ライヒは黄金の時代を迎え、世界に冠たる国家となった――
そう言われるようになったのは、いつの頃からだろうか。
周辺国との関係は相変わらずだが、それ以外は全て順調だ。
20年前とは比べ物にならない、その発展と繁栄はまさしく黄金期を迎えたと言っても過言ではない。
またこの20年で帝国軍は大きな変革を遂げていた。
書類上では統合や再編により、部隊数は減っているが、質という面では飛躍的に向上しており、その戦闘能力は以前とは比べ物にならない。
内線戦略に特化した帝国軍はもはやなく、そこにあったのは――
「どうやったら我々を止められるか? レルゲン少佐、それは簡単なことだ」
作戦立案次長であるルーデルドルフ准将は参謀本部内にある自身の執務室にて、そう答えた。
「ヴェルナー・ドクトリンは地上戦の完成形と言ってもいいが、止め方はある」
ルーデルドルフはそう告げ、一呼吸を置いて、更に言葉を続ける。
「止めるには帝国空軍を上回る航空戦力を用意し、かつ、我々の砲兵軍団を超える火力を用意すればいい。勿論、戦車も性能と数で上回る必要がある」
ルーデルドルフは上機嫌に葉巻を吸う。
「それらを用意できる可能性があるのはルーシーくらいだが、あの国に侵攻するという段階では、もはや連中にマトモな戦力は残っていない。その段階にならなければ、我が軍は国境を超えることはないからだ」
「実質的には不可能と?」
「だろうな。というか、そうでなくては困る……それで、内々にこちらへの異動が決まっているとはいえ……今はまだ人事局の君がわざわざそれを聞きに来たのかね?」
ルーデルドルフの問いかけに、レルゲンは答える。
「先日士官学校で、このドクトリンの阻止方法を言い当てた者がいました」
「幼年士官学校の卒業者か? あそこには君も知っての通り、発案者が作った戦争研究会がある。阻止する方法も議論されるだろう」
「いえ、その、申し上げにくいのですが……孤児院から魔導師として優れた適性がある為、士官学校へと入学した者で……9歳の幼女です」
ルーデルドルフは思わず口に咥えていた葉巻を落としてしまう。
それは運悪く手の上に落ちて、数秒後、彼は悲鳴を上げた。
ルーデルドルフは慌てて手に水をかけて処置を施した後、同期であり戦務参謀次長のゼートゥーアを呼んだ。
彼もまた興味を示し、レルゲンに詳細を尋ねる。
「魔導師に関しては素質の問題もあり、平時においても適性検査は健康診断と共に義務づけられている。しかし、幼女が士官学校へ入学してしまうなど、誰も想定していないだろう」
「誰も止めなかったのか?」
ゼートゥーアの言葉を受け、ルーデルドルフは問いかける。
レルゲンは何とも言えない顔をしながら、告げる。
「本人が志願したようです。おそらくですが、魔導師は徴募される可能性が高いとし、ならば自ら志願した方が選択肢も多いと考えたのでしょう」
ルーデルドルフとゼートゥーアはレルゲンの予想した、ターニャの動機に感心する。
更にレルゲンは言葉を続ける。
「士官学校での振る舞いを見る限りでは、幼女の思考や人格ではありません。幼女の皮を被った化け物のような……」
そう切り出し、レルゲンはルーデルドルフとゼートゥーアの2人に語る。
彼が目撃した幼女――ターニャ・デグレチャフの異常性を。
だが、ルーデルドルフもゼートゥーアも、その程度では驚けなかった。
「レルゲン少佐、私もルーデルドルフも、ルントシュテット元帥の幼年士官学校時代と士官学校時代を知っている……彼は、デグレチャフ候補生程度ではなかった」
「うむ。私も、幼年士官学校時代にヴェルナー・ドクトリンを相談されて、本当に困ったぞ。それこそ参謀本部で行われるような高度な議論をよくしたものだ」
ゼートゥーアとルーデルドルフの言葉にレルゲンは沈黙するしかない。
帝国史上、最年少で元帥位に就いたヴェルナー・フォン・ルントシュテット。
彼は空軍大臣として、設立時から現在に至るまで空軍における最高責任者の地位にある。
帝国の国力そのものを増大させるだけに留まらず、帝国軍の変革にも尽力した生ける伝説ともいうべき人物だ。
レルゲンも実際に会話をしたことはないが、色々と噂を上官達から聞いている。
「デグレチャフ候補生は元帥のように、他者を巻き込み、大きな変革を行うような人物であるかね? もしもそうであって、かつ、それが帝国にとって悪いものであるのなら、対応する必要がある」
ゼートゥーアの問いにレルゲンは首を横に振る。
ターニャの振る舞いは年齢を抜きにすれば、認めたくはないが、軍人として過激ではあるが適切だ。
