全てを守れるほど強くなりたい   作:ジェームズ・リッチマン

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何が貴女をそうさせたの!?

 

 竹刀を振る手が止まる。

 

「……本当なの」

 

 恭介の病室で、それは告げられた。

 他でもない恭介自身から。

 

「ああ、ほんのさっき、言われたよ」

 

 ベッドの上で窓の外を眺めながら言う彼の声には、生気がこもっていない。

 声帯に空気を通しただけ。そんな声だ。

 

「どうやっても?」

「ここの医者が言うんだ、間違いはないさ」

 

 竹刀を再び振る。振りながら考える。

 

「もう、治る見込みは無いって。現代の医学じゃあ、到底不可能だって」

 

 強く振る。兜を叩き割るくらいに強く。

 

「……諦めろってさ」

 

 涙ぐむ彼の声で、私の竹刀を握る手が止まった。

 

「……悔しいよ、さやか……全てが恨めしいんだ。何もかもが、この世の全てが敵のように思えてしまうんだ」

「恭介……」

「僕はなんて弱いんだろうね、さやか……ただ、片手が駄目になっただけなのに。こんなにどうしようもないくらい荒れて、嘆いてさ……僕は、こんな僕は」

「恭介は弱くなんてない」

 

 竹刀を振る。白い壁を睨む。

 

「……やりきれなくも、なるでしょ。そんなの」

「……」

 

 しばらくの間、病室に嫌な沈黙が続いた。

 

「……ねえ。恭介はこれからどうするの? いや……恭介は、どうしたいの?」

 

 正直、酷な質問だったと思う。

 

「何もしたくない」

 

 けど、打ちのめされきった彼は答えてくれた。

 自棄っぱちだからこそ、素直になっているんだろう。

 

「恭介は……この世に一つの希望も無いっての?」

「なくなった」

「本当に?」

「ああ……小さい男だろ? 僕は」

「そんなことはないって……」

 

 仕方が無いとはいえ重症だ。参ったな。

 

「じゃあさ……恭介。例えばだけど……自分の左手とあたしの生命だったら、どっちが大事?」

「……」

 

 竹刀を振りながらの間にも、ベッドの上の振り向く音は聞こえてきた。

 

「どうよ」

「……選べない」

「左手でしょ」

「……さやかに嘘はつけないな。軽蔑してくれていいよ」

「するわけないじゃん」

 

 まだ、竹刀を振り続ける。

 

「正直、僕は、恐ろしいんだ……きっと、家族でさえ、僕は……この腕のためなら、もしかしたら……」

「それでいいんだよ、恭介、それだけ大切なものだったんだよ」

 

 素振りをやめ、竹刀を椅子の上へ乱暴に放る。

 

「……酷い人間だ、僕は……ごめん、さやか……」

「親友でしょ、構わないって……それに」

 

 額の汗を拭い、恭介の顔を見る。抜け殻のような、血の気の無い蒼白な顔。

 

「あたしの夢と恭介だったら、私だって多分、自分の夢を選ぶだろうしね」

「……さやか。ひどいやつだな」

「あのねぇ。あたしが生命に代えても恭介が欲しいって言ったら、どう思う?」

「……嬉しいけど、ちょっと気持ち悪いね」

「へっへへ……気持ち悪い言うな。あたしもそう思うけどさ」

 

 涙ぐんだ彼の肩を強めに叩く。

 

「今すぐじゃなくていい。元気だしなよ、恭介」

「……ああ。ありがとう、さやか」

 

 

 

 面会も終わり、廊下へ出てきた。

 まどかは椅子の上でキュゥべえを撫でながら暇を潰していたようだ

 

「よう、お待たせ」

「おか……って、さやかちゃん、なんか汗かいてなあい?」

 

 まどかは私の額を見て気付いたようだ。これはうっかり。

 

「あはは、ちょっと素振りしてた。大丈夫、まどかが想像してるみたいないやらしいことはしてないから」

「そ、そんなこと考えてないよ!?」

「あ、そう?」

「もう……だけど静かにしないと、上条君だけじゃない他の人にも迷惑になるよ?」

「あっはっは、大丈夫、あそこ無駄に広いからねー」

「そういう問題じゃ……」

 

