ゴブリンスレイヤーRTA 小鬼殺し√   作:ラスト・ダンサー

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転職に成功したので初登場です。

追記:なんか新米戦士くんの発言がアレだったんで諸々修正というか改変しました。ちゃうねん、疲れた頭で書いたから支離滅裂な感じになってん(苦しい言い訳)

筆者に新米戦士君を辱しめようという意図はありません。これだけは伝えておきたかった。なんかもう色々とお詫び申し上げます。


小鬼殺し.mp4:裏

「はぁぁぁぁぁぁ……」

 

 ギルドの待合室の一角で、新米戦士は大きな溜め息を吐いた。どんよりとした空気を振り撒き、カビや苔が繁殖しそうな様子でうなだれている。ふと首を回して視線を後ろに向けると、彼の背には中身のない鞘が吊るされている。肝心の剣は先日の依頼で落としてきてしまったのだ。中身が空の鞘を見て新米戦士はまた溜め息を吐いた。

 

「ふんッ」

 

「がはぁッ!?」

 

 突如、死角からの衝撃が新米戦士の脇腹を襲う。一瞬の内臓が浮き上がるような感覚の後、鈍い痛みが殴打された部分を中心にじんじんと広がっていく。涙目になりながら振り返ると、せっかくの美人だというのに表情に怒気を滲ませた見習聖女が立っていた。

 

「さっきから辛気くさいわねぇ……しゃきっとしなさいよ!」

 

 わかっている。彼女の骨の間を縫うような鋭い一撃は、不甲斐ない自分に発破をかけようという思いから繰り出されているのは重々承知している。だがそれはさておき、毎回脇腹を殴打される身としてはやめてもらいたい。普通に痛い。

 

「……毎回よくやるわね」

 

 呆れたような目をしてこちらを見やるのは少し前に一党に加わった女魔術師だ。毎度毎度繰り返されるそのやり取りには飽々したと言わんばかりに物憂げな──実は眠いだけ──表情でお茶を啜っている。

 

 現在、新米戦士の一党は危機に陥っていた。村から出てきた時に奮発して購入した剣、貴重な商売道具であるそれを新米戦士がなくしたことにより術師を守るはずの前衛が武器を持っていないという致命的な状態なのだ。都会派の女魔術師あたりなら上手いことやって食いっぱぐれることはないだろうが、学のない田舎育ちの新米戦士と見習聖女はこのままでは遠からず農奴や娼婦に身を落とすだろう。

 

 冒険をするには武器が必要だというのにその武器をなくし、武器を回収しに行くための武器がないというにっちもさっちもいかない状態だ。端的に言って原因は金がないことに全て起因するのだが、駆け出しの冒険者の懐事情などどこもそんなものだろう。もちろん、例外はいるが。

 

 ちらりと視線を待合室の端の方へ向けると、長椅子に手持ち無沙汰な様子で座っている冒険者の姿がある。同時期に冒険者になった男。今日も変わらずバケツのような兜を被り、素顔を知るものは工房の親方ぐらいではないかとの噂の変人。疾走戦士である。

 

 新米戦士ではまだ手の届かない鎖帷子を装備したその姿。いいなぁと羨んだ回数は数知れず、それを見ていた見習聖女に肘を打ち込まれた回数も数知れず。首から下がる認識票は鋼鉄等級のそれ。未だに白磁の新米戦士とは文字通りの段違い。疾走戦士は宿屋の個室住まい、新米戦士は馬小屋。いろんな意味で新米戦士の上位互換のようなヤツだった。どうやって装備を整えたのか、どうしてそんなに余裕があるのか、と考えれば考えるほど羨ましくなり、自分と比べてみては勝手に落ち込んでいた。今日は随分と軽装だが、そういう日もあるだろう。

 

 バケツ頭の変人を羨む話はさておき、今はどうやって下水路のどこかにある剣を回収しに行くかである。伝を辿って同じ白磁仲間に武器を貸してくれと頼んでみたが解答は芳しくなく、熟練の冒険者から武器を借りるのは失くしたり壊したりしたときが怖い。結局どうにもならず、どうすりゃいいんだと何回目かわからない溜め息を吐くしかなかった。

 

 それを見兼ねてか、あるいはカウンター近くを辛気くさい様子で彷徨くのを邪魔に思ってか、受付嬢が助け船を出した。

 

「では、下水路での探索に慣れた方に話を伺ってみてはどうでしょう?」

 

「下水路の探索に慣れた冒険者?」

 

 そんなやついるのかと訝しむ新米戦士に、受付嬢はある方向を手で示した。掌の向けられた先には長椅子に座り込むバケツヘルムの姿がある。

 

