人がギリギリ這っても通り抜けられないくらいの間隔で組まれた鉄格子に囲まれている。
広い空間は入り口以外は全てが鉄格子で封鎖されていて……。
「きゃっ!? わ、わぁ……勝手に檻が落ちてきた……」
……今しがた入り口も封鎖されてしまったようだ。
まるで牢獄のような部屋だけど、人間にとっては広すぎて、監禁というよりは軟禁に近いかもしれない。
部屋の主はこのだだっ広い空間の奥に、どっしりと座り込んでいた。
「……あまり普段はこういうことって考えないんだけど、気持ち悪い魔女だわ」
「わたしもダメ……」
それを見て、マミさんもまどかもちょっと引いている。
「……」
「ほむらは?」
が、ほむらの顔色はそうでもない。
「あなたはどうなのよ」
「結構平気、よく集めてたし」
「……この中で一番苦手な自信はあるわ」
「あれ、そう? 意外かも」
私以外の三人が全て顔を顰めるその先には、巨大なヤゴらしき生き物がいた。
厳しいトゲトゲのウロコみたいな身体。大きすぎて虫というよりもドラゴンみたいだ。
といっても、三人にはただの気持ち悪い虫にしか見えないのだろう。
『ビィイイイイィイイ!』
魔女が鼓膜によく響く声で鳴き、未発達な小さい翼を広げて威嚇した。
「鹿目さん、ここから動かないでね」
「みんな、気をつけて!」
「任せなさーい!」
マミさんの展開する虹色バリアーがまどかを覆ったのを見届けて、ひとまずは安心だ。
「さて……」
そして以前にマミさんに見せてもらった、蝶の翅をもった魔女との戦いを思い出す。
魔女ってものは当然のように飛ぶ。
どう考えてもそれじゃあ飛べないだろ! っていう翼やデザインなんかでも、簡単にふわりと浮いてみせる。期待を裏切ってみせる。
だからこの魔女も、見た目はヤゴだが飛ぶかもしれない。
ヤゴだし中からトンボが出てくるかもしれない。
飛ぶ可能性は高い。警戒はしておかなくては。
「みんな、あの魔女飛ぶかもしれないよ」
「うわ……」
「そうね、飛ぶ可能性は高いわ。……私の中では四番目に最悪の魔女よ」
「いや……なんていうかそういうリアクションじゃないなぁ、私が求めてたのって」
やはり皆は戦い以上にビジュアル面が気になる様子だ。
「飛んで近づいてくる前に、さっさと全部撃ち落してしまいましょう」
「賛成ね。飛び道具で良かったわ」
「……じゃあ前いってきまーす……張り切りすぎて私を撃たないでくださいね」
「ふふ、頑張るわ」
「善処するわ」
「頼むよほんとー」
いつも以上の高火力射撃の予感を背中に受け、私は巨大ヤゴへ走り出した。
さ、戦いの始まりだ。
『ビィイイィッ!』
「!」
接近を試みようと前のめりになったとき、ヤゴの小さな翼が広がった。
その裏側から無数の黒い影が舞い上がり、こちらに向かってくる。
一目でわかる。道中で何匹も潰した、ガトンボの小さい奴だ。
『ビィイッ!』
「ふんっ」
真っ先に正面から飛び掛ってきた蛾をハンドガードで押し退け、魔女へ突撃する。
立ち止まったら負けだ。使い魔の群れに怯んだら劣勢になる。
大量に出現させられて、量で押される前に、なんとか一撃を当てるんだ。
そう、出来れば翼に当てなくちゃいけない。削ぐならまずは敵の機動力から。
「美樹さん、行って!」
「こっちは平気。正面に集中して」
背後から私を追い抜く弾丸たちが、わき見の範囲に広がる使い魔を的確に撃ち落としてゆく。
頼もしい応援だ。ここまでお膳立てされてちゃかっこ悪いとこ見せられないね。
「よっ、ほっ」
切っ先を一匹目に刺し込み、捻って刃の腹で二匹目を斬り、ハンドガードで三匹目を叩き潰す。
数は多い。けれど横撃を気にしないのであれば、全然いける。
