「私はさやかと巴マミ、貴女たちと同盟を結んだ。だからこそ私はここで、抑止のために銃口を向けている」
ほむらの銃口の一つは私に向いている。
手は震えてもいない。撃とうと思えばいつでも撃てる。
それは抑止として成り立つ、ハッタリではない脅威だった。
「……」
だが杏子の表情はどう見ても、舌打ち一つで“ここはひとまず退散してやる”と去ってくれるようなものではなかった。
本来なら三人の魔法少女を前にすればそうなるはずだ。けど、彼女はそうしない。
ただ杏子は、ほむらを睨んでいた。
「……おい」
「何かしら」
「……名前、なんつーんだ」
「私は“ほむら”よ」
「ほう、ほむら……ねぇ」
杏子は笑い、銃など知るかとでも言いたげに槍を構えた。
それと同時に、甲高い金属音が槍を弾く。
「!」
ほんの一瞬も目を離していなかったはずなのに、杏子が構えた槍は、いつの間にやら発射された銃弾によって吹き飛ばされていた。
「私は冷静な人の味方で、馬鹿の敵よ」
ぼんやりと手元を見る杏子に、ほむらはあくまでも冷静に言ってみせる。
「貴女はどっちなの? 佐倉杏子」
「っは! 正義の味方って言ったら信じてくれんのかい?」
「!」
吐き捨てるような笑いに、冷静さの片鱗は無い。
杏子へ向けた銃のトリガーに、深く指が掛かるのを見た。
「ほむらだっけアンタ!? いいねえ、面白いじゃんか!」
杏子の頭の髪留めが、小さくゆらゆらと燃えている。
シスターのヴェールが炎に巻かれて消失し、ポニーテールが顕わになった。
炎は何かから燃え移ったとも思えない。
一見すると危ないその現象に、私は目で見える範囲での常識を全て捨て去った際に残った嫌な予感を覚え、身体を動かした。
「ほむら、駄目ェ!」
銃弾が放たれる音はした。
銃口はまっすぐ杏子に向けられていたし、杏子の足を狙ったことは、撃つ前からなんとなくわかっていた。
ほむらの撃つ弾は、おかしな軌道で放たれる。おかしな軌道で放たれ、必ず目的のそこへと当たるのだ。
「――ハ」
普通なら全く予想できないはずだ。
だけど“撃つだろうな”とはわかっていても決して避けられない、正確無比で無慈悲なほど速い銃弾の攻撃を、杏子は確かに“躱した”。
床に空いた穴を見るに足の甲、膝下、腿の三箇所を狙ったであろう銃弾その全てを、有り得ないほど早い動きで避けてみせたのだ!
それは薬室が炸裂する音と、杏子の動きにより空気が弾けるような音を同時に立てた、一瞬の出来事だった。
「――」
ほむらはその一瞬の“敗北の結果”に気付いていない。
彼女は“躱される”とは思っていないからだ。
だから私が咄嗟に動いた。
ほむらの肩を押しのけ、剣を前へ。
相手の槍がこちらを貫くよりも、先に、前へ!
「うおおっ……!」
空中戦の動きの何倍も速い地上戦。
その地上戦より何倍も速い槍の一突きが、不完全な防御体勢の私を容赦なく突き飛ばした。
「がぁッ!」
「きゃ……!」
槍の柄にロケットブースターでも仕込んでいるのかと疑いたくなるほど重い一撃。
すんでの所で剣を盾にした私と、その後ろのほむらがまとめて押しやるほどの衝撃。
私達は結界の端まで吹っ飛んだ。
槍に押された。そうに違いない。それなのに、宙をふわりと飛ぶ私たちの身体はいつまでも落下することがない。
ついに“どごん”と嫌な音を立てて、結界の壁に叩きつけられた。
「いったぁああ……!」
「うぐ……!」
背中に走る強烈な痛みはなるほど、抑えられてはいるのだろうけど、魔法少女にならないと味わうことがないのだろうなと、ぼんやり思った。
「ははは! やっぱりな、いいねぇ今の! 良い闘いだった!」
髪飾りを燃やす魔法少女がケタケタと笑いながらこちらへ近づいてくる。
