† 8月15日
夕陽を背にした煤子の影が、真っ直ぐ杏子へ伸びている。
影の中の杏子は竹刀よりも遥かに長い棒を握り、煤子に立ち向かっているように見えた。
対して煤子の手の中に納まっているものは、ほんの三十センチ程度の枝切れに過ぎない。
「はぁ……はぁ……!」
「火と活力の象徴……棒はどこにでもある一般的な生活の道具、あるいは素材。けれどそれは武器にもなるわ……ねえ杏子。棒の強さって何だと思う?」
「棒の、強さ……?」
「棒が武器たり得る理由よ」
杏子は手元の棒を見た。とはいえ、情報量など少ない得物だ。答えはそういくつもない。
「……長い」
「そう、長さよ」
煤子は右手に持った小枝を掲げる。
掲げられた小枝の影はグンと伸びて、地面の上に一本の木を作った。
「長い……それだけがシンプルな一本の物体に、武器としての力を与えたの」
「……けど!」
「けど?」
「……まだ、全然……一回も、あなたに当てることができていないです」
少女の言うとおりだった。
まだ始まって十分の“実践”の開始だったが、杏子の1mの棒は未だ、煤子の小枝に払われてばかりなのだ。
「棒はどこにでもある道具。そして貴女は、それを持って強くなる。もちろん何も持たずに強くあるべきとは思うけれど……それを手にすることで、貴女は誰にも邪魔されなくなるわ」
「でも……これは、ただの棒です」
「ええ。目を凝らせばどこにでもある棒、長い物……それには刃はついてないし、鉄製でもない。けれど使いこなすことが出来れば、長い刃物や鉄製の警棒よりも、遥かに頼れる道具になるわ」
そう言って、煤子は手に持った小枝を足元に放り捨てて、傍らに控えさせておいた木の棒へと取り替える。
杏子が持つそれと同じ太さではあるが、2m程の長い棒だった。
「まず棒というものは、長い」
「っ!」
棒の端を握り、それを自然体で掲げ、振り下ろしただけだった。
が、それだけの動作で既に煤子の棒先は、杏子が構えていた棒をコツンと叩いた。
「相手よりも先に届く。それだけで長さは利点になるわ」
「……」
「そして相手より長ければ、相手の攻撃は届かない」
「!」
棒をこちらに向けた煤子が、ゆっくりと歩み寄ってくる。
ぼんやりしている間にも、相手の先端は杏子の腹を優しく小突いた。
杏子の持つ短めの棒は、どう足掻いても煤子には届かず、空を切るばかりである。
しかし振り回しているうちに、偶然ではあるが煤子の棒を叩いて、地面へと叩き落した。
「あ……」
「これが弱点よ。長いから振りは遅いし、横は当てられやすい。かわされやすい」
「……だから私のは、何度も」
「相手が避けられないような棒の使い方を教えてあげるわね」
「……! はい」
† それは8月15日の出来事だった
:じゃあそろそろ出るから、いつもの所でね
:うん! また後で!
というようなメールをいくつか交わして、携帯を仕舞い込む。
昨日の魔女との戦いのこともあって、そんな私を気遣ってか、まどかは朝から体調を気遣ってくれたのだ。
……まどかに心配されるほど、参って見えたか。昨日の私は。
それともまどかの人を見る目が良いのか。
うーん、やっぱりまどかは私の嫁だな……。
「あら、鹿目ちゃん?」
「うん。あ、やっぱり塩取って」
「はい」
朝ごはんの蒸かし芋に一つまみの塩をかけて、半分齧る。
朝の忙しい時間にバターを付ける動作がもどかしくなったのだ。
本当はバターの方がいいんだけどね。滑るからね。
「最近部活の道具持っていかないじゃない、どうするの?」
「部活は……やらないことにしたの。どうにも合わないわ」
「確かに揉めたりしたけど、勉強の方だって大丈夫なんだからまた戻っても……」
「女子中学生は忙しいのー」
両親にはやめた理由をはっきりとは伝えていない。先生の方からも伝わっていないらしい。ま、そんなもんだろう。
最後の一口を塩味無しで詰め込んで、鞄を肩に掛ける。
「ほいじゃ、いってきまーす!」
「うん。いってらっしゃーい、車に気をつけてね~」
今の私は、部活よりも大切なものを見つけたのだ。
マミさんは昨日、自分の魔法をあそこまで応用し尽くしてみせた。
リボンを変形させて銃にして、変形解除してリボンに戻す。
砲身自体を第二の弾にしてしまうという、無駄のない攻撃だった。
黄色い蜘蛛の巣は弾けて広がる毎に、相手の行動範囲を奪い、ダメージを与えてゆく。……美しかった。
マミさんの魔力に対する計り知れない理解と経験が、あそこまでの圧倒的な攻撃技を生み出したんだ。
けれど私の魔法といえば、なんだ?