「え?アイツ?」

 

「はい。下水路での巨大鼠(ジャイアントラット)大黒蟲(ジャイアントローチ)の討伐を何度もこなした経験がある彼の意見なら、無駄にはならないでしょう?」

 

 笑顔で変人を紹介する受付嬢を見て、女魔術師はなにか思い出した様子で頷く。

 

「……ああ、彼ならそうでしょうね」

 

「知ってるのか?あの、バケツ(アレ)のこと」

 

 そのあんまりな言い草に再び見習聖女の肘が炸裂し、新米戦士が崩れ落ちかけるが、それを意にも介さず女魔術師は続ける。

 

「最初の冒険で一党を組んでいたことがあるだけよ」

 

 なんでもない風に女魔術師は語るが、とてもではないがなんでもないようには見えない。どう見ても滅茶苦茶引きずっている。嫌いなわけではないが苦手という複雑な感情が渦巻いているようだった。

 

「連日下水路に潜って依頼をこなしてたそうよ?日に3度潜ることもあったとか」

 

 好き好んで下水路の依頼を受け続ける物好きなどバケツ頭の変人以外居らず、踏んだ場数は下水路に限ればそこらの冒険者以上なのではないかと噂されている。一日に何度も下水路に潜り、暇があれば溝浚いをするという常軌を逸した行動を繰り返していた疾走戦士は無事に変人扱いされるようになっていた。

 

「やっぱりやべぇヤツじゃん!」

 

「さすがにちょっと、ねぇ?」

 

 聞けば出てくる頭のおかしいヤツの話に新米戦士と見習聖女はドン引きである。件の疾走戦士はやはり噂通りに色々とどこか常識から外れた人物であるらしい。いくら切羽詰まっているとは言っても変人に助力を請うのはさすがに躊躇う。

 

「まぁ変なヤツなのは否定しないけど、ああ見えて誠実よ?」

 

「うぅん……とりあえず話だけはしてみるか」

 

 さすがに1人で話しかける勇気はないため、情けないが一党の2人についてきてもらいながら、恐る恐るといった様子で新米戦士はバケツ頭に話しかけた。

 

「な、なぁ!」

 

「む?」

 

 がちゃり、とバケツ頭が勢いよくこちらに向いた。驚きから飛び上がりそうになりつつも、それを押し殺して話を続けた。

 

「アンタ、下水路に詳しいんだって?」

 

「ふむ、人に誇れるほどではないが地図を見ずとも歩ける程度には慣れている。困り事か?」

 

「そうなんだよ。剣をそこで落としちまってな。拾いに行こうにも武器がなくて困ってるんだ」

 

「確かに私は武器の予備があるから貴公に貸すことはできる。しかし……こう言っては何だが、武器を落としたと言う相手に自分の武器を貸そうと思うか?」

 

 全くもって正論だった。話の流れから武器を貸してくれと言い出そうとしているのを読まれたのか、先手を打たれたようだ。変人と言われているがかなり頭が回るらしい。新米戦士はぐぅの音も言えずに押し黙るしかない。

 

「ところで貴公、盾は持っているな?」

 

「そりゃあ、まぁ」

 

 新米戦士は背負った円盾の位置を確かめるように身を捩る。剣と同じく奮発して購入した大事な代物だ。しかしなぜ盾のことを?必要なのは武器なのだが。

 

「それで殴ればいい」

 

「へ?」

 

「盾は敵の攻撃を受け止めるための防具だが、逆に言えば攻撃を受け止められるくらい頑丈で硬いということではないか?なら打撃武器としても使えるということだ。当然盾で殴り付ければ普通に殴るより威力が出るし、構えながら突進し相手にぶつかれば体重の乗った一撃となる。身を守りながら攻められるという防御を兼ねた攻撃ができる素晴らしい装備だぞ盾は」

 

「お、おう」

 

「しかし、そうした盾の扱いは一朝一夕で身に付くものでもない。何より盾のみを頼りとするのは厳しいだろう。盾の本懐は武器との同時運用にあるからな。代案としては何だが棍棒を買うのはどうだろうか?新しい剣は無理でもあれなら安価だと思うのだが」

 

 急に盾について熱く語り出したと思ったら途端に落ち着いて代案を出してくる疾走戦士に気圧され、新米戦士は思わず腰が引けた。やたらと饒舌な上にテンションの上がり下がりが激しすぎる。本当に大丈夫な人なんだろうかという一抹の不安が過った。

 

 しかし、棍棒と来たか。棍棒とはあれだろう。木を削り出して持ち手に布を巻いただけの簡素な武器。イメージとしてはなんだか格好が悪い武器というくらいか。あとなんか山賊が持ってそう。

