全てを守れるほど強くなりたい   作:ジェームズ・リッチマン

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釘を刺そうと思ったのに

 † 8月3日

 

 

 出会いの日。

 

 煤子さんは涙をぬぐった後、それはもう、涙など無かったことにしたような強い顔立ちになると、地面にこぼれた黒い砂をかき集めはじめた。

 土が混ざってもお構いなし。

 とにかく一粒残さず集めようと、地面ごとかき集めては、どこかにあった分厚い袋に詰め込んでいた。

 

「いい、手伝わなくても」

 

 手を貸そうとした私に、煤子さんは強く言った。

 けれどすぐに“あ”というような顔になって。

 

「ごめんなさい」

 

 控えめに謝った。

 “自分でやりたいの”と後付けして、砂を集め終わってから、彼女は立ち上がった。

 

「あ……」

 

 その時、自分よりもずっと大人に見えた煤子さんの背が、実際にはそう高いわけでもなかった事に私は驚いた。

 けれど、膝のストッキングについた土を払う仕草は粗雑なものではないように感じる。

 上品で、大人っぽい。背丈よりもずっと。

 不思議な人だと、私は彼女に惹かれるばかりだった。

 

「私はね、美樹さやか」

「は、はい」

 

 ちょっとだけ高めの目線が私を見下ろす。

 

「とても悪い病気に罹っているの」

「え?」

 

 それは突然の告白だった。

 私は彼女の真剣な目を見ては、“そうですか”だけを返すことができなかった。

 

「どんな病気なの? ……です、か?」

「良いわ、硬い喋り方でなくても」

「あ、はぁ……」

「……私は……今まで、無茶なことばかりをやってきたから。それに、最後には欲を出してしまって……そのツケがきたのでしょうね」

「つけ……?」

「借金よ。借金をして、お金が返せなくなって……ボン。もう、どうしようもない」

 

 ふふ、とそれはもう、上品に嗤う人だった。

 

「これは愚かにも道理に背いて、横道逸れようとした結果よ……もうあの時までは無理ね……生きていられるのはあと……うん。一年もない……」

「え!?」

「今の調子だと……そうね。もう、もって数ヶ月、といったところかしらね」

「そんな……」

 

 彼女の手元で、砂がざぁざぁと鳴る。まるで砂時計のように。

 

「だからね。もう長くない私のお願いをね……聞いてくれるかしら? 美樹さやか」

「う、うん! 煤子さんのために何か、私にできることがあるならっ!」

 

 知らない人でも、不思議と嘘をついているようには見えない。

 そんな目をしていた。だから私は、信じたのだ。

 

「……時間がないの。だけど、私の今まで生きて、培ってきたことを、出来るだけ貴女に伝えたい。それが、私の望み」

「えっと……じゃあ、私はど、どうすれば……?」

「聞いてほしいの。覚えてほしい。そう、口で言うとするのなら、それだけよ」

 

 膝を曲げた煤子さんの目線が私と並ぶ。

 

「これは貴女の人生の、これからのためでもある……貴女のために、私は、私の持てるものを貴女に託したい……ねえ。そのつもりで、聞いてくれる?」

「……うん!」

「……ありがとう、さやか」

 

 人が安堵し、柔らかく崩れる顔。

 美しい彼女のそれは、一際魅力的なもので。

 

 だから私は、その笑顔に応えなくちゃと、子供ながらに決心したのだった。

 

 

 † それは8月3日の出来事だった

 

 

 

 

 

 ――さんって、前はどこの――

 

 

 ――京の、ミッション系――

 

 

 ――とかやってた? 運動系? 文化――

 

 

 

「ん……」

 

 机に突っ伏した顔を上げる。教室だ。夢の中ではない。

 ……うん。朝から続く眠気は、季節の適温と良く混ざったらしい。教室に充満した二酸化炭素のせいもあるのかな。……僅かな時間だけど、授業前には丁度いい感じの昼寝だった。

 

「いいえ。やってなかったわ」

「すっごいきれいな髪だよね。シャンプーは何使ってるの?」

 

 顔を前へ向ければ、どうやら転校生の子が質問攻めにあっているようだ。

 コミュニティを作るのが好きな女子数人が、彼女をグループに入れようと集っているらしい。

 

「不思議な雰囲気の人ですよね、暁美さん」

 

 仁美の目にもそう映るようだ。それだけじゃないような気もするんだけど。

 

「ねえ、まどかぁ、あの子知り合い?」

「え? うーん……」

 

 目を擦りながら聞くと、どうもぱっとしない答えが返ってきた。

 まどかも何か釈然としない様子。

 

「思いっきりガン飛ばされてたじゃん?」

「いや、えっと……そうなのかな……私が見すぎてたのかも……」

「まさかのまどかがメンチ切ってた説? あっはは」

 

 睨むまどかなんて想像もできないなぁ。

 想像してみたら、ちょっと凛々しくなったまどかが居て、可愛かった。

 ぶふっと噴き出すと、まどかがこれまた可愛らしく私に怒った。

 

