ようこそ人間讃歌の楽園へ   作:gigantus

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彼は強か少女と出会う。

 

 

 

 人間は愚かしい。

 ある者は私欲のために他者を足蹴にし、他者の不幸に悦を感じる。

 ある者は他者を傷つけることに悦を感じ、理由無く人を傷つける。

 ある者は資質が備わっていながらそれを腐らせ、他人の脚を引くことに精を出す。

 差別、貧困、理由無く虐げられる弱者。

 ふと周りを見回してみるだけでも、世の中には理不尽と呼べる不幸に溢れている。

 無意味に迫害され、無意味に殺される人間。

 そして、それを何の罪の意識も抱かずにやってのけるのもまた人間だ。

 あぁ、諸皆総じて愚かしい。

 だがこうも思う。

 

 それこそが人間本来の姿なのだろう、と。

 

 善と悪、至極単純な二元論で語るならば、人は容易く悪へと流れる。

 なぜならば、そのほうが生きることが簡単であり、そして快楽を得やすいからだ。

 欲に溺れ、己のためだけに生きることがどれほど容易いか。

 そして、個々の欲が一つのコミュニティを覆い尽くせばどれほどの混沌が訪れるのか。

 それは歴史が指し示す通りだ。

 

 嘗て眠れる獅子と呼ばれていた大国は、別国より齎された()()()()()によって無残に堕落させられた。

 

 ただ手を伸ばせば簡単に手に入る快楽に、人は心底溺れやすい。

 そしてその欲は加速し、伝播し、ついには国一つを崩壊させるに至った。

 人の欲とはそういうものだ。

 だからこそ、世界は禁忌の果実を厳重に管理し、ある国では禁じる方向へと進んだ。

 つまり果実を喰らうことは悪だと定めたのだ。

 そうしなければ人は容易く果実に溺れると分かっていたからだ。

 

 果実だけでなく、世の中には社会や法で悪だと定められたものは数知れず存在する。

 なぜならば、そうしなければ人は簡単に目先の蜜へと手を染めるからだ。

 手の届く範囲に蜜があれば、人はその味を覚え、そしてさらなる蜜を求めてやまない。

 悪だと定められた概念は総じて、定めなければ社会というコミュニティが崩壊する可能性を孕んでいる。

 

 だが逆説的に言えば、そうしなければ人は善の道を歩こうとは思わない生物だということでもある。

 

 悪を悪であると、手を染めてはならぬことだと誰しもが口を揃えて言うだろう。

 しかし何故それが悪であるかを語ることの出来る者はそう多くない。

 社会が、法がそれを許さないからだ。というのは実に陳腐な理由だ。

 果実を喰らえば肉体に影響を及ぼし、生活を営むのが困難になる。

 他者を傷つければ法で裁かれる。

 

 だがそれがどうした? 

 

 赤の他人が悪に手を染めたところで、所詮は他人事だ。

 己の生活が脅かされなければ、人は他者に対して無関心でいられるはずだ。

 己がただ欲望を満たすことが出来るのならば、人は他者に対して気を配ることはないはずだ。

 

 では何故人は悪と呼ばれる行為を憎み、忌避するのか

 

 それは、己の生活が脅かされることを恐怖しているからだ。

 加えて言うならば、己が善行に甘んじている最中に他者が悪へと傾くことが許せないからだ。

 

 つまりは恐怖、そして不平等という感情だ。

 

 しかしこれはなんら可笑しなことではない。

 何故なら人間は、実のところ許されるならば悪へと染まりたい生き物なのだから。

 無論、生まれながらにして善であり、悪の誘惑になど屈しないという人間もいるだろうが……

 

 

 ともかく、人間は突き詰めていけば利己的であり、そして傲慢な生き物だ。

 

 

 醜いだろう。愚かしいだろう。

 だがそれこそ本来の姿なのだ。

 今更このようなことを議論するなど茶番と言わざるをえない。

 人間は所詮こうだ。と定義して悦に浸り、世界の真理を知った気になって高みから見下ろすなど実に詰まらない生き方だ。

 

 

 

 だから僕は違う生き方を探した。

 

 

 