剣を握って、根性と見切りで掻い潜って一撃を浴びせる。
そのシンプルな戦術はどこまでも極められるだろう。けどそれは、あくまでも現実的な動きとしての技量でしかない。
魔法少女としての私の力は、まだまだ眠っているはず。
まさかアンデルセンを生み出して、そっからビームをドバーだけじゃないでしょう。
……ないでしょう? 多分。きっと。
……ビームだけだったらどうしよう
あのエネルギーの放出技は、あくまでも大剣で扱える基本的なものであってほしい……。
もっと応用が利く、魔女に対抗できる技を手に入れたいところだ。
魔女を一人で倒せないだなんて、そんなんじゃ未熟すぎる。
そんなんじゃ……杏子と戦っても負けちゃう。
「いや……だから、杏子のこと考えてもどうしようもないって」
いつもの待ち合わせ場所が見えてきた。
「おはようございます、さやかさん」
「おはよー」
「おっはよう」
手をひらひらと振って挨拶する。
もう既に三人とも、待ち合わせ場所に到着済みのようだった。
三人ってのは要するに。
「おはよう、さやか」
「おいす~、おはよーほむら!」
ほむらも一緒だ。
仁美やまどかとは立ち位置に距離もあるが、数日のうちに私達の空気感にも馴染めているように見える。
まどかも仁美も話しやすい性格だ。きっと残りの僅かな距離感も埋めていけるに違いない。
「んじゃあ、行きましょっか」
「そうね。急ぐほどではないけど」
「ふふ、ゆっくり歩いて行きましょうね」
こうして大人数で歩くのも良いものだ。
お互いに気心も知れてきたし、まどかの顔色も悪くない。ほむらに慣れてくれて本当に良かったよ。
……ふーむ。まどかは今朝はサラダトースト……いや、ハムサンドトーストを食べたようだ。
トマトは家庭栽培だっけ。まどかパパはホントすごいなぁ。
仁美の朝食はちょっと解らないけど、問題なく済ませたことを疑う余地はない。
多分和食だろう。
ほむらは……あ。
こいつ結構不健康な朝食とってるなぁ。綺麗な髪なのに勿体無い。
……と、ここまで色々思ったことはあるけど、一つでも喋ったら大変なことになる。
まどかの“なんでわかるの? ”欲しさに私生活にずかずか足を突き出すのもマナー違反だろう。解っていても言うのはナシだ。
本当は詮索するように見るのもいけないことなんだけど、見えちゃってわかっちゃっちゃうものは仕方ない。
「さやか」
「ん?」
前でまどかと仁美が話す姿を眺めながら、ほむらが静かに訊いてきた。
「魔女退治は、辛いかしら」
「ん、んー、心配してくれてるの?」
「……あなた個人だけの問題じゃない、だから皆のために心配しているのよ」
「あっはは、なるほどなぁ」
素直に私が心配って言ってくれたっていいじゃないのよさ。
本心なんだか、恥ずかしがってるんだか。それとも別の理由?
「魔女退治は……そうだね、壁に当たっちゃったかなとは思ってるよ」
剣という武器の弱点。近づけなければ意味が無い。
相手が魔女でも槍でも同じこと。リスキーな武器で、私は戦っている。
「けどまだまだ出だしだもんね、挫折するのは早いと思うよ」
「……私達は遠距離からカバーできる。一人でやろうなんて、あまり思いつめるのは」
「頼らざるを得ないときにはもちろん頼んじゃうよ。迷惑はかけられないしね」
けれど、私は強くならなくてはいけない。
どんな魔女を相手にしても、一人で戦えるくらい強くなくては、街の平和を守るなんて不可能だ。
そのためには今のままじゃ不十分。
剣術だけに頼ったスタイルではない、もっと魔法の力を利用した、融合させたスタイルが必要なんだ。
マミさんだってあそこまでの制御をやってみせた。
私もできないことはないはずだ。
「……ねえ、ほむら」
「?」
「もしよかったら今日の放課後、一緒に魔女退治というか……練習に付き合ってくれない?」
「練習?」
「うん。マミさんも一緒に……色々なアドバイスがほしいんだ」
「……」
首を傾げ、ほむらは少し悩んだようだった。
「……やらなくてはいけないことも、あるんだけど……」
「忙しい?」
「夜までなら、付き合えるわ」
「ありがとう!」
「ちょ、ちょっと」
手を掴んでシェイクする。
なんだ、ほむら。やっぱり良い奴だよ。
授業中に考えることは、摩擦力を無視して平面を転がる球の速さではない。
私の魔法そのものについてだ。
私の魔法少女としての姿は、軽装だ。
背中に白いマントを羽織っている以外には特に装備もない。
装備として生み出せるのはサーベルだ。
これはマミさんでいうところの銃や、杏子でいうところの槍にあたる魔法武器。
……マミさんの場合は基本がリボンで、銃はそこからの二次生成になるんだろうか? まぁいいや、きっと似たようなものだろう。
サーベルは何本も生み出せる。自分の周囲ならどこにでも、パッと生み出すことが出来るのが強みだ。
杏子を目の前に戦闘している最中でも、ほんの少し手に力を込めれば瞬時にサーベルを生み出し握り込むこともできる。
サーベルは二本を手の中で重ねて握りこむことによって、巨大な大剣に変化する。
その大剣がアンデルセンだ。
サーベルよりも頑丈で、リーチは長いしその分の威力もある。
ただ魔力が枯渇してくると重さを感じるから、さすがにサーベルほどの取り回しやすさはないし、個人的に慣れた刀剣とは形も違うから、四六時中振り回していたいものではないな……。
アンデルセンの強みがあるとしたら、それはやっぱり幅の広さを生かした面での防御や……魔力を込めてビームとして放出する大技、“フェルマータ”だろう。
一度放てばエネルギーの波が駆け抜け、目の前の相手を一掃してくれる便利な技だ。
……けどこの技の燃費は非常に悪い。
威力も見た目に反して、杏子に直撃しても一撃必殺とはいかない中途半端さだ。
魔女へのトドメや、大勢の使い魔を掃除する際くらいにしか使えないだろう。
私の手持ちのカードは、これらだ。
……手持ちのカードでやりくりするしかない、って言葉はよく言われるけど。
私の手持ちっていうのは、本当にこれだけなんだろうか?
実際のところ、もっと他に使える魔法があるんじゃなかろうか。
そしてあるとしたら、どんな魔法なら私の戦い方に適しているのか……。
考えなくてはいけない。