全てを守れるほど強くなりたい   作:ジェームズ・リッチマン

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その気になればできるはず

 

 † 8月10日

 

 

 “なんでこんな面倒な動きを”と内心馬鹿にしていた私だったけれど、実際に動きがスムーズに運ぶようになって、改めて煤子さんの教えの凄さを知った。

 

 

「飲み込みが早いわね、その調子よ」

「はい!」

 

 元々運動神経の良かった私は、煤子さんも驚くほどの早さで動きを習得していったらしい。

 この時にやっていた練習といえば、歩きながら続けざまに面打ち、胴打ちをしてくる煤子さんに対して、右半身を向けながら攻撃を受け止めつつ後退するというものだった。

 右手は棒で守り、けど左手も意識させつつ。

 

 この練習が何を成すのかはわからない。

 煤子さんに訊ねれば「役に立たないものはないわ」と言って、「何に役立つのかを考えてみなさい」と、逆に私に考えさせる。

 

 だから私は練習中に、これが何に役立つのかを考えていた。

 この横向き後退だけではない。素早い後ろ歩きやしゃがみ歩き、竹刀さえも使った咄嗟の動きなど、沢山の動きを教えてもらった。

 

 それら全てを、私の日常の役立ちに結びつけることは難しかった。

 けれど、運動は好きだったし、動きそのものの合理性は理解できた。

 

 だから続けられたのだ。

 

 何より……。

 

「そう、良いわよ。無駄がなくなってきたわ」

「へへっ……」

 

 煤子さんに褒められるのが、嬉しかった。

 

 

 

「これ、好きなのね?」

「んっ……んくっ……」

「ふふっ……どう?」

「……美味しい!」

「こら、口元、こぼしてるわよ」

 

 運動の後のスポーツドリンクは美味しい。

 煤子さんと二人きり、誰も居ない閑散とした道。

 

 去年までは友達と遊んでいたこの夏休みも、すっかり煤子さんとの時間に取って代わっていた。

 それまではずっとゲームや公園だったのに、不思議なものだ。

 

 そして、夏休みといえば……。

 

「さて、運動で汗をかいたところで……宿題を見せてくれるかしらね」

「う」

 

 煤子さんは運動だけでなく、勉強も教えてくれた。

 運動は楽しい。それがよくわからない動きであっても、覚えるのは苦じゃないから。けれど、当時の私にとって勉強だけは、どうも苦手な分野だったのだ。

 煤子さんと過ごす時間は、不思議とゆっくり流れていくような気分にもなり、そんな思い込みも相まって……苦しい時間は長いように思えた。

 

「目算で40点、相変わらずね、さやか」

「ひいい……」

 

 算数のドリルに目を通した煤子さんの、五秒後の感想がそれだった。

 このときは瞬時に採点できる煤子さんを「やっぱりお姉さんは違うなあ」くらいにしか思っていなかったが、今にして思えば怪物的な計算速度だと思う。まだまだこの域には至らない。

 

「……私もつきっきりで勉強を教えるなんて事はできないし、いつか一人で勉強ができるようになってもらわないとね」

「一人でって……私にできるかなぁ」

「できるように、なるの。貴女なら……さやか。貴女にならきっと、いいえ、絶対にできるようになるわ」

 

 採点だけでドリルは閉じられてしまった。

 煤子さんは私の頭を撫でながら、ゆっくりと赤くなりつつある空を見上げている。

 

「……そうね、私が勉強が得意になるまでの話でもしてあげましょうか」

「煤子さんの話?」

「ええ。私も昔、勉強は苦手だったのよ」

「え? うそお」

「本当よ。今のさやかくらい、頭が悪かったかも。色々と事情はあったにせよ……」

「煤子さんも馬鹿だったんですね!」

 

 さすがにげんこつは飛んできた。

 

 

 

 † それは8月10日の出来事だった。

 

 

 

 

「……」

 

 巴マミは憂鬱そうに食器を洗っている。

 近頃なら鼻歌交じりにこなしていた日課だが、今日はその手付きも重い。

 

「マミ、元気が無いね。大丈夫かい?」

「キュゥべえ……ううん、元気が無いわけじゃあ、ないんだけどね」

「さやかのことかい?」

「……ええ、そう、なのかしら」

 

 マミは今日、さやかが魔法少女として契約したことについて考えていた。

 日常から非日常へと踏み出した後輩。その一歩目。

 秘密を共有する気心の知れた仲間を待ち望んでいたのは本心だ。

 

「契約は彼女の意思次第だからね。本人に素質がある以上は、僕は断れないよ」

「……そういうものなのね。あまりそのことには、気にしてないんだけどね」

「そうなのかい」

「うん」

 

 泡を洗い流し、シンクの鈍い光を見つめる。

 

「不安。なのかな、これ……」

「珍しく、僕にもわからない悩みを抱えているみたいだね」

「……美樹さんは、力を願ったと言っていた……」

「そうだね、さやか自身が言ったことだ」

 

 さやかはあの後、自分の願い事を打ち明けた。

 まどかに訊かれたから答えるんじゃないよ、とわざわざ前置きして。

 

 内容はまさに“力”そのもの。

 

「……全てを守れるほどの力。それって、他人のためよね」

「使おうと思えば自分のためにもなるけれど、そうだろうね」

「……不安だわ」

 

 他のための願い。それは美しいものだ。

 マミも否定するつもりはない。魔法少女として生きるならば、いっそそんな矜持こそが最も強靭で、最後まで残り得るものだとも考えている。

 

 しかし、それがよりにもよって力とは。

 さやかはきっと、強い思いがあってこそ、そんな願いを叶えたのだろう。

 だが強い一本の柱をも砕いてしまいかねない存在を、思い出さずにはいられない。

 

 

 

 “甘っちょろいんだよ、あんたは”

 

 “あんた、いつか絶対に「折れ」ちまうな”

 

 “「ここ」はくれてやる”

 

 “だが「こっち」には来るんじゃねえぞ”

 

 

「……美樹さん、信念が折れなければいいのだけれど」

「それは彼女の心次第だね……」

 

 


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