悩みを抱えたまま明日はやってきた。
何の悩みかって? 年頃の女の子には色々あるのです。
部活とか。
「あ、竹刀持ってきたんだ」
教室の中で、一際目立つ竹刀を掲げてみせる。
「うん、予備の一本! これをなくしたらマズイ!」
一昨日の魔女退治に持ち込んだ聖剣ミキブレードは、マミさんの魔法の力によって本物の聖剣へと生まれ変わり…。
そしてなんだかんだで……その、結界内に取り残されて消えた。
結界での忘れ物には気をつけようね……。
「剣道部、戻るつもりなんだよね?」
「うっ!? その目はなによ!?」
疑わしいと言いたげな、あからさまな上目遣いだった。
けどそれに見透かされているからこそ、私の心は揺らいでいることも明らかなのだ。
「……どうしよっかね、悩んでるんだよ、まだしばらくね」
「どうして? さやかちゃん、声だけでもかけるとか、顔を出すだけでもとか言ってたじゃない」
「んー……勢いでやめちゃったところもあるから、反省はしてるけどさぁ……でも、これからのこともあるから、おいそれとはね」
「あ……」
そう。魔法少女になれば、きっと部活との両立は叶わないだろう。
部活に入りたいとは思う……けど魔法少女になるかもしれないと揺らいでいる以上は、決断をするべきじゃあない。
ならどうして、剣道用具を持ってきたのかって?
……気分です、ハイ。
音も無く彼女は入ってきた。
「……」
暁美ほむら。
「あ……」
「うし」
「あ、さやかちゃん……」
長髪をひらりと翻す優雅な様を見て、私の足は勝手に動き出す。
ほむらが自分の席に座ろうとする前に、私もそこへたどり着いた。
着席の間際、邪魔者に気付いたのか、ほむらが私の目を見た。
「何」
「いやいやそんな、転校生に圧力かけてるとか、そういうんじゃないから! 楽にして聞いて!」
「……」
どの道、自分の席の前だ。彼女は自分の席に座りたい。
私は話が長くなるからと座るように促す。
なんとなく、私の話を聞かなくてはいけないモードの出来上がりだ。
「……聞きたいことって、何」
「んー、ちょっと、ほむらについてなんだけど」
「部活には入ってないし、シャンプーは普通の石……」
「ああ、そういう自己紹介でするような事でもなくてさっ」
“せっ”というものに多少追求したい気配が感じられたが、後回しだ。
「えっと、あのさ」
出したかった言葉。聞きたかった答え。鼓動が早まる。
「ほむらって、お姉ちゃん……いる?」
「はっ?」
珍しい顔で見返された。
素で驚くほむらの表情だった。一瞬、“脈ありか?”とも思ってしまった。
「い、いるの?」
「いえ……そんなこと聞かれたのは初めてだったから」
ああ。
「……えっと、煤子、っていう人、親戚とかでもいない?」
「ススコ……? いないけれど……」
「そか」
そっか。いないんだ。
「いやぁ、もしかしたらなーくらい思ってたんだけど、勘違いかぁ、ごめんね!」
「そう……」
いないのか。
他にも、キュゥべえについてとか。聞きたいことは色々あった。
魔法少女についても、もちろん、ほむら自身のことについてだって、興味は沢山ある。
けど、それ以上は会話を続ける気になれなかった。
全ての興味が、根こそぎに流されてしまったんだろう。
私の心に深く根ざしていた、思い出の残りかすと一緒に。
「……」
その日の授業では、ぼんやりと空を眺めていた。
煤子さんのことを考えようとしたけど、理性がそれをやめた。
あの人について考えても、私の頭の中にかかる霧が晴れることはない。
私の思考回路を迷わせるだけ。
だから、理性が肩を叩いてくれる。
もう、そこへ行ってはならないよ、と。
あの日々の思い出はやがて、今よりもずっと思い出せなくなって……いつか完全に掠れきってしまうのだろうか。
大人になってしまった子供が、妖精の森に迷い込めなくなってしまうかのように。
「……恭介んとこ、いくかな」
ちょっとぶりに、あいつの顔を見に行こう。
買ったCDも聞かせてやらなくちゃ。
今日はマミさんの魔女退治見学。
ただその前に、恭介に会うことにした。少し遅れると、マミさんには伝えてある。
「上条君喜ぶね」
「うん、だといいんだけどね」
音楽の感性なんて私には備わっていない。
そりゃあちょっとは聞いて耳も慣れたが、恭介に敵う程であるわけもない。
私なんかが選ぶ曲で満足してもらえるかどうか、ちょっと不安だ。
入院して最初の方は思い出したくもないのかいじけていたけど、最近はあいつの気分もそこそこ持ち直している。
まあ、きっと平気でしょう。
「せっかく私が行ってやるんだし! お世辞でも喜んでもらうけどねっ!」
「あはは」
年頃の男の子だ。ノックを欠かしてはいけない。
「よっす」
「さやか」
部屋に入ると、来るまでに呆けていたであろう恭介の表情が、少しだけ明るくなった。
私は自分の荷物を、やたら沢山並んでいる椅子のひとつにどかっと乗せ、恭介のベッドの端に座る。
「来てくれたんだ、ありがとう」
「そろそろ私が恋しくなる頃かなー? って思ってね!」
「あはは、まあね」
「む、そういう大らかな受け止め方されると私が恥ずいだけじゃんか」
それでも朗らかに笑う恭介に内心で安堵し、カバンから例のブツを取り出す。
「これは……」
「そろそろ新曲聴きたいかなって、ね?」
「ありがとうさやか。丁度聞きたいと思ってたんだよ、これ」
「嘘ばっかし!」
「ほんとだよ?」
ああ、なんだかんだ。
恭介と一緒にいるのは楽しい。
CDウォークマンのイヤホンを分かち合い、互いに音楽を楽しむ。
視聴したときよりも音質が悪いのは、愛嬌だ。
「……」
横目に見ると、恭介の目は潤んでいた。
無力感に苛まれている彼の、静かな悲しみが見て取れる。
……恭介の手も、願えば治せるんだろうな。
けど、私がそれを治してどうなるというのだろうか。
恭介が喜ぶ? ま、喜ぶだろう。
でもそれでいいはずがない。
恭介の人生を無闇に操るなんて、そんなことはしたくない。
何よりも、私の願い事は、言っちゃあ悪いんだろうけど、恭介のためだけに使うようなものではない。
使う時が来るとするならば、それは……。
「おまたせっ」
「ん」
前にきつく恭介に言い聞かせてやった言葉がある。
入院して、症状を聞いたばかりの恭介は荒れていたけど、そんなやり取りで沈静化したと言ってもいい。
けれど最近はどうにも、内に溜めたやるせなさや悲しさが、再び溢れているようでもある。
「CDじゃ励ましにはなんないよね……」
「? 上条君、まだショックなのかな」
「ショックは和らいだかも。衝動的ではなくなった感じだよ。だけど、受け止めたからこそ辛いみたいなんだ」
「……そうだよね、冷静になればなるほど、そうだよね……」
音楽に対する考え方を変えようとしても、やはり左手が動かないのは痛手だ。
片手では演奏者にはなれない。それが彼の取り組んでいた音楽だったから。