全てを守れるほど強くなりたい   作:ジェームズ・リッチマン

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今の平穏や幸せを奪うことなんて

 

 †

 

 

「美樹。あんたの彼氏、事故ったんだって?」

 

 部活中、顧問が会議に呼ばれたのを見計らって気安く声をかけてきたのは、私の先輩にあたる人たちだった。

 卒業を間近に控えた三年生。惰性で竹刀を振り続けてきただけの、どこにでもいる普通の人。

 

 誰だってどこかで惰性で生きている。間延びした薄い生を心地よく思っている。私はそれを否定しなし、軽蔑することもしない。

 だけどそんな彼女達にとって、せかせかと生きる私の存在はどうにも目障りだったらしく。

 部活中も事あるごとに突っかかってくるのが難点だった。

 

「バイオリンやってるんでしょ?」

「大変だよね」

 

 この手の人たちは柳に風と受け流すのが常道だ。

 きっと社会に出ても、やり方は変わらないんだろう。

 私の性分のせいか、鬱屈としたものは腹に溜まるけれど、我慢できないほどではない。

 ああはい、そうですね、へえそうなんですか、はあわかりました。そんな感じで大丈夫なのだ。

 

 それが上手いやり方だ。相手の下手くそな挑発に乗ってはいけない。私のセンスが試されている。そう思えばいい。

 

「美樹、彼氏に何かしてあげなよ」

「男子って手が使えないとヤバいんでしょ? ほら、コレとかさ」

「アハハハッ」

 

 私は二年間頑張ってきた。

 真面目にコツコツと、真剣に。

 レギュラーの座はそうやって手に入れたものだ。

 

 けど、なんだ。

 

 剣道? レギュラー? 

 

 ……そんなものはどうだっていい。

 ああ。私にしてはよくやった方だ。

 

 大事なものは部活動の経歴でも、戦績でも、レギュラーの座でも先輩との関係でも社会に出るまでの我慢強さ磨きでもない。

 

「先輩」

「は? なに?」

「稽古しましょうよ。一対他全員でいいっすよ」

 

 その日、私は何もかもを張り倒して、部活を辞めたんだ。

 

 

 

 †

 

 

 

 

「来なよ」

 

 銀の籠手を握り締め、金属音を軋ませる。

 

 相手は槍一本。ただし髪留めは燃えている。

 あの状態の杏子は、槍ひとつだとしても油断ならない。

 法外な力から発揮される攻撃は、時としてこちらの合理的な防御を突き崩すことさえあるのだ。

 

「調子乗ってんじゃねぇよ!」

 

 けどそれはもう、杏子だけのものではない。

 法外な力なら、たった今私も手に入れたのだから。

 

「“セルバンテス”!」

「!」

 

 流星の速さで突き出された槍を、同じように突き出した銀の篭手が受け止める。

 

 と、いう表現は正確ではない。

 

「なん……!?」

 

 受け止めているのは銀の掌ではなく、その一寸ほど先にある、薄水色の半透明なバリアーだ。

 槍の先端は薄氷のバリアーに受け止められ、赤っぽい火花を吐き出しながらも、全く先へは進まない。

 髪を燃やした杏子でさえも突き崩せない防御壁を展開する能力。

 

 これこそが銀の篭手“セルバンテス”。

 私の願いが生み出した、最も純粋な形の魔法だ。

 

「ッハ……手が痺れるなんざ久々だぜ、オイ!」

 

 突きの勢いを完全相殺された杏子は、隙の無い動きで三歩退く。

 間合いを開け終わった頃には既に、槍は両方の手に握られていた。

 

「随分硬いみてーだが、それなら一丁、力比べをしてみるしかないね」

「……ブンタツか!」

 

 今日二度目の登場となる、双頭剣ブンタツ。

 経験上、私の全ての武器や物質を斬り裂いてきた武器に、私は思わず息を呑んだ。

 