 人間が醜く、愚かしいということは分かった。

 では、その定義は果たして全人類にそのまま当てはまるのだろうか。

 先に挙げた例外のように、決して悪へと傾かない人間がいるように、世に蔓延る理不尽に立ち向かう人間もいるのではないだろうか。

 友のため、家族のため、身を捨ててでも悪に立ち向かう心。

 恐怖に屈さず立つ信念。

 勇気、覚悟、そういったものを抱いて生きている人間もいるのではないだろうか。

 

 

 嗚呼、それはなんと強く美しいのだろうか。

 

 

 石くれの中にも宝石は眠っている。

 そう考えれば、人間はとても素晴らしい生き物ではないか。

 生まれながらにして光り輝く宝石もあろうが、例え石くれであったとしても磨き上げれば太陽のごとき輝を放つ宝石となる原石もあるだろう。

 

 

 探してみよう。

 求めてみよう。

 

 光り輝く宝石を、可能性を秘めた原石を。

 

 

 嗚呼、素晴らしきかな人類よ。

 

 

 

 

 

 

 僕は、黛柚椰(まゆずみゆうや)は人間を愛している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 4月。黛柚椰はバスに揺られていた。

 窓から見えるのは満開に咲いた桜並木。

 この地域の桜は今日が満開の日らしい。

 新たな門出の日である今日に丁度満開の桜を見るとは中々どうして縁起が良いと彼は風情を楽しんでいた。

 バスの中は混雑しており、吊革に掴まっているサラリーマンやOLがバスの揺れに少し足元をふらつかせている。

 座席は当然全て埋まっており、さらには吊革も全て使われている状態だ。

 吊革にすら掴まれない乗客も当然いるわけで、特に彼の視線の先にいた老婆は今にも転んでしまいそうなほどに足元が覚束ない。

 

「(朝のこの時間帯なら混んでも仕方ないな……)」

 

 老婆に対して若干同情するも、時間帯を踏まえれば今の状況も仕方のないことだと彼は割り切っていた。

 席に座っている他の乗客も、老婆の存在に気づいてはいるものの束の間の安息を手放したくはないのか席を譲る気配は無かった。

 しかしそんな静寂はすぐに破られることになる。

 

「席を譲ってあげようって思わないの?」

 

 そう声を発したのはスーツに身を包んだOL。

 老婆の横に立っているその女性に声をかけられたのは優先席に座っている一人の若者だった。

 ドッカリと腰を下ろしている体格の良い金髪の男。

 優先席、体格がいい、若者。

 その要素は標的になるのも止む無しだろう。

 

「(若いから、体格がいいから席を譲れ。どうせ立っていても平気だろう、ということだろうか)」

 

 柚椰は冷静に状況を分析していた。

 恐らくだが女性はこう思ったのだろう。

「若いんだから立っているべきだ」

「年寄りには席を譲るべきだ」

「体格がいいんだからバスに揺られても平気だ」と。

 

「(実に傲慢。年配者がいたから声をかけるに至っただけで内心はずっと思っていたのだろう。それこそ席に座っている学生全てに)」

 

 柚椰は冷めた目で事の成り行きを見守っていた。

 

 

 

 

「そこの君、お婆さんが困っているのが見えないの?」

 

 女性の声はよく通り、乗客たちの視線が一斉に集まっていた。

 

「実にクレイジーな質問だね、レディー」

 

 少年は無視、あるいは女性の言うことに素直に従うかと思われたが、実際はそのどちらでもなくニヤリと笑いながら足を組みなおした。

 

「何故この私が、老婆に席を譲らなければならないんだい? どこにも理由はないが」

 

「君が座ってる席は優先席よ。お年寄りに席を譲るのは当然でしょう?」

 

「理解できないね。優先席はあくまで優先席であって法的な義務はどこにも存在しない。この席を譲るか否か。それは今現在この席を有している私が判断することなのだよ。若者だから席を譲る? 実にナンセンスな考え方だ」

 

「(確かに。年寄りだから譲るべきだというのは一見正しいようでいて、実際は破綻した理論だ)」

 