 恭介のことは、まだまどか達には伏せておくことにした。

 

 腕が治らない。それを言うべきかどうかは、本人から確認をとってからの方が良いだろう。

 今日だって、話すまでに間があったのだ。躊躇するに違いない。

 

 恭介だって自分が惨めだと思う姿を、あまり見られたくないだろうから。

 

 そんなことを考えて、病院に併設されている大きな駐輪場内を歩いていたんだけど。

 

「……!」

 

 院の外壁に、それどころじゃないものが見えてしまった。

 

「さ、さやかちゃん……あそこ……」

「グリーフシード!」

「本当だ! 孵化しかかってる!」

 

 ああ、キュゥべえのお墨付きまでもらってしまった。時間の猶予は短いか?

 

「嘘……何でこんなところに」

 

 白い壁に打ち込まれたように存在するそれは、禍々しい輝きを放ちながら壁を侵食している。

 ちょっとずつ。けどナメクジの行進なんかよりは比較にならないほど速く。ああ駄目だ、どうも長く待てるタイプのやつじゃなさそうだ……。

 

「マズいよ、早く逃げないと! もうすぐ結界が出来上がる!」

「まどか。マミさんの携帯、聞いてる?」

「え? ううん」

 

 しまった。学校で会えるからって失念してた。

 迂闊だ。こういうケースだってあり得るだろ。私はバカかっての。

 

「まどか、ごめん。手分けしよう。先行ってマミさんを呼んで来てくれる?」

「うん! けど、さやかちゃんは……?」

「あたしはこいつを見張ってる」

「そんな!」

 

 いざとなれば避難誘導くらいはできるかもしれない。

 

「無茶だよ! 中の魔女が出てくるまでにはまだ時間があるけど……」

「何?」

「結界が閉じたら、君は外に出られなくなる……マミの助けが間に合うかどうか」

 

 なるほど。リスクが大きいな……けど。

 

「結界が出来上がったら、グリーフシードの居所も分からなくなっちゃうんでしょ?」

 

 グリーフシードは魔女の本体だ。

 本体が動く前にグリーフシードの位置を捕捉しておかないと、被害が拡大していくかもしれない。

 病院が巻き込まれてからでは、大勢の犠牲者が出るかも。

 

「放っておけないよ」

「じゃあまどか、先に行ってくれ。さやかには僕が付いてる」

「うん」

「まどか、ダッシュ!」

「う、うん! すぐに連れてくるから!」

 

 彼女はよろけながらも、彼女なりの駆け足で病院から離れていった。

 

「マミならここまで来れば、テレパシーで僕の位置が分かるだろう」

「うん」

「ここでさやかと一緒にグリーフシードを見張っていれば、最短距離で結界を抜けられるよう、マミを誘導できるから」

「ありがとう、キュウべえ」

 

 私はキュゥべえを抱きしめ、広がっていく異空間にじわじわと飲み込まれていった。

 

 

 

 お菓子だらけの空間。

 糖分たっぷりの物で溢れ返っているというのに、甘い匂いは一切ない。

 きっと、ここにあるお菓子は食べられないのだろう。

 

 時々小さな使い魔らしき生き物が、結界の中を歩いているようだ。

 その気配を察して物陰に隠れる。

 

 あんな小さな生き物相手に無力なのは歯がゆいけど、魔法少女じゃないのだから仕方がない。

 何をしてくるかわからないのだから。

 

「怖いかい? さやか」

「え?」

「この結界がさ」

「うーん」

 

 怖い? 怖い……か。脅威だと思う。けど怖い……か。ピンとはこないな。

 

「願い事さえ決めてくれれば、今この場で君を魔法少女にしてあげることも出来るんだけど……」

「……」

 

 足を止める。そして、思わず微笑む。

 ああ、まあ、そうなんだよね。だから怖いとは思わないんだ。

 

