楽園は
楽園は
私は弱くて、臆病だ。
側に誰かが居ないと立ち上がれない。
遠い痛みは色褪せず、今もこの身を苛んでいる。
かつての
だけどそれで満たされるなら。
けれどそれで救われるのなら。
私はそれで構わない。
求めるは温もり。
望むは永遠。
蛆と瘴気の
昔日の炎に怯えながら。
嗚呼、楽園は
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一歩踏むたびに泥が跳ねる。昨日から降った雨はかなりの量で、時折水溜りを避けながら天元達は鬼と思わしき足跡を辿る。
誰もいない通りを、舞う水飛沫を厭わず汚れながらも走る天元はふと疑念が浮かんだ。
__……えらく順調だな。
緩い、と感じる。
天元は足は止めず、跡を辿ることはやめないが思考を割くのはこのなんとも言えない不信感についてだった。
今回の鬼は恐らく隊士五人を下した技量を持っている。それは不意打ちか、正面からかは分からないが何れにせよそう簡単に討ち取れる相手ではないだろう。
__俺が無知だったのはまあいいだろう。だが、鬼が自身の足跡をそう軽々と残していくか?
あるいはそこらの頭の回らない野良鬼ならばここまで引っかかることは無かった。
だが天元はどうにも不安が拭えない。
__良くねえ気配だ。
天元は自分を評すならばそこそこ『やる』方だと思っている。
忍として培った様々な技能、甲隊士という事実を踏まえての戦闘能力はかなりのものだと自負している。
もっと言えば殺すよりも【生き残る】戦いこそ天元の得意とするところだった。
即ち継戦能力。
【派手】こそ信条にあるが博打はしない。冷静に戦況を見極め、その時々の最善手を打つ。
そんな自分が今は浮ついている。気分がではない、その場がである。地面の感触が酷く頼りなく、腹の内がぐるぐると回っている感覚。
__柱が側にいても安心できん。こいつは不味い。
誘われている、と直感する。
足取りは重く、心がざわつく。
__どうにも釈然としねえ…目標は定まったが、全体像がぼやけている。
ちらと背後を見ると景寿郎が追走している。
「どうかしたか?」
「いや……何でもねえよ」
その目に不安の色は無く、泰然自若というよりは何も知らない童のようにぼうっとしている、風に見える。
__甲の俺が気づいたんだ、柱の此奴が察していないわけがないんだが…
どういうわけか景寿郎は何も言わない、ただ今もこうして自身に随行するだけで特別口を挟むことは無い。
その従順さに気味が悪いと思うのは穿ち過ぎなのだろうか、と天元は思う。
__万華鏡のような男だな。
見方によって如何様にも姿を変える、不安定でどこか心を揺さぶられる。
__正直なところ、そう此奴に悪感情があるわけじゃない。寧ろ俺個人としては面白い奴だと思う。
だがやはり信頼することは出来ない。
景寿郎への……というよりは単純な疑念、疑問の類い。
__今更何をと思わんでもないが……理屈に合わないことがあった。何故鬼が昨日現れないと知っていた?
『私の予想が正しければ、今日はもう出ない』
昨日、宿で景寿郎はそう言った。
__何故そんなことが分かる?雨を嫌う習性なぞ鬼には無い。ならば個人として目的の鬼が雨を避ける…あるいは獲物がかからないから大人しくしていた?
思考は止まらない。
__例えそうだとしてもやはり何故そのことを炎柱が知っているのか。現地に到着したのは俺の方が早いはずだ。
『此処に向かう途中、急な任務が入った。連絡を怠ったことは謝ろう』
__それは、本当のことか?
__そもそもが此奴を見定めるようにお館様から指示を受けているんだが…
またぞろ造反者の始末や調査だと考えて深く内容を聞くことはなかったが、見定めるとははたして何を指す言葉だったのだろうか。
__真面目、腕は確か、会話は下手。
心中で印象を羅列する、けれどもそれだけ。宇髄天元が煉獄景寿郎について知っていることはあまりにも少ない。
__頼りない。情報と事実を踏まえてもなお存在がぼやけている。
だが口には出さない、決定的な何かがない限りは動かない。
__命をかけた場で仲間を疑い、ましてや問い詰めるなんざ最低だ。
だが正体不明の鬼よりも正体不明の味方の方が何よりも怖いものだと天元は知っている。
__いや、だからこそ。
「炎柱様……いや、煉獄…ってのも彼奴と被るから景寿郎さんよ」