 確かに若者と年寄りは世間一般的な認識で言えば、体力のある者と体力の無い者だ。

 であるが故に、若者が年寄りに席を譲るというのは正しい理論に聞こえる。

 しかし、それはあくまでセオリー、よくある場合に限った話だ。

 例えば、あの金髪の少年は確かに体格が良いが、それはあくまで生まれつきのもので、もしかしたら重度の疾患を患っているという可能性もある。

 あるいは今彼は貧血で座らざるを得ない状況にあるかもしれない。

 そういった可能性は今この時点では僅かながら存在するのだ。

 少年の堂々とした口ぶりはあくまで強がりであり、本当は身体の苦痛に今尚苦しんでいるかもしれない。

 そういった可能性に頭を巡らせるだけの知性が女性にはないように見受けられる。

 

「(尤も、()()限りアレはそういうタイプではないようだが……)」

 

 しかし、今の可能性はあの少年には当てはまることはないと柚椰は確信していた。

 

 

 

 

「私は健全な若者だ。確かに立つことに何の不自由も感じない。しかし、座っているときよりも体力を消耗することは明らかだ。意味も無く無益なことをするつもりにはなれないねぇ。それとも、チップを恵んでくれるとでも言うのかな?」

 

「そ、それが目上の人に対する態度!?」

 

「目上? 君や老婆が私よりも長い人生を送っていることは一目瞭然だ。そこに疑問を挟む余地も無い。だが、目上とは立場が上の人間を指して用いる言葉だ。それに君にも問題がある。歳の差があるとしても生意気極まりない実にふてぶてしい態度ではないかな?」

 

「なっ……! あなたは高校生でしょう!? 大人の言うことを素直に聞きなさい!」

 

「も、もういいですから……」

 

 OLはムキになっていたが、老婆はこれ以上騒ぎを大きくしたくないようで、手振りでOLを宥めていたが、当の彼女は怒り心頭といった様子で落ち着くことはない。

 

「(社会的義憤から個人的な怒りへと変わった。この時点で女性の行為は全てがエゴ。善意の皮を被ったただの押し付けに成り下がった)」

 

 OLの態度、声のボリューム、息の荒さ。

 それらを見た柚椰は、既にこれは彼女の行為が善行ではなくなっていると判断した。

 尚一層冷たい眼差しを、彼女を取り巻く周囲から彼女一人へと絞った。

 

 

「どうやら君よりも老婆の方が物分りがいいようだ。いやはや、まだまだ日本社会も捨てたものではないな。老婆よ、残りの余生を存分に謳歌するといい」

 

 少年はそう締めくくるとイヤホンを耳に入れ、爆音で音楽を聴き始めた。

 その光景にOLは悔しそうに歯を噛み締める。

 年下に言いくるめられた上、偉そうな態度は心底癪に障るだろう。

 それでも言い返さなかったのは、少年の言い分に納得せざるを得なかったからだ。

 少年の弁に対抗することはできなかった。

 

「すみません……」

 

 女性は必死に涙をこらえ、老婆に対して小さく謝罪していた。

 強引に話は終息したものの、バスの車内の空気は最悪と言っていい。

 立っている乗客は皆視線を他所へとそらし、席に座っている乗客も巻き込まれたくないといった様子で皆俯くか窓の外を見ていた。

 

「あの、私もお姉さんの言うとおりだと思うな」

 

 そんな空気の中、また一人、先の少年に声をかける者がいた。

 先ほどのOLとは違い、今度は少女、そして見る限り学生。

 柚椰と少年と同じ高校の生徒だ。

 

「今度はプリティーガールか。どうやら今日の私は思いの外女性運があるらしい」

 

「お婆さん、さっきからずっと辛そうにしているみたいなの。席を譲ってあげてもらえないかな? その、余計なお世話かもしれないけど、社会貢献にもなると思うの」

 

「社会貢献、か。中々面白い意見だ。確かにお年寄りに席を譲ることは、社会貢献の一環かもしれない。しかし残念だが私は社会貢献に全く興味が無い。私はただ私が満足であるならばそれでいい。それともう一つ。このように混雑した車内で優先席に座っている私を槍玉に挙げているが、他にも我関せずと座り込み沈黙を貫いている者は放っておいていいのかい? お年寄りを慮る心があるのなら、そこには優先席か否かは瑣末な問題でしかないと思うのだがね」

 

 少年の言葉はどこまでも傲慢で、けれどどこまでも正しかった。

 少女の優しい語りかけにも耳を貸すことは無い。

 横で聞いていたOLも老婆も言いかえす言葉は無いようだった。

 