「さあ、使い魔飛ばしてるだけじゃ止まらないよ!」
二刀流のサーベルで、使い魔の濁流の中を強引に突き進む。
そしてついに、というかすぐに、魔女の目の前までたどり着いた。
「おおおおおッ!」
『ビィィイイッ!』
最後の突撃だ。二本のサーベルを魔女に向かって投擲する。
二枚の翅らしき背中へ向けて投げられたサーベルを、使い魔達は私以上に優先してブロックしてきた。
身を挺しての防御だ。……なるほど、生半可な遠距離攻撃は通用しないってわけ。
翅は私を襲う以上に大事なことらしい。つまりは奴の弱点だ。
ならばこっちの目的も明確になったようなもの。
「! さやかちゃん前!」
「大丈夫!」
無手、そして目の前に複数の使い魔。
使い魔の群れは一瞬だけ守りに重きを置いたが、私への攻撃の手を全くやめたわけではなかった。
「ほうら!」
『!』
空中で体を翻し、相手にマントを向ける。
使い魔達は白いマントへ突っ込み、白いベールを続々と食い破り、貫いてしまった。
『……!』
そこに私はいない。
私は浮き上がったマントの下に、今度こそ本当に、何も隔てずに魔女の目の前にいる。
「翅、もらったぁ!」
『!』
相手がこちらに反応するよりも早く、前足を駆け上る。
「せやッ!」
魔女の小さな翅のひとつに渾身の蹴りをお見舞いする。
が、私の足の甲に痛みが走った。
「……った!」
魔女の巨体が、ほんの少しだけ浮き上がる。
逆に私の体は、反動で押し戻された。
『ビッ……ビィィイイイ!』
「まじっすか!」
「効いてない……! 美樹さん離れて!」
一撃に賭けた私のキックも、魔女の翅を折るには至らなかったようだ。
なぎ払われる刺々しい前足を避けて、マミさんとほむらの列に並ぶ。
「いけると思ったのになぁ!」
「まったく、逆に安心するけれど……魔女に肉弾戦なんて、無謀もいいところよ」
「なんで安心すんのよ」
「……さあ。とにかく気をつけて。あなた、あれとは相性悪いわよ」
アサルトライフルでガトンボの群れを蹴散らすほむらが私を戒める。
二人とも、迫り来る使い魔の掃除に手間を食っているのか、魔女に攻撃を加える暇がない。
「しょうがない……近づくのがダメってんなら、私も遠くから魔女を狙いますか……“アンデルセン”!」
遠距離かつ手数で使い魔を潰す二人のおかげで、私は心置きなく大剣を作ることができた。
そしてお見舞いする一撃は、サーベルが主力である私の最大火力。遠距離からの攻撃“フェルマータ”だ。
「さやかちゃんのあれが当たれば……!」
「そうだね。さやかの願いが生み出したと言っても良いほどの威力がある、直撃すれば、あの魔女はあっという間に消滅するだろう、けど……」
「え?」
「あの光線は、さやかの使う武器とは真逆をいく性質の技だ。何発も撃てるものではないし、外したときの隙は……」
剣に力を注ぎ込む。
「“フェル”……」
生成した大剣を素早く真上に掲げ、重さのままに、ゆっくり後ろへ下げる。
その動作だけで、体中の“魔力”と呼ぶらしいシロモノが吹き上がる感覚を得た。
「“マータ”!」
自身の体を基点にして半円の弧を描く大振りが、巨大な青白い力の流れを作って、目の前に放射される。
私の髪を前方へ靡かせる力の波濤が魔女へ襲い掛かる。
だが。
『! ビィッ!』
「!」
「ああっ!?」
魔女は今更になって、飛んだ。
というよりも、跳んだ。真横へ跳んで、私の“フェルマータ”を避けてしまった。
「……!」
考え無しに放った大技への後悔と疲労感が、大剣を握る両腕を更に重くする。
「美樹さん!?」
大剣が手から離れ、床に落ちる。
今になって気付いたけど……これは……“フェルマータ”を使った後の疲労感が……結構ヤバい!