 

「棍棒は安価だが、侮ってはならない。いくら木であろうとあれだけ強度のある物体で勢いよく殴られれば衝撃で内部にダメージが通る。鼠はもちろん、硬い甲殻を持つ虫にも効率よくダメージが与えられるだろう。それに剣とは違って多少乱雑に扱っても欠けたり折れたりせんからな」

 

「棍棒かぁ……」

 

 確かに棍棒くらいなら一党の共有資金を少し崩せば買える。無理に新しい剣を買うよりは現実的な案だろう。まさか盾や鞘を頼りに下水路に潜るわけにもいかないだろう。というかまともな武器もなしにあそこに潜りたくない。

 

「なら、私も行こう。探索は人手があった方が効率がいい」

 

 悩む新米戦士を見兼ねてか、疾走戦士が同行を申し出た。

 

「大丈夫なのか、ほらその、予定とか」

 

「暇をしていたところだ。是非とも」

 

 何となくヤバいヤツとは組みたくないなぁ、という思いはあるが断る理由もないのも事実。どうしたものかと悩んでいると女魔術師から声がかかった。

 

「いいんじゃない?1度しか組んでないけど、壁としては優秀よ、ソイツ」

 

 1度とはいえ一党を組んでいたことのある女魔術師の意見だ。無下には出来ない。そして事実、新米戦士の一党は新米戦士が見習聖女と女魔術師の2人を守らなければならないため、新米戦士の負担は大きい。それに加えて剣を失っている状態だ。ここは素直に申し出を受ける方がいいだろう。

 

「なら、頼めるか?」

 

「期待には応えよう。では装備を整えてくる。失礼」

 

 そういうと疾走戦士はさっさとギルドの2階にある自室へと向かって行ってしまった。そして大して時間も経たない内に疾走戦士は戻ってきた。随分と早い身支度である。変わったことといえば円盾と冒険用の雑嚢を装備してきたくらいか。

 

「もういいのか?」

 

「必要最低限の装備は整っている。ではそちらの準備を整えながら行こうか」

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

「む」

 

 慌てた様子で受付嬢が横合いから割り込んできたかと思うと、疾走戦士をぐいと引っ張って行った。よくもまあその細腕で大の男1人を引っ張って行けるものである。

 

「疾走戦士さん、貴方先日の怪我は?まだ治ってないんじゃ?」

 

「傷は完治している。それとも彼らを助けるのに何か不都合が?」

 

「そういう話ではないんですけど……」

 

「なら、問題ないだろう」

 

「そうじゃなくてですね……」

 

 しばらく何やら揉めていた様子だったが、受付嬢は諦めた様子で疾走戦士を見送り、カウンターの定位置に戻って行った。疾走戦士はずかずかと忙しない足取りで新米戦士達のところに歩み寄る。

 

「手間をかけた。さあ行こう」

 

「なぁ、大丈夫なのか?なんかマズイことでもあるのか?」

 

「気にすることはない。前の冒険の怪我が治っているのか確認されただけだ」

 

「ちなみに前の冒険はいつの話なの?」

 

「つい先日だ」

 

 ちょっと前に怪我をしたばかりのやつを本当に連れていって良かったんだろうか、と後悔しつつも手遅れ感が否めない新米戦士一党であった。

 

 

 △▼△▼△▼

 

 

 下水路の探索において、気を付けるべき点がいくつかある。毒と暗闇だ。

 

 下水路では当たり前だが下水が流れている。下水は不浄の温床であり、それが流れる溝に間違っても落ちてはいけない。落ちれば最後、黒死病にかかってしまう。高位の治癒術師にかかることができれば助かるかもしれないが、新人冒険者に払える治療費ではなく、まず助からないとみていい。

 

 巨大鼠(ジャイアントラット)大黒蟲(ジャイアントローチ)の下水路を徘徊する怪物たちも毒を持っている。巨大鼠の牙は溝と同じく不浄の毒を帯びている。噛まれれば鼠毒と呼ばれる毒に冒される可能性がある。同じく大黒蟲も病の源であり、倒した際に飛び散った体液を被ったまま長時間放置すると毒を受けることがある。これは鼠の返り血も同様だ。

 

 そして、下水路は当然ながら明かりに乏しい。光源もなしに潜った日には暗視のできる怪物たちにいいようにやられてしまうだろう。

 

 毒と暗闇への対処手段として解毒薬(アンチドーテ)と照明器具は下水路の冒険には必須の品である。

 