「皆さん、少しだけ私の話を聞いてください。どなたかこのお婆さんに席を譲っていただけないでしょうか? 誰でもいいんです、お願いします」

 

 しかし、少年に立ち向かった少女はまだ挫けてなどいなかった。

 この一言を搾り出すのに、いったいどれほどの勇気と覚悟が必要だっただろうか。

 この発言で、少女は周囲の顰蹙を買い、鬱陶しいと思われることも止む無しだっただろう。

 けれど少女は一切躊躇うことなく言ってのけたのだ。

 

「(嗚呼、美しい……)」

 

 先ほどからずっと見守っていた柚椰は少女の言葉に、その姿に心を打たれた。

 周囲の悪意を買うことを恐れず、ただ目の前の弱者のために手を差し伸べんとする姿。

 己に向けられる悪評よりも、ただ目の前のか弱き老人のために奮闘するその姿。

 それは柚椰が求めて止まない人間の美しさそのものだった。

 

「(良い。何はともあれ気に入った)」

 

 柚椰に最早迷う余地など無かった。

 

 

「うん、いいよ。お婆さん、どうぞ座ってください」

 

 柚椰はスッと立ち上がり、通路に立った。

 幸い彼が座っていたのは件の問答が行われていた優先席から程近く、さらに通路側の座席であったため、席を譲るにはなんの障害もなかった。

 かけられた言葉と、席を空けた柚椰の姿を目にすると少女の表情はみるみる内に喜色へ染まった。

 

「あ、ありがとうございますっ!」

 

 少女は満面の笑みで頭を下げると、空けられた座席に老婆を誘導した。

 そして二人が柚椰の前までやってくると、彼はニコリと笑った。

 

「いいよ。寧ろすぐに譲れなくて悪かったね。中々声かけるタイミングが掴めなくて。いらない手間をかけさせてしまった」

 

「う、ううん! 私は全然!」

 

 少女はまさか謝られるとは思っていなかったのかびっくりと言った顔で顔の前で手をブンブンと振っていた。

 そんな少女を横目に、柚椰は今度は少し腰を屈めると老婆と目をしっかりと合わせた。

 

「お婆さんもずっと立たせてしまってすみません。俺はもうすぐ降りるので、ゆっくり座っていてください」

 

「ありがとうねぇ……(あん)ちゃんほんとにありがとうねぇ」

 

 優しい言葉をかけられた老婆は少し涙声で何度も何度も感謝の言葉を述べていた。

 老婆からの感謝の言葉を聞くと、柚椰はカラッとした笑顔で頷いた。

 

「どういたしまして。それと──」

 

 柚椰は少女と共に老婆を席に誘導し終えると、先ほど二人がいた優先席のほうへ歩いていった。

 彼の向かう先にいたのは、先ほど少年と言い争っていたOLだった。

 

「お姉さんも、すぐ名乗り出なくてすみません。嫌な役回りをさせて申し訳ありませんでした」

 

「え、いや、別に......そんな謝られることでも」

 

 いきなり謝られたことに女性は戸惑っていた。

 まさか自分にも謝罪の言葉を述べに来るとは思わなかったのだろう。

 先ほどの少年に言い負かされたからか、未だその瞳にはうっすらと涙が残っていた。

 女性の涙を見ると、柚椰は上着のポケットからある物を取り出した。

 

「お姉さんが本来流す必要の無かった涙を流させたのは俺の所為です。これ良かったら使ってください。ちゃんと下ろしたてなので大丈夫ですよ?」

 

 彼が取り出したのは紺色のハンカチだった。

 下ろしたてというのは本当のようで、未だ梱包時の型が付いたままのようだ。

 女性は差し出されたハンカチに最初は遠慮していたが、柚椰は半ば強引に彼女の手に握らせた。

 

「あ、ありがとう」

 

「えぇ、お姉さんもお仕事頑張ってください」

 

 おずおずと礼を述べた女性に、柚椰はそう言って再びニコリと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車内のいざこざから数分後、バスはあるバス停に停車した。

