ようこそ人間讃歌の楽園へ 作:gigantus
中間テストから早1ヶ月が経過した。
6月も終わりに差し掛かり、もうすぐ夏になろうとしていた。
無事に中間テストを乗り越えたといっても、うかうかしているとすぐに期末テストがやってくる。
そのため、この1ヶ月間に決して中弛みしないようにと一同気を引き締めて授業に臨んだ。
問題児だった須藤たち3人も中間テストで勉強の楽しさを少しでも感じることが出来たからか遅刻もせず、居眠りもしなかった。
そんな日々を送り、今日は6月最後の日曜日。
ショッピングモールのベンチには、端末を弄って時間を潰している柚椰の姿があった。
休日ということもあり館内は生徒たちで溢れており、各々自由気ままにショッピングを楽しんでいる。
柚椰が今日ここに居るのには理由がある。
それは、この1ヶ月先延ばしにしていたある約束のためだ。
「おはよっ!」
満面の笑みを浮かべながら櫛田がトコトコとやってきた。
彼女こそ柚椰が待っていた相手である。
中間テスト前に彼女と交わした、買い物に付き合うという約束。
お互い中々予定が合わなかったからか、今日の今日まで流れていた約束だ。
「やぁ、おはよう」
やって来た櫛田に柚椰はにこやかに笑って応える。
「ごめんね、待った?」
「いいや? 来たばかりだよ」
「ふふっ、そっか」
柚椰の返答が嬉しいのか櫛田はふにゃっとした笑みを浮かべる。
休日に会うのだから、彼女の服装は当然ながら私服だ。
自分の魅力が分かっているようなそのコーディネイトは彼女をより一層引き立てていた。
現に目の前を通りすがる生徒たちは櫛田の私服姿に目を奪われている。
彼女連れの男ですら櫛田に見惚れているらしく、横にいる彼女に抓られていた。
「私服、可愛いね。似合ってる」
「えっ!? そ、そうかな……?」
櫛田は髪を弄りながら上目遣いでそう尋ねた。
男心を掴んで離さないその仕草に周りで見ている男たちは皆悶絶している。
「あぁ、櫛田らしくて可愛いと思うよ」
「えへへ、ありがとっ!」
柚椰の言葉に櫛田は嬉しそうに、少し恥ずかしそうに笑った。
花が咲いたようなその笑顔は彼女の可憐さを最大限に主張させている。
「それで、今日は何か買うのかい?」
「うーん、これって決めてるものはないけど……今日は黛君と一緒に色々見て歩きたいなっ」
「勿論。今日は付き合うという約束だからね。どこでもついて行くよ」
「じゃあ行こっ!」
ひとまずモール内を散策することに決めた2人は、当てもなく歩き始めた。
「そういえば、2人で休日を過ごすのは初めてだね」
モール内を歩きながら、ふと柚椰がそんなことを尋ねた。
すると櫛田はプクッと頬を膨らませながらジト目で柚椰を睨む。
「誰かさんが中々時間作ってくれなかったもんね〜」
「すまないね、色々と忙しかったんだ」
「むぅ……」
まるで仕事に追われている夫のような言い訳に櫛田は一層むくれた。
「櫛田も友達との付き合いとかがあるだろう? 休日が埋まってたのはお互い様だ」
「それはそうだけど……」
柚椰の言う通り、予定が埋まっていたのは櫛田も同じだった。
交友関係の広い彼女は、当然ながら遊びに誘われることも多い。
それは女子からだけでなく男子からもだ。
友達というものを大切にしている櫛田が、その誘いを無下にすることはない。
結果、この1ヶ月のほぼ毎週末の予定が埋められていたのだ。
「でも、男の子と2人きりで過ごすのは黛君が初めてだよ……?」
櫛田はおずおずと柚椰を見上げた。
その顔は少し恥ずかしそうだが、彼女の目はすこぶる真面目だった。
柚椰はその表情から少し意外そうに微笑んだ。
「意外だね。池や山内に誘われなかったのかい? てっきり何回かあるものと思ってたけど」
その言葉に櫛田は首を横に振った。
「ううん。確かに誘われたけど、いつも他の女の子とか男の子も誘って一緒に行こうって」
「上手く躱してきたということか。賢いね」
「っつーか、アイツら目つきがキモいんだっつの。下心見え見えでマジウザいし」
苦虫を噛み潰したような顔で、櫛田は池と山内への暴言を吐く。
「本性出てる」
「てへっ」
柚椰に注意され、櫛田はチロっと舌を出して戯けた。
全く悪びれない態度に柚椰は頭を抱えた。
「それだけ回避し続けてきた櫛田と、今俺が2人きりで遊んでいるわけか。彼らに見つかったら吊るし上げられるね、これは」
「私のことずっと放ったらかしにしてた黛君が悪いんだもん。見つかっても助けてあげないもんねっ」