 しかし、そうもいかないのがかけだし冒険者の辛いところである。なんせ解毒薬は銀貨10枚もするのだ。だが命あっての物種。こういう部分をケチってロクなことになった試しがないという。なので新米戦士の一党はもしも鼠に噛まれたりした時のことを想定して、1人につき1本の計算で常に3本持ち歩くようにしていた。実際なんだかんだで新米戦士に鼠の牙が掠り、必ず1本は消費するのだ。これでも少ないくらいである。

 

「んじゃ装備点検やるわよ、革鎧!」

 

「留め具もしっかり留まってる。よし!」

 

「棍棒!」

 

「銀貨6枚で買ったばっかで問題なし!」

 

「値段はいい!次!」

 

 冒険への出発前、新米戦士と見習聖女が互いの装備を呼称し、状態確認を行っている。まるで遊びに行く子供の忘れ物がないかを確認する親のようだが、忘れ物が死に直結する冒険では笑い事ではない。2人にとっては細かな確認から準備を可能な限り万全にするための儀式のようなものだった。

 

「いつもあれをやっているのか」

 

「私が一党に入った頃には既にやってたわね。滑稽だけどやらないで馬鹿を見るよりはいいでしょ」

 

「違いない」

 

 既に確認を終えた、というよりされた女魔術師が答えるのを聞きながら、疾走戦士は興味深そうにしていた。有効な確認方法に違いないが、自分が何を持っていて何を装備しているのかという目録が頭の中にあると錯覚するほど、常日頃から何が何処にどのくらいどんな状態であるのかを把握するように習慣付けて育てられた疾走戦士はあまり必要性を感じなかったが。忘れ物などしようものならこっぴどく叱られたものだ。

 

 確認を終えた一党は薄暗く鼻を突くような臭いの漂う下水路へと潜っていく。前回剣を落としたときは慌てて逃げ出したのもあって落とした場所を正確に把握しているわけではない。だが、今回は剣を捜索するための秘策があった。

 

「火を点けて……と」

 

「これで剣のことを思えばいいんだな」

 

「物探しの蝋燭か」

 

「親切な魔女に譲ってもらったのよ」

 

 火を点けて探し物を強く思い浮かべると、探し物に接近した際に炎が強くなるという魔法の蝋燭。見習聖女の持つそれはぶっちゃけ探している剣より数倍は高価な代物だったりするが、それに関しては思考を放棄して心の平穏を保つことにした女魔術師だった。

 

「方向は?」

 

「……向こうね」

 

「そちらはだいぶ奥まで続いているルートだ」

 

 ある程度構造は把握しているという疾走戦士の言は真実だったらしく、見習聖女が指差した方向がどういったルートなのかを諳じてみせた。

 

「俺たち前にそっちに行ったっけ?」

 

「剣が動かされた、ということも考えられる。紛失したときの状況は?」

 

「鼠に刺さって抜けなくなったんだ。群れに襲われそうになって、そのままって感じ」

 

「下水路には時折大きめのサイズの個体が出没する。そういった大きな個体に死骸ごと食われたと考えた方がいいだろう」

 

「……え?」

 

「失くしたのは長剣(ロングソード)だったな?ならそれ以上の体長を持つ個体だろう。虫だった場合が面倒だ。知っての通り奴らはなかなかしぶとい」

 

「ちょっと待って。長剣よりデカい奴?いるのか?」

 

「いるとも。以前通路が窮屈に思えるサイズの鼠と遭遇したことがある」

 

 疾走戦士はそれ以上は言わなかったが、それは鼠に限った話ではなく、当然ながら黒光りするあの平たい虫がそうなっている可能性もあり得るということだ。人のような大きさの黒い虫を想像して、疾走戦士以外の3人はあまりのおぞましさに身震いした。

 

 隊列は新米戦士を先頭に術者の見習聖女、女魔術師と続き、背後を疾走戦士が固める形となった。奇しくも、あの時と面子こそ違えど隊列の位置は同じ。そして背後を守る奇妙なバケツ頭の戦士も同じ。女魔術師はまたあんなことになるかもしれないなんて悪い想像を振り払うようにして、震える手を杖を握り締めることで誤魔化した。

 

 道中、幾度か巨大鼠や大黒蟲に遭遇したが、そこは新米といえど戦士である彼が力に物を言わせて幾度となく殴打を浴びせることで動かなくなった。新米戦士が処理しきれなかった個体は疾走戦士が剣で切り伏せ、トドメに盾で叩き潰す独特な一連の動きで始末していた。割合としては剣が4、盾が6である。普通逆じゃないのかと新米戦士は思った。盾で戦えなどと嘯いたのは伊達でも酔狂でもなく真面目な話だったらしい。やはり何処か思考が常人からズレている。

 