「シンプル、イズ、マーベラス。そっちが最強の盾を出したってんなら、いいぜ! 最強の矛でどついてやろうじゃねえの!」

 

 杏子の武器と私の盾、どっちが強いのか。

 互いに譲ることのない力が今、衝突するのだ。

 

「良いじゃん……来い!」

 

 私の右手は、サーベルを握っている。

 剣を自分の後ろに構えさせ、左の篭手を杏子へ向ける。

 

 そして銀白の掌が向く先で、ついに両剣を握る杏子が動き出した。

 髪留めの炎は暴走する蒸気汽車のように迸り、炎のポニーテールとなっている。

 両腕で握る大重量の武器が軽々と振られ、剣の一端が私を捉えた。もう回避は間に合わない。

 

 今まで全ての物体を切り裂いてきた杏子のブンタツ。

 対するは、まだ一度しか使っていない、銀の篭手セルバンテス。

 

 でも不思議だ。未知の勝負。

 それも大一番であるというのに。

 

 これなら、負ける気がしないわ。だなんて。そう思ってしまうのだ。

 

「ハァッ!」

 

 ブンタツの刃が肉薄し、同時に青白い半透明の壁が現れる。

 赤黒い刃と薄水色の盾が、紫の火花を散らし始めた。

 

 硬度の高い金属に、錆びた鈍いドリルを全力で押し込むような音。

 何から生まれたのかわからない紫色の火花が杏子の方面にだけ降り注ぎ、散っては消える。

 青白いバリア越しに見える、煌々と明るい火花の濁流の中で、杏子の殺気立った目が、私を睨んでいた。

 

「ぉおおおおッ!」

「ぁああぁああッ!」

 

 バリアは空中に固定されるべきものだ。数多のSFチックな漫画を読んできた私はそう考える。

 だが私の目の前に展開されている薄氷のようなそれは、ガタガタと激しく振動しているように見えた。

 その姿の心細さといったらないが、弱気になっては魔法に影響するかもしれない。

 私は自分の力が絶対的な壁であることを信じて、左腕をかざし続ける。

 

 そして信じてみればどうだ。杏子が握っている両剣だって、ガタガタと振動しているではないか。

 こっちの盾が消耗しているとするなら、相手の矛だって同じことなのだ。

 

 これは根競べだ。

 

「越えさせてたまるかぁ~……!」

「貫けぇ……!」

 

 陥没し、削れゆく足下のアスファルト。

 確実に消耗し、一瞬の光として散ってゆく魔力のかけら達。

 

 お互いの武器や、バリアは、その能力が限界であることを表しているのか、段々と亀裂が入り始めている。

 

 そして運命の、決壊の時がやってきた。

 

「!」

「ぐっ……!?」

 

 ブンタツが、私の展開するバリアを貫いた。

 

 ガラスが割れるよりも随分と派手さのない音で砕けた障壁の向こうは、青の加算のない鮮やかな赤い炎を引き連れて、勢いそのままに私へと向かってくる。

 

 

 ──バリアが砕けた。

 

 ブンタツを構えた杏子が迫る。

 

 

 ──まだ、負けてないッ! 

 

 まだだ。まだ私のバリアが壊れただけにすぎないのだ。

 まだ勝負が決まったわけじゃない。

 

 両腕がある。両脚がある。ダウンもしていない。

 

 私は渾身の力で、右手のサーベルを突き出した。

 

 そして、呆気なく砕ける音がした。

 

 

 

「……」

「……」

 

 私のサーベルは、刀身の半分ほどまでがブンタツの刃によって切り裂かれ、すぐに消滅した。

 

 そして私に迫っていた杏子の体が、“トン”と、軽い音を立てて私の体と重なり合う。

 思っていたよりも随分と華奢な杏子と抱き合うような形で、私はしばらく目を開いたまま動けずにいた。

 

「へっ、こんな終わり方をするなんてな」

「……呆気ない」

「ありきたりすぎるだろ、こんなのはよ」

「……ホント」

 