「まさか今のあたしにもまだ“炎”が見れるなんてね!思ってもいなかったよ!」
「アンタ……」
「怒ったか? 来いよ!いくらでも相手してやる! そっちのほむらって奴もな!」
ああ、そういう……。
こいつは、グリーフシードだとか、縄張りだとか、そういうもののために今、戦っているわけではないんだな。
わかった。私はこいつの存在の一端を理解した。
こいつは間違いない。私たちと戦うために、ここにいるのだ。
「美樹さん! 暁美さん!」
「さやかちゃん!」
耳は正常らしい。目もしっかりと、こちらへ近づく杏子を映している。
背中を打ち付けて、少し呼吸が乱れているだけだ。
ほむらも……意識はある。
杏子を睨む元気があるようで、こっちも元気になれそう。
「……ほむら。あいつ、知り合い? ごほっ」
「ええ……かと思ったけど、銃弾を見てから避けるような超常生物は知らないわ……」
「魔法少女の時点で……今はいいや、なんとかしよう」
大きくへこんだ壁に背をつけ、私たちは小声でぼそりぼそりと、かつ素早く話した。
「さっきは油断したけど、今度は大丈夫。私が時間を稼ぐわ」
「いや、私がやる。ほむらはまどかを逃がして」
「良いのね」
「うん」
「無事でいて」
手短な作戦会議は終わった。
私は咳をひとつ吐いて、起き上がった。マントを払い、身体に纏う。
そして睨む。
数分で私の中の第一印象最悪ランキング堂々たる一位へと上り詰めた、目の前の危険人物、魔法戦闘狂シスター・杏子を。
「さあ来な……マミじゃあちと弱いが、あんたなら楽しめそうだ」
「……どうしましょっかねえ……」
戦闘再開だ。
髪留めの炎で完全に燃えきったヴェールの切れ端が、炎を灯しながら灰のようにふわりと流れ落ちてゆく。
何故髪留めが燃えるのか? そういうコスチュームなのか?
わからない。いや、今は考えても仕方の無いことだ。
魔女や魔法少女相手では不可解な事が多すぎる。
姿に意味を探るのは危険だ。
「なんで、私たちと戦うのさ」
この言葉に意味は無い。相手は戦闘狂だ。
「戦いたいから戦うのさ」
ほれみたことか。けど時間稼ぎにはなる。
「人殺しが趣味の魔法少女がいるなんてね」
「殺すかどうかは運次第だよ。本気でやるから、死なないように頑張りな」
ああ、だめだこの子は。
この子にとって、人の生き死になんてどうでもいいんだ。重要なのは本気の殺し合いかどうかなんだ。
本物の戦闘狂だ。
「! ……ありゃ、まただ。目ぇ離してないのに、消えやがる。どうなってんだか……」
杏子の驚きに、私の後ろのほむらが居なくなったことを知る。
といっても、私は後ろを見ない。
別に彼女の能力を知ってるわけじゃない。私に余裕がないだけだ。
正面でふらりと槍を構える杏子から、目を離せないのだ。
私の視界の隅からまどかが消え、マミさんも消え、少しずつ壊れゆく結界の中には私と、杏子だけが残されていた。
杏子の闘志は衰えず、むしろ邪魔者が居なくなったとばかりに、槍を手の中で回すなどして、上機嫌でもあるようだった。
「さーて」
彼女がいくらか手遊びに興じた後、それまでの油断丸出しな動きを裏切るかのように。
「っシ!」
「ぐう!」
槍は素早く突き出された。
私が相手の足捌きを読めずに、剣で軌道を逸らせずにいたならば、間違いなく腹には穴が空いてたはずだ。
十分な間合いを一気に詰めて放たれる槍のリーチには何度でも驚かされるし、これから始まる戦いでも驚かされるに違いない。
なんといっても魔法の槍だ。その有効範囲は倍以上と見積もっても損はあるまい。
――なら、少しでも。
こちらもリーチを稼がなくてはならない。
同時に、相手の繰り出す槍の威力に負けないほどの武器でなくてはならない。
私は願いを叶えた。力の願いを。
それを今、解き放つのみ!
