全てを守れるほど強くなりたい   作:ジェームズ・リッチマン

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いいえ、貴女も解る時がくる

 †8月17日

 

 

 夕陽に照らされながらの棒術訓練は、日が落ちて、体が冷える頃になるまで続けられた。

 教会から少しだけ離れた場所にある空き地だ。

 ここは全く人気がないため存分に動き回れるし、棒を振り回せる。周りの目を気にする必要もない。

 

 棒が打ち鳴らされ、廃屋の壁から乾いた音が跳ね返る。

 その音を聞くたびに、杏子は世界に自身と煤子だけしか存在しないような、不思議な錯覚を強くしていた。

 

「覚えが良いわね」

「ありがとうございます」

 

 扱う棒は150cm以上もある、今現在の杏子の身の丈を越える代物だ。

 最初の頃こそたびたび閊え振り回されていたが、煤子の言葉を一つ二つと動きの中へ取り込んでいくうちに、取り回しは見違えるほど上達した。

 

「そう、槍は距離を作る武器。退避も攻めもおろそかにはしないで……」

「えいっ! ……槍? ですか?」

「……槍、のようなものよ」

「そうですかぁ……」

 

 杏子は槍という言葉に最初はピンと来ていなかったようだが、しばらく棒の先端を眺めると、何かを納得でもしたのか、小さく微笑んだ。

 

 

 

「煤子さん、今日は本当にありがとうございました」

「ええ、良く頑張ったわ」

 

 夜の闇が、火照った体を冷やす。

 短い帰り道を二人は歩いていた。人通りの少ない道だが、そろそろ帰宅のためにやってくる人影も見え始める頃だろう。

 

「なんだか、体を動かすことは前からなんですけど……こういうのも、楽しいですね」

「こういうの、って?」

「あの、武道っていうか……棒術っていうか……私は戦うことって、野蛮だなって思っていたんですけど」

「新鮮かしら」

「はい!」

 

 八重歯を見せて快活に笑うその姿は、記憶にあるどの杏子よりも輝いているかのよう。

 

「……ふふ、そう。意外だわ、貴女にそう思ってもらえるなんて」

「嘘じゃないですよ」

「疑ってはいないわ」

 

 話は長くは続かない。

 二人はすぐに教会の前へ着いた。二人が別れるときは、いつもここと決まっている。

 

 “それじゃあね”と、煤子が口を開こうとしたその時だった。

 

「あのっ、煤子さん」

「なに?」

「あの。良かったら……一緒に晩御飯、食べていきませんか?」

「……え?」

「だめ、でしょうか……あの、あまり、大したものは出せないかもしれないですけど……」

「……」

 

 控えめな口調で誘う杏子に対して、煤子はそれ以上に口ごもる。

 返答にはしばらく思考の時間を要した。

 

「……いえ、私は……嬉しいけれど、御免なさい。すぐに、帰らなければいけないの」

「そうですか、すみません」

「気にしないで、杏子」

 

 括った後ろ髪を強く翻し、煤子は教会の前を離れていった。

 

 杏子はその後ろ姿を、見えなくなるまでひっそりと見つめていた。

 

 

 

† それは8月17日の出来事だった

 

 

 

 

 

 

 ……“この”さやかは何かが違う。

 

 彼女が今以上に強くなったら、きっと、すごい魔法少女になる……お菓子の魔女の結界で見かけた時から、私はそう期待し続けていた。

 自分の魔法を見つけ、更に強くなる。そうなれば、きっとさやかはマミ以上になれるかもしれない。

 

 ……そんな期待を秘めつつ、この三日を過ごしていたけれど。

 さやかがイメージトレーニングを始めて、もう三日が経っている。

 

 その間、さやかは魔女との戦いでは苦戦を強いられていた。

 

 戦いを経る度に強くなることも、蕾が開きかけることもなく、さやかはさやかのままだった。

 迫る魔女との肉弾戦では己の未来を探る時間なんて無かっただろうし、私達も彼女の劣勢を見て見ぬ振りをして手出しをしないということは、できなかった。

 

 ……さやかは決して弱くはない。

 

 けれど、元々の素質の差は、あまりにも大きすぎたのかもしれない。

 私やマミと比べても、魔女との戦いにおいてはやや見劣りする姿が、この三日でのさやかの印象だった……。

 

 ……こんな時、一体どうして、彼女に声をかければいいのだろう。

 

 ……長年生きてきたのに、私には……ちっともわからない。

 

 

 

 

 †8月18日

 

 

「……」

 

 天の最も上にまで届きそうな、白い入道雲を見つめていると、彼女の心はひどくざわめいた。

 蒼海をゆっくりと航行する雲から目を離し、膝の上の腕時計に目くれる。

 

 針は約束の一時間前を指している。が、それは時計が寝ぼけているわけでもなければ、煤子の気が早いわけでもなかった。

 煤子はその時間を退屈には思っていなかった。ただそれだけのことである。

 

「……」

 

 つい最近とも言って良い、慌しく走り回っていた日々を想えば、ベンチの上で呆けることのなんと間の抜けたことだろう。

 複数人の動きを監視し、内面を窺い、カレンダーを見ては下準備に追われ、時計を見ては仮眠を取り、耳に悪いほど大きく設定した分刻みのアラーム音に飛び起きるような、張り詰めた日々を過ごしてきたのだが。

 

 そんな生活をどれくらい続けただろう。

 煤子自身にさえ、自分の過ごした時間は、もはや正確には覚えてはいない。もしも最後に出会った白猫が言っていた言葉が正しいとも限らない。

 

 ただ、自分を背丈より遥かに博識にさせ、それらを裏付ける経験を備えている事実。それだけが、重く積もってゆく、目に見えて唯一正確な量りだった。

 

 

「……」

 

 そんな煤子自身でも驚くべきことだったのだが、今こうしてベンチの上でぼんやりと一時間も無為に待つ己を、大きな罪だと自責することはなかった。

 逆に“暢気なものね”と、うっすらと自分に微笑みたくなるような、穏やかさすらあった。

 

「煤子さーん!」

「あ……」

 

 予定よりも何十分か早く、坂道から元気な少女の姿が見え始めた。

 手を振って、無邪気に汗を振りまきながらこちらへとやってくる。

 

 煤子は落ち着いた声色が届く距離にまで少女が近寄ってくるのを、麦藁帽子に微笑みを隠しつつ、暫し待った。

 

 

 

 † それは8月18日の出来事だった

 

 

 

 

 

 


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