大技は大技だったってわけか。……いや、よくよく考えれば代償無しにこんな技を何発も放てるはずがないのだ。
私の力では、一日に三発程度が限界か? 道中の使い魔を相手に使うものではなかった……。
昨日の杏子との戦いでの肉体の消耗もあるだろうが、自分の力量を見誤ってしまったのは紛れもない事実。
反省……そして、ショックだ。
自分の魔法は、こんなものかと。
「さやかっ!」
「!」
ほむらの声に頭を冷やす。
そうだ。二人は未だ、使い魔の処理に追われている。
私がなんとかしなくては。
「仕方ない……! もう一度近づいて、今度はアンデルセンで、そのまま……!」
床の大剣を拾おうと手をかけるが、ひどく重い。いつものような全能感がない。
「……! 無茶はしないで」
「……」
アンデルセンの重さと自分の体力を比べてみれば、すぐに解った。
これを抱え、正面の使い魔を切り伏せながら魔女を叩く?
そんな芸当は無理である。
私はそんなに身軽ではない。
「落ち着け……駄目だ、落ち着け私……」
「さやかちゃん!?」
親友の声が背中を擦る。
いつもの底抜けた“大丈夫!”が反射で出てこない。
代わりに浮かんでくるのは、契約する直前にキュゥべえから言われた、素質の話。
マミさんと比べれば、私は三分の一しか力がない……。
……違う、今はそんなことを考える時じゃない。
素質どうこうを考えてどうなるというのか。そんなの最初からわかってるはずだ。
私は私にできることをするだけだ。それが私の願いだろう。
私は、自分の手の届く範囲を広げるために力を願ったのではないか。
何も全世界の人々を私の願いひとつで救えるとは思っちゃいない。
この手の及ぶ限りに、守る力を欲したのだ。
だから考えるんだ、美樹さやか。
自分で作った大剣も握れない私が、あの魔女を叩き落すための手段を。
……――。
サーベル、刃とハンドガード。マント。
走る、斬る、跳ぶ、斬る。撃ち落とされる。
走る、斬る、斬る。未知数。
走る、斬る、走り抜ける。未知数。
魔女の翅のガードは堅い。私の蹴りは通用しない。
使い魔の出現は連続的で収まらない。魔女に一撃を与えるのが限界だ。
……今の私がサーベルを持ったところで、あの魔女に傷をつけることができるのか?
「……私じゃ、あの魔女には……」
敵わないのではないか。
「ああ……もう」
銃声を聞くだけで、私は何もできなかった。
足が動かない。打つ手無し。声を上げることもできない。
無力感と挫折が同時に私の心を襲う。
「美樹さん」
「!」
優しい声で呼ばれた私の名前に、正気が戻ってきた。
「駄目そう?」
マミさん。……ああ、ごめんなさい。私ったら、もう……。
「……すみません。私には、あの魔女を倒す力がありません」
「うん、無茶はいけないわ。一人では限界があるものね」
私の本音を、マミさんは微笑みで受け止めてくれた。
……マミさんは本当に、優しい人だ。
「ごめんなさい。近づいてきた使い魔を倒すくらいしか、今の私にはできません」
「気にすることはないわ、相性が悪いだけよ」
自分の無力さを吐露すると、何故か楽になった気がした。
……私は万能ではない。
力を願ったからといっても、最強になったわけじゃあないんだ。
……そう言い聞かせるべきだ。
深く、胸に刻むことにした。