あの年齢と容姿であり、二号生徒に舐められないようにする為という意味合いでは過激になってしまうというのは理解できなくもない。
「むしろ、有能な軍人であり、魔導師なら積極的に活用すべきではないか? 即応軍に放り込むか?」
「良い案だ」
2人のやり取りに、レルゲンは何も言えない。
ゼートゥーアの言葉通り、ターニャが帝国にとって悪いもの――例えば他国と繋がっているなど――であれば即刻排除すべきだ。
しかし、現状ではそのような証拠はなく、また士官学校入学に際して行われた情報省による身辺調査などでも、全くそういうものはない。
所詮はレルゲンがターニャに抱いた個人的な印象でしかないのだ。
「魔導師は歩兵よりも優れた火力と防御力、速度、展開力を持つ。他の兵科にはできないことをさせるべしというのは中々思い切った決断だが、結果として当たりだった」
ルーデルドルフの言葉にゼートゥーアは頷き、同意する。
輸送機により高高度から魔導師部隊を降下させ、敵軍の重要拠点を叩く。
あるいは潜水艦に乗せれば世界中のあらゆる海から沿岸部を攻撃できる為、その奇襲効果は大きい。
他の兵科とは違い、輸送の際にはスペースをあまり取らないというのは大きな利点だ。
そして、従来の多くの任務――例えば砲弾射撃の観測任務は短距離離着陸機を使うことで多少の手間は増えるが、十分に代用できる。
無論、従来の任務のうち、敵魔導師による地上部隊に対する低空攻撃は戦闘機では対応が難しい場合がある為、依然として魔導師の任務だ。
また近接支援機と並んで、敵地上部隊への攻撃も変わらず魔導師の任務としてあった。
とはいえ、これらの任務において、何よりも重要とされるのは魔導師個々人の技量であり、高性能な演算宝珠をはじめとした優れた装備と機材だ。
演算宝珠などの装備と機材はエレニウム工廠で高性能化が進められ、また全ての魔導師部隊において技量向上が図られており、その訓練は厳しくなる一方だった。
しかし、脱落者は少数であり、多くが厳しい訓練にも関わらず食らいついていた。
「そういえば小耳に挟んだ程度であるが、協商連合の新しい政権は領土問題の解決を叫んでいるらしいな」
ルーデルドルフの言葉にゼートゥーアが告げる。
「流石にいきなり軍事的解決はせんだろう。そんな馬鹿な真似を仕出かしたら、あの国の経済界が政府の敵に回る」
協商連合は貿易上、良い取引先だ。
帝国の主要な輸出先の一つであり、彼の国からは鉄鉱石や木材、魚介類などを帝国は多く輸入している。
帝国内での消費が――特に鉄鉱石――多いこともあり、輸出国である協商連合は経済的に好調だ。
無論、共和国や連合王国、ルーシー連邦とすらも貿易上は良い関係を構築している。
そして、合州国は帝国の最大の取引先であり、少なくとも彼の国の経済界とは友好的な関係を構築しているとゼートゥーアは見ていた。
ここ最近、議会において勢力を着実に拡大し、無視できない規模となった帝国国民党の党首であるヒトラーが外交をはじめとした幅広い分野で様々な提言を行っている。
彼の提言がそのまま政策に反映されることも珍しいことではない。
情熱と知識を兼ね備えた、若いながらも優秀な政治家だとゼートゥーアとしては思っている。
「まあ、もしも協商連合がやってきたとしても……可哀相なことになるだろう」
ルーデルドルフはそう確信している。
地形と気候が悪すぎるが、協商連合の兵力は少ない。
裏から他国がほぼ確実に協商連合を支援するだろうが、それでもなお協商連合に勝ち目はない。
無論、最悪として、周辺国が直接介入をしてくるというものもあるが、その場合においても対処できるよう政府と軍では常々協議の場を開き、幾つもの計画が用意されている。
政府と軍が想定しているもっとも最悪なシナリオは、連鎖的に列強が敵に回ってしまい、実質世界を全て敵に回して戦うというものだ。
その場合は共和国、連合王国、協商連合という順番で倒しつつ、膨大なルーシー連邦軍を阻止し続け、攻め寄せる連邦軍がいなくなったら夏を待って進軍開始というシナリオだ。
ダキアに関しては国軍が控えめに言って、数十年程時間が停止したままなので、大して考慮はされていない。
さすがにそのまま攻め込んでくることはないだろう、ということで基本的には緩衝国として考えられている。
ダキアには他の列強がテコ入れした様子も特にはない。
故にもしも宣戦布告してきたら、ダキアを迅速に片付けて、南方及び黒海から連邦に圧力を掛けるとされていた。
「蓋を開けてみなければ分からんが、とりあえず警戒だけはしておくか」
ゼートゥーアの言葉にルーデルドルフもまた頷いた。
レルゲンとしても、そこに異論など挟みよう筈もなかった。