 ここが柚椰の、いやバスにいる自分と同じ制服を身に纏った者たちの目的地。

 そこは今日から柚椰が通うことになる高校の前だ。

 制服を着た学生が一人、また一人と降りていく。

 柚椰も例に漏れず、バスを降りると窮屈だったと言わんばかりに大きく伸びをした。

 

「んっ、あぁ……満員電車ならぬ満員バスというのも疲れるものだ」

 

 社会人や、世の学生が毎朝経験している苦境に柚椰は同情していた。

 尤も、今日から三年間は先の苦境とは無縁の生活を送ることになるのだが。

 

「さて、じゃあ行こうか」

 

「あ、ねぇ君!」

 

 学校へ向かう道を歩き出そうとしたそのとき、誰かが柚椰に声をかけた。

 振り向くとそこにいたのは、先ほど老婆に席を譲ってくれないかと乗客に呼びかけていた少女だった。

 少女は柚椰が気づいたのをみると嬉しそうに笑い、トテトテと歩み寄ってきた。

 

「ん? あぁ、さっきの」

 

「うん、さっきは本当にありがとう! お婆さんも喜んでたと思う!」

 

「気にしないで。さっきも言ったけど、すぐに名乗り出なくてごめんね」

 

「ううん、気にしないで! えっと……」

 

 少女はそこで言葉を切ると、柚椰を頭からつま先まで見下ろした。

 その服装から、目の前の男が自分と同じ学校の生徒だと分かっているのだろう。

 その上でどう呼ぶべきか考えているのだろうと柚椰はあたりをつけた。

 

「あぁ、同じバスに乗ってたってことは同じ一年生だよね? 俺は黛柚椰、よろしくね」

 

「私は櫛田桔梗、よろしくね黛君っ!」

 

 名前を聞くと、少女はこれまた嬉しそうに笑顔を浮かべて自身の名を名乗った。

 

「せっかくだし学校まで一緒にいこっ!」

 

「うん、これも何かの縁だ」

 

 櫛田の誘いに応じたことで、二人は学校へ向かって再び歩き出した。

 歩き始めると、櫛田は再び先のバスでの一幕について話を戻した。

 

「さっきの話に戻るけどさ、黛君お婆さんだけじゃなくてOLのお姉さんにも謝ってたでしょ?」

 

「あぁ、まぁね」

 

「それにお姉さんを気遣ってハンカチ渡してたし、黛君って優しいんだね! 紳士でかっこよかったよ!」

 

 櫛田は興奮気味に先の車内での柚椰の行動について語っていた。

 それほど柚椰の行動は彼女にとって好印象だったのだろう。

 

「男のハンカチで申し訳なかったけどね」

 

「ううん、そんなことないよ。お婆さんが座れたのも黛君のおかげ。寧ろさっきのは私のほうこそ、余計なことしちゃってたかなって……余計なお節介だったかなって実はちょっと不安だったんだ……」

 

 そう語る櫛田の表情は眉が少し下がり、シュンとしていた。

 彼女の行動は決して責められるような行為ではないが、それでも出すぎた真似だったのではないかと少し不安に思っているのだろう。

 そう感じ取った柚椰は首を横に振って彼女の言葉を否定した。

 

「あの場で一番お婆さんに寄り添っていたのは間違いなく君だと思うよ? あの金髪が折れないと分かったら、最終的に他の乗客にも呼びかけていたわけだからね。諦めずにどうにかしようとしてた君は俺よりも立派だったと思う」

 

「そ、そうかな……えへへ」

 

 柚椰からの褒め言葉に櫛田はうっすら頬を赤らめて照れていた。

 

「そうそう、君が一番だよ。一番かっこよかったのも、一番優しかったのも、一番役に立ったのもね」

 

「ま、黛君ったら、褒めすぎだよぉ……」

 

 柚椰から放たれる惜しみない賛辞の嵐に、櫛田は両頬に手を当てて真っ赤になっていた。

 いっそ湯気でも出ているのではないかと思わせるほどに赤くなって照れている櫛田を柚椰は黙って見つめていた。

 

 

「(感情を揺さぶった単語は『一番』。あぁ、()()()()か)」

 

 柚椰は自分が口にした言葉に櫛田がどのように反応したかを見ていたのだ。

 彼が褒め言葉を並べれば、櫛田に徐々に喜びの感情が芽生え出した。

 そして一際大きく喜んだのが『一番』という単語だということに気づいた。

 以上のことから柚椰は櫛田の人間性を分析した。

 