 グリーフシードの見張り。それはただの方便でしかなくて。

 

 本当のことを言えば、私はただ一人になりたかっただけ。

 まどかにマミさんを呼ばせ、誰にも邪魔されないような状況を作りたかった。

 

 何より、私のせいでまどかの決断を焦らせないように。

 仕方ないことなんだと思わせられるように。

 

 私は、この時を待っていたんだ。

 

「さやか?」

「キュゥべえ……良いよ」

「!」

「契約しよっか」

「待ちなさい!」

 

 凛々しい声が後ろから聞こえてきた。

 

「ありゃ」

 

 つい、にやついた顔のまま振り向いてしまう。

 

「ほむら」

「……さやか……」

 

 そこには少し息を切らせたような、魔法少女姿のほむらが追いついていた。

 私からは少しだけ距離を保ち、こちらの様子を窺っている。

 

 猜疑心? 不安? いや、やっぱり疑念?

 ……よくわからない。

 

「……鹿目まどかと、巴マミは?」

「まどかなら、マミさんを呼びにいったよ。まだもうちょっとかかるんじゃない?」

「……そう」

「ほむらは何しにきたの? っていうか、どうしてまだ現れてもいない魔女を……」

 

 うっすら浮かんだ汗を指ではじき、再び凛とした、今度は疲れのない余裕の冷静さで、私を見据えた。

 

「契約するのはやめなさい、さやか」

「どうして」

「……魔法少女になってはいけない」

 

 また、この複雑な表情だ。

 私にはほむらの意図が読めない。

 

「あたし、人の目を見れば何考えてんのか、だいたいわかるの」

「何……」

「テレパシーでもなんでもないけどさ。人の性格とか、考えてることとか。そういうのがなんとなくわかるんだけどさ」

「……」

「ほむらの目を見ても、何もわからない」

「……さやか」

「目的は隠すし、行動を見ても、なんも読めない」

 

 意図的に隠している。なにか分厚いもので、覆っているかのように。

 そんな彼女を見ると……苛々する。

 

「ねえ。正直に、隠していることを話すなら今だよ、ほむら。ここにはマミさんもいないし……まどかだっていない」

 

 ほむらを睨む。空気が一変して、急速に張り詰めてゆく。

 

「私に契約するなって、ほむらは言ったよね」

「……言ったわ」

「ならさ。ここで隠している事、すぐに打ち明けてよ」

「なっ……」

 

 驚きの表情。なんだ、案外抜けてる所があるのか。

 彼女は何かを隠している。言いにくい事を隠している。それは契約について?

 

「でないと私、この場でキュゥべえと契約して、魔女を倒しにいくから」

「さやか! それは……!」

「何よ、契約するかどうかは私の勝手。本気で止めたいのなら理由を言ってよ」

 

 キュゥべえを正面へ突き出すと、近寄ろうとしたほむらの脚が止まった。

 

「?」

「……くっ」

 

 キュゥべえと私を見比べて動くことができない。

 おどおどと頼りない姿に、私はまた苛立ってしまう。

 

 ああ、そうか。この苛立ちは。

 うろたえる情けないほむらの姿が、似ても似つかない煤子さんとそっくりだから……こんなにも心がささくれるのか。

 

「……そんな顔で、そんな顔するな」

「何故……」

「何故? 何がよ、はっきりしてよ、私はね、」

「どうして!? さやからしくない!」

「はぁ?」

 

 唐突なほむらの叫び。感情の発露。

 

「どうして貴女は、私が知ってる美樹さやかじゃないの!」

「……!」

 

 互いの違和感がちょっとだけ触れ合い、私の頭に静電気が走った。

 

「何が貴女をそうさせたの!?」

 

 不満? 戸惑い? 葛藤?