「ごめんなさい……何だか緊張しすぎたみたいで、ちょっと気分が……保健室に行かせて貰えるかしら」

「え? あ、じゃあたしが案内してあげる」

「あたしも……」

「いえ、おかまいなく……係の人にお願いしますから」

 

 靴音が近づいてくる。

 ……おやおや。話し中だったのに、どうしてこっちに来るのかしら。

 

「ん……? え?」

 

 まどかに影が差した。

 ぬう、っと近づいたのは、謎の美少女転校生。

 

「……」

 

 まどかのすぐ近くで、彼女は立ち止まる。

 その距離は殴り合いが起こるか、親友同士の会話が始まるか、恋人同士が愛を囁くか。

 いずれにせよ、極端なシチュエーションしか浮かばないような距離だった。

 

 ……やっぱりまどかがメンチ切ってたのかな?

 

「鹿目まどかさん、貴女がこのクラスの保健係よね」

「へ?」

 

 おろ、どういうこっちゃ。

 

「え? えっと……あの……」

「連れてって貰える? 保健室」

「あの、わたし……」

「今でないと――」

 

 なんか勘違いしてたのかな。

 

「あのー、転校生。保健係は私だけど」

 

 まどかじゃなくて私なんすよ。それ。

 

「……え?」

 

 んで、何故面食らったような顔をするのかな、この美少女は……。

 

「……そうなの?」

「うん。私が保健係……で、兼、清掃係と、風紀係も兼任してる!」

「……そうだったの」

「まどかは生物係だもんねぇ」

「うん」

 

 先生に保健係が誰かを教えてもらったけど、間違えた。そういう感じかな、きっと。

 だからまどかのこと見てたのか。なるほどね。

 

「ほいじゃ、ちょちょいとさやかちゃんが保健室まで連れていっちゃいますよー」

「ちょ、ちょっと」

「じゃあまどか、ちょっと行ってくるね」

「うん」

 

 席を立ち、転校生の手を引て教室を出る。

 凛々しい美少女の白い手は細く、柔らかく、まどかのそれよりも繊細そうだった。

 

 

 

「さっきの子達、色んなことずかずか聞いてくるけど、嫌な子ってわけじゃないから。誤解しないであげてね」

 

 転校生を連れながら、一応さっきまでの質問攻めのカバーをしておいた。私が気にかけるようなことでもないのかもしれないけどね。

 あのグループの子たちただ寂しがりというか、人と一緒に居たい気質というか……ま、そんな面が強いだけなのだ。

 人によっては鬱陶しく感じるところもあるかもしれないけど、彼女達の愛情表現の大事なひとつを、誤解してほしくはない。最初で関係がこじれちゃうと、後々まで尾を引くしね。転校して早々、躓いてほしくもなかった。

 

「あの……」

「ああ! そうだっ!」

「え……」

 

 そうだ、そういえば名乗るのを忘れていたよ。

 

「私の名前は、美樹さやか!よろしくね、転校生!」

「し、知ってるわよ……」

「え!? なんで!?」

「……さっき自分のこと“さやか”って言ってたわよ」

「あ!! そっか、言ってたわ」

 

 こりゃ失敬。へへへ、けど覚えてもらえたなら何より。

 

「……美樹」

「さやかって呼んでいいよ、転校生」

「! そう、さやか…」

「んー?」

「貴女は自分の人生が、貴いと思う?」

 

 お? 変わった質問。でも好きな食べ物とか趣味よりは、切り口が面白いね。

 でも答えはシンプルだな。

 

「うん、もちろん」

「……家族や友達を、大切にしてる?」

「当然。すっごい大切にしてる」

「即答、するのね」

「当たり前だよ。みんな、何もかも尊いよ。私、環境そのものは結構恵まれてると思うしね」

 

 先行く私は向き直り、歩みを止める。

 

「逆に、転校生はどう思ってるの?」

 

 ガラス張りの渡り廊下。

 横から入る陽が、転校生の顔に影を作っている。

 

「……私のことも、転校生ではなく“ほむら”って呼んでもらいたいわね」

「ん! 了解、ほむら!」

 

 彼女のポーカーフェイスからは、感情が読み取りにくい。

 ……隠そうとしている。うん、そんな感じ。乏しいというわけではなさそう。

 

「……そうね、私はどうかしら……ええ。家族や友人は、とても大切よ。……それを守るためなら、天秤にかける自分は遥かに軽い……そのくらいにはね」

「ほぁあ……」

 

 なんか、すごいな。結構、熱いこと言ってくれるじゃないの。顔とは違って。

 

「……じゃ」

 

 無感情に答えたほむらは、私を追い抜いて先を歩いて行くのだった。

 

「……もう、ちょっとっ。場所、わかんないでしょっ」

 

 私は黒髪を追って、廊下を走るのだった。

 

 


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