「(彼女は承認欲求が強い。社会的ステータスに固執するタイプか)」

 

 恐らく櫛田は他人からの評価を気にする性格だ。

 それもプラスの、自分を好意的に見てくれる評価を望んでいる。

 他人に認められたい、感謝されたい、好きになってもらいたい。

 とどのつまり承認欲求。自分が必要とされたいという願望だ。

 

「(彼女は善行を積むことによって得られる周囲の羨望や尊敬の念を望む。先の一幕は感謝されたい、いい人間に見られたいという願望からか)」 

 

 櫛田を分析した柚椰は先のバスでの出来事を振り返っていた。

 恐らくだが、彼女は心からの善意で立ち上がったのではない。

 老婆に感謝されたい、周りからいい人間に見られたいという思いからの行動だったのだろう。

 加えて車内には同じ制服を着た学生が数多く見受けられた。

 そしてそれは櫛田も気づいていたはずだ。

 つまり先の彼女の行動はあの車内だけの出来事で終わる話ではなく、彼女のこれからの学園生活においてもプラスに作用することは間違いない。 

『あの子はお年寄りのために勇敢に立ち上がった』。

 その評価はすぐには効果が現れなくとも、櫛田がいずれあの車内にいた生徒と再会したときに作用するかもしれない。

 とにかくマイナスになることは限りなく低いのだ。

 まさに勝ちの決まった勝負。

 打算によって成された行為に他ならない。

 

「(弱者を傷つけることなく、利用することで己の利とする強かさ。それもまた美しい)」

 

 結果として完全なる善意ではなかったものの、櫛田の行為とその思想を柚椰は大層気に入った。

 彼女の在り様もまた、柚椰にとっては美しい人間として映ったからだ。

 

 

 

「? どうしたの黛君」

 

 柚椰がこちらをじっと見つめていたためか、先ほどまで照れていた櫛田はいつの間にか元通りになっていた。

 彼女は柚椰が自分を見つめていることに首をかしげた。

 

「いや、櫛田は可愛いなと思ってね」

 

「にゃっ!?」

 

 さらっと放たれた爆弾に櫛田は思わず変な声を上げて飛び上がった。

 先ほどとはまた違うベクトルの褒め言葉に櫛田は再び赤くなった。

 しかし、今度のそれは先とはまた違った熱だった。

 照れるというよりは純粋に恥ずかしいといった感情だ。

 

「い、いきなりそんなこと言われても……恥ずかしいよ……」

 

「そうかい? 別におかしなこと言ったつもりはないけど。可愛くてかっこよくて優しいなんて櫛田はもう非の打ち所がないね。中学ではさぞモテモテだったんじゃないかな?」

 

「も、もう~! 黛君ったら! そんなことないってば!」

 

 もうこれ以上褒めないでくれと言わんばかりに櫛田は身体の前に両手を突き出していた。

 

「まさか入学初日から君のような子と知り合えるなんて俺は運がいいね。社会貢献もたまにはしてみるものだ」

 

「うぅ~もしかして黛君、私のことからかってるでしょ?」

 

 柚椰からの止まない褒め殺しに櫛田は頬を膨らませて恨めしそうにつぶやいた。

 彼女もいい加減目の前の男が意図的に自分を褒め続けていることに気が付いたようだ。

 

「ふふっ、ごめん。反応が可愛くてついね」

 

「っ~! 黛君の意地悪! もう知らないっ!」

 

 あっけらかんと言ってのける柚椰の態度に拗ねてしまったのか、櫛田はそう言って早歩きでスタスタと歩き出してしまった。

 そんな彼女の反応をいじらしく思いながら、柚椰もまた小走りで後を追った。

 

「待ってよ、櫛田? 一番可愛い櫛田さん?」 

 

「褒めながら追いかけてこないでよ黛君のバカ~!」

 

 後ろから追ってくる男からの追加攻撃に更なる追い討ちをかけられながら、櫛田は学校への道を走っていた。

 

 

 

 

 

 




あとがきです。
衝動的によう実の二次を書いてみたくなったので書きました。
どうか末永くよろしくおねがいします。
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