神がいたとしても、私を裁いてはくれない
† 8月12日
「……」
煤子が宛ても無く歩いている最中、目に留まったものは教会だった。
大きな、しかし寂れた教会。
人の姿はなく、建物の前に車らしきものもない。 ほとんど誰も通っていない施設らしかった。
「ああ……ここが」
彼女は歩みを曲げて、教会の扉を開いた。
聖堂の造りは見事なものだった。高い位置のステンドグラスから零れてくる宵の月明かりは神秘的に見える。
しかし、その空間に配置されている像や、象徴などは、既知のそれらとは違うようだった。
十字架でもない、棗でもない。
見知らぬ聖者に見知らぬ聖母。
少しでも聞きかじった程度の予備知識があれば、この施設が既存の教えをもじった新興宗教のものであるとわかるだろう。
「……」
彼女は聖堂の中央に跪き、かつて過去に見た儚き聖女のように手を結び、祈った。
「……」
何に祈るのか。
いいや、祈りではない。
彼女にとって、それはとても言葉にできない懺悔だった。
木の軋む音がして、脇の扉から小さな少女が入ってくる。
「誰……?」
「……」
幼いながらも、目元にははっきりとした面影を見ることが出来る少女。
それは教会の娘、佐倉杏子だった。
今は小学校の高学年であるはずなのに、背は低い。日ごろの栄養不足のせいだろう。
顔色も良くは見えないかった。
この時の彼女は、まともな食事にありつけていないのだ。
「……どうか、なされたんですか?」
「……こうして、いたくて」
結んだ手は解かず、絨毯の上でそのまま拝み続ける。
「! あ、あの、告解ですか?」
「告解……」
「は、はい、悩み事があれば何でも!」
爛々とした目でこちらに迫る杏子に、煤子は貧しい教会の事情を思い浮かべ、複雑な気持ちになった。
そしてもう一つ思うことは、彼女に深く関わるべきか、否か。
「きっとあなたのお力に、なりますよ!」
「……」
意は決した。
狭い小部屋の中で、黒いヴェールを隔てて二人が座る。
煤子の面持ちは変わらず、杏子の方は緊張で強張っている。
一見どちらの告解か解り難いが、ここでは煤子の告白が行われる。
「さあ、どうぞ、あなたの罪の告白を……」
「……罪」
「はい、あなたが心の靄を払うことを望むなら、あなた自身が自覚する靄を告白しなければならないのです」
「……」
靄。それを負い目と解釈した彼女は俯き、考える。
そして答えは出た。
「神はあなたが自覚し、告白した罪の全てを赦すでしょう……」
「……ごめんなさい、私、告白することができないわ」
「えっ……」
懺悔室の分厚い扉を開け、外に出る。
するとほぼ同時に、向こう側の扉から杏子も出てきた。
「あ、あの、思いつめているなら、ぜひ……」
「……私は罪を自覚し続け、それを上塗りすることで余生を生きると決めたの……そんな私を、きっと何者も私を赦せないわ」
「……そんな」
今にも泣き出しそうな杏子の頬を撫ぜる。
「……ごめんなさい、でも、そんな私を赦せるとしたら……神ではなく」
「……?」
「貴女という、一人の人間なのかも、しれないわね……」
† それは8月12日の出来事だった
ゲームセンターの中を一周している間に絡んできた男達を適当にあしらい、暁美ほむらはクレーンのコーナーへ戻ってきた。
汚い店内の空気から逃れるように自動ドアを素早く潜り、自販機の前でため息をつく。
彼女は佐倉杏子を探していたのだった。
「……いない、か」
薄々とわかっていたことではある。
杏子の性格も行動も、全て今までのものと異なっていた。性格だけでも違えば、行動が変化し些細な未来でも変わってしまう。徒労に終わるだろうとは、なんとなく覚悟していたことではあった。
ほむらは店のそばにある自販機で飲み慣れていないコーヒーを買うと、機械のわずかな明かりを使ってプルトップを開ける。
仄かな香りを一呼吸分だけ味わってから、すぐに口を付けた。
やはり苦味は、慣れないものだ。
──けど、今の彼女なら、きっと乗ってくれるはず
休日前の夜。帰路を歩く人々の疲れきった顔を注視しながら、ほむらは魔女の気配を探っていた。
「!」
肌を舐める強い魔力の波動に目線をずらす。
そこには一人のシスターが立っていた。杏子だ。
「色々と変化しても……変わらないこともあるのね、何故かしら」
にやけそうな口元に缶を押し付け、ほむらは足を止めたシスターに向かい合う。
「甘い飲み物は好きか?」
「ええ」
「そうか」
シスターがブーツの底を鳴らしながら、ほむらに歩み寄ってくる。
「アタシはそれなりだな」
ほむらの目の前までやってくると、ポケットの中の小銭を自販機に突っ込んだ。
ボタンを強めに叩き、落ちてきたペットボトルを掲げて見せる。
それはスポーツドリンクだった。
「甘いもん食うなら、こんくらいの甘さが丁度良いんだ」
「……ふふ、そう」
「食うかい」
「ありがとう、いただくわ」
プレッツェルを一本齧り、新しく買ったココアを飲む。
──……襲い掛かってくるものと思っていたけれど、随分と友好的なのね
ほむらから見て、杏子は穏やかそうに見える。
さやかと戦っていた時の荒々しさからは想像もできないほどだ。
「ねえ、杏子」
「アンタ、ほむらって言ったな」
「……ええ」
「煤子さんって知ってるか」
「……」
ココアの缶を持つ手に力が篭ったが、スチール缶がへこむ前に頭は醒めた。
「さやかからも同じ事を聞かれたわ。知っているか、って」
「……じゃあ」
「姉がいるか、と聞かれもしたわね」
「……いねーのか」
さやかといい杏子といい、柄ではないはずなのに。
同じ“いない”、“知らない”と返せば、落胆の表情を隠そうともしない。
「まぁいいや、気にするな」
「……そうするわ」
「で、こんな時間に一人でゲーセン入って、何してたのさ?」
「……」
はぐらかそうとすれば、目敏く追い詰められるかもしれない。
さやかの妙な勘の鋭さもある。彼女に対しても嘘はつけないだろう。
「貴女を探していたの」
「ほー、アタシをねえ……行きつけを知ってる事については聞かないでおくけど、何の用だ」
「……二週間後に、ワルプルギスの夜がやってくる」
「知ってる」
どう信用させたものかと考えていたが、虚を突かれた形だった。
今までに佐倉杏子がワルプルギスの襲来を予知していたことなどなかったはずなのに。
「……そう」
「あの白いアホ面から聞いてるんでな」
「そうだったの」
キュウべえが既に杏子に話していた?