櫛田は柚椰を困らせるチャンスと言わんばかりにニヤッと笑った。
吊し上げられる原因とも言える彼女に弁護しないと言われた柚椰は頭を掻く。
「じゃあ……実は付き合っています、とでも言えばいいのかな?」
「ふぇっ!?」
予想外の返答に櫛田は変な声を出す。
「つ、付き合ってるって、私と黛君が……?」
「あぁ、既に付き合っているということにすれば彼らも諦めるだろう?」
「そ、それはそうかもだけど……あぅ……」
真っ赤になって俯く櫛田にさっきまでの威勢は見る影もなかった。
頭の中で柚椰とのあれこれを妄想しているのかその顔からは湯気すら出そうな勢いだ。
そんな彼女の様子に柚椰は仕返しと言わんばかりにニヤッと笑う。
「冗談だよ。そんなことを言ったらもれなく男子たちから公開処刑されてしまう。俺もまだ長生きしていたいからね」
「──っ! 黛君の意地悪っ!」
揶揄われたと理解したのか、櫛田は眉を吊り上げて怒り出した。
そして肩を揺らしてズンズンと先へ先へと歩き出してしまった。
「櫛田? 俺は行き先を知らないんだが、どこに行くんだい?」
櫛田のリアクションから、流石にやりすぎたと思ったのか柚椰が小走りで後を追いかける。
「ふんっ! じゃあ頑張ってついて来ればいいじゃん! 絶対待ってあげないんだから!」
心のこもっていない謝罪に櫛田が揺れるわけもなく、彼女は一切歩を緩めることはなかった。
「揶揄ったのは謝るよ。機嫌を直してほしいな」
「別に……もう怒ってないもん」
先の一幕以降、2人はモール内を追いかけっこをしながら歩き回っていた。
しかし、早歩きで進んでいた櫛田が先にバテたため、結局柚椰に追いつかれていた。
現在、2人は一旦休憩するためにモール内のカフェで一息ついている。
注文したコーヒーが来るまでの間、柚椰は改めて櫛田に謝罪した。
櫛田は怒っていないと言いつつも、まだ若干頬が膨らんでいる。
やがてテーブルにコーヒーが運ばれると、櫛田はクルクルとスプーンでコーヒーをかき回し始めた。
「全く、なんで黛君は私にばっかり意地悪するのかな……」
「ふむ、1番気兼ねしない相手だからかな?」
「にしてもだよっ! 初めて会ったときだって、私のこと……」
「可愛いと言ったのは嫌だったかい?」
「嫌じゃないけどさぁ……黛君は言い過ぎなんだもん」
コーヒーを弄りながら櫛田は唇を尖らせた。
「そうかな? 可愛いなんて君は言われ慣れていると思ったんだが」
「黛君は別だもん……なんかお世辞じゃないっていうか、本心で言ってる気がするから」
「まぁ実際に本心だからね」
「っ! だからそういうところが意地悪なんだよ……」
プイッとそっぽを向きながら櫛田が恨めしそうにつぶやいた。
「まぁまぁ。君が可愛いのは事実なのだから、この際置いておこう」
「自分で言っておいてサラッと流さないでくれないかな? どうせ帆波ちゃんとかにも同じこと言ってるんでしょ」
そっぽを向いたまま、目だけを柚椰に向けて櫛田はそう言った。
「どうしてそこで一之瀬が出てくるんだい?」
「初めて会った日に連絡先教えてって私に言ってきたし。なんか、帆波ちゃんのこと高く評価してるみたいだし」
「あぁ、あれか」
櫛田が言っているのは、中間テスト前にあった出来事のことだ。
一之瀬と初めて会ったその日に、櫛田は柚椰から連絡先を教えてほしいと頼まれた。
その前の会話で柚椰が一之瀬のことを高く買ってることに少しムッとしていた矢先のことだった。
別段何か言うつもりもないが、なんとなく櫛田は面白くなかったのだ。
「前にも言っただろう? 一之瀬は甘く見ていい相手ではない。いずれ踏破する壁だとしても、今は友好的な関係を築いておくべきだと」
「それはそうだけど……」
「一之瀬1人の力も勿論強力だが、彼女の真の強さは周りを上手く動かせるという点にある。Bクラスは彼女が主軸であり、同時に彼女の存在こそがアキレス腱だ。彼女とどう関係を築くかでBクラス攻略の難易度は大きく変わる」
「じゃあ、黛君が帆波ちゃんに近づいたのは、Dクラスを勝たせるためってこと?」
櫛田がそう尋ねると、柚椰はコーヒーを飲んで少し黙った。
「表向きの理由はそうだね。俺は堀北の目標に協力するわけだから、先んじて攻略ルートを選んでいると思ってくれて構わない」
「ふーん、堀北さんのためなんだ……」
柚椰から堀北の名前を聞いたことで、櫛田は尚一層不機嫌そうだ。
「表向きは、と言っただろう?」