 順調に見えた探索であったが、ずしりという地響きに一党は歩みを止めた。何かの聞き間違いではないかとも思ったが、地響きが連続すれば嫌でも異常事態であることを認識させられた。その証拠に、無言で疾走戦士が一党の先頭に陣取った。

 

 疾走戦士は雑嚢から松明を取り出し、ランタンから火を移して点火するとそれを放り投げた。そして照らされた前方から耐え難い悪臭と共に巨大な前足が見えた。

 

 それは酷く肥え膨らんだ巨体を引き摺るようにして歩く、通路を塞いでしまうほどの大きさの鼠、暴食鼠(グラトニー・ラット)だった。その大きさは荷馬車くらいはあるだろう。裂けた口からは杭のような歯が乱雑に生えており、噛みつかれればひとたまりもないだろう。そんな文字通りの怪物がずしり、ずしり、と緩慢な動作でこちらに迫ってきていた。

 

「ひ……!」

 

「あ……ああ……」

 

 自分より巨大な相手というのは本能的な恐怖を感じさせる。巨体の体当たりをまともに食らえば、いくら鎧を着込んでいようが中身が衝撃でぐずぐずになってしまうだろう。大きいということはそれだけで単純かつ明確な脅威となるのだ。それに初見で臆してしまうことを誰が責められようか。どんな勇士も、最初は新米なのだ。

 

「■■■■■■■■■■!!」

 

「ウ"ォオ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"!!」

 

 故に、交戦経験のある疾走戦士は壁のように新米戦士たちと暴食鼠の間に立ち塞がった。暴食鼠が肝が縮み上がるようなおぞましい叫びをあげると、それを打ち消さんとするかのように疾走戦士は人の喉から発せられたとは思えないほどの音量で叫んだ。どちらが怪物のものか判断がつかないような叫びの応酬の後、両者は激突した。

 

 首を振り回すようにして頭突きを繰り出した暴食鼠の一撃をどっしりと構えた疾走戦士は愚直に盾で受けた。勢いを殺しきれずにやや後退しつつも、疾走戦士はそれを耐えきり、ブロードソードで暴食鼠の鼻先を切りつけ、盾で殴り飛ばす。痛みに怯んだ暴食鼠が数歩退き、怯んだ隙にまた疾走戦士は前に出る。一進一退の攻防、その繰り返しだ。

 

 疾走戦士も当然ながら無傷では済まず、じわじわとダメージが蓄積していく。全身を防具で固めた疾走戦士の負傷は分かりにくいが、盾を持つ腕からは血が滲み、ポタリポタリと僅かだが床に滴っていた。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 体は固まって言うことを聞かないが、女魔術師の思考は状況の把握に努めていた。端的に言って自分達は足手纏い以外の何者でもない。疾走戦士を矢面に立たせ、その背に守られている。またか。また仲間が傷を負うのを我が身可愛さに黙って見ているのか。それでは、あの時と変わらない。あの剣士を、武闘家を、見捨てるしかなかったと言い訳を並べ立てたあの時と。

 

 杖を握り締めながら、女魔術師は意を決して真言呪文を唱え始めた。体が恐怖で固まろうとも、口は動く。舌をもつれさせながらも、懸命に女魔術師は呪文を唱える。

 

「≪サジタ()≫……≪インフラマラエ(点火)≫……≪ラディウス(射出)!!≫」

 

 紡がれた真言呪文は滞りなく発動し、火矢が下水路を照らしながら飛翔する。そして狙い通りに火矢は暴食鼠(大き過ぎる的)に命中し、あっという間に燃え上がった。脂肪の塊が体表を覆う暴食鼠は脂の塊のようなものだ。女魔術師はさぞ燃えやすいだろうと思っていたが予想以上に火の勢いは強かった。熱さから悶えるようにして暴れる暴食鼠だが、巨体故に下水路に飛び込んで消火することもできず、そのままパチリパチリと熱せられた脂の弾ける音を鳴らす焼死体と化した。

 

「……し、死んだの?」

 

「確認する」

 

 恐る恐るといった様子で声を漏らした女魔術師。やや息を乱した様子の疾走戦士は、返り血なのか自身の血なのか分からないくらい真っ赤になりつつ、暴食鼠が暴れた際に何処からか転がってきた瓦礫を適当に拾い、熱で目が溶けたことで露になった巨大な眼孔へと投げつけた。ピクリとも反応を示さない事を確認すると、焼死体からやや煤けた杭のような牙を解体用のナイフで歯茎から取り外す作業に取りかかっていた。

 

 緊張が解けて力が抜け、安堵からか女魔術師は崩れ落ちるようにして座り込んだ。

 

