鈴木勝が美しいだけの文学

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第1話

 朝と言うにはあまりに外の暗い時刻に、蟻地獄から吐き出されたような違和感を持って目覚めた。何か夢を見ていた気がするが、記憶を想起するほどに霧が晴れるように四方に散り、溶けてしまう。このごろは毎日こんな朝を迎えている。零した涙を拾い集めて眼の中に戻すようなどうしようもない悪足掻きをする朝を。そうして結局は、良い夢か悪い夢かも思い出せないのだ。

 始発電車の鈍い振動が曇った音とともに私を宅ごと揺らす。その人口地震に微かに揺蕩され徐々に冴え始めた私の脳には然し、この日も創作の芽が萌すことはなかった。

 処女作がとある文学賞を受賞してから三年が経った。今日の文芸界には珍しい耽美派の純文学はそれなりに話題になったが、その後発表したものはどれも黒煙の立ち昇る消し炭の塊のような駄作だった。小説などはあちらから現れるものだと唾を吐きかけ胡座をかいて待っていた創作の種の発芽の時を、今は涙を注ぎ表土を舐める思いで待っている。

 死神に大鎌で背中を突かれながら焦燥するこの日々が夢であったならばと絶望する哀れな蝶が白黒の世界で目覚めたのは、二度の食事と三度の自慰で終わった今日を嘆き泣き疲れて瞼を閉じた刹那のことだった。

 白黒の世界には物がない。空気を感じることもないが、呼吸は確かに出来ている。二色にハッキリと分断された地はどこまでも続いているようで、箱の中にいるような窮屈さも覚える。喧しい静寂が私の耳を劈く。

 白黒の世界にあるのは、ただ二人の人間のみであった。黒の領地には少年、白の領地には少女が立っており、私を眺めていた。

「絶望があれば希望もある。今日もお前は絶望の果てから逃避して来たね」

 少年が言った。琥珀のような大きな瞳に見つめられ、私はだらしなく口を開けたまま立ち尽くしていた。中性的で整った童顔やハーフ・パンツの下の僅かに赤みを帯びた膝小僧には似付かぬ飄々とした雰囲気を纏う少年の身体からは、感じることのない風に運ばれて瑞々しい香が私の鼻を撫でる。

「世界は相対で出来ているの。陰と陽、男と女、白と黒。そして絶望が強ければ希望も強くなる。絶対値はいつだって等しいの。そうでしょう?」

 今度は少女が言った。黒の少年を鏡に映したような顔立ちや体格に、一本一本が繊維の如く煌めく長い髪や、えも言われぬ神々しさを備えていた。矢張り少女から放たれる爽やかな匂いは私を快感で縛り上げる。

「君たちは一体何者なんだ。私は今まで生きて来て、君たちのような美しい少年少女を見たことがない」

「俺は哀れな盟友の監視を愉しんでいるだけさ。そしてお前らの抑止力でもあるわけだ」

「私はきっと君たちに巡り合うため今日まで辛酸を舐めて生きて来たに違いない。たった今私の情熱の燃ゆる心に、不能だと思っていたアイディアの種が芽ぐむばかりか大輪を咲かせたのだ! ああ、私はまた絢爛なあの世界へと不死鳥の如く舞い戻ってやるのだ!」

「それは無理なのよ。あなたは絶望に鼻先を擽られて目覚めれば私たちのことを忘れているの。だって人生の禍福は必ず天秤を釣り合わせるのだから」

「いいや、きっと私は書いてみせる。君たちの美しさに身も心も服従する哀れな男の物語を!」

「残念ながら、叶わない。お前の夢は貘が喰ってしまうのさ。然しお前の内に眠る本能は俺たちを、俺たちに逢う快楽を覚えている。だからお前は死神に大鎌で背中を突かれながら焦燥する日々の中でも、始発電車に飛び込めないし首を吊ることも叶わない」

「さ、もうすぐ絶対値が揃うわ。快楽の奴隷よ、哀れな蝶よ、目覚めなさい。最後に瞼にキスをしてあげる」

 

 

 

 朝と言うにはあまりに外の暗い時刻に、蟻地獄から吐き出されたような違和感を持って目覚めた。何か夢を見ていた気がするが、記憶を想起するほどに霧が晴れるように四方に散り、溶けてしまう。このごろは毎日こんな朝を迎えている。零した涙を拾い集めて眼の中に戻すようなどうしようもない悪足掻きをする朝を。そうして結局は、良い夢か悪い夢かも思い出せないのだ。



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