「……じゃあ、裏の理由はなんなのさ」
不機嫌さを隠そうともせず、櫛田は半ば投げやりに尋ねた。
その問いに、柚椰は真剣な顔つきになって答える。
「一之瀬を俺の手札に加えたかったんだ。彼女はBクラスだが、上手く引き込めば非常に優秀なカードになる。性格上スパイにするのは無理だろうが、彼女に協力を仰ぐことは出来る」
「帆波ちゃんを?」
「彼女が動けばBクラスも動く。現状最も協力を求めやすいのがBクラスだ。核である彼女が協力する姿勢をとれば、自ずとBクラスは協力的になる」
淡々と解説する柚椰に櫛田は唖然としていた。
そして、以前彼に自分が服従すると決定付けられたときと同じような寒気を感じた。
彼は自分と同じように、一之瀬のことも利用しようとしているのだ。
「私と同じように、帆波ちゃんのことも情報源として利用するってこと?」
「いいや、情報に関しては君を信じているからそれで十分だよ。一之瀬はあくまでBクラスを動かしたいときに切れるカードということさ。普段は仲の良い友人関係でいようと思う」
「そっか、私で十分、か……」
櫛田は柚椰が自分のことを信じてると言ったことで少しはにかんだ。
単純かもしれないが、柚椰に頼りにされているというのはやはり嬉しいのだ。
先ほどまでのモヤモヤはいつの間にかどこかへ消えていた。
「そうだ、この際だから君に一つやってほしいことがあるんだ」
「なにかな?」
「ちょっと待ってくれ」
柚椰はそう言うと端末をササっと弄る。
数秒後、櫛田の端末が通知音を発した。
「確認してほしい」
「う、うん」
櫛田は言われた通り、端末を開いた。
通知の正体はプライベートポイントが変動したことを知らせるものだった。
しかし、ポイントが減ったのではない。
寧ろその逆、櫛田のプライベートポイントが一気に増えていたのだ。
元々7万弱あったポイントが37万ポイントになっていた。
つまり今、プライベートポイントが30万増えたのだ。
「な、何これ……!?」
櫛田はいきなりポイントの桁が一個増えたことに驚きを隠せなかった。
そして思わず端末と柚椰を交互に二度見していた。
「振り込んだのは30万ポイント。今回やってほしいのは、ちょっとしたお遣いかな?」
「お遣いって……30万で黛君は何を買うつもりなのさ」
「あぁ、買うのは俺ではなく櫛田、君だよ」
「へ?」
「詳しく話すとしようか。とりあえずコーヒーでも飲むといい」
柚椰に促され、櫛田は自分が頼んだコーヒーを一口飲む。
同じように柚椰もコーヒーを飲んでいた。
「まずこのお遣いで結果的に得をするのは俺ではなく君だ。そして、そのポイントで買うのは物ではなく……人だ」
「どういうこと?」
言っている意味が分からないと櫛田は首を傾げる。
「君にはさっさとDクラスの女子の頂点に立ってほしいというのは前に言ったね?」
「う、うん」
「そして、現状有力候補なのが君と軽井沢の2人。これは大丈夫かな?」
「うん」
「タイプの違う2人は、当然交友関係の築き方も違う。君は持ち前の明るさと物腰の柔らかさで相手の懐に入って関係を持つ。反対に軽井沢は己のネームバリューやクラスでの立ち位置によって関係を構築する」
「確かに、私と軽井沢さんはタイプが違うってことは分かるけど。それがどうしたの?」
「彼女が君と対等な立ち位置を形成しているのは何故だと思う? 頭の良さも、人当たりの良さも、勿論見た目でも君の方が上なのにも関わらずだ」
柚椰に問われた櫛田は、暫し思案するそぶりを見せると、やがて一つの答えを出した。
「クラスのリーダーである平田君の彼女だから?」
「正解。平田は品行方正、スポーツ万能、成績優秀。誰彼構わず噛み付いていた頃の須藤に対しても嫌な顔一つせずに接するほどの聖人だ。そんな彼はさしずめDクラスの王、キングだ。そして彼の恋人という立ち位置を獲得している軽井沢はさしずめ女王、クイーン。彼女と反目することは、結果として王である平田とも敵対する可能性を秘めている。平田は自分を王だとは思っていないだろうが、周りはそうは思わない。特に目立ちたくない女子たちにとって、平田や軽井沢に目をつけられるというのはこの上なく恐ろしいことだ。軽井沢はそれを理解しているんだよ。クイーンである自分に逆らえるはずもない。逆らえばクラス全体を敵に回すかもしれない。自分の肩書きが武器になることを確信した上で彼女は今の地位を築いているんだ」
「……本ッ当、ムカつく。要は平田君に寄生してるだけの害虫じゃん」