違和感のある変化だったが、考えても理由はわからない。
ほむらはとりあえずココアを飲み干して仕切り直すことにした。
「知っているなら、話は早いわ」
「ほー」
「ワルプルギス討伐のために、私に協力して」
「逆だろ?」
「え?」
口の中のプレッツェルをドリンクで流し込み、ヴェールの裾を払ってほむらを睨む。
「共闘したいなら、アンタが頼むのが筋ってもんだろう? アタシのワルプルギス討伐に協力させてくださいってな」
「……」
いつにも増して傲慢さが増している気がしないでもないが、発言の意図の一つは理解できた。
杏子自身が自分の意志で戦おうとしているという事だ。
「杏子は、ワルプルギスの夜と戦うつもりなのね」
「当然! 最強の魔女なんだろ? アタシが戦わないでどうすんのさ」
袋に残ったプレッツェルの破片を口の中に流し込み、音を立てて咀嚼する。
ちらりと見える八重歯はいつにも増して恐ろしい。
「……なら、協力──」
「やだね」
わざわざ遠回しにされた上に即答の拒否。
これには可能な限りの譲歩を見せようと考えていたほむらも、眉間に皺を寄せた。
「何故かって? 邪魔だからさ。せっかく最強の魔女と戦おうってのに、雑魚にそこらをウロチョロされちゃあ興が削がれるだろ?」
「……」
手の中のスチール缶が「ぺこ」と音を立てた。
「巴マミも、ちったぁ腕は立つようだがね。さやかも同じさ……せっかくの晴れ舞台なんだ、下手な黒子は他所に引っ込んでいてほしいってこと。ああ、できれば見滝原より向こうに行ってくれりゃせいせいするな」
「……あなたは、何故」
「?」
「そんなに、強い相手を求めるの?」
いくつもの時間を遡り、いくつもの彼女に出会ったほむらの大きな疑問だった。
ただ、この杏子は口元をゆがませて、それが当然であるかのように笑った。
「アタシは、何にも負けないほど強くなりたいのさ」
「何にも負けない程……?」
「ああ、アタシと同じ魔法少女にも、最強の魔女にも! どんな奴にも負けないほど強くなりたいんだ」
修道服の井出達で、杏子は胸の前で力強い握りこぶしを作って見せる。
「アタシの力は、強い奴と戦えば戦うほど強くなる……ワルプルギスの夜と全力で戦うことになれば、アタシはワルプルギスの夜さえも越えられる!」
「……!」
打倒ワルプルギスの夜ではなく、ワルプルギスの夜以上の力を求めている。
彼女は倒すことが目的なのではなく、倒す力を手に入れることが目的なのだ。
「す、酔狂ね……いえ、気を悪くしたならごめんなさい」
「へっ、そんな些細なことは今更気にもしないさ……一般常識で見りゃあちょっとばかし力に溺れてるのは、アタシだってわかる」
「自覚があるのね」
「それでもアタシは力が欲しいんだ……っと」
向かい側のコンビニのゴミ箱にペットボトルを投げ込むと、それは荒っぽい音を立てながらも、綺麗に入っていった。
「ふー。ゲームでもしようかと思ったけど、やめだ、150円も使っちまったしな」
「……そう、話につき合わせて悪かったわ」
「なに、アタシも一度話したかったから、いいさ」
シスターは手を振りながら去ってゆく。
「ああ、そうだ」
去り際に一度だけ立ち止まり、淡白な無表情を半分振り向かせた。
「……そーいうわけだから。風見野はアタシのテリトリーだ、近づくなよ。近付いたら……アンタでも殺してやる」
それだけ言って、杏子は再び闇に向かって歩いてゆく。
後姿を見送るほむらは首を傾げた。
「……風見野」