 杏子が私から離れる。

 私の腹部に向けて突き出していた手も、握ったを重力のまま、下へ離した。

 

 ブンタツがアスファルトに落ちる。

 

 ブンタツの……私のサーベルとの打ち合いによって全力を使い果たしたブンタツの、柄だけが。

 私のバリア同様、杏子のブンタツも限界がきたのだ。

 

「矛盾ってやつの答えのひとつだ。最強の矛と盾、ぶつけたらどうなるか……」

「両方とも砕けて壊れる、ってことね」

「そういうことだ」

 

 戦闘狂シスターは、それでも満足げにニカリと微笑んだ。

 私のバリアーは砕け散り、杏子のブンタツも砕け散った。

 引き分け。そういうことか。

 

「ははははっ!」

「あっはっはっは!」

 

 私たちは清々しく、そこで笑いあった。

 時間を忘れた風に。全てを出し切った風に。

 

 お互いにそんな風を装っていたのだ。

 エンディングを飾るに相応しい友情めいた笑い声は、たった4秒間だけのものだった。

 

 

 ──引き分け? 

 

 ──冗談もいい加減にしろ

 

 

「“セルバンテス”ッ!!」

「“ロッソ・カルーパ”ァ!!」

 

 私は残っていた左の篭手で、杏子は僅かに髪留めで燻っていた炎から龍を出して、お互いにぶつけ合った。

 

 拳は杏子の顎を綺麗にぶん殴った。

 炎の龍は私の胸へと勢いよく衝突した。

 

「ぐぇ……」

 

 拳にぶっ飛ばされる戦闘狂シスター。

 

「かはっ……」

 

 爆風にぶっ飛ばされる私。

 

 私たちは仲良くアスファルトの上で気絶していたのだろう。後のことは覚えてない。だから事の結末は、そんな感じだった。

 お互いが、最後まで残っていた力を振り絞り、殴りあったのだ。

 

 茜に染まりつつある青空を仰ぎ、先ほど笑いあうよりも遥かに清々しい気分を堪能した私は、悔いなく意識を手放した。

 

 

 

 

 

 † 8月19日

 

 

「あれは……」

 

 にぎやかな通りを避けて歩いていた、夕時の頃であった。

 煤子の目は、表通りの家族連れへと向けられる。

 

「今度こそ失敗しないもん! クッキー!」

「ははは、またべちゃべちゃにしないだろうなぁ」

「大丈夫だもん!」

「楽しみにしてるぞ、はっは」

 

 成長著しい時期にあるとはいえ、彼女であることはすぐにわかった。

 纏う雰囲気や、癖のある髪。あどけなさはあるが、瓜二つ。間違いない。それは幼い頃の巴マミだった。

 

「……」

 

 一瞬、表通りへ出ようかとも思った。

 だが彼女の両隣には、父と母がいる。

 幸せな、完成されたひとつの家族がそこにある。

 

「……」

 

 煤子は麦藁帽子を深く被り直すことにした。

 そして、あと、時間もそろそろ近づいてきた。

 なので、教会へ行くことにした。

 

 

 

「水滸伝?」

「はい、参考になるかなって……」

 

 聖堂では、杏子がいくつかの本を広げて読んでいた。

 特にその中でも煤子の目に付いたのは、何巻にも続く水滸伝の山である。

 

「ふふ、勉強熱心は良い事ね」

 

 どこかずれているけれど。とは言わなかった。

 

「読書、好きなの?」

「はい! 昔から好きなんです」

「そう」

 

 昔から。その言葉に後を口ごもる。

 

「煤子さん?」

「ん?」

「今、とても、暗い顔をしてましたよ?」

「うん、そうね……全てを知ったつもりで、いたのでしょうね」

「?」

「……杏子、学校の勉強もおろそかにしてはいけないわよ」

「……はい……」

 

 杏子は、煤子の優しげに微笑んだ瞳の奥に、確かな悲しみを感じ取った。

 

 

 † それは8月19日の出来事だった

 

 

 

 

 


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