 今回は、動けた。前のようにただ見ているだけの卑怯者ではない。動き出すのは遅かったかもしれないが自分は確かに役目を果たせたのだ。未だに足腰の震えは止まらないが、それでも冒険者としてのなにかを掴んだ。そんな気がした。女魔術師は杖を支えに立ち上がる。もうさっきまでとは違うと主張するように爛々と瞳を輝かせながら。ただ、下半身が生暖かいのを意図的に意識の外へ追いやっていたので格好がつかなかったが。

 

「ちょっと手を貸してくれる……?なんか立てない」

 

「お、おう。待ってろ。俺もなんか歩きにくい」

 

 腰を抜かしてしまったのか上手く立てないでいる見習聖女に、膝部分のみが石化でもしたかのようにぎこちない動きで新米戦士が歩み寄っていく。まるで出来の悪い操り人形のようで、不謹慎ながらも笑いを誘う光景だった。

 

「全員無事か」

 

「いやアンタが逆に大丈夫か!?その……俺、結局ビビって動けなかったからさ」

 

「どんな勇士も最初は新米なのだ。恥じることはない」

 

 血塗れの男に心配されるとはなんの冗談か。新米戦士は臆して動けなかったことを恥じたが、疾走戦士は気にもしなかった。皆、最初はそんなものだと。もちろん、それをそのままの意味で受けとるほど新米戦士も馬鹿ではない。耳あたりの良い言い方をしたが、要は冒険者としてはまだまだということ。足手纏いだったことは百も承知だ。次はしっかりやるさと新米戦士は意気込みを新たにした。

 

 それを他所に、疾走戦士は防水加工のなされた短い外套をバサリと払う。外套を払う度にびちゃりと血が滴り、それを幾度か繰り返すと血塗れであることには違いないが幾分かマシになった。濡れると衣服が水を吸い重くなるのは子供でも知っていることだが、ただでさえ防具を着込む冒険者はその影響をより顕著に受ける。血に濡れれば装備は重くなるし、血脂で滑ることもあるだろう。それを幾分かでも軽減するための外套らしい。雨合羽みたいで格好悪いと思っていた新米戦士だったがその効果を知って納得がいった。無論、真似しようなどとは露程も思わなかったが。何が悲しくて血塗れになる前提で冒険をしなければならないのか。

 

 各々態勢を立て直し、装備を簡易的にだが点検してまだ進むべきか考慮する。幸いなことに消耗は女魔術師の術の消費が一回と、疾走戦士が軽傷を受けたくらいで、疾走戦士はさっさと治癒の水薬を飲んで回復したので実質ないようなものだ。一党はまだ行けると判断し、探索を続行する。暴食鼠は剣を呑み込んではいないようで、物探しの蝋燭の反応はさらに奥を示していた。

 

 そして進んでいると見習聖女のもつ物探しの蝋燭が熱いくらいに輝き始めた。蝋燭を入れたランタンは怪しげな紫の光を胎動するかのように一定間隔で強めていたが、その間隔も狭まりこちらを急かすようにしている。

 

「熱っ!ねぇこれもしかして近いんじゃない!?」

 

「剣がもう近くにあるってことか!?」

 

「ようやくね……」

 

 だが喜んだのも束の間。がさり、という何かが蠢くような音がいやに響いた。一転して押し黙った一党が音のした方へと意識を向けると、そこには一際大きな大黒蟲がおり、しきりに触覚を動かしているのが見えた。それだけではない、大きな個体を取り巻くように何体もの大黒蟲がおり、ちょっとした群れを成していた。

 

「もしかして……アレか!?」

 

「もしかしなくてもアレよ!!」

 

「嘘でしょもうホントに勘弁して」

 

 今からアレを相手するのかとげんなりするやら数が多くて真面目に危険を感じるやらで、一党の士気が一気に下がった。女魔術師など死んだような目で文句をつらつらと述べ始めており、動揺具合が窺える。

 

「ふむ、全て相手取るのは無謀に過ぎる。ここは役割を分担しよう。取り巻きを引き付けて時間を稼ぐから、あの大物を仕留めて剣を回収してくれ」

 

「いくらなんでも無茶だろ!!」

 

「なぁに、壁役には自信がある。半分以上は引き付けるから残りは頼むぞ」

 

 そう言うと疾走戦士は新米戦士が止める間もなく、注意を引き付けるような独特な動きで前に出た。敵意を集め、相手に狙われやすいような位置取りをする疾走戦士に大黒蟲が殺到していく。飛びかかってくるそれを疾走戦士は盾で打ち払い、一党から徐々に距離を離していく。

 