前を向いたまま天元は景寿郎へ話しかける。口調は軽いが天元はじっとりと嫌な汗が流れるのが分かった。
「どうした?」
「なんだろうなぁ……この場合は」
歩みは止めず、警戒を続けながら天元は言葉を吐く。
「任せた、ってのが正しいのか?俺は…あんたのことを驚くほどに知らないんだ」
「此度が初対面だから当然では?」
「おう、当たり前だわな。だから、事実として……僅かばかりの関わりすらも排除して、知っているのはあんたが『柱』ってことだけだ」
二人は進む、死地へと、そこに居るはずの鬼へと向かう。
「だから……任せた。間違ってたらそん時は俺が馬鹿だっただけだ」
「……要領を得ない」
天元はそこで一息して、言葉を吐く。それは己を騙すためか、あるいは真実そう思っているのか。
どうであれ、やることは変わらない。
ならばこそ天元は覚悟を決める、その後はもう迷わない。
__うじうじと、俺らしくもない。いつもどおり、不敵に大胆に『笑えよ』派手こそ俺の信条だろう?
言葉は明確に、思いは明瞭に。祈るように天元は景寿郎へ言う。
「あんたの『腕』は信用してる、頼りにしてるぜ景寿郎」
「……ああ、任された」
返す声は平坦、けれどもそれが不思議と心地よく、呵々と天元は笑った。
__とりあえず一旦は全て忘れる。全部問いただすのは鬼を斃してからでも遅くはねえ。
それは恐らく与えられた役割としては正しくは無いのだろう、だが今だけは己の心に、魂に従って動く。
任務の不可解さも、景寿郎への不信感も、お館様の言い付けも捨てただ信ずるまま直感で動く。
__生きるか死ぬかの戦いの中で悩むのが一番阿呆らしい、結局のところ俺が『まとも』であればいいのさ。
「博打だな……滅多にないことだが、久々に打つとしようや」
怪訝そうな気配を背後から感じるが天元はそれを無視して歩を進めた。
#
やがて行き着いたのは道は細くなり二人並んで歩くのがやっとという有様の小道の先、中央の市場からから離れ、閑散とした長屋の連なる路地だった。
「近いな……間違いなくここらに居るぞ」
天元は背負っていた日輪刀をもう既に抜いていた。
油断なくじりじりと摺り足で進み、どこから襲われても対応できるように重心を下に、どっしりと構えている。
足元の泥が重い。
「…分かるのか?」
その少し後ろを歩く景寿郎は抜いてはいない、が柄に手はかけている。
「経験でな……妙な空気がしやがる。肌がひりつくような、そんな感じだ」
__逆にあんたは分からないのか?この気味が悪いほどの静けさと停滞した空気の淀み…確実に居るだろうよ。
粘つくような、此方を探る気配を感じる。刺すような視線をどこからか_否、どこからでも感じる。
__鬼は複数……にしては。
前へ向き直り、すん、と鼻を鳴らし口元を歪める。天元は今一度刀を強く握りしめた。
__視線は複数、されど気配は一つ。……まず、間違いなく血鬼術。それに加えて微かに腐臭がしやがる。
恐らくは被害者のものだろうとあたりをつける。
__処理が杜撰なのか、特定の部位しか喰わん偏食家か。なんにせよ露骨に匂わせるじゃねえか、おい。
奥に進むにつれ腐臭は酷くなっていき次第に景寿郎も気がついたようだ。
「………酷いな」
「遅えよ。しかし、こいつは中々の歓迎じゃないか」
嗤おうとして、やめた。
気づくと童が路地に立っている。
天元と景寿郎からは少し離れているが間違いなく人であること、子供であることは視認できる。
「………なんだと?」
強烈な腐臭を放つその童を睨みつけるのは天元。視線はどこかおぼつかず目の前の存在を捉えかねている。
「………」
景寿郎も童を見る、そして一目で状態を把握した。ソレは誰がどう見ても分かるくらいに腐っていた。
「あ、ぞ、ぼ」
その声は何かが軋むような、聞くに耐えないものだった。
「あ、ぞ、ぼ」
ゆったりと一歩ずつ天元達の元へ近寄ってくる。
ぼとり。
ぼとり。
ぼとり。
「あ、ぞ、ぼう」
その度に体から【蛆】が落ちる。眼は白濁し肌は青白く所々から肉が、蛆が、ちらちらと見える。
「どういうことだ?何が起こってやがる……宿屋の主人から人相と風体は聞いている、アレは文太だ」
__通常、人体があそこまで腐って生きているとは考え辛い。血鬼術、だとは思うが……どうすりゃいいんだ?
天元は困惑していた、その予想外の展開に行動を逡巡する。
