、これにより政府内や軍内部にいた他国と繋がっていた連中が炙り出されてしまい、世論を刺激しないよう裏で密かに逮捕されるという事態にまで発展した。
国別で見ると、連合王国やルーシー連邦と繋がっていた者がもっとも多く、共和国が3番目であった。
反共で固まっていた筈の軍部ですらも――それも陸海軍の参謀本部と総司令部内で逮捕者が出た――そうであったのは大きな衝撃を与えた。
二度とこのようなことがないように、と情報部の強化が叫ばれ、ヴェルナーがさり気なく提案したことで、陸海軍の情報部や政府が独自に保有していた情報部は統合・再編された上で情報省へと格上げとなり、その権限も大きく強化された上、予算も潤沢となった。
この大きな恩により情報省はヴェルナーに対して頭が上がらなくなってしまうが、彼は私的利用などという重大なリスクを犯すわけもなかった。
むしろ、軍と情報省による相互協力体制の構築をヴェルナーが提案する程で、情報省側は快諾した。
そしてようやく、ヴェルナーは自身がしっくりくる地位に収まった。
1917年、陸軍の航空部門が空軍として独立し、彼は32歳という若さで中将へと昇進した上で、空軍における軍事行政を司る空軍省のトップである空軍大臣に任命された。
異例の昇進であったが、むしろ、彼の功績を考えれば足りないくらいであり、将来の昇進は約束されていた。
ひとまず昇進の代わりにと帝国において最高の勲章とされている黒鷲勲章を皇帝から授与され、世襲貴族として伯爵に叙せられるなどしたが、誰もがこれでは功績に対して報いているとは言えないと確信していた。
もっとも、ヴェルナーからすれば航空機の調達ができるというだけで満足であった。
この時点で既に彼はRFW社に関しては名義だけを貸していた状態だが、一区切りついたとして、正式にフォードにその地位を譲った。
そして、ヴェルナーは早速、前世と同じように空軍における質的な向上を始めた。
さて、ドイツ時代と違って、帝国政府と議会は軍を予算的な意味で敵視しておらず、周辺諸国との関係上、軍に対して気前が良い。
更にドイツよりも広大な国土、それによるドイツよりも多かった人口は政府が打ち出した人口増加政策により元々自然な増加傾向にあったが、より顕著に増加へと転じ、そして何よりも経済の好調は軍にとって追い風だった。
早い話、ヴェルナーが仰天するほど多額の予算が出た。
設立準備の時は仕方がなく多くの予算を出してくれたものだとばかり思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。
だからこそ、彼は大胆に動いた。
現時点での戦力の拡充は最小限に留め、その反面パイロットや整備員などの人員の育成を行いつつ、効率的な教育訓練プログラムの模索と作成、機材の充実、施設の整備に予算を集中させた。
また、実働部隊の管理を司る空軍参謀本部と協議の上で新型機の性能仕様書を決定し、航空機メーカーへと提出した。
勿論、彼は空軍大臣となる遥か前に、色んな航空機のイラストと前世でメーカーから教えてもらっていた問題となる点とその改善策を覚えている限り記載した上でこっそりと渡していた。
レシプロ機からジェット機まで、それらは多種多様だ。
そして更に彼は航空機のエンジンメーカーに対して、信頼性と整備性、そして量産性が高い空冷もしくは液冷のターボチャージャーもしくはスーパーチャージャー付き2000馬力級エンジンと推力1000kg程度のジェットエンジン――それもターボファンエンジン――の開発を依頼し、2000馬力級エンジンに関しては遅くとも10年以内に達成して欲しいとして、多額の補助金を出した。
それ以外にも彼はターボプロップやターボシャフトといったエンジンの開発を遅れても構わないという条件付きで依頼する。
あくまで最優先は2000馬力級エンジンとターボファンエンジンだ、と言及して。
10年以内と提示されたものの、メーカー側は開発完了・量産開始が早ければ早いほど良いということは察している。
帝国どころか、世界中の航空機エンジンの市場を席巻するチャンスを、RFWをはじめとした名だたるメーカーが逃すわけがなかった。
彼らは2000馬力級エンジンとターボファンエンジンの開発に躍起になる。
ターボファンエンジンは既に各メーカーにおいても基礎研究が始まっており、それを後押しした形となった。
それはひとえに、ヴェルナーがターボファン、ターボプロップ、ターボシャフトエンジンがどういった構造をしているか、簡単なイラストと共にタービンブレードの製造が大きな難点となるという注釈付きで各メーカーに空軍設立の数年前に次世代エンジンということで渡していたことにある。
無論、2000馬力級エンジンについても、エンジン馬力の向上は急務だと当時から各メーカーに口を酸っぱくして伝えてあった。
RFWが2000馬力級エンジンやジェットエンジンの開発に取り組んでいる、という魔法の言葉を合わせて伝えると、彼らは対抗心を燃やして、とても真剣に取り組んでくれた。
なお、RFWにおいてはライト兄弟が初飛行を行った直後に、将来的にはエンジンはこんなものになるだろうと彼らとフォードへ前述した様々な航空機のイラストと共にターボプロップ、ターボシャフト、そしてターボファンエンジンのイラストを渡している。
そして自動車部門と航空機部門が軌道にのったあたりから、RFWはこれら次世代エンジンの理論及び基礎研究を細々と始めており、またRFW設立当初からヴェルナーが空冷液冷問わず、エンジン馬力向上は急務であると伝えていたのは確かであり、嘘をついてなどいなかった。
熾烈な競争こそが、技術の進歩と発展に手っ取り早いとヴェルナーは前世で知っていた。
そして、前世との最大の違いは1918年にアーネンエルベを設立したことだ。
前世におけるそれと同じように、ヴェルナーは各軍や政府、そして多くの国内企業を巻き込み、官民軍一体となって次世代における様々な技術の研究開発に努めることとなった。
当然ながら、言い出しっぺのヴェルナーがそのトップに就任した。
アーネンエルベに組み込まれたものには前世に無かったものもある。
それは魔導師が使う演算宝珠をはじめとした、魔導師専用の装備や機材だ。
演算宝珠をはじめとした魔導師に関する装備・機材の開発及び試験、製造を行っているエレニウム工廠もまたアーネンエルベに組み込まれている。
そして、政府と議会の気前良さはアーネンエルベにおいても、遺憾なく発揮された。
こちらもまたヴェルナーがびっくりする程、多額の予算と大きな権限をくれたのだ。
もっとも、政治家達からすれば献金もしてくれている上に、帝国の強靭化に大きく貢献してくれている実績に対する報酬の意味合いもあった。
多額の予算と大きな権限を与えられたことで前世でやったように、しかし、それよりも効率的にヴェルナーはアーネンエルベにおける特に優先すべき部門に人員と資源と予算を集中させた。
無論、優先されていない部門においても、その研究開発に支障はない。
あくまでアーネンエルベにて優先されている部門と比較した場合、投入される人員と資源と予算が劣るという程度であり、一般的な企業と比較した場合は最高の環境であった。
更にヴェルナーは1年や2年程度での短期的な成果と利益は求めなかった。
5年後、10年後、20年後などに収まらず50年後における成果と利益を彼は求めることを設立時に宣言した。
それはアーネンエルベにおける多くの研究者、技術者達にとって、有り難かった。
どうしても短期的な利益を求められるのが一般的な民間企業であり、研究者や技術者達にとって大きなストレスとなる。
だが、そのストレスが無いことは彼らをより意欲的に研究開発に取り組ませることとなった。