 顕にされているにも関わらず、全く読むことのできないほむらの感情を前に、私の思考は停止した。

 

「確かに貴女は冷静よ! それはわかる、けど……けど全てを受け止められるというの!? そんなのありえない!」

 

 畳み掛けられる言葉。自問混じりの叫びがお菓子の空間に響く。

 

「誰も人を理解しようとはしない……誰も、上辺の興味は抱いても、それを認めるわけじゃない! もう誰にも頼らないと決めたのに、それなのに、……!」

「っ」

 

 叫びに涙も加わった。言っていることの意味もわからない。

 狂気だ。短絡的に判断するならそう感じた。けど、これは……。

 

 少ししてほむらは涙を拭い、感情を押し殺した目に戻った。

 

「……もういい。全てあなたの好きにしなさい、さやか」

「……」

「ただし、ここの魔女は私が始末する……あなたの出る幕ではない」

 

 ほむらは私の真横を抜け、結界の奥へと駆けていった。

 去り際には流し目も無かった。

 

 ただ冷たい目で、動かぬ表情で、私を抜き去っていったのだ。

 

「……なんか、諦められた」

 

 彼女は私の何かを見限った。何かって? きっと私自身をだ。そんな分かれ方だった。

 失礼な話だ。言いくるめられてもいないのに、勝手にしろだと。

 

「怒った。もう本当に怒ったかんね、私」

 

 ただでさえほむらと話していると頭の中に霧がかかるっていうのに。

 最後にバカでかい濃霧を吐いて去ってしまうなんて。

 そんなの許せる? 私なら許せないね!

 意味深なYes/Noの質問を30回分岐させられた挙げ句に結果が出ないようなものだ!

 

 最初から他人を見下して! 何も始まってさえいないのに見捨てやがって!

 まして、煤子さんとそっくりな、あの顔で!

 

「キュゥべえ! 聞いて!」

「言ってごらん」

 

 白いふわふわを両手で持ち上げる。

 

「冷静になれ、慎重になれ、そうは言われ続けてきたけど……私はどーしても、がんがん突き進むこの癖だけが直らない!」

「何の話だい?」

「抑えつけられても、どうしても曲げられない背骨が一本あるせいで苦労したことも、ちょっとある!」

 

 これは理性ではない。感情の問題だ。わかっている。

 

「けどやっぱ契約する」

「ほう」

 

 赤い瞳に、今にも吸い込まれそうだ。

 

「ねえキュゥべえ。私って魔法少女になったら強いかな」

「今よりは強くなれるよ」

「不安になる言い方だね、それ。あんま強くならないの? マミさんくらいになる?」

「マミは最初こそへっぽこだったけど、修練を積んで強くなっていったんだ」

「比較に私を出してほしいね。キュゥべえ、契約したばっかりのマミさんと契約したばっかりの私だったら、強さの割合でいえば何対何よ」

「魔法少女としての素質かい? 様々な要因が関わってくるから正確にはわからないけど正直に言うよ、およそ三対一だ」

「ぐふッ」

 

 い、いかん。今のはさすがにちょっぴり決心が揺らぐ。

 

「けど相性っていうのもあるからね。さやかがどのような願い事で契約するかによって、使える魔法の形も大きく変わってくるはずだよ」

「ほほう、詳しく聞きたいところ……だけど、願い事はもう決まってるんですね」

「良いのかい?」

「私の本質だもんね。変わるものじゃないよ」

 

 たとえ私が三人束になってマミさんと同等の力しか持たない魔法少女だとしても、それくらいで私の願望は、夢は、揺らぐことはない。

 恭介の左手ほどもね。

 

「ちゃんと一言も漏らさず聞いて、私の願いを叶えてよ。キュゥべえ」

「いいだろう。君は何を望んで、その魂を差し出してくれる?」

 

 私の願い。なりたかった私。

 まるで夢、御伽噺の勇者。教室で言えば数年来の友達も笑うだろう。

 

 けど私は本気だ。

 漠然とした指標のひとつが、形として成り立つというのであれば。

 

 魂だろうが寿命だろうが、喜んで差し出してやるわ。

 

 

 何を対価に差し出してでも大きすぎる、私の傲慢な願いこそ――

 

 

「全てを守れるほど、強くなりたい」

 

 


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