だが景寿郎には関係がなかった。
柱は、なにより景寿郎という存在はどだいその程度では揺るがない。
抜刀し、踏み込んで距離を詰める。場所が狭い故、刃は横にし喉を突く、そしてそのまま右に引いた。
「あ、あ」
ぐらり、と千切れかけた頸を日輪刀の柄で小突き文太__文太だったモノの頭部を落とした。
その傷口から血は出ない。
文太の死体はそれから数秒びくびくと痙攣していたがやがて動かなくなった。
「人の頸は、鬼と比べると柔いな」
刀の腹を見つめながら景寿郎がぽつりと呟やく、その一連の流れを天元は呆然と見ていた。
__速い、判断と動作の速度が尋常じゃない。
人を切る、そのことに対する忌避感は天元の中には無い。その経歴ゆえに刃傷沙汰も当然のようにあった天元は行為そのものには慣れている。
だが流石に年端もいかない子供を切った経験はない。
そして明らかに死んでいる文太が動いているという状況に飲まれた、とはいえ時間にしては一瞬の出来事である。
__その僅かな間に切るという判断を下し、なおかつ冷静に頸を狙う。並大抵の胆力じゃ無理だ。
通常の状況下であれば天元もこうはならなかったであろう。だが、この異様な事態のため行動を躊躇い、あまつさえ景寿郎の動きに呆けてしまった。
__だいたい…初めてじゃないのか?
「何ともないのか?」
天元は景寿郎の元へ近寄り、文太の死体へとしゃがみこみ口を開く。首への切り口は鮮やかで、躊躇いもせずに刃を振るったことが伺える。
「何とも、か。初めて人を切った故、加減が分からなかった…あそこまで力む必要はないし呼吸も要らん。刃は……欠けていないが無駄な動作が多い、精進せねばなるまい」
「いやそうじゃ無くてな……まあいいわ…っ!」
一息つき、立ち上がる天元がソレに気づけたのは奇跡だと言ってよかった。
瞬間、景寿郎と天元は跳んだ。
と、同時に地中より刃が生える。
それは経験か直感か、いずれにせよ己の命を確実に奪い去るであろう一手だと感じた二人は間一髪その斬撃を避ける。
咄嗟に避けた剣山は、刃は緋色に薄水色に怪しく光っている。
大きく飛び着地の瞬間に泥が盛大に跳ねる。素早く次に備えて日輪刀を構え直す景寿郎に対し、天元は顔に付いた汚れを厭わず【地中】より現れた刀の主へ愚痴る。
「人形遊びにしちゃあ、趣味が悪いな」
あれなるは色変わりの刀、日輪刀。
ならば当然使い手は【彼等】だろう。
刃は蠢き、泥をかき混ぜ、ゆっくりと地中より這い出でる。
やがて表すは鬼の如き亡者、破け綻び腐れ落ちてもなお、その姿には見覚えがある。
それは当然だ、なぜなら自分達もまた彼等と同じくその隊服をもってして鬼殺へと挑むのだから。
__どうして気がつかなかった。いくらでも答えに辿り着く要素はあっただろ。
動く死体。
あたりに立ち込める強烈な腐乱臭。
気配はひとつ、視線は複数。
未だ仲間の死体は見つかっていない。
__だとしても。あれは、あんまりだ。
天元は対峙するソレに対して思わず同情した。
「おぉおおん、おぉおおん」
声、のようなあるいは何かの壊れた楽器のような音をその【縫われた】口から発している。縫い口は乱雑でぼろぼろと蛆や蝿が時折湧く。
「おぉおおん、おぉおおん」
ソレは奇形だった。
辛うじて隊服だとわかる襤褸を身に纏い、半ばで切断された右腕には【埋め込まれた】日輪刀の刃が、極端に長い左腕には口と同様に雑に手の甲に縫われた日輪刀がぷらぷらと揺れている。
「おぉおおん、うぉおおぉおん」
額に刺さる折れた二本の刃、右腰に差した日輪刀と合わせて計五振り。
「……見るに耐えん」
景寿郎も気付いた、アレが何なのか、どうすればそうなるのか。
頭部は女だろう、乱れた長髪が痛々しい。
体は、もはや継ぎ接ぎで誰が大元かも分からない。
「死体を操る血鬼術か」
かつての仲間は、醜悪な化物へと成り果てた。
ここまで期間が空いたのは宇髄回に関してはわりと見切り発車で書き始めたので話をどうまとめるかをずっと考えていました。
一応自分の中で山は越えたと思うのでこれからは週一ペースに戻れたらいいなあと。
あと最後に出た鬼……というか隊士の亡者ですが想像しづらいと思うのでイラストにしてみました、文章以上に自信が無いのでイメージを壊したくないという方は見ないことをおすすめします。
【挿絵表示】