「“アンデルセン”!」
「うぉお!?」
大剣アンデルセン。作り方は簡単だ。
二本のサーベルを、掌で包み込むようにして持つだけ。これで一本の大剣となる。
柄を両手で握り締めれば、内側から力が沸いてくる。
人が握れば腕が折れてしまいそうな重量感も、不思議なことに微塵も感じられない。
「“フェルマータ”ァ!」
「!」
剣に見惚れた相手に、容赦なく大剣を振り下ろす。モーションは最少に、何よりも素早く。
切っ先へと流れ溢れる衝撃波が、剣以上の太さのエネルギーとなって杏子を襲った。
「うっ、ぐぁ……!」
うめき声の割には随分とにやけた口元を見て、やはり恐ろしい相手なのだなと再確認する。
そして私も覚悟を決めた。
「よし……全治一ヶ月くらいにはボコボコにしてやる!」
「ッハ! 上等だ!」
紅い髪に再び、より大きな赤い炎が灯った。
「あらよっと」
杏子が槍で地面を突けば、そこからすぐに動きを変わる。
まるで万能な脚が一本、杏子に備わっているのではないか。そう思わせるほど鮮やかに、槍の一発で杏子は浮いた。
そして次の瞬間に、槍が六つの節に解れ、それらがまるで蛇のように杏子の周囲を取り巻いた。
「こいつでリーチを伸ばしてザックリ……って甘ぇ戦術は、あんたにゃ効きそうもないからな! 種はさっさとバラしてやるよ!」
「ありがたいね!」
内心では“ああチクショー、面倒な”と思ってるんだけど、そうも言っちゃあいられない。
「ほら!」
「うわっ!」
素早く回避。鞭のように振るわれた長い槍が、私の足元だった場所を抉り取っていた。
長さと遠心力による威力は、通常の槍の数倍はあろう。魔法少女の頑丈さでも耐えられるのか? 試したくはない。
「へっ、逃げてばっかじゃ始まらないよ!」
しかも大振りの後にできるはずの“武器の反動”は、槍をすぐに元の形状に戻すことによってキャンセルさせている。
都合よく、鞭のように撓って伸び縮みする槍。厄介だ。
しかし。
「うおおお!」
「ほお、これ見ても来るか!」
距離はある。それでも杏子のもとへと駆け出してゆく。
私の武器が剣であり、伸びない以上は、近づかなくては勝利は無いのだ。
小細工は相手に通用しない。ここは勇気をもって、自分の剣術を信じて切り込むしかない。
「間合いに入れさせっかよ!」
再び槍が分解され、多節棍となり襲い掛かる。
腰辺りを狙った、当てることを重視する横振りだ。跳躍では脚をやられ、中腰では頭が避けられない、絶妙な高さ。
その位置を信じてた!
「!」
私の膝は最大限に折れ曲がり、身体はほぼ寝かせた体勢で、つま先だけで床を滑る。
勢いに任せた、強引なリンボーダンス。
横に凪がれた槍は、私の鼻上三センチ先を掠めて、風だけを残していった。
と同時に私の身体は、手も着かず力任せに起き上がる。
危なかった!
身体の柔軟性があと少しでも悪かったら顔がまるっきり削げ落ちてたし!
けど相手はガラ空きだ! さっきの攻撃を見て槍の伸縮時間も把握した! 懐に潜って攻めるなら今しかない!
決め手がどうなるかはわからない。相手はいくらでも対応してくるだろう。
けど接近戦、剣のリーチならこっちのものだ。王手をかけ続ける詰め将棋ほど気楽なものはない。
杏子を防御だけに回らせて、ゴリ押ししてやる!
距離にして槍二本分の間合い。
私の大剣は切っ先を地面すれすれに構えられ、杏子の槍は未だ多節棍状態から戻れていない。
「へっ」
が、杏子はその槍を構え続けている。
元の槍へと伸縮する多節棍。
私の背後から迫り来る、“元の形状へ戻ろうとする”槍先。
それを、こちらに当てようとしているのだ。
「後ろでしょ、知ってる」
が、やっと持ち上げられた私の大剣の切っ先は、既に後ろに振り被られている。
翻る私の身体。風を受けて膨らむ白いマント。
持ち上げた剣の広い刀身により、背後から小賢しく迫る槍先は弾かれた。
「そう来るんだろ?」
ところが、私の無茶な構え方による僅かなモーションの隙を予想していたか、杏子の蹴りは既に目の前に来ていた。
剣を構えない右サイドから来る蹴りは脇腹か、頭を狙っている。
杏子は最初から槍を捨てるつもりだったのだ。
――ま、私もなんだけどね。
「!?」
大剣を振りかぶったモーションのため、右肩が杏子に向けられている。
私の身体は白いマントで覆い隠され、杏子からは私の腕の動きが完全には把握できないだろう。
だから私は、大剣が後ろの槍先を弾いた直後には、既に剣から手を離していた。
確実に。接近した杏子に、確実な拳を見舞うために。
「うぐっ!」
「ぎっ……!」
マントごと殴りつけた私の拳が、杏子の繰り出す脚の脛を迎え撃つ。
鈍い音が脚と拳から響いてきた。
私の指は軋むような音を上げ、杏子の脛からは薄い血が舞った。