 もう行ってしまったのはどうにもならないので、新米戦士たちは腹をくくって剣を呑み込んだであろう大黒蟲へと狙いを定めた。

 

「ここが正念場だ!全力で行くぞ!」

 

「逃げる余力は残しなさいよ!」

 

「≪サジタ()≫……≪インフラマラエ(点火)≫……」

 

 詠唱を中断したが術は発射前を維持する、という地味に高度なことをやってのけた女魔術師が照準を定めて待機したのを確認した新米戦士は棍棒を片手に突撃した。まずは取り巻きを排除すべく、疾走戦士に釣られなかった個体を棍棒で強かに打ち付ける。意外に甲高い鳴き声をあげて怯む大黒蟲。だがしぶといことに定評のある大黒蟲はこの程度では死なない。嫌というほどそれを知っている新米戦士は容赦なく連続で棍棒を振り下ろし続ける。体液が飛び散り不快極まりないが、気にしている余裕はない。

 

「……≪ラディウス(射出)≫」

 

 取り巻きのもう一匹が飛びかかろうと不快な羽音を立て始めていたが、それを察知した女魔術師が術を発動させ、≪火矢(ファイアボルト)≫を射出。見事に対象を射抜いた。急に火矢が飛んできたことに僅かながら驚きつつもきっちりと取り巻きの息の根を止めた新米戦士は、一度下がった。

 

「よし!今の内に頼んだ!」

 

「≪裁きの司、つるぎの君、天秤の者よ、諸力を示し候え!≫」

 

 天秤剣──天秤の飾りの付いた剣の形を模した錫杖──を掲げてすばやく詠唱を終わらせ、天秤剣を対象に向かって突き出すようにかざした。すると天秤剣の先端には青い白い雷光が迸り、対象へと聖なる雷が槍のように放出されると巨大な大黒蟲へと誘導するように突き刺さった。大黒蟲は羽を何度も開閉させ、足を出鱈目に動かしてもがく。嫌悪感を催すその動作に一同はたぶん一生コイツらとは相容れないと確信した。

 

 後は文字通り虫の息の対象にトドメを刺すだけだと、一瞬気が緩んだその時である。なんと≪聖擊(ホーリー・スマイト)≫を食らった大黒蟲が突如として翔んだのである。バタバタという耳障りな羽音を立てて飛翔した大黒蟲は見習聖女へと突っ込んでいき、そのまま見習聖女は大黒蟲に押し倒された。

 

「ぃいいいやああああああああ!!」

 

 カチカチという口の開閉音を鳴らしながら噛みつこうとする大黒蟲を見習聖女は天秤剣で必死に食い止める。噛みつかれれば鎧など纏っていない彼女などひとたまりもない。

 

「離れろこのッ!」

 

 すぐさま駆け付けた新米戦士が横合いから大黒蟲を殴り飛ばし、転げ落ちたそれにすかさず追撃で殴り付けた。悲鳴をあげてもがくしぶとい大黒蟲に大上段からの渾身の振り下ろしを食らわせると、メキと大黒蟲の腹から異音がした。見れば割れた腹から目的の長剣がはみ出している。やはり呑み込んでいたようだ。ならばと大黒蟲の腹をもう一度渾身の力で殴打するとそのまま腹を突き破って長剣が飛び出した。腹を裂かれてしこたま殴られた大黒蟲は、ようやく動かなくなる。なんなのか見当をつけることすら嫌になる粘液に濡れたそれを新米戦士は苦虫を噛み潰したような顔をしながら取り上げた。

 

「……こいつを今からチェストバスターと名付けよう」

 

「……やめてよね、そういうの」

 

 ひとまず適当な布で粘液を拭い、軽くて仕方がない背中の鞘にそれを納めた。数日ぶりの重さにようやくしっくりきた様子の新米戦士。頷くと未だに奮闘している疾走戦士へと合図を出した。

 

「剣は回収した!!逃げるぞ!!」

 

「承知した!!」

 

 返事はすぐに返ってきた。退路を塞ぐ大黒蟲を踏み砕きながら群れから逃れてこちらへと走る疾走戦士。その体は大黒蟲の返り血やら体液やらで正直近寄らないで欲しい有り様であり、思わず「こっち来んな!」と叫びかけた女魔術師はよく自制したものだと思った。

 

「走れ!!半端に痛め付けたぶん凶暴化している!!」

 

「マジかよ?!」

 

「ああもう最悪!!」

 

「……いっそ笑えてくるわね!!」

 

 背後からはうぞうぞとどこからか現れる大黒蟲が群れをなして迫ってきている。一党は脇目も振らずに駆け出した。

 

「次どっちだ!?」

 

「突き当たりを右!!その先二つ目の交差路を左だ!!」

 