櫛田は軽井沢への嫌悪を隠そうともしないで顔を顰めた。
「だが、当然そんな支配は脆く崩れやすい。恐怖によって支配されている者は、何か要因があれば、些細なきっかけを与えてやれば簡単に支配者を裏切るんだ」
「裏切る、って?」
「5月頭のホームルームでクラスポイントが0になったとき、軽井沢は何をしたかな?」
「……クラスの女子たちからポイントを借りて回ってた」
「そう。二大巨頭の片割れである君にも彼女は声をかけた。君は表向きには、頼まれたら断らない優しいアイドルなわけだからね。だが彼女がメインで標的にしていたのは、女子カーストの中でも下位に属している生徒たちだ。気が小さく、クラスの中に溶け込むことが得意じゃない女子たち。クイーンである彼女がポイントを貸せと言えば、断ることなんて出来はしない。そうして見事、彼女はポイントを集め今尚学生生活を謳歌している」
「改めて聞くと本当腹立つわ……」
「さて、ここで問題だ。傍若無人なクラスの女王にポイントを巻き上げられ、惨めな思いをしていながらそれを表に出せない女子生徒たち。果たして彼女たちは心から望んで軽井沢の勢力に加わると思うかい?」
突然始まったクイズに戸惑いながらも、櫛田は再び考える。
しかし、この問題に答えを出すのにはそう時間はかからなかった。
「……加わらないと思う。だって、いつまたポイントを強請られるか分からないもん」
「正解。彼女たちは今でも怯えているだろう。軽井沢にポイントを集られることに、彼女の顰蹙を買うことに。さて、もう一つ問題だ。クイーンの圧政に怯えていると、そこにクラスのアイドルがやってきた。そして彼女は『クイーンに取られたポイントを代わりに返すよ』と言った……さて、
「──っ!?」
櫛田はようやくそこで柚椰の真意に気づいた。
彼が自分にやってほしいと言っていること。
自分がこれからやるべきことに……
彼女の表情から柚椰は自分の意図が伝わったと確信し、笑みを浮かべた。
「正解。彼女たちは深く感謝するはずだ。そしてこう思う。『乱暴な軽井沢さんとは違って、櫛田さんは私たちのことを考えてくれるんだ』、『軽井沢さんなんかより櫛田さんの方がずっと優しくて良い人だ』、『この人についていきたい』、『この人の友達になりたい』、『櫛田さんに付けば、もう怯えなくていいんだ』とね。そして気がつけば、そこには平民の支持を得た
櫛田は柚椰の言葉に聞き入っていた。
そして想像した。
自分を支持し、自分のことを輝いた目で見てくる者たち。
支持を失い、蹴落とされ、惨めに這いつくばっている軽井沢の姿。
それはなんと素晴らしい光景だろうか。
承認欲求の塊である彼女にとって、それはあまりに甘美な夢だった。
「素敵……」
思わずそう呟いた彼女の表情は、ゾッとするほど冷たく、そして美しかった。
櫛田が完全にやる気になったことで柚椰もまたニヤリと笑う。
「軽井沢にポイントを巻き上げられたクラスの女子の顔と名前は把握しているかい?」
「うん、全員覚えてる」
「軽井沢は君には少ない額で譲歩したが、件の女子たちからはもっと多く巻き上げているはずだ。5000か、あるいは8000あたりだろう。だから、1人あたり15000ポイント配ってほしい」
「い、15000!? で、でもそんなに配ってたら私がどうやってポイントを稼いだか疑われちゃうんじゃ……」
櫛田の不安は尤もだった。
Dクラス全体がポイント不足である現状において、そんなに多くのポイントを保有していれば嫌でも的になる。
甘い話には裏があるというのはよくある話だ。
櫛田にポイントを盾に、何かされるのではと不安になる可能性もあるのだ。
「いいや、大丈夫だ。もし聞かれたらこう答えればいい。『これは他のクラスの友達から借りて集めた。目の前で困ってる人を助けないことに比べたら借金くらいどうってことないよ』とね。泣ける美談じゃないか。冴えない自分のためにクラスのアイドルが自分の身を削ってくれたなんてね。別にこの通りに言えとは言わない。でも、必ず結果的に自分のプラスになるようなことを言って誤魔化すんだ。余ったポイントは君の小遣いにして構わないよ」
事も無げに言い放つ柚椰に櫛田は微笑んだ。
「黛君って、やっぱり本性は凄く怖いね……でもそういうとこ、私凄く好きかも」
そう言って笑う櫛田の顔は、表の顔とは正反対なまでに邪悪で、そして妖艶だった。
あとがきです。
黛君と櫛田ちゃんの休日の一幕でした。