 最短ルートを暗記している疾走戦士が殿を務めつつ、先頭を走る新米戦士へと行き先を指示する。やっぱり連れて来てよかったと今更ながらに思う新米戦士の一党であったが、今はとにかく大黒蟲から逃れるのが先決だ。

 

「はっ……はぁっ、は……」

 

「……遅い!!失礼する!!」

 

「ちょっ!?おわあああ!!」

 

 一党の中でも体力のない女魔術師の足元が怪しくなってきたのを目敏く気づいた疾走戦士は、無遠慮に女魔術師を肩に担ぎ上げた。年頃の女子が出して良いものではない悲鳴をあげながらなされるがままの女魔術師は羞恥と疲労と、あとなんかこの担ぎ方お腹が圧迫されて苦しい、なんてことを考えていた。

 

 

 △▼△▼△▼

 

 

「ぜぇ……ぜぇ……全員いるか……?」

 

「いるわよー…………」

 

「右に同じく。返事はないが魔術師殿もいる」

 

 死屍累々といった有り様で下水路の入り口近くに汚濁に濡れた一党が身を投げ出していた。新米戦士は身体を大の字に投げ出し、見習聖女は崩れ落ちるようにして膝を突き、疾走戦士もどっかりと腰を下ろした。その脇には雑に女魔術師が置かれており、肩が上下していることから辛うじて生きているのが確認できる。

 

「そういえば、これを渡しておこう」

 

「ん?ってうおおおいっ!?なんだこれ!?しかもくっさ!なにこれくっさ!」

 

「牙だ。それは暴食鼠の討伐証拠になる。あとでギルドに引き渡せ。新品の長剣が買える程度の報酬が出るだろう」

 

 下水路で既に慣れたと思っていた激臭を上回る臭いのする杭のような巨大な牙を投げ渡されて悲鳴をあげながらも、新米戦士はアレは銀貨数十枚の討伐報酬がかかった怪物だったということを今更ながらに知る。

 

「いやいやいや、俺なんもしてないのにいいのか?討伐報酬はアンタが持っていってくれよ」

 

「懸賞金のかかった怪物の討伐報告は一党の頭目にその権利と義務がある。私はあくまで外野だ。貴公が報告したまえ。分配は平等に4分の1で構わん」

 

確かにトドメはこちらの一党である女魔術師が刺したかもしれないが、それならただ怯えていただけの新米戦士と見習聖女が報酬を受けとるのはあまりにも図々しくないかと思う。

 

「いや、分配は戦闘に関わった2人で決めてくれ。俺には決められない。決める権利がない」

 

「……どうする?」

 

未だに地に伏せたままの女魔術師に疾走戦士が問うと、首だけ動かして顔を向けると、それ今決めないと駄目?みたいな表情でしばらく沈黙した後に口を開いた。

 

「……好きなだけ持っていってくれて構わないわ。私はお金じゃ得られないものがあったから」

 

「なら4分の1でいい。……いや遠慮しているのではない。嫌みではないのだが白磁を相手に報酬をほぼ独り占めするのはさすがに外聞がよろしくない。内実がどうであれ白磁を囮に楽して稼ごうとしたと思われるのも癪なのでな。どうしてもというのであれば、貸しにしておいてくれ。何かあったら助けてくれ」

 

「……随分と返すのが難しそうな借りね」

 

先が思いやられるとばかりに女魔術師は脱力して大きな溜め息を吐いた。それを見習聖女は引きずって井戸の方へと駆けていく。まずは粗相や汚濁で汚れた服をどうにかするらしい。

 

「なぁ、あの……ありがとうな。今回は助けられっぱなしだった。……報酬もほとんど譲ってくれるみたいな感じで……いつか絶対にこの借りは返すからな。今すぐにはちょっと難しいけど」

 

「いつでも構わんよ。ところで剣の臭いは取れそうかね」

 

「それは言わないでくれ……」

 

 陽の傾きつつある辺境の街に、ポツリとつぶやかれた新米戦士の言葉が溶けて消えた。

 




遅れたのは許して下さい!
なんでもはしません(断言)

討伐報告うんぬんの件はオリ設定です。

ちなみに新米戦士のバケツ頭への評価はこんな感じです。

同行前:なんかスゲーけど変な格好のヤベーやつ。よくわからんけど怖っ、近寄らんとこ……。

同行後:ちょっと色々とアレだけどめっちゃ良いやつやんけ!
あと今回の冒険で今後の戦闘スタイルのヒントは得た。大丈夫だよ、バケツ頭。俺も頑張っていくから。

いよいよ最終話が見えてきましたね……。
あと2話くらいかな?

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